人間の指導にかわってまもなく始まる神の指導
「御名が清められますように。御国が来ますように。御心が,天におけるごとく,地にも行なわれますように」― マタイ 6:10,新世訳。
1 (イ)わたしたちは「指導」ということばのどんな意味に関心を持っていますか。それはラテン語のどんなことばに由来していますか。(ロ)こうした理解にしたがえば,心の正しい人はそれぞれ「指導」をどう見なしますか。
これから考慮する指導ということばは,権威の行使もしくは統治を意味します。またこのことばには,特定の支配者あるいは政府が統治する期間および統治されている状態という意味も含まれています。ラテン語を語源とし,あるいはそれに基づいて作られた国語では,このことばはラテン語の「レグラ」に由来します。それは「直定規,規定」を意味します。そして「レグラ」は,「正しく導く,指導する」という意味のラテン語の動詞レゲレから出たことばです。「指導」ということばに関連している「政府」ということばは,ラテン語の動詞「グベルナレ」に由来します。この語はギリシア語の動詞「キベルナン」からとられています。「キベルナン」は,「かじを取る」,「指導する,治める」また「操舵手,水先案内人として行動する」という意味です。こうした理解にしたがえば,政府による「指導」という考え方そのものは何ら悪いことではありません。心の正しい人で「指導」を好まない人がいますか。わたしたちすべては不完全ですが,特に不完全な人間で,「指導」もしくは「直定規」を望まない人がいるでしょうか。正しく歩みたい,物事を正しく行ないたいと切望しながら,正しく先導され,導かれ,治められることの大切さを悟らない人がいるでしょうか。今日のような世界にあって,多くの人はその大切さを今でも痛感しています。人類はまもなく正当な政府のそうした正しい指導を受け,その結果,すばらしい祝福にあずかるでしょう。しかし,それはだれによるものですか。
2-4 人間は指導および政府について熟知しているとなぜ言えますか。また,この点で大英百科事典にはどんな興味深い説明が出ていますか。
2 今日,人は指導と政府について十分に知っています。人間の経験はすべてこの事柄に関連しているからです。水陸から成るこの地球に人類がどれほどの期間生存したかについては,進化論者の推定に頼ることはできません。それは根拠のない不合理な単なる推量にすぎません。実際に生活を営みはじめて以来の人間の正確な歴史にかんする最も権威ある資料にしたがえば,人間がこの地上に生存して来た期間は今や6000年に達しようとしています。人々はそのほとんど全期間にわたって人間の指導に服してきました。そしてそれは時代と場所によって色々と異なっています。人間は自らの益を図ろうとして,厳しい専制君主制をはじめ今日の共和制やいわゆる「人民による民主制」に至るまで,あらゆる形態の統治および政府を試みてきました。大英百科事典もこの点を認め,(1946年版,第10巻で)「政府」の項にこう述べています。
3 「古代世界の政府には次の三つの主要な形態が見られる。すなわちシュメル,エジプト,アッシリア,ペルシア,マケドニアの強大な専制君主制の帝国,小アジア,ギリシア,イタリアの都市国家,および都市国家が徐々に中心となって築かれた特異なローマ帝国などである。後者の場合,その共和政体は時経て独裁君主制に変わり,共和政体の一部の制度や伝統が跡をとどめたにすぎない……世界支配にかんするローマ人の理論が中世全期を通じ,また神聖ローマ帝国の名目上の主権にかんして維持されたために,明確に独立して領土を持つ国家の出現が遅れた。そして,万人に等しく服従を要求する法王の権利,キリスト教世界の隅々に及ぶ教会法に基づく教会支配体制の効果的な組織および教会法を執行する裁判所は,そうした国家体制の出現の遅れを助長した……」。
4 16世紀中に見られた政治上の発展が政府の形態にもたらした影響を指摘して,同百科事典はその同じ項でこう述べています。「現代: もし現代の国家体制が16世紀に明確に現われているとすれば,近代の政府の歴史はその時以来同じく明確に二つの主要な時代を画していると言えよう。その一つは,[18世紀の]フランス革命以前,他はそれ以後の時代である……近代の民主政体は政府機構において多種多様な形態を示している」。そして柔軟なものおよび硬化したものの二通りの政体について論じています。―560-565頁。
5 大英百科事典よりもはるかに古いどんな本が,古代の諸政府のことを述べていますか。それには他の本と比べて,どんな利点がありますか。
5 大英百科事典に指摘されている古代の諸政府,すなわちシュメル(またはバビロニア),エジプト,アッシリア,ペルシア,マケドニア,ギリシアそしてローマの政府のことは,大英百科事典よりもはるかに古い1冊の本に取り扱われています。事実,その本の一部は,まさにバビロニア,ペルシア,マケドニア,ギリシアおよびイタリアのローマで書きしるされました。こうして,それらの地で行なわれた指導と政府の実態を直接知ることができます。正確な資料を提供するその権威ある書物は,西暦1世紀に書き終えられたものの,今日,大英百科事典よりも広く頒布されており,現代でも依然として権威を持つ本と見なされています。その本とは聖書です。
6 聖書と呼ばれるこの本の数多くのすぐれた特徴を上げなさい。
6 それは,人類の始まりと,以後4100年余の人類の歴史の信頼できる記録を有する唯一の本です。さらに,その本のまだ成就を見ていない数多くの預言を用いれば,この20世紀まで,そしてこれから先1000年間を展望することさえできます。それでこの驚くべき本が,人間の指導とその結末について多くを述べているのももっともなことです。まもなく人間の指導にかわって神の指導が始まることを保証しているのはその本だけです。それは,導きを与える目に見えない神の活動力の感動の下に書かれ,したがって,創造者なる神の御手からわたしたちに与えられた本ですから,そういえるのです。神はわたしたちの救いのためにその本を今日まで保存してこられました。
今日多くの人が神の指導を好まない理由
7 何百万人もの人々が「神権政治」による支配という考えを嫌悪するのはなぜですか。
