サタンの計略にしっかり立ち向かいなさい!
「悪魔の計略にしっかり立ち向かえるために,神が備えておられる武具すべてを身に着けなさい」― エフェソス 6:11,新英訳聖書。
1 自分たちに与えられている特権に恥じない生き方をするクリスチャンたちにはどんな分がありますか。
自分たちに与えられている特権に恥じない生き方をする献身したエホバの証人たちは,霊的パラダイスを享受します。彼らの現代の状況を預言的に描写し,神の預言者イザヤはこう書きました。「荒野には公正が必ず住まい,果樹園には義が宿る。そして,真の義の働きは必ず平和となり,真の義の奉仕は定めのない時に至る平穏と安全となる」― イザヤ 32:16,17。
2 わたしたちが警戒を怠ってはならないのはなぜですか。
2 この幸福な状態を維持するには,警戒を怠ってはなりません。悪魔サタンがわたしたちの幸福で繁栄した霊的な地所をうらやんでいるからです。悪魔はマゴグのゴグとして間もなくエホバの民に対する全面的な攻撃を仕掛けます。(エゼキエル 38:8-12)しかし,今現在も手をゆるめているわけでは決してありません。その証拠に,サタンは残されている時の短いことを知り,以前にも増してエホバの僕たちに対する怒りを深めています。―啓示 12:12,17。
3 サタンがエホバの僕たちに対して憤っているのはなぜですか。
3 サタンはこの不義の人間の世を支配しています。(エフェソス 2:1,2。ヨハネ第一 5:19)それらの人々は皆,宇宙主権の大論争に関してサタンの側に付いています。彼らは,だれか人間がエホバ神への忠誠を保てるかどうかとの疑いを差しはさんだサタンに積極的な答えを提出しています。(箴言 27:11)少数のクリスチャンが,悪魔はうぬぼれの強いほらふきで,卑しい偽り者であると証明することでさえ,悪魔を憤らせます。そのため,これらエホバの忠実な僕たちを征服するために,悪魔は自分の意のままになるあらゆる計略,あらゆる悪賢い手管を用います。ですから,「わたしたちのする格闘は,……天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するもの……です」。―エフェソス 6:12。
4 わたしたちが自分の弱点を克服するために努力しなければならないのはなぜですか。
4 したがって,『どうすればこの強力な敵対者にしっかり立ち向かえるだろうか』と自問するのは良いことです。これまで見てきたように,悪魔はクリスチャンをわなに陥れるために,堕落した肉の弱さを用います。わたしたち個人としては怠惰という弱点はないかもしれませんが,誇り高いかもしれません。肉体的快楽に関して放縦ではないかもしれませんが,物質的な利得に関しては貪欲かもしれません。ですから,悪魔がわたしたちから逃げ去るように悪魔に立ち向かい,自分の弱点を克服するために努力する必要があります。―ヤコブ 4:7。
わたしたちの霊的な武具
5 どんな理由のために,わたしたちは完全にそろった,神からの武具を身に着ける必要がありますか。
5 わたしたちの敵対者は同一の計略を何度も繰り返して用い続けています。それで,神の言葉を研究することにより,サタンが聖書時代以来用いてきた計略によく注意することができ,サタンにどのようにしっかり立ち向かえるかが分かります。使徒パウロは,「悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい」と書き,「完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです」とも勧めました。パウロが,「完全にそろった,神からの武具」を身に着けることを強調している点に注目しましょう。神から与えられるこの武具が一つたりとも欠けてしまうのは危険なことでしょう。サタンはその点に気づき,傷を受けやすいその場所にねらいを付けてくる可能性が十分あるからです。このことは霊的な意味でわたしたちの命を奪うものとなりかねません。―エフェソス 6:11,13。
6 『真理を帯として腰に巻く』ためには何が求められますか。
