あなたは招待されています
1 この記事の中で論じられている招待はどんな精神と態度でさしのべられていますか。
心からの招待があなたにさしのべられています。それは無料です。しかも「いやならおよしなさい」といった気持ちではなく親しみをこめてさしのべられているのです。あなたは印刷された招待状をすでに受け取ってはいても,それを身近なものとして経験しておられないのかもしれません。その招待がなんであり,また書かれたもののみならず個人的なものとしてその招待を受け取るにはどうすればよいか,それがこの記事の主題です。
2 この招待はどんなことに関係していますか。それを退ける前に何をするべきですか。
2 この招待は命をもたらすあるものにあずかるようにとのすすめです。もちろんあなたは生きています。そうでなければ今この記事を読んでいることもないでしょう。しかし限りなく生きることを望まれますか。そうであれば,あなたはこの招待に関心を持たれるでしょう。あるいは積極的に応ずる気持ちがなくても,どんな命がどんな条件でさしのべられているかを少なくともしらべてみて下さい。どんな招待でもそうですが,しらべたならば辞退するのも受け入れるのも自由です。
3 この招待を受け入れる人は何に導かれますか。
3 おそらくあなたの家には聖書があることでしょう。それで書かれた招待はすでにあるのです。それに加えて個人的な招待,友人でなければわざわざ持って来てはくれないような招待を受け取るのは,あなたの権利であり特権です。それはことばの全き意味において無料です。それは永遠の生命に関するものです。現実ばなれした影のような世界においてではなくこの地上で人間として,しかも現在,人間を苦しめている病苦を知らずに完全な健康で,愛するまた愛した人々とともに生きる生命です。それは身体と財産の安全が保証され,人間としての権利が認められ保護された平和な世における生命です。また偏見のない,そして考え方の建設的な,すべての人が働く社会での生命です。
4 この招待はだれから出たものですか。それはどのように親しく,また愛をもってさしのべられていますか。
4 この招待は創造者なる神からのものです。神は遠く離れた存在ではありません。現在100万人以上の人がこの招待を受け入れ,他の人にも招待をさしのべるため神につかわされています。それはエホバの証人です。神は人々に対して親しい暖かい愛を持たれます。エホバの証人はその愛を受け,最善の方法でそれを他の人々に及ぼすため,人々の家をおとずれ,人々を助けるために無報酬で時間を費やしています。
5 印刷された招待状はどこにありますか。それにはなんと書かれていますか。
5 さて聖書をとりあげ,招待を見てください。それを見るのはおそらく初めてではないでしょう。聖書巻末にある黙示録の最後の章の17節をごらんください。それはきわめて厳粛で誠実なすすめであることに留意してください。次のように書かれています。「御霊も花嫁も共に言った,『きたりませ』。また,聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は,価なしにそれを受けるがよい」。
みたまと花嫁
6 (イ)みたまが「きたりませ」と言うのはどうしてですか。(ロ)花嫁はどのように「きたりませ」と言いますか。
6 聖書はみたまの霊感により,神のしもべである人間の手によって書かれました。前述の招待をのせた聖書は,世界人口の90パーセント以上に及ぶ人々が自国語で読むことのできる本です。その意味で,みたまは「きたりませ」と言います。しかしそれでじゅうぶんなわけではありません。人間となって地上にいられた時のイエスが親しく人々に暖かいことばをかけられたように,今日の地上にはイエスと親しい人々がいて生命への招待をさしのべています。私たちには神に仕える他の人との親しい交わりが必要であり,イエスはそのことをご存じです。「花嫁」すなわちクリスチャン会衆の成員もまた心から「きたりませ」と言います。
この時代の人々にさしのべられている
7 ペテロの第二の手紙 1章19節は,この招待のさしのべられ受け入れられる時が今であることをどのように示していますか。