7 今日幾百万もの人々は,神の指導に服するということを考えただけで,嫌悪の情をいだきます。それらの人が思い起こすのは,神権政治という考え方ですが,それは実質的に言って神の指導を意味しています。しかし神の指導という考えに反感をいだくそうした人々の多くは,神権政治と言えば,全体主義を奉じた,自己本意で貪欲かつ不道徳な教会の司祭や牧師による腐敗した圧制的な支配を思い浮かべます。そのような宗教指導者は,無条件の絶対的服従をあらゆる人間に要求し,また偽りの宗教の美名にかくれて人々から金を求めました。ヨーロッパでは幾世紀にもわたって,そうしたいわゆる僧職者の政略による神権政治が行なわれました。僧職者が公然と世の政治に介入し,政治支配者を自分たちに従わせようとした時代について,アメリカナ百科事典(1956年版,第13巻)は次のように述べています。
8 アメリカナ百科事典は,政府の権威の源をどのように定義していますか。
8 「政府の権威の源: 政府が権威を得た源が何かについては歴史上のさまざまな時代に色々な人が多種多様な考えを述べた……多くの国では,多年,国王が王権神授説を唱えてきた。彼らは自らの政府の権威は神から直接与えられたものであると主張した。ヨーロッパでは多くの支配者が,法王を地上における神の直接の代表者と認め,地上における神の代理者としての法王から権威を受けた。16世紀にはいってさえ,王権神授説を固守する支配者もあった。大英帝国のジェームス1世(在位,1603-1625)は王権神授説の徹底した唱道者であった」― 89頁。
9 「神権政治」ということばは,どんな意味を伴うようになりましたか。それで,こうした神権的な指導が人類のために提唱されると,人々は往々にしてどう感じますか。
9 神聖ローマ帝国治下,ヨーロッパの初期の君主はローマ法王を「地上における神の代理者」と見なしました。それだけではありません。一般の人々はもとより,法王自ら,またその配下にある教会の僧職階級もそうした君主たちと同様の考えをいだきました。こうして教会の僧職階級制度を通して行なわれた法王による指導が,神権政治と考えられ,またこの考え方が「神権政治」ということばの一つの意味として辞書にも載せられています。またこうして,法王は自らを「地上に,おける神の直接の代表者」と考えたため,世界主権を行使し,世界を支配できると主張しました。法王は,君主に王冠を与えたり,奪ったり,あるいは王位に就けたり王位を剥奪したりする権利を要求しましたが,こうしたことは,西洋史を学んだ人ならだれでも知っているでしょう。また,西暦800年のクリスマス当日,法王レオ3世がチャールス大帝つまりシャルルマーニュに王冠を与えたことは,西洋史を学んで知らない人はいません。しかしフランス革命直後,無力になった法王の面前で自ら皇帝として王冠を載いたのはナポレオン・ボナパルトでした。ですから,もし神の指導がそうした僧職階級制度による指導の復興を意味するものであれば,法王の「神権政治」の時代に幅をきかせた指導の実態を熱知している現代の知識人が,まもなく神の指導が始まると聞いて憤りを感ずるのももっともなことです。
10 キリスト教国の司祭や牧師および異教世界の僧職者による,宗教と政治の合体した指導には,どんな事が必ず起こらねばなりませんか。
10 幸いにも僧職階級によるこうした神権的指導は,人間の指導の不幸な一面にすぎません。教会の法王,司祭,牧師といえどもみな死を免れない不完全な人間だからです。キリスト教国の司祭や牧師による,政治と宗教の合体したその種の指導は,確かに不面目にも神の指導を偽って伝えるものでした。したがって,人間の指導にかわって神の指導が始まる時,キリスト教国の司祭や牧師および異教世界の僧職者による政治と宗教の合体した指導は終わり,永久に消滅し,人類は永遠に解放されるでしょう。
人間が避けることのできない高位者による指導
11 人間の指導以外の他の指導が地上で実現されようとしていると,どうして確信できますか。
11 しかし人間の指導にかわって他の何かが始まるという事柄について語る場合,次のような疑問が生じます。人間の指導を除けば,いったいどんな種類の指導が全地に行き渡るのだろうか。進化論者や唯物論者は,語調を強めて,ほかにはあり得ないと,答えるでしょう。しかしそうした人々は歴史の事実に自ら目を閉じています。確かに人間は,たとえロケットや宇宙船を用いても,目に見える現実の宇宙以外の世界を支配していません。しかし宇宙の創造者,全能の神は支配しておられます。また,そうするのは創造者の権利に属する事柄です。神は宇宙のすべてを支配しておられるのですから,無論この地をも支配しておられます。それをとどめることはできません。人間が今日まで約6000年にわたって地上に住み,また,30億人以上の人間が今日住んでいるからといって,この地に対する法的権利や支配権を取得できるわけではありません。神は創造者としてのこの地の所有権や,地とその住民を支配する権利を放棄されたことは決してありません。人間を創造し,人間に地上の生活を始めさせた時,神はこの地を支配しておられました。それはほとんど6000年前のことです。それでは神の指導について云々するのは,何かまちがった,あるいは不当なことでしょうか。
12 最初の人間はどんな状態に創造されましたか。また,神の霊感の下にモーセはそのことを申命記 32章3-6節でどのように示していますか。
12 考えてください。神は人間を,自然の進化過程をなかばたどった,うなり声をたてる獣に似た穴居人として創造したのではありません。大気圏外空間に広がる輝かしい全宇宙の創造者は,ご自身の創造力の誉れとなるような独創的な存在として人間を創造されたのです。神ご自身は完全で,善そのものであられ,最初の人間を造られたとき,それは完全な作品として創造されました。古代エジプトの支配下で40年を過ごした,モーセという名の聖書の一筆記者は,神の霊による感動を受け,神の創造のわざについてこうしるしました。「わたしはエホバの御名をふれ告げる……あなたがたは,わたしたちの神の偉大さをほめよ。彼は岩,そのみわざは完全である。その道はみな正義だからである。忠実の神,不正なところはない。正しく,まっすぐなかたでいらせられる。彼らは破滅的にふるまった。彼らは神の子ではない。その欠陥は彼ら自身のものである。曲がって,ゆがんだ世代よ。愚かで,智恵のない民よ,あなたはエホバに対して,このような行ないを続けるのか。彼はあなたがたの父であり,あなたがたを生み出したかたではないのか。あなたがたを造り,あなたがたに安定を与えられたかたではないのか」。(申命 32:3-6,新)霊感の下にしるされたこのことばからすれば,エホバ神は最初の人間を完全な者として創造されたに相違ありません。
