『平和を求めてそれを追い求めなさい』
1 (イ)この暴力的な世にあって,どのように『平和を求めてそれを追い求める』ことができますか。(ロ)試練となる状況において,わたしたちがエホバに熱心に祈願すべきなのはなぜですか。
今日のように暴力的な世に取り囲まれていても,どのようにすればわたしたちは上に引用された使徒ペテロの助言を守り通すことができるでしょうか。ペテロはその問に答え,『悪いことから離れて善いことを行ないなさい』と述べています。ですから,イエス・キリストの犠牲に対する信仰に基づいてエホバ神との平和な関係に入るよう,真剣に努力することが必要です。そのようにしてからわたしたちは,神がそのみ言葉聖書の中に記しておられる規準にしっかりと従うことにより,平和を追い求めます。「エホバの目は義にかなった者たちの上にあり,その耳は彼らの祈願に向けられるからである。しかしエホバのみ顔は悪を行なう者たちに向かっている」と記されています。(ペテロ第一 3:11,12)邪悪な者たちがわたしたちに悪いことを行なおうとする際には,エホバに熱心に祈願することができます。婦女暴行魔や他の悪行者が立ちはだかったときのように,エホバのみ名を声を出して呼び,助けを求めることができます。―申命記 22:25-27と比較してください。
2 暴力行為に直面した場合,わたしたちはダビデが言い表わしたようなどんな確信を保つことができますか。
2 暴力が行使される状況では,エホバへの全幅の信頼がしばしば生き残るためのかぎとなってきました。エホバの証人はダビデが詩編 18編46,48節の祈りの中で言い表わした確信を保つことにより,何度も祝福を受けてきました。ダビデはこう祈っています。「エホバは生きておられます。わたしの岩がほめたたえられますように。わたしの救いの神が高められるように。神は怒っている敵からいつもわたしを逃れさせてくださる。あなたは,わたしに向かって立ち上がる者たちの上にわたしを引き上げ,暴虐の者からわたしを救い出してくださいます」。そして,「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住む」という神の約束の成就を強い信仰を抱いて待ち望んでいるこれら今日の幾百万ものエホバの証人たちは,「義なる者たちの救いはエホバから来る。神は苦難の時の彼らの要塞である」ということも確信しています。―詩編 37:29,39。
3 (イ)申命記 32章10節とダニエル 3章19-27節は何をわたしたちに示していますか。(ロ)ラハブ,及び現代の一人の開拓者が救出された時の状況は,何を物語っていますか。
3 この暴力的な世においてどんな事態が生じようと,エホバは『ご自分のひとみのようにご自分の民を守る』ことができます。(申命記 32:10。ダニエル 3:19-27)エホバはもし望まれるなら,核による大虐殺のような惨事からご自分の民を保護することさえおできになります。その点は,広島刑務所で迫害を受けていた一人の忠実なエホバの僕が1945年8月6日に経験したことの中に示されています。その日の朝,いつも決まった時間に行っていた場所に行かなかったため,この兄弟は原爆の爆発による被害を受けずにすむ所にいられたのです。a 刑務所の大部分はなぎ倒されましたが,ラハブがエリコの火のような滅びに生き残ったのとほぼ同じく,三浦勝夫は広島が壊滅した時に生き残りました。(ヨシュア 6:23,24)同兄弟は,『原子爆弾によって刑務所から解放され』自分の人生の残りの歳月を開拓奉仕に費やせることをエホバに感謝している,と述べました。(詩編 116:15と比較してください。)わたしたちの主権者なる主,『まことの神,大いなる方,力ある方,その名を万軍のエホバという方』にとって,不可思議なことは一つもありません。―エレミヤ 32:17-19。
エホバの組織と緊密な関係を保ちなさい
4 イザヤ 60章は,この時代の神の組織の状態についてどのように描写していますか。
4 この暴力的な時代に立ち向かってゆくには,母親のようなエホバの組織の優しい導きが必要です。1938年以来,神の民の間の神権的な状態は改善されてきました。その点をエホバは次のように予告しておられました。「わたしは平和をあなたの監督たちとして任命し,義をあなたに労働を割り当てる者たちとして任命する。あなたの地で暴虐が聞かれることも,あなたの境界内で奪略や崩壊が聞かれることももはやない。そして,あなたは必ず自分の城壁を“救い”,自分の門を“賛美”と呼ぶであろう」。世界的なエホバの組織を特徴づけている平和と,義に対する愛は,64年前には数千人しかいなかった王国宣明者の「小さな者」が,地上の205の国々で前進する強力な247万7,000人の「強大な国民」へと成長する面で大きく貢献してきました。野外の報告は,わたしたちが「終わり」に近づくにつれ,エホバが『その時に速やかにそれを行なわれる』ことを示しています。―イザヤ 60:17,18,22。マタイ 24:14。
