神の勝利にあずかる人びとを助ける大会
世界は今や深刻な危機に直面しています。世界の指導者たちは,あらゆる面に関連したあまりに多くの重要問題をかかえているために,そうした問題を解決するための時間を持ち合わせていません。問題解決の手腕や方策に至ってはなおさらのことです。しかも,これらの重要問題のどれひとつを取ってみても,それだけで世界的惨禍に発展する恐れがあります。
ところで,エホバの証人はなぜ,昨年の夏に北半球全体で,「神の勝利」国際大会を開催したのでしょうか。
そのひとつの理由は,ごく近い将来に神の勝利がもたらされ,それに続いて地球を管理する義の新しい統治機関が立てられることを証人たちは待ち望んでいるからです。しかし彼らは,今日世界じゅうの人びとを悩ましている大きな問題を克服して,個人の生活や家族の中で勝利を収めています。
ですから,これらの大会は,社会的問題に関して自分たちの取るべき立場を討議する他の宗教会議とは実質的に異なるものでした。出席者は,その大会で神の勝利と神の義の政府のもとでの生活を味わい楽しむ人として自らがふさわしくなるための助けが得られることを知り,大会にやって来ました。この点について,ドイツの新聞ズィートドイッチェ・ツァイトゥング紙はこう報じました。
「エホバの証人の音信は簡単明瞭である。それは,『聖書は神のことばであり,現在の世界に対する預言が含まれている。その理由で,わたしたちは聖書を学び,聖書に従った生活をしなければならない』というものである」。
またジュッセルドルファー・ナハリヒテン紙上には,「宣明される神の勝利」という見出しのもとにこう書かれていました。
「ルーテル派やカトリックの大会とは対照的に,この大会では討論は全く行なわれず,ただ,世界じゅうのエホバの証人から神の真のみことばとみなされている聖書の内容が宣べ伝えられたり,説き明かされたりしている」。
そうした実際的で確信に満ちた気風が,これまでに開催された5日間の大会すべてにおいて見られました。プログラム ― 31の話と4つの聖書劇 ― 全体は,すべてのクリスチャンが『エホバの日の臨在をしっかりと思いに』保ち,聖書の高い,すぐれた道徳規準にいっそう十分かなうよう自分の生活を調整し,互いに対する愛を全うすることの必要を強調していました。(ペテロ第二 3:12)また出席者は,成されねばならない業の規模を考慮に入れて,キリストにより与えられた弟子を作るという偉大な使命を果たすにさいし,今まで以上に密接に協力して働くよう励まされました。(マタイ 28:19,20)現在成就されつつある聖書預言に関する討議は,わたしたちがキリストの臨在している時代にかなり長く,事実60年近くも生活しており,「エホバの日」が刻一刻と近づいていることに出席者全員の注意を喚起しました。
この確信に満ちた気風,またこの前進的な態度は,それらのプログラムに感謝の気持ちを表明した大会出席者の間にも見られました。ある人はこう語りました。「わたしたちが受けているのは,心の教育,つまり神の方法に基づいた訓練です。そしてこの教育は,まもなく世界に訪れる『大患難』をわたしたちが生き残るのにどうしても必要です」。―マタイ 24:21。
武力衝突によらない勝利
「武力衝突によらないで世に対する勝利を得る」という基調をなす話の中で話し手は,キリストが,ご自分の宣教が終わりに近づいたころ使徒たちに語った次のことばに注意を向けました。「勇気を保ちなさい。わたしは世に対して勝利を得たのです」。(ヨハネ 16:33,R・F・ウェイマウスによる,現代語の新約聖書,1902年)『そのことは,イエス・キリストの追随者が武器を手にして,政治的または社会的闘争に加わるという意味ではありません』と,話し手は語りました。しかし同時に,クリスチャンは決して消極的ではない点も指摘しました。クリスチャンは精力的に働きます。事実,そのために彼らは世と衝突するのです。クリスチャンは,聖書に記されている生活の仕方に従おうと努めているすべての人の前に,世が設ける障害を克服しなければなりません。
この大会で聖書教育を受けるために集まった幾千人もの人びとは,こうした障害をすでに克服した生活を送っていたでしょうか。それは既成の事実だったでしょうか。エホバの証人の会衆の中の人であっても外の人であっても,大会に訪れた人は自分でそれを確かめることができました。エホバの証人の統治体の成員のひとりは東洋の幾つかの大会に出席した後,こう語りました。