13 (イ)人間の存在にかんする進化論者の理論はなぜ誤っており,人を誤導するものですか。(ロ)創造者エホバは,ご自分の創造された人間をどのように取り扱われることを意図されましたか。
13 進化論者の想像する全身毛におおわれ,額が狭く意地の悪そうな目つきをした穴居人は,決して神のかたちではあり得ず,神にかたどられてもいません。霊感を受けた預言者モーセのしるした創造の記録によれば,神はご自身にかたどり,そのかたちに似せて人間を創造することを意図され,また事実そのとおりになさいました。神はまたこの最初の人間のために完全な妻を創造されました。こうしてこの地にかんする創造のわざを終えられた時,ご自身のわざ全体をご覧になって,「はなはだよかりき」と述べられました。創造者であられる神は,生きとし生ける者すべての中で最もすぐれた批評者ですから,神がご自分の地上のわざを「はなはだよかりき」と評された以上,それは確かにそのとおりでした。(創世 1:26-31)人間はこうして,完全な人間としての『はなはだよい』状態で出発しました。この事情は,創造者なる神が,知性を備えた地上の被造物を支配し,またその完全な状態に基づいて取扱うよう意図されたことを示しています。そしてこれらの男と女は,神がどんなかたちであられるかを認識でき,またそのことを反映しており,事の大小を問わず,あらゆる点で神に全く服従することができました。
14 神は,最初の男と女をどんな状態の下で生活させることを意図しておられましたか。創世記 2章8-15節の聖書の記録はこのことをどのように明示していますか。
14 その最初の完全な男と女は神の指導の下にどんな状態で生活することになりましたか。汚染の影響を受けた,大気その他の全般的な環境の下,貧民くつのような狭苦しい住まいで暮らしましたか。あるいは,どう猛な野獣やまむしに襲われる危険にいつもさらされるジャングルに住みましたか。もしそうであれば,神は思いやりのない,矛盾した,愛の欠けたかたと言わざるを得ません。神の創造された完全な人間にとってふさわしいのは完全な状態だけです。そうです,エデンの楽園,喜びの園です! 神の指導がその被統治者にとって良い事柄であることの証拠として,創世記 2章8-15節(新)はこう述べています。「エホバ神は東の方エデンに園を設け,お造りになった人をそこに置かれた。それでエホバ神は,見て慕わしく,食べるに良いすべての木を地からはえさせ,また園の中ほどに命の木をはえさせ,また善悪の知識の木をはえさせられた……そしてエホバ神は人をとってエデンの園に住まわせ,園を耕させ,手入れをさせられた」。
15 神のかたちに造られた完全な人間はどんな能力を備えていましたか。創世記 2章16,17節にしるされている制限が完全な人間に課せられたのはなぜですか。
15 神はこうした完全な人間を創造されたのです。その人間は『神にかたどりそのかたちのごとく』造られ,法と秩序を理解する能力を備えていました。知性をもつこの完全な被造物は,その創造者の前で責任を負っており,神の指導に服すべきです。この事実を悟らせるため,神は人間に簡単な一つの制限を課しました。それは実に小さな制限でしたが,それだけに,完全な従順をためし得るものでした。創世記 2章16,17節(新)はこう述べています。「そしてエホバ神は人にこの命令を与えられた。『園のどの木からも心ゆくまで食べてよい。しかし善悪の知識の木については,それから食べてはならない。それから食べる日に,あなたは必ず死ぬからである』」。ご自身の創造された人間にこのような命令を与えるのは,創造者でかつ立法者であられる神の権利にまさしく属する事柄でした。それは,罪を犯す傾向が人間にあるゆえ,邪悪な性向を制御するために法を定める必要があるという意味ではありません。その命令は,創造者を敬い,天の父に完全な愛を示すために,一つの小さな事柄で自制することを人間に求めたのです。
16 人間が従順であれば,どんな結果をもたらしますか。また人間に何を思い起こさせますか。
16 新たに創造された者として,人間は目に見えない,天のその創造者に対する従順を証明しなければなりません。そしてこの簡単な命令を守れば,神に対する従順を全うすることになるのです。それは,楽園の地で永遠の命を享受できるかどうかが,創造者で父であられる神への完全な従順に依存していることを,人間に思い起こさせるものでした。以後,完全な人間は神の指導の下に永久にとどまるかどうかを決定しなければなりませんでした。
17 エホバはエデンの楽園で最初の男と女に他のどんな律法あるいは命令をお与えになりましたか。それは良い律法それとも悪いものでしたか。
17 神が完全なすばらしい妻を男のために創造され,二人を結婚させたのは,そののちのことでした。二人を地上に住まわせ,エデンの楽園でめあわせられた理由をその男女に知らせるため,エホバ神はこの完全な夫婦に向かって別の律法を述べられました。それは,何か悪行を慎むよう二人に命じたものではなく,むしろ地の果てにいたるまで二人に良いわざを,しかも神の祝福の下に行なわせるための律法でした。創世記 1章28節(新)はこう告げています。「さらに,神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた。『ふえて,多くなって,地を満たし,地を従わせなさい。そして海の魚と空を飛ぶ動物と地を動くすべての生き物を従わせなさい』」。
18 (イ)この地にかんする人間の権威の中には,どんなことが含まれていませんでしたか。(ロ)では,だれが人間を指導し,どんな結果がもたらされることになっていましたか。
18 確かに,創造されたすべての下等動物を「従わせなさい」と述べられました。しかし,やがて自分たちの子供あるいは子孫として全地に満ち,地のすべてを楽園として治める他のすべての人間を従わせよとは言われていません。神は,最初の男と女であるアダムとエバに,人類に対する人間の指導を確立せよとの使命は決して与えませんでした。当時エデンの園で受けた神の指導は引き続き行なわれ,またアダムとエバのすべての完全な子供たちも神の指導に服することになっていました。それは司祭や法王の存在しない純粋の理想的な神権政治となるはずでした。それは天の父であられる目に見えない神のそうした指導の下で,全人類に何をもたらし得ましたか。全地にわたる楽園での平和と幸福を伴う永遠の命です!