5 詩編に述べられているように,エホバの民が暴虐のただ中にあっても常に強力であったのはなぜですか。
5 この拡大の多くは,エホバの証人がヒトラーの強制収容所で,また米国においては戦時中の暴徒の襲撃に遭って経験したような暴虐のただ中で達成されました。地上の少なからぬ場所で暴力は引き続き激化しています。近年ではレバノン以上に暴力行為が見られた国も珍しいでしょう。それでもレバノンのわたしたちの兄弟たちは強力です。彼らに強さを保たせているのは何でしょうか。エホバへの全幅の信頼と,集会やクリスチャンとしての他の活動において交わり続けようとする決意です。―詩編 73:28; 149:1。
6 わたしたちは,定期的に集会に出席することをどう見るべきですか。なぜですか。
6 このことは,暴力的な時代には共に集まり合うことを決して忘れてはならないということをわたしたちに思い起こさせるはずです。(ヘブライ 10:24,25)集まり合うことがサタンの世の暴力に対して踏みこたえる面でこれほど重要であるのなら,悪魔のより巧妙な策略に対処するための力を得るためにも,集まり合うことは欠かせません。わたしたちが定期的に集会に出席することは命を意味するのです。
7 (イ)サタンはどのように神の民を堕落させようとしていますか。(ロ)サタンはどんな特別な方法で暴力と不道徳の精神を駆き立てていますか。(ハ)わたしたちはどのように平和を追い求めることができますか。どんな目標を念頭に置いてそうしますか。
7 この恐ろしい時代にサタンは,神の民を,「自分を愛する者,金[と金で買うことができる豪華な物品]を愛する者……神を愛するより快楽を愛する者」とならせて,神の民を堕落させようとしています。これらは,神の民と定期的に交わることからわたしたちを引き離すかもしれない事柄です。(テモテ第二 3:1,2,4)あるテレビ番組やある種のテレビゲームなどが称揚する暴力と不道徳というサタンの精神を吸収することを避け,個人研究や黙想やわたしたちの集会を通して,『永遠の命を意味する』正確な知識を絶えず取り入れ,それを適用し続けるのは何と重要なことなのでしょう!―ヨハネ 17:3。フィリピ 1:9-11。コロサイ 1:9-11。
わたしたちを保護するものはどこにあるか
8 (イ)世俗の多くの人たちは,この暴力的な時代に対してどのような反応を示しますか。(ロ)彼らの歩みが賢明ではないことを,例を用いて示してください。
8 地上の大都市に住む人々は,暴力に対してひどく恐れを感じています。最近のギャラップ調査によると,アメリカ人の45%までが,自宅から一,二キロの所でさえ,夜間に一人で外出することを恐ろしいと感じています。銃を携帯する人は少なくありません。しかし,生じ得る暴力行為に対処するため暴力を行使する備えをするというのは,エホバの証人の取るべき道でしょうか。まだ幼い子供が他の子供を殺すといった“護身用の武器”の関係した事件が頻発していることから,わたしたちは立ち止まって状況を調べてみるよう促されるはずです。職業上銃で人を殺す人が銃を見るや,引き金を引いて相手を射殺するということはよく知られています。ですから,銃を持ち歩く素人は大変危険にさらされることになります。
9 クリスチャンはどこに,またどのように保護となるものを見いだしますか。
9 クリスチャンは,火器を所持することによってではなく,『平和を求めてそれを追い求める』ことによって保護となるものを見いだします。(ペテロ第一 3:11)エホバを信頼することです。犯罪者に直面した時でも,自分がエホバの証人であることを知らせることです。暴力を振るう,と脅すような人に抵抗してはなりません。要求される物質の所有物は相手に与えます。そうしたものより命のほうが大切です。窮地に追い詰められ,脅しをかけられた場合には,助けをエホバに呼び求めてください。「エホバのみ名は強固な塔。義なる者はその中に走り込んで保護される」ということを忘れてはなりません。―箴言 18:10。
10 (イ)護身に関して,エズラ 8章とコリント第二 11章の記録は何を示していますか。(ロ)アフリカとアイルランドからの報告は,火器を携帯することの愚かさについてどんなことを伝えていますか。
10 とはいえ,危険な暴動地区を抜ける時のように,エホバの証人が護身用の火器を携帯したほうが良い場合があるのではないでしょうか。そのようなことは決してない,というのがその答えです。(エズラ 8:21-23,31; コリント第二 11:23-27と比較してください。)アフリカのある国の旅行する監督たちを例に取ってみましょう。近年これらの兄弟たちは,会衆に奉仕する際,幾度も戦闘地域を通過するよう求められました。ゲリラや憲兵隊に呼びとめられた時もありました。火器を所持していることが発覚するなら,命が危うくなったことでしょう。彼らがエホバの証人であることが明らかにされ,暴力的な武器が全くないことが分かると,ほとんど例外なく彼らは目的地へ行くことを許されます。戦争に明け暮れ,「死は風景の一部である」と言われてきた北アイルランドでも同じです。エホバの証人の中立の立場はあまねく知れ渡っており,彼らは平和を愛する者として,カトリックの地域でもプロテスタントの地域でも保護されています。