7 しかし聖書にあるとすれば,この招待はほとんど1900年前のものではありませんか。確かにそれは西暦96年ごろに書かれたものですが,それが適用されるのはいまです。前の節(16節)はイエス・キリストのことばであり,そこにおいてイエスはご自分を「輝く明けの明星」と呼ばれています。そのことから見てこの招待がさしのべられ,受け入れられるのはいまです。どうしてそう言えますか。ご存じのように使徒ペテロはクリスチャンに次のように告げました。「こうして,預言の言葉は,わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも,夜が明け,明星がのぼって,あなたがたの心の中を照すまで,この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして,それに目をとめているがよい」。(ペテロ第二 1:19)預言のことばは何世紀ものあいだ存在していました。しかしその全き成就の時がくるまで,クリスチャンはそれを導きとし,希望の源とし,「夜が明け,明星がのぼ(る)」までそれを心の中にとめていなければなりません。やがて明星がのぼり,神の約束された良いことの預言のすべて成就する時がきます。イエスはご自分が明星であると言われました。a この「星」はどのようにのぼりましたか。
8 黙示録 22章17節にしるされたこの招待が今の世代にあてはまることを証明しなさい。
8 聖書の証拠および世界に見られる状態に照らしてみると,現存する古い事物の制度はその不法や不正とともに死にひんしています。イエスのことばによれば,それはイエスが『立って』御国の権力を執られた証拠です。(マタイ 24:7,14,29-31。ダニエル 7:13,14; 12:1)イエスは「もろもろの敵のなかで」しばらくのあいだ治めますが,その期間の終わりには現存する事物の制度を滅ぼします。それはこの世代が過ぎ去らないうちに起きるでしょう。それでこの世代のある人々はこの制度の終わりを生き残り,死ぬことなく生きつづけるでしょう。(詩 110:1,2。ルカ 21:25-33)ゆえにこの招待は「終りの時」に生きる世代のためのものです。このわけでそれは今,あなたにさしのべられています。
招かれた人々
9 それがだれにさしのべられているかを示しなさい。
9 「星」は王で,しかもダビデのように羊飼いである王です。地上にいられた時,イエス・キリストは羊飼いとして「小さい群れ」をまず集めると言われました。「小さい群れ」はイエスとともに御国を継ぎます。(ルカ 12:32)イエスはさらにこう言われました,「わたしにはまた,この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも,わたしの声に聞き従うであろう。そして,ついに一つの群れ,ひとりの羊飼となるであろう」。(ヨハネ 10:16)招待は今これらの人々にさしのべられているのです。教えを受ける,“羊のような”性質の人は喜んで耳を傾けるでしょう。今日,地上にいて「他の羊」に属するこれらの人々は黙示録 7章9節から17節において(御国を相続する「小さい群れ」と対照して)「大ぜいの群衆」と呼ばれています。そしてさらに次のことが述べられています。「御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって,いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は,彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。
10 この招待は特にいつからさしのべられていますか。その理由をあげなさい。
10 あなたはこの招待がエホバの証人によって親しくさしのべられているのを,すでにごらんになっているかもしれません。そのことは1931年以来ひきつづき行なわれています。それは天国にはいる望みをいだいて地上で神に奉仕している人々が「エホバの証人」という聖書的な名前を採用した年です。そのとき彼らはエゼキエル書第9章の理解から,「他の羊」の「額にしるしをつけ」るべき時がきたことを悟りました。それはすなわち神を求める誠実な人々に招待をさしのべ,その人々を一致した一つの「群れ」に集めるわざです。これは教えられる人々に費用を負担させずに行なわれる世界的な教えるわざを意味しました。