人間の指導の始まり
19 人間の指導はこの地上でどのように始まりましたか。こうした指導を始めさせた点で責任を負うべき者はだれですか。
19 そうした楽園のような状態の下で,神の定められたすばらしい目標を前にして,地上で人間の指導を始めようとしたのはいったいだれですか。今日,全地に見られるような人間の指導を始めたのはだれですか。それはいつ始まりましたか。約6000年の昔,喜びの楽園で,ほかならぬ人間が自ら始めたのです。地を完全な子供で満たす前に,女エバと男のアダムはそうしました。そうするにはただ一つのささいな行為が必要だったにすぎません。それはつまり,善悪の知識の木の実を食べてはならないという,神の指導にかんする律法を破ることでした。アダムとエバがそうしたのは,創造者で父であられる神に誘惑されたからではなく,地と天のあらゆるところで神の指導に反対して新たに立ち上がった一反逆者にそそのかされたためでした。アダムとエバの用いたことばで「反抗者」あるいは「反対者」という意味の語はサタンでした。その理由で,天と地における神の指導に対するこの最初の反逆者は,文字になった神のみことばの中で「サタン」と呼ばれています。
20 サタンはどんな方法を用いて,神の律法を破ればエバに望ましい結果が生ずるとほのめかしましたか。最初の人間の夫婦にどんな約束を偽って差し伸べましたか。
20 サタンは目に見えない超人間の霊の被造物ですから,アダムとエバには見えませんでした。しかし,エデンの園の1匹のヘビを巧みに用いて,へびが人間のことばを話しているように見せかけ,疑うことを知らないエバに向かって,神の指導に関する律法を破り,そして地上に人間の指導を確立することが望ましいと,最初に勧めたのです。不従順にも善悪の知識の木から食べる場合,死の処罰が課されるとの神の警告に関して,サタンはへびを通してこう述べました。「あなたがたは決して死にません。それから食べる日に,あなたがたの目が必ず開かれ,あなたがたは必ず神のようになって善悪を知ることを,神はご存じなのです」。(創世 3:1-5,新)言いかえれば,エバとアダムは善悪を知るのに神の指導を必要としないというのです。それで,神の律法を破り,禁じられた実を食べれば,二人は善悪を知る能力の点で,創造者である神のようになるでしょう。そして,善悪および正邪にかんしては勝手な標準を設けられます。こうして二人は人間の指導をほしいままにし,独立と自由を得ます。いったいこれほど巧妙な論議をかつて用いた政治家がいるでしょうか。
21,22 (イ)最初にエバ,次にアダムが,人間による指導を選んだため,エホバは今や何を行なわれましたか。それは神のあわれみ深い処置だったと,どうして言えますか。(ロ)神は悪魔サタンを罪に定めるどんなことばを述べられましたか。
21 最初にエバが,人間による人類の指導を選び,次に夫アダムを説き伏せて,人間に対する人間の指導を選ばせました。(創世 3:6,7)エデンの園は神の地的な領域です。神の指導もしくは神権政治の施行されるべきところですから,人間の指導の行なわれるべき場所ではありません。そこで,創造者なる神は二人をエデンの園から追い出し,死の宣告を与えました。神は24時間のその日の中に二人に刑を執行することもできました。しかしそうせずに,あわれみを示されました。神はアダムとエバに子供を持たせることをすでにもくろまれ,ご自身の意図を守られたのです。なぜですか。彼らの子供たちにあわれみを示し,地上でそれら子孫に対して神の指導あるいは神権政治を確立するためでした。こうして神は偉大な神権統治者としてのご自身の宇宙主権を立証され,またこの地上に人間を住まわせた御目的を立証なさるのです。サタン悪魔を表わすそのへびに向かって,今や神が述べられた次のような闘争的な宣言の背後にあったのは,前述のことを行なおうとなさる,自尊心に基づく神の御目的にほかなりません。
22 「わたしはおまえと女の間,およびおまえのすえと女のすえとの間に敵意をおく。彼はおまえの頭を砕き,おまえは彼のかかとを砕くであろう」― 創世 3:15,新。
23 エホバは,この地上で自ら指導を行なうという本来の御目的を,引き続き堅持しておられます。このことを保証するどんなことばが聖書にしるされていますか。
23 今日に至るまでの幾千年もの間,エホバ神は一貫してそうした目的の立証を心にとどめてこられました。西暦1世紀,神はクリスチャン使徒パウロに霊感を与え,ローマの忠実なクリスチャンに対してこう書きしるさせました。「あなたがたは,良いことについては賢く,悪いことについては純真であってほしい。平和を賜う神は,まもなくサタンをあなたがたの足の下に砕かれるであろう」。(ロマ 16:19,20,新)そのうえ,聖書巻末の本,黙示録は,まさに現在その成就を見ていますが,その中で,サタン悪魔とその邪悪なすえが頭を砕かれて滅ぼされる象徴的な幻をしるしています。(黙示 19:11–20:10)これは,悪らつにも人間をそそのかして地上に人間の指導をもたらしたサタンを滅ぼす本来の御目的を,エホバ神が依然として堅持しており,やがてこの地上に神の指導,神権政治を再び確立されることの確かな保証です。ゆえに,全能の神は地上における人間の指導を許されましたが,確かにそれは限られた期間続くにすぎません。その期間の終わりは目前に迫っています。これはなんとうれしいことではありませんか!
