「イスラエルの聖者」をあがめる
「我わが聖き名をわが民イスラエルの中に知しめ重ねてわが聖き名を汚さしめじ国々の民すなはち我がエホバにしてイスラエルにありて聖者なることを知るにいたらん」― エゼキエル 39:7,文語。
1 人類,とくにエホバの証人はどんな事態に直面していますか
人類をみぞうの苦しみにあわせた二つの世界大戦は終わったものの,共産主義の「北の王」と民主主義の「南の王」は,国家主義的な宣伝でふたたび地を満たしました。それぞれ核兵器をかかえてにらみ合いながら,両者は“冷たい”戦争と“小規模な”戦争をして押し合っています。(ダニエル 11:40)彼らは競争的な共存について論じますが,実は自分だけが生き残ることを決意しています。緊張が増すと,世界のどこにおいても国家主義的な忠誠心があおりたてられます。その背後であやつっている,いやしめられたサタンすなわち「マゴグのゴグ」は,「大いなる王の都」すなわちエホバが霊によって住まれる天のエルサレムを地上で代表するエホバの油そそがれた証人を最終的に攻撃する態勢をとりつつあります。―詩 48:2。
2 セナケリブはどのようにふたたびエルサレムをおびやかしましたか。
2 列王紀下 19章8節から10節の記録によってみると,アッシリヤの王はなおエルサレムに近づき,わずか40キロ離れた「リブナを攻め」ました。王はそこから脅迫的な手紙をヒゼキヤに送り,ヒゼキヤの使いにこう告げています,「ユダの王ヒゼキヤにこう言いなさい,『あなたは,エルサレムはアッスリヤの王の手に陥ることはない,と言うあなたの信頼する神に欺かれてはならない』」。
3 (イ)共産主義の「北の王」はどんなおどしの手段をとりましたか。(ロ)一解説者によれば,ソ連邦におけるエホバの証人の迫害はどんな結果を生みましたか。
3 それと同じく第二次世界大戦後の時代にも,高慢なサタンの宣伝者たちは,すべての国の民をハルマゲドンに集めるだけでなく,エホバの忠実な崇拝者をおどして,神の前における彼らの立場を妥協させようと努めています。現在,共産主義者が圧倒的な地位を占めている「北の王」は,特に激しくエホバの証人を攻撃してきました。彼らは苛列な宣伝にさらされてきました。そのうえ1951年の4月までには7000人ものエホバの証人がソ連邦西部の諸共和国で逮捕され,ウラル,シベリア,ボルクタ,カザクスタンの強制収容所に追放された模様です。彼らはクリスチャンの忠実を試みるこのおどしにどう対処しましたか。ウォルター・コラーツは「ソ連邦における宗教」の中で次のように述べています。
これはソ連における“証人”の最後ではなく,彼らの布教活動に新しい時期を画するものであった。彼らは流刑の地におもむく途中の停車駅においてさえ,自分たちの信仰をひろめようとした。ソ連政府が彼らを追放したことは,信仰をひろめる,またとない好機を彼らに与える結果になった。“証人”は孤立した村から,たとえそれが強制労働の恐ろしい収容所であろうと,広い世界へ連れ出されたのである。彼らがそこで会ったのは幻滅の悲哀を感じ,しいたげられた人々であった。その多くは,現存する世代のうちに世の政治機構が一変するという彼らの約束を受け入れる気持ちになっていた。
1955年の恩赦令によって,古い“証人”も新しい改宗者も故郷に帰るか,自由労働者として流刑地に残るかした。こうして……エホバの証人はソ連邦の各地にひろがった。彼らはソ連西部の諸共和国にふたたび現われた。また極東やコミ共和国など,以前の強制労働の地区に新しい組織を作りあげた。ボルクタに至る悪名高いペコラ鉄道の沿線には,エホバの証人の支部がある。エホバの証人はシベリア,カザクスタンにも侵入した。彼らはその地方に特に多い……エホバの証人の組織はダゲスタンにも作られた……一言にして言えば,ソ連邦におけるエホバの証人の組織は世界最強であろう。また世俗の権力からこれほど反対の宣伝を受けているものもあるまい。