6 同使徒は,『それゆえ,真理を帯として腰に巻き,しっかりと立ちなさい』とまず最初に勧めています。(エフェソス 6:14,15)古代の軍人の帯は,腰あるいは臀部に巻いた革製のベルトでした。多くの場合,そのベルトには小さな金属板が鋲のように打ち込まれ,保護を強化しました。それは兵士の剣ないしは短剣を支えるのにも役立ちました。クリスチャンが真理を腰に巻くとはどのような意味でしょうか。神の言葉の真理を腰に巻くとは,様々な問題を解決するために聖書を用いることができるよう,それを非常にしっかりと身に着けることを意味します。軍人のベルトが保護の手段であったのと同様,真理は重荷を負うための確信をわたしたちに与え,わたしたちを保護します。ですから,わたしたちの思いを神の真理で絶えず満たしておくことは,確かにサタンにしっかり立ち向かうための助けになります。
7 「義の胸当て」を着けるとはどんな意味ですか。
7 次に使徒は『義の胸当てを着ける』ようわたしたちに告げています。(エフェソス 6:14)聖書時代の胸当ては,小札,鎖の輪,あるいは堅い金属でできており,特に心臓<ハート>を守るのに役立ちました。この義の胸当てを身に着けるために,何よりも『わたしたちの心<ハート>を守ら』なければなりません。(箴言 4:23)そうして初めて,わたしたちはエホバに仕えるための動機づけと,自分がエホバの民の間で道徳的に汚れた影響力とならないようにする清い生活を送るための動機づけとを与えられて,サタンにしっかり立ち向かうことができます。―ペテロ第一 1:14-16。
8 『平和の良いたよりの装備を足にはく』ことには何が関係していますか。
8 パウロは次いで,『平和の良いたよりの装備を足にはく』ことについて述べています。(エフェソス 6:15)それはこの場合どのような意味ですか。イエスは70人の福音宣明者たちに,「どこでも家の中に入ったなら,まず,『この家に平和がありますように』と言いなさい」と教えられましたが,それに倣った平和的な方法で王国の音信を宣べ伝える面で非常な熱心さを保つことを意味します。(ルカ 10:5)わたしたちは人々と議論をするために訪れるのではありません。むしろ,慰め・喜び・思いの平安・希望を人々にもたらすために訪れるのです。サタンは,一部の聴き手の中に,反対と議論好きな態度をかき立てようとし,わたしたちも同じような反応を示すように仕向けます。ですから,サタンの謀りごとにしっかり立ち向かうには,巧みで忍耐強くあり,「あらゆる人に対してあらゆるものと」なることが必要です。―コリント第一 9:19-23。
9 古代の盾と火矢はどのようなものでしたか。
9 使徒は次のように助言を続けます。「信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます」。(エフェソス 6:16)ここで「大盾」と訳されているギリシャ語は,体の大部分を保護するほど大きなものを指しています。「火矢」に関して言えば,ローマ人は燃えるナフサを満たした小さな容器の付いた中空の葦で投げ槍を時々作りました。パウロはそのような火の付いた投げ槍に言及していたのかもしれません。
10 サタンは「火矢」として何を用いていますか。
10 サタンはクリスチャンに様々な種類の「火矢」を放ちます。これらの「矢」の中には,神の民に敵が向ける嘲笑,非難,中傷などが含まれます。彼らの宣教活動の成果が上がっていないように思えたり,肉的な弱さを克服する面で進歩が見られなかったりするためにクリスチャンの兵士を落胆させようとする一部の人々の努力がその「矢」になることもあります。また,辛辣な言葉,皮肉,偽りの申し立てなどもそれに含まれます。時にサタンは世の知恵に対する好奇心をかき立てることにより,クリスチャンを傷つけてきました。世の知恵はオカルトや,人間の起源や運命に関する哲学に関係しているからです。こうした「サタンの奥深い事柄」を避けるために一生懸命努力すべきです。あなたはそうされますか。―啓示 2:24。
11 わたしたちの霊的な盾の大きさと効果性は何に依存していますか。
11 サタンの「火矢」からわたしたちの心を守るために,大きな強い信仰の盾が必要です。それがどれほど大きく,どれほど堅牢なものになるかは,大部分わたしたちに依存しています。聖書の個人研究,神の言葉の黙想,仲間のエホバの証人との交わりのためによい時をどれほど買い取るか,その程度に応じてわたしたちは必要な保護を得ることになるのです。言うまでもなく,『業のない信仰は死んだもの』ですから,わたしたちは学ぶ事柄を適用する必要があります。(ヤコブ 2:26)したがって,わたしたちの信仰を大きくし,強くし,それによってしっかり立つことができるための最善の方法の一つは,他の人に信仰を教え込むことに対して熱心な努力を払うということです。