「日本,韓国,台湾省,ホンコンで,プログラムに注意深く耳を傾けている数えきれないほど多くの顔を見ることは,そうした何千人ものクリスチャンたちが西洋人ではなく東洋人のクリスチャン,つまり以前は仏教徒や偶像崇拝者や神道信者や先祖崇拝者であり,聖書の神に関する知識を全く持っていなかった人びとであることを知るとき,楽しくかつ多くの励ましをもたらすものとなりました。異教の慣行や習慣のただ中で,彼らはなんと大きな変化を遂げたのでしょう。神のことばの真理は彼らを征服者にしたのです」。
また,ローマの新聞パエセ・セラ紙の記者はエホバの証人についてこう書きました。
「この宗派の人びと自身が述べているとおり,彼らは,模範的で,勤勉に働き,かつ道徳的に清い生活を送ることにより,また初期クリスチャン社会のように互いに支え合うことにより……『神に対して証し』をする直接的責任を負っている」。
基調をなす話の話し手は,クリスチャンはどこにいようと,また神に受け入れられる奉仕をするためにどんな障害に直面していようと,勝利を収めることが可能である点を指摘しました。大会のプログラムで語られた世界じゅうの人びとの経験は麻薬中毒に対する勝利を物語っていました。その中には泥酔の経験やたばこからマリファナ,LSD,ヘロインまでのあらゆる麻薬に惑溺した経験を持つ人も少なくありませんでした。こうした人びとは神に関する聖書の知識を取り入れるにつれ,聖書の原則を適用して麻薬から離れました。彼らは,メタドーンなどのいわゆる「代用薬」の助けで麻薬を「しだいに止める」のではなく,祈りのうちに,また仲間のクリスチャンの助けを得て,麻薬をきっぱりと断ち,清くなりました。今や彼らは神に仕えつつその清さを保っています。(コリント第二 7:1)その他にも,しばしば暴力を伴う,家族の激しい反対を克服しなければならない人もいました。
聖書研究を行ない,その後神に献身するまでに進歩し,この大会でバプテスマを受けた何千人もの人びとの中に,ピッツバーグ市の大会の聴衆に向かって次のように語った青年がいました。
「真理に入る前,わたしはカトリック教徒でした。約5年間,わたしは(まさにあらゆる種類の)麻薬を飲み,盗みをし,性の不道徳にふけり,聖書がしてはいけないと戒めているほとんどすべてのことをしました。わたしの“妻”との関係は,エホバの証人になるためにわたしが克服しなければならない障害のひとつでした。その時までに,わたしは彼女と4年間いっしょに暮らしていましたが,彼女はまだわたしの妻ではありませんでした。わたしは彼女と結婚したいと思いましたが,彼女は,『エホバの証人は気違いよ。彼らと付き合う気なら,結婚はしないわ』と言いました。『よし,それなら結婚しなくてもいい』と,わたしは答えました。こうして彼女は,わたしが真剣であることを知りました。彼女が,いっしょに聖書を勉強してほしいとわたしに頼むまでには約1か月かかりました。彼女は,ちょうどわたしがしたと同じように聖書のまちがっていることを証明しようとしました。しかし,彼女は今日この大会にいっしょに出席しています。わたしたちは1973年5月26日に結婚しました」。
神のみ名によって歩む
神の預言者のひとりは,神のしもべたちは「わたしたちの神エホバのみ名によって歩む」と言いました。(ミカ 4:5,新)このことはどのように行なわれているでしょうか。
数多くの話や討議,また実演がその答えを与えていました。神は目に見えないかたです。しかし,神が目に見えないということは,わたしたちに神の人格を「見る」― つまり,神の性質,物事を行なう方法,人びとの取り扱い方などを見る ― ことを不可能にするものではありません。モーセは「見えないかたを見ているように終始確固として」いました。モーセは明らかにされた神の属性を見聞きしました。彼は神の業,人びとの取り扱い方,また裁きを個人的に何度も親しく経験し,神に対する自分の愛を破れることのないほど強いものにしました。―ヘブライ 11:25-27。出エジプト 15章; 34:5-7。
このように,神の人格を親しく知ることにより,また宇宙の主権者としての神の立場だけでなく過分の親切やあわれみなどの神のすぐれた性質を認識することにより,わたしたちは愛の特質を深めることができます。そしてこの愛が,神に対する献身のうちにわたしたちをしっかりと留まらせるのです。神が物事を行なう方法について学んだなら,わたしたちはそれを実行に移します。このように実際に適用することは肝要です。また,クリスチャンはクリスチャン兄弟たちを愛するようになり,同時にすべての仲間の人間に対しても愛を示すようになります。―ヨハネ 13:35。ガラテア 6:10。