エホバの証人の危険と戦うことにおいて,フルシチョフがヒトラーやスターリンよりも成功収めたかどうかは,将来になってみなければわからない。
ヒトラー,スターリン,フルシチョフの時代はいずれも過ぎ去りました。しかし「北の王」の地でそしられた霊的なユダの人々はその崇拝を拡大し,エホバを賛美しています。
4 (イ)セナケリブは,どのようにひきつづきエホバをそしりましたか。(ロ)共産主義の宣伝者は,どのように似た手口を用いましたか。どんな結果になりましたか。
4 エルサレムに対する第二の宣伝の攻撃は,次の記録に要約されています。「セナケリブの家来は,このほかにも多く〔エホバ〕なる神,およびそのしもべヒゼキヤをそしった。セナケリブはまた手紙を書き送って,イスラエルの神〔エホバ〕をあざけり,かつそしって言った,『諸国の民の神々が,その民をわたしの手から救い出さなかったように,ヒゼキヤの神も,その民をわたしの手から救い出さないであろう』と」。(歴代下 32:16,17,〔文語〕)共産主義者の宣伝も同様です。その中には「エホバ神の名によって行く」と題した159頁の本,プラウダ,トラッド両紙に出た非難の記事,「くも」と題してクロコディル誌に出た,さし絵入りの記事,「ハルマゲドン」,「仮面をぬいだ使徒」と題する軽べつ的な映画があり,そのすべてはエホバの御名をそしり,エホバの証人の伝道活動を非難しています。しかしエホバの証人は,共産主義者の攻撃にひるみましたか。ソ連内部からの報告によれば,そのようなことはありません。次にあげるのは,その典型的なものです。
「北の王」の心臓部にいわば位置している我々の兄弟は,エホバとその真理のために全生活,全財産を犠牲にしても偉大な主権者,神権者であられるエホバ神の側に献身的に,また忠実に立っている。信仰のための,この厳しい,決定的な戦いにおいて,彼らはその神エホバを擁護して戦う。神の国の音信はカルパチアから千島列島に至るまで勝利を収めつつある」a
5 セナケリブの宣伝者のぼうとくと軌を一にして,共産主義者はどんな愚に陥りましたか。
5 神をけがす侮りはつづけられました。「そして彼らは大声をあげ,ユダヤの言葉をもって,城壁の上にいるエルサレムの民に向かって叫び,これをおどし,かつおびやかした。彼らは町を取るためである。このように彼らがエルサレムの神について語ること,人の手のわざである地上の民の神々について語るようであった」。(歴代下 32:18,19)彼らはあわれむべき盲目の宣伝者です。彼らは,わたしたちの神を木石の神々,諸国民の無益な偶像と同じに考えています。共産主義者は先祖の行なった偶像崇拝の偽善に気づいたかもしれませんが,国家の英雄や軍事的な「要害の神」をあがめ,科学上の業績を誇る愚に陥りました。(ダニエル 11:38)ちっぽけな宇宙船から神の姿を認めなかったゆえに「エホバはいない」と言うのは,無分別にすぎます。―詩 14:1,新世訳。
6 だれが宣伝の運動に加わっていますか。それでエホバの証人はだれの助けを求めますか。
6 世界情勢の悪化に伴って,「南の王」である民主主義諸国もその国家主義的な独自の宣伝を始めつつあります。「北」にも「南」にもつかないエホバの証人は,危機の最高潮の時にどうしますか。ヒゼキヤとイザヤがしたとおりのことです。「ヒゼキヤ王およびアモツの子預言者イザヤは共に祈って,天に呼ばわった」。(歴代下 32:20)今日のエホバの民にとっての良い手本です。
エホバによりたのむ
7,8 (イ)ヒゼキヤは何を懇願しましたか。(ロ)ヒゼキヤの祈り,また詩篇 83篇の祈りは,なぜかなえられますか。
7 列王記下(またイザヤ書 37章)の記録は,事件の経過をさらにくわしく描いています。「ヒゼキヤ使者の手より書を受てこれを読みエホバの家にのぼりゆきてエホバの前にこれを展開げ,而してヒゼキヤ,エホバの前に祈りて言けるはケルビムの間にいますイスラエルの神エホバよ世の国々の中において只汝のみ神にいます也汝は天地を造りたまひし者にいます エホバよ耳を傾けて聞たまへエホバよ目を開きて見たまへセナケリブが活る神を謗りにおくれる言語を聞たまへ」― 列王下 19:14-16,文語。
