覚えていますか
あなたは最近号の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。そうでしたら,次の点を覚えておられるでしょう。
● クリスチャン会衆の長老たちの主要な役目は何ですか。
長老たちの主要な責任は,会衆の霊的関心事に注意を払うこと。そのためには,「良いたより」の宣明に,また教え,助け,戒め,矯正し,説き勧めることに率先することが求められている。長老たちは各人の霊的福祉に積極的に関心を払わねばならない。―1/1 22-24ページ。a
● 命に至る道はどんな意味で狭いのですか。―マタイ 7:14。
自分自身に,あるいは他の人々に有害な結果を招くような事柄を行なわないよう禁止するという意味で狭い。―1/15 13,14ページ。
● イエスはなぜ,「わたしは世を征服したのです」と言えたのですか。―ヨハネ 16:33。
イエスは世に似ないようにすることによって世を征服した。イエスはご自分が世に染まらないようにされた。―1/15 30ページ。
● 「心が欠けて」いる人は何によって見分けられますか。―箴 6:32; 10:13,21; 12:11。
「心が欠けて」いる人とは,未熟な人,あるいは,間違った行動のもたらす重大な結果を意に介さない人のこと。良い動機を持っていない上に,心の認識が欠けている人。―2/1 20,21ページ。
● 詩篇 16篇7節で,ダビデは腎臓が自分を正すと述べていますが,これはどのように理解できますか。
聖書の中で,腎臓は,人が実際にどんな人間であるか,つまり人の根本的性格を表わしている。体内の非常に奥に位置していることから,腎臓は人の最も奥深いところにある,と言うことができた。ダビデの場合,エホバの忠告はダビデの性格の一部となった。その忠告は,ちょうど腎臓の中にあるかのように,ダビデの内部の深いところに埋められた。それゆえ,ダビデの腎臓,つまりダビデの内部に埋められたエホバの忠告は,目を覚ましていた夜の間ダビデを正すことができた。―2/1 25,26ページ。
● 重大な悪行を犯した人が,会衆に対しても罪を犯したことになり,会衆の許しを求めることが必要になるのはどんな場合ですか。―コリント第二 2:7と比較してください。
会衆の一員による重大な悪行のために,会衆が他の人々から不評を買う場合があるかもしれない。会衆は,その代表である長老たちを通して,悪行者の重大な罪そのものを許すことはできない。それをなさるのはエホバ神だからである。しかし,長老たちは,悪行者が真に悔い改めたかどうかを決定した上で,その人の罪がどんな非難,困難,悲しみを会衆にもたらしていたにせよ,それをしたことに対して彼を許すことができる。―2/15 21ページ。
[脚注]
a 数字はすべて1978年の「ものみの塔」誌のページ数を表わしています。