エホバの証人が一致している秘密はここにあります。それが,当局者や報道関係者をして,「人びとの間にこれほどの一致と調和が満ちあふれているのを見たことがない。確かにこれは注視に価する」とか「互いにうまくやって行くための教訓をこれらの証人から得ることができる」とか言わしめた理由です。大会のプログラムについて,大会出席者のひとりはこう語りました。「大会のすべての話と上演された劇は,わたしたちが他の人のことをどう思っているか,また彼らの福祉のために自分をどう役立てることができるかを毎日吟味する必要性を強調していました」。
大会のこれらのプログラムを注意深く見聞きしていた人びとは,次のように自問したことでしょう。わたしは自己吟味をしたことがあるだろうか。わたしは,創造者である神がわたしの生活の歩みをどう感じておられるかを知ろうとしただろうか。わたしは神との良い関係を望んでいるだろうか。悪行が神との関係を損うことを認識しているだろうか。仲間の人びとに対して,わたしはどのようにふるまっているだろうか。
『神とともに歩む』ということは,正直に仕事を行ない,真実で道徳的に清い生活を送り,他の人を熱心に助けることを意味します。現在の社会にこのような状態が見られますか。おおぜいの人びとが集まる競技場や劇場などで,あるいは街路においてさえ,お金をなくしたり,何か価値ある品物を公衆のいる場所に置き忘れたりしたなら,あなたはどう感じますか。もう出てくるはずがない,と考えますか。では,聖書の原則をほんとうに学んだ人びとの間では事情は異なっているでしょうか。確かに異なっています。エホバの証人のすべての大会には「遺失物」部門が設けられています。何千という遺失物がここに持ち込まれます。「神の勝利」大会での数多くの興味深いでき事の中には次のようなものがありました。
ロサンゼルスの大会で,ある婦人は電話ボックスの床にお金を置き忘れました。そこで,その婦人はすぐに遺失物部門に行き,置き忘れた120ドル(約3万1,200円)はそっくり婦人の手に戻りました。別の時には,20㌦(5,200円)札が遺失物部門に届けられました。
別の大会で,8歳ほどの少年が遺失物部門にやって来て無くした1㌦(約260円)札を捜していました。「返却金」の箱に何枚かの1㌦紙弊があったので,係の人はそのうちの1枚を少年に差し出しました。するとその少年は,「これはぼくの1㌦札ではありません。ぼくのはアコーデオンみたいに細く折ってあるんです」と言いました。係の人が箱の中をもう一度見てみると確かにそのような紙弊がありました。少年はうれしそうにそのお金を受け取りました。
これらの人びとは他の人よりも生まれつき善良だったのではありません。それは彼らが,神の道を歩むことのよりすぐれている点を学んだからにほかならず,その心がそうするよう彼らを動かしたのです。彼らは,神に仕えたいとほんとうに願っている人はだれでもそのようにできることを示す生きた例です。
地の新しい王のために富を得る
このプログラムでは,現在キリストは目に見えないさまで臨在しておられ,1914年に主としてのその権力を確かなものにされたという事実が特に強調されました。それゆえ今は,クリスチャンが決済を受け,その報いを得ることを待ち望む時です。この決済が何を意味するかは,大会の「地の新しい王のために富を得る」という話の中で,「ミナ」に関するイエスのたとえ話の説明に関連して論じられました。―ルカ 19:11-27。
そのたとえ話によると,王国を受けて帰ってくるための旅に出たある男の人は,自分の奴隷たちに商売をするための資産を委ねました。旅から戻ってきたとき,その人は,自分に委託されていた資金を正しく管理した人びとには豊かに報いましたが,怠惰な奴隷には罰を加えました。次いでその人は,彼を憎んでその統治権を認めようとしなかった者たちを滅ぼしました。その成就として,イエス・キリストは西暦33年に天の『遠い国』へ行き,ご自分の弟子たちにある霊的な資産を残されました。そして,この資産は良いたよりを宣べ伝えることにより増えていくはずでした。
話が進むにつれて,聴衆は弟子を作る業に携わる各自の責任を自覚し,この点で怠惰になるべきではないことを理解しました。また,今地の新しい王を認めない,世界じゅうの人びとに迫っている危険についても悟りました。こうした人びとのもとに良いたよりがもたらされなければなりません。付け加えるなら,宣べ伝える業によって集められた弟子のすべてはキリストの貴重な財産とも見られていますから,弟子のそれぞれは仲間のクリスチャンに対して愛を示さなければなりません。