8 ヒゼキヤがおもに気づかったのは自分の救いですか,それともエホバの御名にもたらされたそしりを除くことですか。アッシリヤ人に関するヒゼキヤの祈りはそれに答えています。「今われらの神エバホよ願くは我らをかれらの手より拯ひいだしたまへえ然らば世の国々皆汝エホバのみ神にいますことを知にいたらん」。(列王下 19:19,文語)これは「アッスリヤ」をもその中に含む別の有名な祈りを思いおこさせます。「かれらをとこしへに恥おそれしめ惶てまどひて亡びうせしめたまへ,然ばかれらはエホバてふ名をもちたまふ汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし」。(詩 83:8,17,18,文語)これらの祈りがかなえられずに終わることはありません。
9,10 (イ)エホバはその経路をとおしてどんな答えを与えられましたか。この経路はだれを予表していますか。(ロ)残れる者は,サタンの侮りに対してどのように勝ちを得ますか。(ハ)真に侮りを受けるべき者はだれですか。なぜそうですか。
9 エホバはご自身,神であることを証明されますか。そしてすべての国の前に御名をきよめられますか。預言者イザヤをとおしてヒゼキヤに与えられた答えは,そのことについて疑問の余地を残していません。これは現代の経路である「忠実な思慮深い僕」― 地上における油そそがれた証人の残れる者をとおして宣明されているエホバの音信をよく表わしています。「処女であるシオンの娘はあなたを侮り,あなたをあざける。エルサレムの娘はあなたのうしろで頭を振る。あなたはだれをそしり,だれをののしったか。あなたはだれにむかって声をあげ,目を高くあげたのか。イスラエルの聖者にむかってしたのだ」― 列王下 19:21,22。
10 サタンとその手先がどんなに試みても,地上の神の民の忠実と崇拝をくじこうとする努力は必ず失敗します。侮りや嘲笑は,なんの役にもたちません。エホバの証人の油そそがれた者である残れる者は,キリストにいいなずけした者としてふさわしく行ない,クリスチャンの処女性を保ちます。(コリント第二 11:2)真に侮られるべき者は,高慢なサタンです。誕生した神の国の上にみずからを高めようと企てたサタンは,キリストによって悪霊もろとも追い落とされ,マゴグの地のゴグと成り下って甚しくいやしめられました。(黙示 12:1-9。イザヤ 14:12-15。エゼキエル 38:2)「処女であるシオンの娘」に対するゴグの企ては,ゴグを不面目な滅びに定めます。彼は肉の戦いによって彼女を奪い去ることはできません。その狂暴な最後の攻撃は,彼が実際には「イスラエルの聖者」エホバご自身に敵対していることを示しています。
11 現代のアッシリヤ人は何を誇りますか。しかしエホバはどのように答えられますか。
11 ごう慢なアッシリヤ王にとって,レバノンの香柏の大木を切り倒すことであれ,ナイル川の運河を干すことであれ,不可能なことは何一つないように見えました。同じく現代のゴグも,「北」と「南」の核兵器をもって征服できないものは何もないと考えています。この圧制者をどうにかできるのはエホバのみです。その不動の目的は,昔の預言者をとおして表明されています。「汝聞ずや昔われ之を作し古時よりわれ之を定めたり今われ之をおこなふ」。(列王下 19:25,文語)サタンであるゴグのあと押しをもってしても,エホバの正義のさばきの時に耐え得る地上の組織や人はありません。
12 偽りの宗教とその帰依者は,“アッシリヤ”の軍勢の手でどうされますか。