12 わたしたちの霊的なかぶととは何ですか。それはわたしたちにとってどんな価値がありますか。
12 パウロは続けて,「また,救いのかぶと……を受け取りなさい」と述べています。(エフェソス 6:17)古代において,あるかぶとはイグサで,別のものは刺し子縫いした亜麻布や皮,さらには金属で作られていました。(サムエル第一 17:38)しかし,わたしたちの霊的なかぶとは何でできていますか。パウロはテサロニケのクリスチャンたちに,「冷静さを保ち,……かぶととして救いの希望を身に着けていましょう」と述べました。(テサロニケ第一 5:8)そうです,希望はサタンとその手下が加える様々な打撃や傷からわたしたちを守ることができるのです。聖書に基づいた強力な「希望が失望に至ることはありません」。(ローマ 5:5)このような希望は,物質主義的な宣伝に負けないようわたしたちを守ります。それは,まず神の王国を求めるようにとの動機づけをわたしたちに与えるからです。―マタイ 6:33。ルカ 12:31。
13 「霊の剣」とは何ですか。それにはどんな価値がありますか。
13 最後には,攻撃用の唯一の武具である「霊の剣,すなわち神の言葉」が挙げられています。(エフェソス 6:17)ここで「剣」と訳されているギリシャ語は,短剣に似た短めの剣のことであり,接近して行なわれる戦いを示唆しています。神の言葉の正確な知識があれば,偽りの教えを刺し通し,切り払い,そこに論理性が欠けていることや,特に聖書と矛盾していることを暴露することができます。(コリント第二 10:4)わたしたちはこれを誇りの気持ちからではなく,神と真理と仲間の人間に対する愛から行ないます。幸いにも,わたしたちはキリスト教の出版物の助けを得て,『命の言葉をしっかりつかむ』ことができます。―フィリピ 2:16。
助けとしての,クリスチャンの特質
14 (イ)わたしたちに誇るべき理由がないのはなぜですか。(ロ)サタンにしっかり立ち向かうために謙遜である必要があるのはなぜですか。
14 霊的な武具に加えて,クリスチャンの特質も,悪魔にしっかり立ち向かうための助けになります。サタンは誇りの気持ちを突いてくるので,わたしたちが謙遜さと健全な思いの霊を持つことは,サタンと闘う際の助けとなるでしょう。実際,クリスチャンはだれも,「自分のことを必要以上に考え」るべきではありません。割り当てられた事すべてを行なったときには,「わたしたちは何の役にも立たない奴隷です。わたしたちのしたことは,当然すべきことでした」と言えるようでなければなりません。加えて,サタンにしっかり立ち向かうには,神の過分のご親切が必要であり,その過分のご親切をいただくためには謙遜でなければなりません。「神はごう慢な者に敵し,謙遜な者に過分のご親切を施される」からです。―ローマ 12:3。ルカ 17:10。ヤコブ 4:6。
15 しっかり立つため,自制にはどんな価値がありますか。
15 サタンにしっかり立ち向かう上で助けとなるもう一つのクリスチャンの特質は,自制です。怒りのような感情を抑え切れず,飲食や性に耽溺するなら,わたしたちは悪魔の攻撃や巧みな扱いにさらされやすくなります。「自分の肉の欲望にしたがって生活し」ていたとき,わたしたちは実際には,「この世の事物の体制にしたがい,また空中の権威の支配者[悪魔サタン],不従順の子らのうちにいま働いている霊にしたがって」歩んでいました。(エフェソス 2:1-3)利己的で汚れた考えや感情の赴くままになっているなら,悪魔の意志を行なわせようとする悪魔のわなに陥る危険があります。(テモテ第二 2:26)サタンにしっかり立ち向かうために,わたしたちの言動に加えて,考えと感情をしっかりと制御しなければなりません。徳があり,義にかない,貞潔で愛すべき事柄について考えるようわたしたちの思いを訓練しなければなりません。―フィリピ 4:8。
16 利他的な愛が,しっかり立つための助けになれるのはなぜですか。