王国を宣べ伝える業がどの程度まで行なわれてきたかという点が,「戦争に悩まされた世界で良いたよりの種をまく」という別の話の中で論じられました。西暦61年ごろ,クリスチャンたちに宛てて書き送られた使徒パウロの次のことばが引用されました。『良いたよりの真理が語り告げられることは……世界じゅうで実を結んで増大しており,それは……あなたがたの間でも起きていることと同じです」。(コロサイ 1:5,6)次いで話し手は,クリスチャンは今日,長い間待ち望まれていた神の王国が今や天に設立されているという良いたよりを持っていることを説明しました。話し手はこう語りました。
「神の王国は,全人類をキリスト教世界の教会員に改宗させることによってもたらされる,と長い間考えられていました。……この20世紀の32年足らずのうちに起きた2つの世界大戦は,キリスト教世界の幾億人もの教会員の心の中に,『義と平和と喜びの[神の]王国が聖霊のうちに』建てられたことを示す証拠でしょうか。……こうした事がらすべては,神の王国が人びとの心の中に到来するのではないことを証明しています。神の王国がそのような方法でもたらされると期待することはできません」。
次いで,話し手はこう言い切りました。
「それにもかかわらず,神の王国は,この地を支配する現実の機構を備えた政府として到来します。この良いたよりはあたかも種のように208の国々や島々でまかれており,その種は実を結んでいます。良い心のうちに良いたよりを聞く人は,それを広める業に加わっています」。
そうです,ひとつの宗教が長い間しっかりと根を張っていた,イタリアやフランスのような国でさえ,新聞は,王国を宣べ伝える業に人びとが答え応じるさまに驚いている記事を掲載しました。イタリアには,宣べ伝える業に活発に携わっている3万人のエホバの証人がいますが,驚いたことには,ローマのフラミニオ・スタジアムで開かれた大会に5万7,000人もの人びとが集まりました。同様に,フランス全体には5万人をわずかに下回るエホバの証人がいますが,コロンブ・スタジアムで開かれたパリ大会には6万人以上が出席しました。
特別な業
大ぜいの人びとがエホバの証人の携える音信に耳を傾けているとはいえ,人びとに良いたよりを伝えるためのなおいっそうの努力が払われなければなりません。西暦70年のローマ軍によるエルサレムの滅びの様子を描写した劇が上演されました。その劇は,マタイ 24章15-18節およびルカ 21章20-24節にあるイエスの指示,つまり西暦66年にガラスの軍隊がエルサレムを包囲するのを見たなら,直ちにエルサレムから逃げるようにという指示に従わなかったクリスチャンたちが極めて危険な事態に陥った様子をありありと描いていました。神は当時と同様に現在も,人びとがこの事物の体制から離れるための時を定めておられます。それゆえクリスチャンは,現在の事物の体制の終わりが明日訪れてもよいように生活し,働いています。
今日の世界には,さまざまな圧力からの解放を渇望している人が多くいます。事実彼らは,それとは気づかないではいても,慰めと希望に満ちた聖書の音信を聞きかつ理解することを必死に求めているのです。そうした人びとをより迅速に見いだすために,わたしたちのできることが何かあるでしょうか。時間のあるうちにすべての人に音信を伝えるべく集中的な努力を払うため,すべての大会出席者に特別な業が発表されました。それは出席者を興奮させるものでした。
昨年の9月21日から30日にかけて初めて行なわれたこの特別の業では,なんと1億3,000万部近くという莫大な数の4ページのパンフレットがそれぞれの土地の言語で世界じゅうの人びとに配布されました。パンフレットを各家庭に配る努力が払われました。これは今後,定期的に号を重ねて大規模に繰り返される業の始まりにすぎません。パンフレットには毎回新しい音信が載せられます。1974年の9月までに,5億部のパンフレットが人びとの家庭に配布されることが期待されています。確かにこれは,歴史的な重要な業です。
義の政府をもたらすという神の約束を理解しておられるかたがたは,昨年の9月に行なわれた,この力強い音信を広める業におそらく携わったことでしょう。
重要な献身の質