みじめな人間の指導 ― その解決策,神の指導
24 人間の指導が最初から創造者の祝福を受けていなかったことを示す例をあげなさい。
24 サタン悪魔に屈した最初の男女は,人間の指導を選びました。そこで神は二人にそうさせましたが,それは神権的なエデンの園ではなく,その外においてでした。神はその地でアダムとエバおよびその子供に今に至るまで人間の指導をほしいままにさせました。それが地上で始まったいきさつを考えるとき,生きる唯一のまことの神,人間の創造者の祝福を受けると言えますか。この質問の答えは次のような質問に対する答えから得られます。人間が神を退けたにもかかわらず,人間の指導に神の祝福が注がれたという何らかの証拠がありますか。事実を直視すれば,否と答える以外にありません。アダムとエバに生まれた最初の人間は,自分自身の敬虔な弟を殺害しました。後日,人々は都市を建てはじめましたが,それは都市行政と生活上のあらゆる問題のつきまとうものでした。(創世 4:1-17)その後15世紀を経て,地上には堕落をほしいままにする人々の暴力行為がはびこったため,神は全地をおおう大洪水をもたらして,当時の社会と諸都市を一掃されました。―創世 6:1–7:24。
25 (イ)大洪水の時,人間の指導はどうなりましたか。(ロ)エホバは,アダムとエバに与えたどんな命令を,大洪水の生存者に繰り返して述べられましたか。それは今日どんな結果を見ていますか。
25 その世界的な洪水が起こらなかったなら,世界人口の爆発的な増加はもっと早く生じていたでしょう。そしてすべての人の就職や食糧の問題,適当な住居の問題,重税および政府支出の増大など,あらゆる問題が危機的な事態を招いていたことでしょう。しかし人類家族は大洪水を生き延びた8人の人々,つまり4組の夫婦により再出発することになったのです。人間の指導は,この「神のわざ」である大洪水により,しばらくの間一掃されたままでした。預言者ノアは神の指導を奉ずる人で,エホバ神の命令に従って,自分自身とその家族を救うために巨大な箱舟を建造しました。そして大洪水後もそれ以前と同じように,引き続き神とともに歩みました。(創世 6:8,9; 8:18-22)エホバ神は,洪水後の地上の生活を律するご自身の律法をノアとその3人のむすこに与えました。また,かつてアダムとエバに告げたように,子供をふやし,子孫で地を満たすようにと,ノアおよびそのむすこたちに告げられました。(創世 9:1-7)大洪水後4300年余の今日,地は人で満ちていますか。満たされていると考える人もありますが,まだそれほどではありません。ただ分布状態がひどくかたよっているにすぎないのです。
26 (イ)人間の指導はどのようにして再びかなりの規模で始まりましたか。(ロ)ニムロデはどのようにカインに似ていましたか。それは人々にとって良い事柄でしたか。
26 ノアのひ孫にあたる,クシのむすこニムロデの時代になって,再び人間の指導を相当な規模で確立しようとする努力が払われるようになりました。聖書が創世記 10章8-12節(新)でこの点について述べるところに注目してください。「そしてクシはニムロデの父となった。彼は地上における強大な者の始めとなった。彼はエホバに逆らう強力な狩人であった。それで,『エホバに逆らう強力な狩人ニムロデのごとし』ということばがある。そして彼の王国の始まりはシナルの地のバベル[またはバビロン],エレク,アッカド,カルネであった。彼はその地から出てアッシリアにはいり,ニネベ,レホボテイリ,カラ,およびニネベとカラの間のレセンを建てた。これが大きな都市である」。バベルあるいはバビロンでニムロデの王国が始まったと言っても,神の国あるいは神権政府が始まったわけではありません。それは,「エホバに逆らう強力な狩人」ニムロデの支配下における人間の指導の顕著な始まりでした。殺人者カインに似たニムロデは,人々を集めて都市を建て,自ら支配し始めました。それは良い事でしたか。その小さな始まりから,問題の山積する今日の事態が生じたことを考えれば,答えはおのずから明らかになります。
27 (イ)ニムロデの時代以来,神によるなんらかの指導が行なわれてきましたか。もしそうであれば,いつ,どこで行なわれましたか。(ロ)その王はだれでしたか。ヨセハスはその政府を何と呼びましたか。
27 ニムロデの時代以来,地上では人間による指導が行なわれてきました。これまでの幾千年間,何らかの神による指導,神の国つまり神権政治が行なわれてきましたか。行なわれてきました。来たるべき神権政治,来たるべき神の国を予表する型として,ただ小規模に行なわれました。紀元前1513年,預言者モーセの時代以来,9世紀間つまり紀元前607年まで行なわれました。神はモーセとその民を当時の世界最強の国エジプトから救い出し,アラビア半島のシナイ山麓に集められました。その地で彼らを一国民として組織し,基本的な十戒およびそれに関連する幾百もの規定からなる律法を与え,また,御心にかなう清い崇拝の制度をも設けられました。そして,有用な清い祭司職にかんする厳重な規定やおきてを与えました。目に見える王はお与えになりませんでしたが,神ご自身が,目に見えない天の王,立法者,また彼らの神であることは言うに及ばず,そのさばき主であられました。(出エジプト 15:18-21; 19:1–20:26。イザヤ 33:22)西暦1世紀の史家フラビウス・ヨセハスが評したとおり,それは地上の一国民に対する「神権政治」でした。
28 こうした神権政治は何か不当なことでしたか。もしそうでなければ,人々はどうして創造者の祝福と保護を失ったのでしょうか。
28 エデンの園における神権政治の場合と同様,わたしたちはこう尋ねます。大洪水後のこうした神権政治は不当なことですか。不当な点は一つもありません。その国民は,神の指導の表われである神権政治に即して生活するかぎり,神の保護と祝福を受け,神より与えられた中東のその地で繁栄を楽しみました。人々が,自分たちの王で支配者であられるエホバ神を忘れ,その崇拝から離れ,神の律法を破って,周囲の異教の国々の習慣や崇拝に従った時にのみ,災いに陥りました。エホバ神は,彼らを懲らしめるため,異教を奉ずる近隣の国々による人間の指導に彼らを服させました。そして人々が災いに苦しみ,自分たちの誤りと不忠実な歩みを悔いて,神の指導の下に生活することを嘆願した時にのみ,神は彼らを圧制者の手から救い出し,神権的な自由と恵みを再び与えられました。―士師 1:1–16:31; 21:25。使行 13:16-20。