11 実際の招待のわざの準備として1918年に何が行なわれましたか。1931年および1934年に事態はどのように進展しましたか。
11 これより先,1918年2月24日,「いま生ける万民は死することなし」と題する講演が行なわれ,賛否両様の批評によって有名になったのは事実です。この講演は,この地上において「全能の神の大いなる日の戦い」を生き残り,メシヤの治める神の国の下,地上の楽園で永遠の命を得る人々があるという聖書の真理を表明したものです。しかしそれは生き残る道が義を求めるにあることを一般に述べただけで,明確な道を示していませんでした。すべての人に招待をさしのべる努力が初めて集中的になされたのは1931年でした。ついで1934年以降,天的な希望をいだく「花嫁」級に属する人々すなわちキリストの兄弟たちの「油そそがれた残れる者」と呼ばれている人々は,これら「他の羊」がいま神に全く献身し,水のバプテスマによって献身を象徴し,残れる者と交わり,ともにエホバの証人となるべきことを明白に指摘しました。b
12 37年間も招待がさしのべられているのは長いと感ずる人に対して,なんと答えられますか。
12 37年前の1931年以来,「きたりませ」と言われているとすれば,ずいぶん気の長い話だと感ずる人がいるかもしれません。しかし招くわざは急いでするものではありません。人々は考慮し,行動するのに時間を必要とします。それは人種,宗教,生活環境の如何を問わず公平に,またできるだけ個人的に,そして全世界で徹底的に行なわれるべきわざです。それは公に知られ,真実さがじゅうぶんに述べられ,問題点が論議され,計られねばならず,またそれを受け入れる人々を教えることが必要でした。それこそエホバの証人が達成しようと努めてきたことです。
13 「いのちの水(を)値なしに受けるがよい」というすすめは,なぜ時宜を得たものですか。
13 別の観点からもこの招待は時宜を得たものです。聖書の示すところによれば,イエス・キリストの御父はこの時機を選んで御子の婚宴を設けられます。(黙示 19:7)神はキリスト・イエスの忠実な追随者の,すでに死んだ人々をよみがえらせ,花嫁が花むこに加わるように彼らを天においてキリストとともにならせます。(テサロニケ第一 4:15,16)天における婚宴につらなるはずの人々のうち,なお地上に残されている人々すなわち残れる者がいます。(黙示 19:9)彼らがしばらくの間地上に残されているのはなぜですか。一つの理由は婚姻の喜びにあずかるようにとの招待を「大ぜいの群衆」にさしのべるためです。婚姻の時に「花嫁」と「花むこ」は彼らの地上の家族である「他の羊」に注意を向けます。彼らは王また祭司として「他の羊」を治めるのです ― 黙示 20:6。
世の諸宗教は招待をさしのべていない
14 (イ)招待の時とそれを携える人々を見分けるには,どんな自問をすると助けになりますか。(ロ)大いなるバビロンの宗教組織がこの招待をもたらすために用いられないのはなぜですか。
14 この招待がさしのべられる時を悟り,それをもたらす人々を見わける別の方法は,次のように自問することです。私は今までにどこかでこのような招待を受けたことがあるだろうか。いつ,そしてどこからそれがさしのべられ,また説明されただろうか。事物の制度の滅びを生き残って神の国の治める新しい秩序を,この地上で迎え,真実の生命をとらえる可能性に通ずる道にいまはいることをすすめた宗教組織があっただろうか。大いなるバビロンの宗教はこの招待をさしのべることができません。それらの宗教はいま天に建てられた神の国を信ぜず,また現存する事物の制度が神の国によってまもなく滅ぼされることを信じていないからです。またキリストとその花嫁が地上の「他の羊」という家族を持っていることを信じません。(黙示 21:1-4)そのうえこれら宗教組織の成員は人々の家をおとずれて聖書を教え,この希望を証明するための訓練を受けていません。彼らはそれとはまるで反対のことをしています。大いなるバビロンは聖職者と平信徒の制度を確立し,また諸国家が神の国を代表するという考えに基づいて政治また国家間の戦争に介入してきました。大いなるバビロンはその淫行のぶどう酒で全世界の人を惑わしてきました。c (黙示 17:1-5。ヤコブ 1:27; 4:4とくらべなさい)ゆえにこの招待は過去の世代に対してではなく,いま,そしてエホバの証人によってさしのべられているのです。