大会初日のプログラムで,会衆内の長老つまり監督の取決めに注意が向けられました。監督たちには,聖書に基づく助言を与えたり,会衆の成員が生活上の問題を克服するのを助けたり,会衆の宣べ伝え,弟子を作る業に関連した活動を組織し,指示したりして,「群れ」を世話する責任があります。そのプログラムの話の中で,神がエホバの証人の活動を祝福してこられた理由が明らかにされました。聖書のテモテ第一 3章1-7節およびテトス 1章5-9節にあげられている要求にかなう人だけが「牧者」として任命されていることがその理由です。こうした牧者たちは,高い質の敬神の専念を保つよう会衆内のすべての人を助けることができます。
各人のいだく敬神の専念の重要性に関しては,「あなたの良心はどれほど敏感ですか」という全聴衆の注意を引き付けた興味深いプログラムがありました。そこでは,聖書の語句が「白か黒か」を明確に断定していない問題に関連した現実の例を示す,実際的な情景の場面が演じられました。「灰色」の中間領域においてどう行動すべきかを,聖書の原則を適用して決定するさいに,クリスチャンはその良心を働かせるべきです。店に非クリスチャン的な祭日の飾り付けをしたり,たばこ製品を販売したりするよう要請される場合,店員としてのわたしの責任は何だろうかとか,どの程度までスポーツ競技を観戦したり,それに参加したりすればよいのかは何によって決めるのだろうかといった質問などは,そうした「灰色」の領域に属します。すべての聴衆は自分の良心を探り,同様の質問をする人に自分はどんな助言を与えるだろうか,と考えました。
バプテスマ
エホバの証人の大会の顕著な特徴のひとつは大ぜいの人びとの受けるバプテスマです。北アメリカ,ヨーロッパおよびアジアの大会で,3万9,313人がバプテスマを受けました。エホバの証人は全身を水に没する浸礼を行ないます。そしてこの浸礼は,イエス・キリストの贖いの犠牲に基づく,受浸者の神に対する献身の象徴です。すべての大会において,バプテスマを受ける資格を備えた人びとは浸礼に先だって一定の指定された席に着きました。話し手は彼らに次の点を思い起こさせました。『バプテスマというこの重要な段階を踏むことにより,あなたは,エホバ神が自分の正当な所有者であられることを認めて,生活のあらゆる面で無条件に神の意志に従い,自己のいかなる権利をも否認します』。(マタイ 16:24。ローマ 12:1,2)次いで話し手は,聖書の最初の要求である悔い改め,つまりみことば聖書に表明されている神の意志にそぐわない仕方でこれまで生活してきたことに対する深い悔恨(詩 97:10。使徒 17:30)について説明し,それに続くべきものとして次に,転向,つまりそれまでの歩みから身を転じること(使徒 3:19)について,また最後には献身,つまり自己を否認し,エホバに仕えることを個人的に誓うことについて話しました。そしてこの献身をした人が,バプテスマを受けるにふさわしい立場にいます。
劇
5日間の大会中に4つの聖書劇が上演され,大会の主題は目に訴える形で強調されました。それぞれの劇は実際の聖書の記録を描いたものでした。
最初の劇を見た聴衆は深い感動を受け,あわれみや謙遜さの点で,また自分自身の行状に注意する必要性の点で,各人の心を注意深く探る ― 心を守る ― よう動かされました。バテシバと犯したダビデの罪に関する記録は,人間がいかに容易に罪に陥るかを痛感させるものでしたが,同時にその記録は神の大きなあわれみをきわ立たせるものでもあり,聴衆のすべてはその心に,エホバの導きに全く頼ってはじめて悪行への誘惑に対する勝利を得られることを印象づけられました。―サムエル後 11,12章。
「大声で呼ばわりなさい! エホバはあなたがたに町を与えられたからです!」という聖書劇は,聴衆をヨシュアとラハブの時代の古代都市エリコに連れ戻しました。(ヨシュア 2,6章)観覧者のひとりは,聴衆がその劇に盛られている音信を自分たちにどう適用しているかを示す次のような印象を語りました。「エリコの城壁が崩壊しているさなかに,ラハブの親族のひとりがラハブの家から走り出て行くのを見た時,わたしたちの背筋に一条の戦慄が走りました。その人は安全な場所に留まるのではなく,世に走り込み,世とともに死にました」。この劇は,ご自分の民のための,この世に対する神の勝利と神がその民を奇跡的な仕方で保護されることを生き生きと描いていました。
「あなたの家に対する熱心がわたしを食いつくすであろう」という劇は,イエス・キリストの宣教を振り返り,わたしたちが今日宣べ伝えるわざに精力的に携わる必要性を強調しました。わたしたちは,パリサイ人やサドカイ人のように王国を宣明する業を愚弄することもできますし,反対やあざけりがあるにもかかわらずメシアの王国の側にしっかりと立場を定め,神の勝利に与る見込みを確かなものにすることもできます。