11 (イ)クリスチャンが死を来たす武器で武装してはならないことを何が明らかにしていますか。(ロ)聖書によれば,わたしたちはだれに信頼を置くべきですか。
11 個々のクリスチャンが襲撃者や侵入者に用いるため,火器や死を来たす他の武器を携帯したり,それを家や他の場所に置いたりすることが得策でないことを聖書は明らかにしており,その点はエホバの証人の現代の経験からも裏付けられています。(イザヤ 2:4。ペテロ第一 3:11)暴力に対して備えをする人は,暴力を身に招きます。むしろクリスチャンはクリスチャンの神であるエホバを第一に信頼すべきです。―詩編 18:48; 140:1,4。箴言 3:5-7。
12 (イ)聖書的に,クリスチャンが警察の保護を求めることができるのはなぜですか。(ロ)クリスチャンは,緊急な場合,火器を使ったり,法律の力を借りずに勝手に制裁を加えたりしますか。
12 世の「上位の権威」はローマ 13章1,4節と調和して,市民と財産を守るべく職務上武装した警察など,治安維持のためのある機関を設けるかもしれません。神に許されているこのような取り決めが,「神の奉仕者であり,悪を習わしにする者に憤りを表明する復しゅう者」と描写されている以上,クリスチャンがそうした機関に対して保護を求めたり,そうした機関から保護されたりするのは当を得たことでしょう。しかし,何であれ手近なものによって自分や家族の者たちを保護する必要があると感じた場合でも,火器は使うべきではありません。法律の力を借りずに勝手に制裁を加えてもなりません。多くの国々では,護身用に火器を所持することさえ不法なこととされています。―マタイ 22:21。出エジプト記 22:2と比較してください。
13 クリスチャンが,護身のために武道を用いないのはなぜですか。
13 では,クリスチャンが個人の護身のために,中国のカンフーのような武道の訓練を受けることはできないでしょうか。次の点に注目しなければなりません。東洋の武術のうちでも最も致死的なこのカンフーは,今から1,400年以上前,中国の聖なる山の一つ,嵩山の山腹にあった少林寺の禅僧たちにより発展したものです。日本の武道 ― 武士道もこの同じ宗教的な源に端を発しています。柔道,剣道,空手の数多くの専門家たちは,今なお宗教的な黙想から霊感を得ています。空手には相手を無力にするという目的があり,その結果としてひどいけがをしたり,死んだりすることがあります。確かに,エホバを信頼する人々は,護身のために武道に頼ることはしません。―箴言 3:31。
14,15 (イ)クリスチャンが食物を得るために狩猟を行なったり動物を殺したりするのはなぜふさわしいことですか。(ロ)しかしどんな事情のために,あるクリスチャンは特別な特権にふさわしくないと判断されるかもしれませんか。なぜですか。
14 クリスチャンが食物を得るため,狩猟用の火器を所持するのはふさわしいことでしょうか。大洪水の後,神は,血は地面に注ぎ出すべきであり食べてはならないが,食物として動物を殺すことは構わない,と言われました。(創世記 9:3,4。申命記 12:23-25)地元の法律で許可される場合,ある証人たちは野生動物から身を守るため,あるいは獲物を仕留めるために銃を持っています。(マタイ 22:21)彼らにとってそれは重要な,また実際的な食糧源かもしれません。しかし,古代と現代の「ニムロデたち」が行なって来たような,楽しみのために,また殺すスリルを味わうために動物の命を奪うことをエホバが是認されるなどとだれも考えるべきではありません。「肉の魂は血にある」以上,これはエホバの目に貴重なものです。b ―レビ記 17:11,14。
15 食物を得るためではなく,単に楽しみのために狩猟を行なっている人のために会衆内のかなりの数の証人たちが心を乱されているなら,その人は不快な評判を立てているのですから,特別な奉仕の特権が与えられる立場にはいないかもしれません。―テモテ第一 3:2。
16 長老たちはどのように助けることができますか。しかし,前述の9節から15節にある聖書的な助言に従わない人々には,どのような結果が生じるかもしれませんか。
16 エホバの証人の一人が,人から襲われたときの身の守りのために火器を携帯したり所持したりすると言い張る場合,もしくは武道を学ぶと言い張る場合も同じです。霊的な長老たちは,状況が改善されるよう当人に助言を与え,また助けるため,速やかな処置を取らなければなりません。(ミカ 4:3)このようにして個人用の武器を携帯し続け,あるいは他の方法で『人を殴ったりする』備えをし続ける人は,すべて会衆内で持つ特別な特権のための資格を失うことになります。―テモテ第一 3:2,3。