「いのちの水」とは何か
15 (イ)「いのちの水」とはなんですか。(ロ)いま「いのちの水」を飲む今日の「他の羊」は,油そそがれた残れる者が前もって味わうものに相当するどんなものを味わいますか。
15 「いのちの水」とは何ですか。生命にとって欠くことのできない水はここで象徴的に用いられています。水は生気を与えます。それはかわいている人を直ちに生きかえらせ,力を与えます。それは信ずる従順な人類にイエス・キリストをとおして永遠の生命を得させる神のご準備のすべてを表わします。飲むようにとのすすめを聞いてそれを受け入れる人々はいま肉体的に強くなるわけではありませんが,霊的に目ざめて生気を与えられ,強められます。彼らは楽園の地に実現する良いものを心に描き,またほとんど味わうことさえできます。天国の希望を持つ人々は西暦33年の五旬節以来,「その保証として御霊を」与えられてきました。(コリント第二 5:5)みたまは彼らを強め,天の生命の希望が開かれていることを悟らせたのです。彼らは神が彼らのためにもくろまれた良いものを,いわば味わっています。(ヘブル 6:4,5)それと平行して神のみたまは,平和な楽園の地における完全な生命のすばらしい期待を与えています。
16 招待を受け入れる人にはどんな責任が課せられますか。その人々はどのように応じましたか。
16 いのちの水は無料ですが,それを受けることには責任が伴います。聖書は次のことを述べているからです。「聞く者も『きたりませ』と言いなさい」。毎年,招待を受け入れる何万人の人々がこのことばに従っています。彼らはこの招待をさらに広くさしのべる責任を受け入れ,現在では全世界197の土地でそのことをしています。友人,親類,隣人に話す人も大ぜいいます。ある人々は全時間を費やします。この招待をさしのべるため,外国語を学び,安楽な生活を捨てて遠い外国に行く人もいます。これは世界のあらゆる種類の人にとって全く公平に行なわれねばなりません。
商業的ではない
17 招待をさしのべることには商業的な面がありますか。説明しなさい。
17 この音信が商業化されることはありません。受ける人にとって最良のものを意味する音信をひろめる喜びが,エホバの証人の受ける利益です。事実,神のことばは商業化を禁じています。神のことばを利益の道にする者は,羊に無関心な,やとい人の羊飼いのようです。(ヨハネ 10:12。コリント第二 2:17)「いのちの水」のうち,現在手に入れることのできるものを,無料で得るように,エホバの証人は人々にすすめています。
18 黙示録 22章18,19節に述べられているように,エホバは招待をさしのべる人々に何を要求されますか。なぜですか。
18 神はこの招待が全く明白かつ純粋な形で人々にもたらされることを要求されます。そのことを委ねられた者すなわちキリストの花嫁の成員から成る会衆に対して神は次のように言われます。黙示録はおもにこれらの人々を対象にして書かれました。「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して,わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば,神はその人に,この書に書かれている災害を加えられる。また,もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば,神はその人の受くべき分を,この書に書かれているいのちの木と聖なる都から,とり除かれる」。(黙示 22:18,19; 1:4,5,19,20; 2:1,8; 3:1,7,14)ゆえにうえかわく羊のような人すべてに対して「この書の預言の言葉」を開封しなければならず,またそのことに加えて預言のことばのどの部分をもさしひかえたり,あるいはつけ加えたりして,その述べる事柄を手加減し,やわらげてはなりません。それは預言のことばの明確さ,鋭さをにぶらせます。そのように汚染した「水」は,それを受ける者に生命をもたらしません。(エゼキエル 34:19)「この書の預言」は加えたり,取り去ったりしないという点でモーセの書と同様に扱わねばなりません。―申命 4:1,2; 12:32。箴言 30:5,6。