「逃れて人の子の前に立つのはだれですか」という劇は,西暦66年から70年にかけてのエルサレムの悲惨な時代を写し出していました。この劇はある無関心なクリスチャンとその家族を扱っており,その霊的無関心さのゆえに彼らは息子を失ってしまいました。観覧者のひとりはこう語りました。「わたしたちは当然のことながら,他のだれに対するよりも,自分の家族を世話することにいっそうの関心を持っています。子どもたちが単に集会に出席したり,野外奉仕にいっしょについてくればそれでよい,と感じている親は少なくありません。しかし,子どもたちが,会衆の行なうすべての事がらを熱意を込めて,また真心から行なうのでないかぎり,わたしたちは子どもを失う結果になるかもしれません」。
宣言と決議
「地の新しい王のために富を得る」という話の直後に,話し手は宣言を読み上げ,続いて決議が提出されました。この決議は,集まっている熱意にあふれた大群衆によって採択されました。宣言は,1914年の「異邦人の時」の終わりから,1914年に生存していた世代のうちに生じる現在の事物の体制の完全な終わりまでの間に起きると予告されていたでき事に焦点を合わせていました。
宣言に続いて提出された決議は,エホバの証人が「書き記された神のみことば聖書から,引き続き警鐘を鳴り響かせ……苦悩する人類に対するいわば万能薬とも言うべき,神のメシアの千年王国を宣明し続けてやまない」ことを世界に注目させるものでした。決議文の結論はこう述べています。
「神の千年王国が近づいたことをいよいよ明確に知り,苦悩する人類に救いの良いたよりの差し伸べられている時がいよいよ短くなっていることを知るわたしたちは,神に対する忠節な愛と仲間の人間に対する愛とを働かせます。この点でわたしたちは人間より神に従い,キリストを通して与えられた神の命令,すなわち,滅びに定められたこの事物の体制の終わりが到来する前に『王国のこの良いたよりをあらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えよ』という命令を遂行するうえで決して手をゆるめることはありません。(マタイ 24:14。マルコ 13:10)この決意を遂行するための助けを,わたしたちは神にあおぎ求めます。そして,わたしたちは,最後まで神に忠実な者となり,神の勝利から来る喜びと祝福にあずかるにふさわしい者とみなされますように」。
新しい出版物
大会出席者は,聖書研究のすぐれた助けとなる何冊かの新しい出版物を受け取って喜びました。「真の平和と安全 ― どこから得られるか」という本は率直で要点をついた構成の内容になっていますが,読者とともに推論していくようにも作られています。初版から10か国語で発行されたこの新しい本は,主に日常生活の問題を扱っています。この本は,神のことば聖書の新しい研究生たちが,自分たちの生活を義の新秩序のもとで生活するにふさわしい神の道徳上の要求や規準に一致させる助けとなります。
エホバの証人は約13年間,聖書の原語テキストに非常に忠実な現代語の聖書翻訳,新世界訳聖書を使用し,その益を享受してきました。「神の勝利」大会で,新世界訳聖書総合語句索引(英文)が発表され,熱意をもって迎えられました。33万3,000の見出し語を含む1,280ページのこの索引は,聖句を捜し出す上で大きな助けとなることでしょう。
大会で発表されたすべての出版物の中で最も胸を躍らせたのは恐らく,「神の千年王国は近づく」という416ページの本だったでしょう。現在,英語とドイツ語で発行されているこの本は,エホバの証人の会衆によって注意深く考慮されます。この本の研究は昨年の12月から始められています。
神の勝利に与る見込みを確かなものにするようクリスチャンを助けるものとなる,ひとつのすぐれた点がこの本の126,127ページに説明されています。そこには,キリスト以前の昔の忠実な人びとの受ける報いが論じられており,こう書かれています。「彼らは生前培っていた忠誠心を身につけてよみがえらされます。そしてこの忠誠心が,罪から全く自由になること,つまり人間としての現実の完全さに向かう点で彼らを[キリストの千年期の間に,同様に地上に復活させられる]『不義者』よりもすぐれた者とします。いわば彼らは,完全さに向かって『不義者』よりも頭ひとつ先に出発していると言えます」。ですから,今,自分の人格を変える人びとは,死ぬ時まで罪深い事がらに没頭する人びとよりもすぐれた立場に立ちます。後者のような人びとは復活させられた時,永遠の命を目ざすレースにおいてより大きなハンディキャップを負うことになります。というのは彼らには,作り変えねばならない罪に染まった人格があるからです。