29 神の指導を受けたその民族の子孫は今日なぜ神権政治を行なっていないのですか。
29 かつて神の指導あるいは神権政治の下にあったこの民族の子孫は幾千年の歳月を経て生き残り,今日では一国家を形成しています。今日彼らが神権政府ではなく民主的な共和体制をたてているのはなぜですか。それは,遠い昔,周囲の異教の国々で行なわれているような人間の指導を願い求めたからにほかなりません。目に見えない天の王エホバ神への信仰を失って,国家を治める見える人間の王を立ててほしいと,預言者サムエルに求めたのです。
30 神は,その民が,見える人間の王を求めた時,預言者サムエルに何を行なうよう命じましたか。
30 神権政治あるいは神の指導を受け入れていたサムエルは,人々のそうした要求を知って深く憂慮しました。しかしエホバ神はサムエルにこう言われました。「民があなたに言うことすべてについて民の声に聞き従いなさい。彼らが捨てたのはあなたではない。彼らはわたしが彼らの王であることを捨てたのである」。サムエルは神の命令に従って,目に見える人間の王をたてることに伴う問題や重荷をことごとく民に告げましたが,人々はそうした王を執ように要求しました。(サムエル前 8:1-22,新)そこで神は,その国民の上にそうした王を立てて油を注ぐようにサムエルに命じました。こうして立てられた人間の指導はどうなりましたか。
油注がれた者による模型的な神の国
31 イスラエルのサウル,ダビデそしてソロモンはどんな王でしたか。
31 油注がれた最初の王は,ベニヤミンの部族のキシの子サウルでした。サウル王は後日,神のいましめにそむき,遂には悪霊とかかわりのある心霊術に心を寄せたため失脚しました。(歴代上 10:1-14。使行 13:20,21)次に神は,ご自分の国民の上に,少年のころベツレヘムで羊飼いだった,ユダの部族のエッサイの子,ダビデを王として立てました。ダビデは,エホバ神の崇拝に対するその献身のゆえに,歴代の王が永久にその王統を通して来るとの約束を与えられました。(使行 13:22。サムエル後 2:1–7:17)こうして,ダビデの愛したむすこソロモンが,あとを継いで王位につき,神の地上の代表者としてエルサレムで治めました。このことについて歴代志略上 29章23節(新)にはこうしるされています。「そしてソロモンは,その父ダビデに代わり,王としてエホバの王座についた。彼は栄え,イスラエルの人々はみな彼に従った」。見える人間の王がエルサレムの「エホバの王座に」ついた,この種の神権政治が,繁栄と栄華の頂点に達したのは,賢明なソロモン王の治世中でした。
32 ソロモン王の神権的な指導を受けた人々の生活状態を述べなさい。これは何を預言的に示すものでしたか。
32 神権的なソロモン王の統治にかんする歴史的な記録は,20世紀の今日の人間の支配する諸国家すべての状態とは対照的です。列王紀略上 4章24,25節(新)はこう述べています。「彼は自分の土地のいたる所に平安を得た。そしてソロモンの日の間,ユダとイスラエルは,ダンからベエルシバに至るまで安らかに住み,人はみな自分のぶどうの木の下と自分のいちじくの木の下に住んだ」。その国には大勢の人が住みました。しかし食糧問題や飢餓に迫られることは一度もありませんでした。それどころか列王紀略上 4章20節(新)によればこう報告されています。「ユダとイスラエルの人々は数が多く,海べの砂のようであったが,彼らは飲み食いして喜んだ」。これは,神の指導あるいは神権政治の下で人々の受ける祝福の一例となっただけでなく,さらに重要なことを意味しています。それは,昔のソロモンよりもさらに賢明で偉大なかたとなられた,天の御子イエス・キリストの治める神の国で,全人類が受けようとしている祝福を予表しています。―マタイ 12:42。
33 (イ)ソロモンの神権的な指導の下で人々の得ていた祝福と保護はどうして失われましたか。(ロ)歴史によれば,まず最初に,分かれたイスラエルの国,次にダビデ王の家系の歴代の王の治めたユダにそれぞれ何が起こりましたか。
33 古代のこうした特別の模型的な神権政治の祝福がそれほど豊かでありながら,ソロモンの民の生来の子孫が,今日,神権政治の祝福にあずかっておらず,神の指導を享受していないのはなぜですか。文字になった神のみことばの答えは明確です。つまり,偽りの神々,古代の異教の諸国の神々の崇拝が,エホバの選民として恵みを得た国家にはいり込んだためです。そのために人々は神の指導から離れ,悪霊を崇拝する異教の国々を通して行なわれる悪霊の指導に服することとなりました。ソロモン王の死後,紀元前997年,国は二つに分裂しました。一方の大きな国は,別個の王国として257年間存続し,遂に紀元前740年,世界強国アッシリアに併どんされました。他方,小さな国はエルサレムを首都とし,ダビデ王の家系の歴代の王の治める国として,紀元前607年までさらに1世紀余存続しました。それから全能の神は,エルサレムを都とするこの王国が世界強国バビロンの手でくつがえされるままにして,ご自分の預言を成就されました。(列王下 25:1-26。歴代下 36:11-21。エゼキエル 21:18-27)その悲惨な出来事とともに,地上におけるエホバ神の模型的な神権政治は終わりました。
34 (イ)バビロンで70年を経たのち,復興された神の民はだれの指導を受けましたか。(ロ)神の御子イエスは地上に来られた時,ユダヤ人の宗教指導者からどのように迎えられましたか。
34 その年つまり紀元前607年以来,人間の指導は今日に至るまで全地に力を及ぼしてきました。確かにエホバ神はあわれみを示され,悔い改めた残れる者を,ユダの地とエルサレムの70年の荒廃後,バビロンの捕われから連れ戻しました。しかし復興されたご自分の民の中に模型的な神権政治を再興されることはありませんでした。当時,彼らは,マケドニアつまり世界強国ギリシアがペルシアを倒す時まで,ペルシアの支配に服していました。そして遂に西暦1世紀に至って世界強国ローマの支配下にはいったのです。また,その皇帝カエサル・アウグスツスの治世には,イエス・キリストがダビデ王の家系の子として,ダビデの町ベツレヘムで誕生しました。(ルカ 2:1-20)このイエスは,その教え,死人をさえよみがえらせた奇跡的ないやし,および預言を成就させることによって,ご自分が約束のメシヤあるいはキリストであることを証明されました。しかしエルサレムの宗教指導者は,ダビデ王のこの真の後継者がエホバ神の名によって治めることを望みませんでした。そしてローマ総督の前で,イエスを,自らを王とする扇動者であると偽って訴えました。それでは彼らはだれの指導を欲していましたか。