19 音信の宣明をさしひかえたり,手加減を加える残れる者があれば,その者はどうなりますか。
19 この招待のことばが何らかの点で変えられているならば,それを聞く者は惑わされ害を受けます。しかしそれにとどまらず,「花嫁」の級に属する人々の天的な希望もまたむなしくなります。彼らの望んだ分は「[天にある]神のパラダイス」の「いのち木」および「聖なる都」すなわち天の新しいエルサレムから除かれるでしょう。忠実な残れる者はそのことを望みません。彼らは忠実とエホバの御名の立証の問題および自分たちが地においてエホバを代表していることを認識しています。ゆえに,何にもまして彼らは神の言われることをすべて宣明し,「神を真実なものとす」ることを望みます。それは神が義とされて立証され,人の偽り者であることが証明されるためです。―黙示 22:15。ローマ 3:4。
20 招待をさしのべる「大ぜいの群衆」の態度はどんなものであるべきですか
20 この招待を受け入れる人は,神から油そそがれた残れる者の仲間となった「大ぜいの群衆」の一人として自分もまた忠実でなければならないこと,またこのように喜ばしい,生気を与え,生命をもたらすそして,永遠の生命を望み見させるこの招待をそのまま他の人々にさしのべなければならないことを悟るでしょう。神の聖なることばに対してこの同じ忠実な態度をとる時,この生命の水がその人に得させる分 ― 地の楽園における永遠の生命 ― は実現し,その人の分は取り去られません。
招待することはまもなくやむ
21 招待がまもなくやむことはどうしてわかりますか。
21 およそ1900年前にこの幻を見た使徒ヨハネは,一見奇妙に思われる事柄を次に記録しています。「これらのことをあかしするかたが仰せになる,『しかり,わたしはすぐ来る』。アァメン,主イエスよ,きたりませ」。(黙示 22:20)すぐ来ると述べたイエス・キリストのことばが黙示録に出てくるのはこれで5回目です。イエス・キリストは,やはり「わたしはすぐに来る」と言われるエホバ神にともなわれて来ます。(黙示 2:5,16; 3:11; 22:7,20と12)これはイエス・キリストが御国の力をもって臨在され,花嫁と「大ぜいの群衆」を集めていられることを否定するものではありません。むしろここでは「すぐ」ということばが強調されています。主イエス・キリストは「全能の神の大いなる日(の)戦争」に関して,「盗人のように」来られることを警告されました。―黙示 16:15。
22 招待に応じてすぐに行動することはなぜ必要ですか。
22 イエス・キリストは「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである」と前に言われました。(黙示 22:10)この書すなわち黙示録のことばの成就が近いのです。招待がさしのべられていることはその証拠です。いま行動しなければなりません。今は,神に仕えると言う者また神に仕えることを望む人が霊的な眠りや無関心に陥る時ではありません。どんな態度をとってもそれにはかかわりなく,イエス・キリストはすみやかに来られるからです。それは宗教的な淫婦大いなるバビロン,すなわち偽りの宗教の世界帝国が,まもなく滅びることを意味しています。招待に応じて行動する人は,その滅びを目撃し,エホバの支配が行なわれる新しい時代の始まりを見るでしょう。その時エホバの支配に対抗する宗教はなく,真の崇拝が唯一の宗教となります。そのとき,私たちは言います,「ハレルヤ,全能者にして〔エホバ〕なるわれらの神は,王なる支配者であられる」― 黙示 19:1-6,〔新世訳〕。
あなたは「アァメン」と言いますか