12 ゴグの下にある「北の王」は,現代の偽りの宗教の世界帝国を荒廃させることにおいて確かにその役割をはたすでしょう。黙示録 17章はそれを明らかにしており,エホバが「十の角」すなわち地上の国家の支配者の総数を用いて「御旨」つまり宗教制度を滅ぼすことをも含めてそのお目的を成就することを示しています。(黙示 17:16,17)昔のアッシリヤが,悪霊を崇拝した国々の「堅固な町々」を荒廃させたように,現代の「アッスリヤ」は,今日の偽りの宗教を滅ぼすことに一役買うでしょう。これらの国家主義的な組織が崩壊する時,その中に避難していた人々は「力弱くおののき,恥をいだ」くでしょう。彼らは「野の草のように,青菜のようになり,育たないで枯れる屋根の草のように」なります。(列王下 19:25,26)黙示録 18章9節から19節もごらんください。
13,14 (イ)アッシリヤ人のまちがいはどこにありましたか。(ロ)エホバはいま何を宣言されましたか。それで今日エホバの証人はどんな保証を得ていますか。
13 しかしアッシリヤ王自身,大きなまちがいをしました。彼は,エホバが真の崇拝者に対して与えられた土地にはいり込んだのです。リブナに迫った彼は,次はエルサレムであると考えました。セナケリブと「イスラエルの聖者」との対決する時が来たのです。エホバは敵の力を見抜かれており,サタンであるゴグをあざけって言われます,「わたしはあなたのすわること,出入りすること,わたしにむかって怒り叫んだことをも知っている。あなたがわたしにむかって怒り叫んだことと,あなたの高慢がわたしの耳にはいった」。(列王下 19:27,28)マゴグの地に閉ぢ込められて怒り狂うゴグは好敵手にあいます。
14 アッシリヤの王は,捕虜にした王たちに鼻輪をつけてニネベにひいて行きました。しかし今度はゴグの番です。「わたしはあなたの鼻に輪をつけ,あなたの口にくつわをはめ」と,エホバは言われます。エホバの忠実な証人を無理やりに妥協させようとする卑劣な企ては失敗します。彼らはエホバに祈り,エホバにより頼みました。現代のアッシリヤがいかに兵力を結集し,エホバがキリストによって地に建てられた真の崇拝のとりでに総攻撃を加えるためにいかに多くの兵士を召集しようとも,エホバの証人はクリスチャンの中立の立場を守ります。彼らは国家主義の宣伝に負けず,エホバを堅いやぐらとして安全を得ます。彼らが御名にあげる賛美と崇拝の歌は,妨げられてもやむことがありません。大敵に対するエホバのことばは決定的です。「わたしは……あなたをもときた道へ引きもどすであろう」― 列王下 19:28。
「あなたに与えるしるし」
15,16 エホバはその民に対してどんなしるしを与えられましたか。彼らはそれに一致してどのように行動しなければなりませんか。
15 ついでエホバは預言者イザヤをとおしてこう言われます,「あなたに与えるしるしはこれである。すなわち,ことしは落ち穂からはえたものを食べ,二年目にはまたその落ち穂からはえたものを食べ,三年目には種をまき,刈り入れ,ぶどう畑を作ってその実を食べるであろう。ユダの家ののがれて残る者は再び下に根を張り,上に実を結ぶであろう。すなわち残る者がエルサレムから出てき,のがれた者がシオンの山から出て来るであろう。〔エホバ〕の熱心がこれをされるであろう」― イザヤ 37:30-32。列王下 19:29-31,〔文語〕。
16 種まきの時期はとうに過ぎていました。アッシリヤの侵入のために,その年に収穫の見込みは全くありません。そこでエホバはその民を奇跡的に養い,「しるし」を与えられました。前年の収穫の落ち穂から生えたものが十分にあったのです。しかしそれだけではありません。その翌年は安息の年であり,ユダの忠実な人々は土地を休ませて,エホバに対する信頼を表わさなければなりません。エホバは備えてくださるでしょうか。エホバに対する信仰は確かに報いをもたらします。また落ち穂から自然に生えたものを「食べ」ることができたのです。3年目にユダの人々はふたたびその働きの実を享受できます。
17 しるしの初めの部分は,現代においてどのように成就しましたか。