35 (イ)これら宗教指導者は,神の指導よりも人間の指導を好んでいたことをどのように示しましたか。(ロ)人間の指導は西暦70年にどんな結果を招きましたか。
35 ローマの総督はそれら告発者に尋ねました。「あなたがたの王をわたしが刑柱につけるのか」。神権的に事を運ぶべき大祭司たちは,群衆を動かしてこう叫ばせたのです。「我々にカイザル以外の王はいない」。(ヨハネ 19:1-15,新)こうして彼らは,ダビデの王統のメシヤによる神の指導ではなく,人間の指導を叫び求め,それを得ました。ところが,イエス・キリストが刑柱につけられ,葬られ,そして死から天の命によみがえらされて33年後,王である皇帝に反逆したのです。神は彼らに助けを差し伸べず,皇帝による人間の指導が力を揮い,西暦70年,反逆した人々100万人余が殺され,9万7000人もの人が奴隷として連れ去られました。そしてエルサレムと崇拝のための壮麗な宮は崩壊しました。このすべてはイエス・キリストの次の預言を成就するものでした。「彼らは剣の刃に倒れ,とりことされてすべての国に引かれてゆくであろう。そしてエルサレムは,諸国民の定められた時が満ちるまで,諸国民に踏みにじられるであろう」― ルカ 21:20-24,新。
サタンの指導下における人間の指導
36 人間の指導はどれほどの期間続きましたか。また,それはだれの指導にほかなりませんでしたか。そうであるとだれが述べていますか。
36 全地にわたる人間の指導は,西暦1914年における,諸国民の定められた時の終わりに至るまで続きました。これら「諸国民の定められた時」つまり異邦人の時は,世界強国バビロンによってエルサレムが最初に滅ぼされた紀元前607年に始まりました。その滅びは,模型的な神権政治つまりダビデ王の家系の歴代の王の治めるエホバ神の模型的な御国がくつがえされたことを意味します。それら異邦人の時は,世界強国ローマによってエルサレムが二度目に滅ぼされたのちも続きました。文字になった神のことば聖書によれば,これら異邦人の時は,エルサレムの最初の滅亡以来2520年間,つまりこの20世紀にはいった1914年まで続くことが証明できます。これらの歳月の全期を通じて人類の世界は人間の指導下で苦しんできました。それはサタンの指導にほかなりません。ですから,イエス・キリストは悪魔サタンを「この世の君」と呼ばれ,またクリスチャン使徒パウロは「この世の神」と呼んだのです。(ヨハネ 12:31; 14:30。コリント後 4:4)4世紀における宗教上のキリスト教国の確立すら,神の国あるいは神の指導をもたらしませんでした。それは今に至るまでサタン的な存在です!
37 人間の指導が2520年余を経た今日,地上にはどんな事態が見られますか。
37 異邦人の時の2520年をすでに過ぎた今日,人間の指導は,平安と安定,安全と繁栄そして豊かな産出にかんして人類の世界にどんな約束を与えていますか。エデンの園における完全な人間アダムとエバには,全地を従わせ,地を世界的な楽園とし,人類のための幸福な永遠の住まいにする使命が与えられていました。人間の指導はこの使命の成就をどのように約束していますか。1914年,異邦人の時が終わったのち,人間の指導のもたらしたものは,二つの世界大戦と,洪水前のノアの時代をしのぐ暴力の時代です。第二次世界大戦の終わった1945年以来,人間の指導はこの地を,恐るべき殺りく兵器である原水爆の巨大な貯蔵庫と化しました。貧困の問題はかつてないほどむずかしさを加え,他方では,地の破壊が急速に進んでいます。
38 今日の一般の人類は地上で神の指導の行なわれることを決して望んでいません。それを示すどんな証拠がありますか。
38 今日,一般の人類は,眼前に横たわる困難な諸問題や道徳的危機ゆえに神の指導を望むでしょうか。まず望まないでしょう。一般の人類は,聖書に定められている神の律法のみならず,科学者の呼ぶ「自然」,つまり神の創造物に働く法則に対してさえ戦っています。この点を明示するものとして,1967年の最後の1週間,ニューヨーク市で催されたアメリカ学術振興協会の会議で討議され,また発表された事柄に注目してください。それによれば,科学が著しく発達して核および宇宙時代と呼ばれるに至った今日,人間は自らの自然の環境をそこなっていることが明らかにされました。いわゆる自然界の平衡が砕かれているのです。人間が取り入れることのできる酸素の量は徐々に減少しています。地球上の土壌や水は,営利を目的とする近代産業の諸施設のために汚染をこうむっています。人間や動物の生活を維持する,自然界の複雑で微妙な営みは破壊されつつあります。
39 「人間対自然」と題するニューヨーク・タイムズ紙の社説はどんな警告を載せていますか。
39 ある大学の教授のことばによれば,人間をとり巻く環境は「崩壊寸前」の状態に追いやられており,一惑星であるこの地球は「人類社会の存続する場所としての適性を失う」危機に直面しようとしているとのことです。1968年1月1日付,ニューヨーク・タイムズ紙は「人間対自然」と題する社説を掲げ,その最後の節でこう述べました。「人類の生活をささえる地球の能力には限度がある。もしその限界を越えてしまえば,大規模な災害が生ずるであろう。そしてその幾つかが生ずるのは遠い先のことではあるまい。こうした論議は,社会に広く行き渡っている『進歩』という考え方そのものに対する挑戦を意味している。そうした能力を生み,かつ維持している自然環境を,神の知恵を持たぬ人間が,神の力にたぐい得る力を行使してもたらしている重大な脅威から守れぬかぎり,人類は存続し得ない」。
40 人間は自らを指導することができません。どうしてこれは疑問の余地のない事柄ですか。
40 世界の現状からすれば,人間は自らを指導することができません。このことには疑問の余地がありません。人間および,人間の生活環境を律するあらゆる法を創造された神の助けと導き,そして祝福がなければ,人間は自らの努力だけで生き残ることはできません。人類は今日,窮境に陥り,全く途方に暮れています。それゆえにこそ今や神が人類救済のため,この地の指導権をどうしても引き継がねばならない時が到来したのです。
神の時は近い!