軍務以外の仕事における武器の使用
17 大半の証人たちが,武道や火器の携帯と関係した職業を避けるのはなぜですか。
17 職業上他の人に対して用いる武器を携帯する人,もしくは柔道や空手のような武道の訓練を受けるよう求められる人はどうすべきでしょうか。個人的な決定を下す際には,イエスの追随者たちは平和を追い求める,ということを念頭に置かなければなりません。(ローマ 12:17,18)イザヤ 2章4節に記されている事柄を考え,大半のエホバの証人たちはそうした職業を避けます。その仕事の目的が,ローマ 13章4節にある通り一般の人々(あるいは財産)を守ることであるとしても,その武器を使って人の命を奪うことにより流血の罪を引き起こしたり,当人の良心が損なわれたり,仕返しをされて自分が傷を負ったり殺されたりする危険は常にあるのです。(詩編 51:14。民数記 35:11,12,22-25と比較してください。)そのような問題の生じない職業を選んで,そうした危険を避けるのは確かに最善です。
18 (イ)円熟したクリスチャンの見解は世の見解とどのように違いますか。(ロ)清い良心を保つため,クリスチャンはどのように物事を調整する努力を払いますか。
18 この「終わりの日」の期間中,火器の携帯を求められる従業員は少なくありません。銀行の警備員や保安要員,ガードマン,警察官などは,仕事を行なうためには武器を持たなければならないと言われるかもしれません。しかし,『自分に属する人々に必要な物を備える』責務を負っているクリスチャンの場合はどうですか。(テモテ第一 5:8)聖書で訓練された見解は,世の人々の見解とは異なることでしょう。世の人々はそうした武器を自由に携帯できると考えており,生じ得るどんな危険な状況においてであれ,ふさわしいと思える時に自由に武器を使うことができると考えています。(エフェソス 5:15-17)クリスチャンは血の神聖さに関するエホバの見解を思いに留め,流血の罪を避けたいと願うでしょう。(創世記 9:6。詩編 55:23)円熟したクリスチャンは,武装する必要のない職業を見つけようとするはずです。c ある証人たちは,雇用者と話し合い,武器の携帯が求められない仕事に首尾よく変わることができました。
19 調整が施されるまで,兄弟はどんな特権を得る資格がないと言えるかもしれませんか。(コリント第二 13:11)
19 世界がますます暴力的になっている今,わたしたちは武装の関係する職業を続ける兄弟たちをもはや模範的とみなすことはできません。そのような人には変化を遂げるための6か月間の期間が与えられます。もし当人が変化を遂げないなら,その人は会衆内の奉仕の特別な特権や責任を持つ立場にはいません。―テモテ第一 3:2。テトス 1:5,6。
わたしたちは皆,平和を追い求めましょう
20 (イ)平和の道筋が勧められるのはなぜですか。(ロ)厳しい試練にもかかわらず,また死に面しても,忠誠を守る人々にはどんな結果が生じますか。(ハ)あなたはだれを信頼しますか。
20 エホバの証人は平和の道筋を追い求める際に,身体的にも道徳的にも霊的にも保護となるものを幾度となく見いだしてきました。この聖書的な歩みこそ人が従うべき歩みであることは明らかです。忠実なクリスチャンの中から犠牲者が出た数少ない例においては,死を恐れない彼らの態度によって,彼らは早い復活を受けるにふさわしい者となりました。(ヘブライ 11:36-40。啓示 2:10)ヨブの場合のように,サタンが神の民に厳しい試練を課すことをエホバは時折お許しになります。もっとも,忠誠を保ったヨブの場合の最終的な結末は幸福なものでした。(ヨブ 1:18,19; 42:12-15)しかし,この暴力的な時代にどんなことが生じようと,そのことによって忠誠が決して揺り動かされないようにしましょう。神を信頼しましょう。「エホバに関しては,その目はあまねく全地を行き巡っており,ご自分に対して心の全き者たちのためにみ力を表わしてくださるのです」― 歴代第二 16:9。
[脚注]
a 話の全容については,「目ざめよ!」誌の1954年9月8日号(英文)の17-19ページにある「きのこ雲のもとで」と題する記事をご覧ください。
b 「目ざめよ!」誌の1976年7月8日号18-21ページをご覧ください。
c 「ものみの塔」誌の1973年7月1日号,414ページもご覧ください。
どのように答えますか
□ 暴力で脅されるどんな状況においても,クリスチャンはだれに信頼を置くべきですか
□ エホバの組織と親密な関係を保ち,その組織の助言にきちんと従うことにはどんな益がありますか
□ 護身用に火器を携帯したり,武道を学んだりすることが愚かなのはなぜですか
□ 武装して行なう仕事については,クリスチャンに対してどのような道が勧められていますか。なぜですか
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暴力の激化 ― その行きつく先は?