23 「わたしはすぐに来る」というイエスのことばに対してヨハネが「アァメン」と応じていることは,何を示していますか。
23 すみやかに来るというイエスの警告に対してヨハネは,「アァメン,主イエスよ,きたりませ」と答えています。ヨハネはイエス・キリストに愛された人であり,イエスの来られることを熱心に望んでいました。イエスとその擁護される事柄を愛する人はイエスの再来を待ち望むとともにイエスに敵対する物の滅びを待ち望み,使徒ヨハネと同じく「アァメン,主イエスよ,きたりませ」と祈ることでしょう。「アァメン」ととなえるのは私たちがその事に全く同意し,黙示録がヨハネに伝えた事柄を行なっていることを意味します。イエスが来られるまでそうしなければなりません。
24 招待を受け入れないのはだれですか。しかし今だれが受け入れますか。
24 この世の事物の制度を愛する人には,たとえそれが生命を意味するものであっても招待を受け入れる気持ちがありません。世の事柄に没頭しきって世の利己的な精神に深く染まっているため招待を信じないか,あるいは正義の新秩序における永遠の生命を望みません。しかし別の人々は世の宗教をも含めて現在の事物の制度に見られる腐敗を憎んでおり,そのうえ神の怒りがこの世に注がれ,d その組織とそれを支持する人々が苦しみ,かつ崩壊しつつあるのを見るとき,喜んで招待を受け入れます。
25 使徒ヨハネの祈りが成就することをなぜ確信できますか。黙示録 22章21節のことばはだれのために書かれたものですか。
25 ヨハネは主イエス・キリストの使徒であり,みたまに満たされた人であってクリスチャン会衆の統治体の成員でした。そのことに留意しなければなりません。ゆえにヨハネの祈りが成就することは確実です。(ヤコブ 5:16-18)使徒ヨハネが預言的な本の結びの句の中で「主イエスの恵みが,一同の者と共にあるように」と祈っているのは,14万4000人の残れる者のためのみならず,地的な希望をいだいて「聖徒」の残れる者と交わる宮のしもべたち「大ぜいの群衆」のためでもあります。―黙示 22:21。
26 (イ)神の過分の恵みは今どのように表わされていますか。世の誠実な人はそのことからどのように益を得ますか。(ロ)エホバの証人はその人々のために喜んで何をしますか。
26 神のことばの大部分が私たちに理解できるものとされ,来て「いのちの水」を値なしに飲むようにとの招待が幾十万人の羊のような人々にさしのべられていることは,エホバ神と主イエス・キリストの過分の恵みをよく物語っています。この過分の恵みを認識するならば,エホバの証人の親切な援助によって親しくさしのべられ,あなたがすでに味わった生命の水を,さらに飲むことができます。エホバの証人は,無料の家庭聖書研究を開いて喜んであなたを助け,また友情の手をさしのべる他の人々との交わりにあなたを導くでしょう。あなたは,神の過分の恵みをすでに受けた人々を真の友に持つことができ,またエホバのみたまの助けによって,ますます神に近づき,いま,永遠の生命の希望にますます胸をふくらませ,やがてはキリストの国の治める正義の新しい秩序の下で,生命の水からじゅうぶんに益を汲みとることができます。
(長いあいだ神秘であったにもかかわらず,神のことばの光と預言の成就である事実とによっていま解明された大いなるバビロンに関して聖書の述べる事柄を論じたこの連載記事は,83回目の今回で終わります。この問題の全容は,ニューヨーク市ブルックリンのものみの塔聖書冊子協会が刊行した704頁の本「『大いなるバビロンは倒れた!』 神の国は支配する!」〔英語およびドイツ語〕に示されています)。
[脚注]
a くわしくは1968年2月1日号「ものみの塔」をごらんください。
b 1934年8月15日号「ものみの塔とキリスト臨在の先ぶれ」(英文)249,250頁。
c 大いなるバビロンの正体について詳しくは「『大いなるバビロンは倒れた!』 神の国は支配する!」をごらんください。
d ニューヨーク,ブルックリン,ものみの塔聖書冊子協会発行の本「『大いなるバビロンは倒れた!』 神の国は支配する!」および1966年10月15日号から1967年4月15日号までの「ものみの塔」をごらんください。