17 この「しるし」は,西暦1914年以来すばらしい成就をみました。高慢な“アッシリヤ人”とその群衆がエホバ崇拝の聖都を“侵略された娘”とする時,エホバは天のパンの家ベツレヘムから御子の支配を始めさせ,命をささえる霊的な食物をふんだんに備えられます。(ミカ 5:1,2)ゴグとその軍勢はこの奇跡的な備えに対して何の手出しもできません。そのことは,油そそがれたエホバの民が信仰と日毎の従順という安息を守るかぎり保証されています。霊的ユダ人の残れる者は,地上の彼らに対するサタンの攻撃のやむまで,またその後に至るまで養われるでしょう。彼らは神の真の崇拝の地に堅く根を下していることが示され,彼らは神の国において永遠の実を結ぶ者として堅く立てられます。このような残れる者は勝利を得て「エルサレムから」出,このすべてはエホバの御名のあがめられることに関して「しるし」となります。「エホバの熱心これを為べし」― 列王下 19:31,文語。
18,19 “しるし”の最後の部分は何を予表していましたか。今日その成就はどのように見られますか。
18 「しるし」の最後の部分として,イザヤはアッシリヤの王について次のことを預言しました。「彼はこの町にこない,またここに矢を放たない,盾をもってその前に来ることなく,また塁を築いてこれを攻めることはない。彼は来た町を帰って,この町に,はいることはない。〔エホバ〕がこれを言う。わたしは自分のため,またわたしのしもべダビデのためにこの町を守って,これを救うであろう」。(列王下 19:32-34,〔文語〕)このことばは,今日,残れる者とその仲間にとって大きな慰めです。ゴグと全体主義的なその軍勢がどんなにおびやかし,またののしっても,彼らはそれ以上近づくことができません。セナケリブの侵入軍は結局のところ,エルサレムから40キロほど離れたリブナまで来てそれ以上は進めなかったようです。彼らは遠くのエルサレムにむかっておびやかし,こぶしをふりあげ,セナケリブはヒゼキヤとその民をおどして屈服させようと,嘲笑する宣伝者をさしむけました。しかし無駄です。アッシリヤは真の崇拝のとりでをおびやかすことにおいて全く無力でした。
19 現代的アッシリヤ人も真の崇拝にささげられた地に国家主義的な天幕を張ろうとしますが,神のみこころに反対するその企ては無に帰します。その刑務所や収容所はナチス,ソ連,中共のいずれを問わず,エホバの証人の“洗脳”には成功していません。彼らは不屈の信仰を持ち,個人的にも集団的にも敵に対して確固とした立場をとります。エホバは,その民の組織を偽りの,悪霊の宗教と世の不道徳の道から清められました。それで悪霊に支配された国家主義的な支配者が神の民の組織を侵略したり,エホバにとって聖なる真の崇拝を汚したりすることを決して許されません。その偉大な御名のため,また今大いなるダビデ,キリスト・イエスを中心とする御国契約のために,エホバは聖都を地上で代表する者たちを保護されます。(詩 89:34-37)そして現代的アッシリヤ人をその元の所にひきもどす備えをされます。
20,21 リブナを前にして事態はどのように劇的に一転しましたか。
20 しかし今やリブナを眼前にした地で起こる劇的な出来事を見てごらんなさい。ヒゼキヤに最後通告をしたセナケリブの家来が,陣営にもどります。最後通告が出されました。シェフラの野には,アッシリヤの精鋭,敗北を知らない軍隊がたむろしています。それはエルサレムに徹底的な打撃を与えようとして振り上げられた槌でした。アッシリヤの誇り高い軍国主義は,大君エホバの都を征服して最も輝かしい勝利を得ようとしているかのようでした。夜のとばりが降りて静けさがあたりを包みました。それはあらしの前の静けさにもにています。
21 しかし静けさは破られませんでした。夜が明けても,陣営には不気味な静けさがただよっています。なんの物音もしません。遂に何人かのユダ人がリブナを抜け出して偵察にやって来ました。みな来て見なさい。なんという光景でしょう。「その夜,〔エホバ〕の使が出て,アッスリヤの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると,彼らは皆,死体となっていた」― 列王下 19:35,〔文語〕。