41 (イ)神の支配を必要とする理由としては,人類の危急な窮境のほかに,さらに重大などんな事柄を考慮すべきですか。(ロ)人間は地に対する自らの指導を平和裏にゆずりますか。そうでないとすれば,何を避けることはできませんか。
41 しかし,全能の神であられる創造者が,メシヤの御国による全地の支配権を引き継がねばならない事態を招いた理由は,単に人間の直面している危急な窮境だけではありません。神は,ご自身の定められた時に従って,この地におけるご自身の指導を今や再び確立しておられるのです。人間の支配者やその政治上の支持者は,世界的な大災害を回避するために人間の指導を是が非でも遂行しなければならないと考えるかもしれません。しかし,誤ることのない時間厳守者であられる神は,ご自身の時の予定に従い,必ずご予定の時に,一惑星であるこの全地に神権政治つまり神の指導を再興されるのです。その時は迫っています。それゆえに人間の指導にかわってまもなく神の指導が始まろうとしているのです。人間の指導が平和裏に道をゆずることはないでしょう。むしろ人間の支配者たちは全地にわたる自らの支配権を保とうとして,今後も神の国に敵対して戦うでしょう。ゆえに人間の指導は,ハルマゲドンと呼ばれる,「全能の神の大なる日の戦闘」において敗北と破滅をこうむりつつ,道をゆずらざるを得ないでしょう。(黙示 16:14,16)神の指導は勝利を得,全地にゆきわたって永遠にいたるのです。
42 (イ)多年続いた,地に対する異邦人の指導はいつ終わりましたか。そうであるとどうして確信できますか。(ロ)1914年,何が建てられることによって,地上における神の指導は再興されましたか。
42 サタンの支配の下に人間の指導の行なわれた異邦人の時が,西暦1914年に終わったと述べるのは,単なる空想ではありません。この明確な事実は,その年に勃発した世界大戦をはじめ,それに続く飢饉,疫病,地震,宗教上の迫害,世界的な悩みと困惑など,イエス・キリストが「事物の体制の終局」に関する預言の中で告げたとおりの事柄によって証明されています。(マタイ 24:3-12,新。ルカ 21:10-19)異邦人の時はこの忘れることのできない年に終わりました。この事実は,紀元前607年エルサムレでくつがえされたダビデ王の王統の子孫の治める神の国が,中東の地上のエルサレムにではなく,天で再び建てられたことを意味します。その権威は,よみがえらされた神の御子イエス・キリストの手にゆだねられました。彼は,地上で人間として存在しておられた時,ダビデ王の王座で永遠に治める正当な後継者でした。(ルカ 1:26-37)今やその御国は,異邦人諸国家のいかなる権力によっても踏みにじられることのない「天のエルサレム」で支配しています。神はこの御国をお用いになって,地上におけるご自身の指導を再興なさるのです。
43 エホバはだれを通して人間の指導を取り除かれますか。人間の指導を最初に推し進めた象徴的なへびにはどんなことが生じようとしていますか。
43 人間の指導に対する信頼を失った正直な人々すべてには,人間の指導にかわってまもなく神の指導が始まることを知って歓喜すべき十分の理由があります。キリスト教国は過去16世紀余にわたり,「主の祈り」を偽善的に祈ってきました。しかし同時に個々の誠実なクリスチャンもその祈りをささげてきたのです。「御名が清められますように。御国が来ますように。御心が,天におけるごとく,地にも行なわれますように」。(マタイ 6:9,10,新)天の父は,ご自分の忠実な御子イエス・キリストの教えられたこの祈りに必ず答えられます。神の御心が天におけるごとくこの地にも行なわれるとは,神の指導が,人間の指導に取って代わり,そして天の御子イエス・キリストの治める御国によって全地に実施されることを意味しています。イエス・キリストはもともと,約6000年前エデンの園で約束された,神の女のすえです。それで,象徴的なへび,つまり悪魔サタンの頭を打ち砕くべき特別なかたです。(創世 3:15。ロマ 16:20)その象徴的なへびこそ,人間がエデンの園で反逆して以来,地上における人間の指導を推し進め,また巧みにあやつってきた張本人です。
44 (イ)今日,神の指導を愛する地上の「大ぜいの群衆」は,4300年前の出来事に類似するどんな救いを待ち望んでいますか。(ロ)彼らは地上の新しい秩序における神の指導の下でどんな態度を取りますか。
44 4300年の昔,ノアとその家族は箱舟にはいって,洪水のもたらした,「敬虔ならぬ者の世」の終わりを生き残りました。(ペテロ後 2:5; 3:5,6)同様に,神の指導を愛し,御国の到来を祈り求める地上の比較的「大ぜいの群衆」は,この世代のうちに,この地における人間の指導の激しい終わりを生き残るでしょう。そして神の保護の下,ハルマゲドンにおける「全能の神の大なる日の戦闘」に生き残り,地上における神の新しい秩序にはいる希望の実現を見ることでしょう。彼らはその時,心をこめて神の指導に従います。彼らは,また,預言者サムエルの時代に,地上の見える人間の王を自分たちの上に立てることを要求した不忠実な人々とは異なり,エホバ神が王位に就けられた,目に見えない天の王を喜び,愛の心から忠実にその王に服従するでしょう。神の指導の下,この天の王イエス・キリストを通して彼らが享受する祝福は,賢明なソロモン王の治世中,人々にもたらされた祝福よりも,はるかに大規模なものとなるでしょう。
45 神の指導は,「大ぜいの群衆」を守ってハルマゲドンを通過させることのほかに,メシヤの御国を通して何を遂行しますか。
45 今日,人間の指導は,核爆弾の蓄積により強化され,全人類絶滅の脅威をもたらしています。神の指導はメシヤの御国を通して,ハルマゲドンを生き残る人々の命を守る以上のことを行なうでしょう。人間の指導の行なわれてきた幾千年間に死んだ何十億人もの数えきれない人々を,地上に生き返らせるのです。イエス・キリストは,地上の人であった時,死人の復活があることを約束され,そして,ご自身の完全な人間の命をそうした人々のために犠牲としてささげられました。(ヨハネ 5:25,28,29; 11:25,26)彼は天の王として,そうした復活が行なわれるように取り計らわれます。そのすべては,わたしたちの理解力をはるかに越えたすばらしいものでしょう。
46 メシヤの治める神の国で人類にはどんな機会が開かれますか。それでわたしたちは今,何を喜ぶべきですか。
46 メシヤの御国によって実施される神の指導の下,楽園の地で生きる豊かな恵みに浴するそれらの人々すべてには,全き平和と安全のうちに敬虔で完全な人間として,終わりのない命を享受する機会が開かれるでしょう。人間の指導はこうした事態をもたらすことができませんでした。しかし神の指導はそのとおりのことを行なうでしょう。今や人間の指導にかわって神の指導が始まろうとしています。これはなんという喜ばしいことでしょう!
[9ページの図版]
正確な歴史 ― 聖書
シュメル
エジプト
アッシリア
ペルシア
マケドニア
ギリシア
ローマ
[16ページの図版]
平和で安全と豊かさをもたらしたソロモンの統治