「米ソ間の全面核戦争は……世界人口の約80%の死を招く可能性がある」― カリフォルニア州選出の一上院議員の談話に基づく,1982年3月29日付,ザ・エクスプレス紙の記事。
「狂気の沙汰 ― 米ソ両国の政治指導者たちが……核戦争は実行可能であると信じ込まされる危険がある。言うまでもなく,何らかの核戦争が起きて米ソ両国に備蓄されている核のすべて,もしくはそのかなりの部分が用いられれば,北半球は完全に荒廃するというのが掛け値のないところである」― 平和研究家,フランク・バーナビ博士。1982年12月26日。
「即戦態勢が平和の必要条件であれば,平和が今以上に確実に保証されたことは一度もなかったに違いない。地上には広島級の原爆にして100万発分の核兵器が備蓄されているのに,それでもまだ地上に住む42億人の一人一人につき毎年115ポンドを軍備のために費やすことをとどめるものとなってはいない」― ル・モンド紙に載せられたアンドレ・フォンテーヌの言葉。1983年1月9日付のガーディアン紙に再録。
「核戦争の脅威は増大:国連事務総長談話 ―『新しい,武器の世代を選ぶか,将来の人間の世代を選ぶか,そのどちらかである』と事務総長は語った」― 1983年2月16日付,ニューヨーク・タイムズ紙。デクエヤル事務総長の言葉の引用。
「代は去り,代は来る。しかし,地は定めのない時に至るまで立ちつづける」。「そして,ほんのもう少しすれば,邪悪な者はいなくなる。あなたは必ずその場所に注意を向けるが,彼はいない。しかし柔和な者たちは地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう」。―伝道 1:4。詩編 37:10,11。
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エホバの証人はレバノンのトリポリで暴力的な時期を耐え忍ぶ
「彼らはまさに厳しい時期を幾らか経験したが,決して集会を欠かさなかった。彼らの話によると,地域大会を開いた時に117人からなる一つのグループがある兄弟の家に集まり,最後の姉妹が家に入ったとたんロケット弾が戸口のすぐ外で爆発した。集会の間じゅうロケット弾と迫撃砲の砲弾が雨あられと彼らの周りに浴びせられた。彼らは,表面のそがれた外灯柱や,榴さん弾を浴びた周囲の建物を見せてくれたが,彼らが集まっていたアパートに命中した砲弾は一つもなかった。
「爆撃があったために,あるとき二家族は集会に行くべきかどうか迷っていた。彼らは出かけることに決めたが,そのために彼らは命拾いをした。というのは,集会に行っていた間に一家族の家は爆撃を受けて全壊し,もう一家族の家も榴さん弾の激しい攻撃に遭ったためそこにいたらだれも生き残ることはできなかったからである。
「左派の人々の住む地区に右派が侵入し,そこに住むエホバの証人の一家族は捕らえられて処刑されることとなった。ところが政党員で真理にいないある親族がそのことを伝え聞き,処刑隊が到着する前に彼らのところにやって来た。その親族は彼らを政党の本部に連れて行き,そこで彼らは証人たちの中立の立場についてすべてを説明し,良い証言を行ない,その結果釈放された。この種の話はいくらでもある」― ある訪問者の報告。
[25ページの図版]
暴力には暴力で返しますか,それともエホバを信頼しますか