22 これはハルマゲドンにおいてエホバの行なわれることを,どのように予表していますか。
22 ハルマゲドンの夜のとばりが地の上に降りる時も同様でありましょう。エホバの天使長そして刑罰の執行者であられるキリスト・イエスは速やかに,静かに,盗人のように来られます。ゴグの群衆はひとりとしてのがれることができません。エホバの油そそがれた残れる者の集まりに対して加えられた,彼らの最後の侮りと挑戦ははね返されて,彼らは神の王の鉄の杖で砕かれ,全能の神の怒りの酒ぶねの中で踏みつぶされます。(黙示 19:15)それはヒゼキヤの時と同様でありましょう。「〔エホバ〕はひとりのみ使をつかわして,アッスリヤ王の陣営にいるすべての大勇士と将官,軍長らを滅ぼされた。それで王は赤面して自分の国に帰った」― 歴代下 32:21,〔文語〕。
23 セナケリブはどんな最後を遂げましたか。それは何を表わしていますか。
23 しかしごう慢な「アッスリヤ王」は「赤面」するだけですみますか。神の正義のさばきはそれ以上のことを宣告しています。神のことばはセナケリブに関して次のことを記録しています。(これは最近発見されたエサルハドンのプリズムによっても裏づけられていますb)。「王は……その神の家にはいった時,その子のひとりが,つるぎをもって彼をその所で殺した。このように〔エホバ〕は,ヒゼキヤとエルサレムの住民をアッスリヤの王セナケリブの手およびすべての敵の手から救い出し,いたる所で彼らを守られた」。(歴代下 32:21,22,〔文語〕)「偽りの父」サタンも,みずから作った宗教が身の守りにならないことを知るでしょう。キリストは必ずサタンを束縛して,生命のない,底知れぬ所に投げ込み,その中に閉ぢ込めて封印します。(黙示 20:2,3)その時に初めて神の民は至るところに平安を得るでしょう。
24 型において示されているとおり,エホバとキリストは多くの人にどのように崇められますか。
24 それはエホバをほめる大いなる時です。歴代志下の記述は次のことばで結ばれています。「そこで多くの人々はささげ物をエルサレムに携えてきて〔エホバ〕にささげ,また宝物をユダの王ヒゼキヤに贈った。この後ヒゼキヤは万国の民に尊ばれた」。(32:23,〔文語〕)神の新しい秩序がハルマゲドン後に到来する時,生き残ったすべての人はエホバと勝利のキリスト,すなわちヒゼキヤより大いなる者をあがめて賛美の犠牲をささげるでしょう。わたしたちはそのことを確信できます。全地は,キリストによる千年の御国の支配の安息を享受します。これは輝かしい前途です! あがない主キリストは,復活によって墓からよみがえる人類の多くの民に尊ばれます。―ヨハネ 5:28,29。
25 (イ)それでエホバの崇拝者はどんな勝利にあずかりますか。(ロ)いまどんな大きな特権にあずかるべきですか。わたしたちは何に心を傾けるべきですか。
25 天のシオンの山にとって大いなる勝利です! その城壁の内に安全に住み,真の崇拝を堅く守るすべての人にとって大きな喜びです!「シオンのまわりを歩き,あまねくめぐって,そのやぐらを数え,その城壁に心をとめ,そのもろもろの殿をしらべよ。これはあなたがたが後の代に語り伝えるためである。これこそ神であり,世々かぎりなくわれらの神であ(る)」。(詩 48:12-14)エホバの愛される天のシオンは輝きます。ハルマゲドンを生き残り,全地をめぐる賛美の聖所に永遠の命を見いだす人々の「大ぜいの群衆」に,その栄光を語り伝えるのは,大きな特権ではありませんか。唯一の真の永遠の神エホバの真の崇拝に,わたしたちはこぞって心を傾けます。「イスラエルの聖者」の御名が永遠に立証され,きよめられますように。
[脚注]
a 1961年度エホバの証人の年鑑286頁。
b 法学博士フィリップ・ビバフェルド著「汎ユダヤ史」。