エホバの証人に敵対する人の中には,証人たちが聖書の教えに一致して,『不義者』が復活し命を得る機会を持つと述べている点を取り上げて,エホバの証人は「第二の運命」を教えている,と言う人がいます。(使徒 24:15)この本の128,129ページには,罪のうちに生まれ,死に定められている一般の人類はこれまでに「運命」なるものを一度も有したことがない,とはっきり説明されています。(ローマ 8:20,21)実際,千年期の裁きの日が,地上で永遠の命を得る最初の真の機会を人類の大多数に与えるものとなります。
こうした点や,イエスの幾つかのたとえ話の意味を明らかにする説明などを含む他の多くの事がらが,この本を読むすべての聖書研究生を楽しませてくれます。
将来の見込み
5日間にわたった大会の閉会のことばの話し手は,1973年4月の全世界の業を振り返りました。話し手は,その月に170万1,091人のエホバの証人が良いたよりを宣べ伝える業に活発に携わったことを報告しました。これからの拡大の見込みは非常に大きなものです。というのは,その月に126万6,970件の聖書研究が関心を持つ人びとの家で行なわれたからです。毎年行なわれるキリストの死の記念式は,今年は4月17日に行なわれ,388万3,235人が出席しました。
これまでに説明した,(38都市における)41の「神の勝利」大会から寄せられた報告によると,これらの大会に合計140万2,238人が出席し,3万9,313人がバプテスマを受けました。これは,エホバが確かにご自分の民とともにおられることを確証するものです。良いたよりの種をまいている人びとひとりひとりは,その働きが「主にあってむだでない」ことを知り,精力的に業を押し進めるべく勇気づけられます。(コリント第一 15:58)彼らはエホバの能力と,前途にある障害を克服できるように,エホバがご自分のしもべたちに進んで力を与えてくださることに全幅の信頼を置いています。そうした人には,この世に対するエホバご自身の手による最終的勝利に与り,神の勝利に続いてもたらされる永遠の新秩序に生活できるという保証があります。
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昨年の夏,ヒューストン・アストロドームおよび他の37都市の会場を埋めつくしたエホバの証人の大会出席者
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神の勝利について学ぶために,3万1,263人の大群衆が大阪の万博会場お祭り広場に集まった
さらに2万9,577人が韓国のソウルで開かれた国際大会に出席した
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ほとんどの大会で,統治体の成員による話が行なわれた。ここ,ドイツのミュンヘンでは,N・H・ノアが通訳をとおして話している
フランスでは,6万人以上の人びとが聖書の音信を聞きにコロンブ・スタジアムにやって来た
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イタリアの3万人のエホバの証人は,ローマの大会に5万7,000人以上の人びとが出席するのを見て喜んだ
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神の王国に関する強力な音信を載せたパンフレットを全世界で配布する特別な業が発表された
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3万9,000人を超す人びとがバプテスマを受け,神の意志を行なうために自らの献身を象徴した
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大会出席者は,神の意志をすみやかに行なわなかったために,西暦一世紀当時のエルサレムで自分たちの息子を失った親の心境になって,力のこもったこの聖書劇を注視した
エリコのラハブとイスラエルのスパイに関する記録を基にした劇の中では,神がご自分の民を奇跡的な仕方で保護されることが描き出された
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大会の最高潮のひとつは,「神の千年王国は近づく」という新しい本の発表であった