16 とりわけ,利他的な愛は,わたしたちが悪魔サタンにしっかり立ち向かうための助けになります。サタンはわたしたちのうちに何らかの利己的な傾向を見て取るや,直ちにその点を突いてきます。エホバへの奉仕と崇拝に利他的な愛ゆえにどの程度忙しく携わっているかに応じて,サタンの攻撃に耐えることができるようになります。わたしたちが心と魂と思いと力をこめてエホバを愛するとしたら,サタンにはわたしたちに関してどれほどの勝ち目があるでしょうか。愛があれば,他の人の救いにも気遣いを示すようになり,このことはわたしたち自身の救いを確実にするのに役立ちます。(マルコ 12:30,31。テモテ第一 4:16)わたしたちが様々な形の愛を表わし示す限り,目に見えるかどうかにかかわらず,サタンもそのどんな手下も,彼らに立ち向かうわたしたちの立場を弱めることはできません。―コリント第一 13:4-8。
17 しっかり立つ上で祈りが非常に重要なのはなぜですか。
17 サタンの計略にしっかり立ち向かうことができるためには,祈りを十分に活用することも必要です。なぜでしょうか。わたしたちは,自分自身の力だけでは全く勝利を収めることができないからです。高いところからの助けが必要です。パウロは霊的な武具について述べた後,「あらゆる祈りと祈願」を用い,「すべての機会に霊によって祈(る)」よう仲間の信者たちに勧めました。その目的のために,彼らは使徒パウロを含め『すべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめている』べきでした。―エフェソス 6:18,19。
18,19 (イ)賛美と感謝はどのようにわたしたちを助けますか。(ロ)請願と祈願にはどんな価値がありますか。
18 「あらゆる祈り」には何が含まれますか。一つの祈りの形は賛美です。エホバがどんな方かということや,その特質,宇宙におけるその立場を考えると,確かにエホバは賛美に値する方です。(詩編 33:1)別の形の祈りは感謝です。「あらゆる良い賜物,またあらゆる完全な贈り物」の与え主であられる方に感謝すべき理由は何と多いのでしょう!(ヤコブ 1:17)ごく当然のことながら,わたしたちは,「その愛ある親切に対して,人の子らへのそのくすしいみ業に対して,……エホバに感謝するように」と諭されています。(詩編 107:31)感謝の念に満ちた心と思いを持つとき,わたしたちはサタンにしっかり立ち向かう助けを確かに得ます。
19 請願は別の形の祈りです。知恵(ヤコブ 1:5),聖霊(ルカ 11:13),罪の許し(ヨハネ第一 1:9; 2:1,2),わたしたちの努力に対する神の祝福(詩編 90:17)などを願い求めるのはふさわしいことです。祈願もあります。それは,はなはだしい苦難や危険に面したときにエホバ神に熱心に懇願することを指しています。そのわけで,パウロは投獄された際,自分のために祈願をして欲しいと頼みました。(エフェソス 6:18-20)これらの形の祈りは,わたしたちがサタンにしっかり立ち向かうよう確かに助けてくれます。
しっかり立つよう決心しなさい
20,21 わたしたちはどのように,完全に勝利を収めることができますか。
20 今日,エホバの民は集団として確かに霊的パラダイスの祝福を享受しています。しかし,わたしたちが個人としてこの祝福に絶えずあずかるには,それを当然のこととみなしてはなりません。警戒を怠らず,わたしたちの敵対者である悪魔サタンにしっかり立ち向かわなければなりません。―ペテロ第一 5:8,9。
21 これまで見てきたように,悪魔は数々の計略を持っており,わたしたちの忠誠を打ち砕いてエホバ神への奉仕をやめさせることをその謀りごととしています。しかし,もしわたしたちが神からの霊的な武具を絶えず身に着け,愛や自制のような霊の実を培い続け,たゆまず祈るなら,わたしたちはサタンにうまくだまされることはありません。ですから,神エホバからの愛ある助けを得れば,サタンの計略にしっかり立ち向かうため十分に備えることになるのです。
覚えていますか
□ サタンがエホバの僕たちに対して憤っているのはなぜですか
□ クリスチャンの霊的な武具は何からなっていますか
□ サタンの「火矢」にはどんなものがありますか。しかしわたしたちにはそれらを防ぐどんな保護物がありますか
□ 悪魔にしっかり立ち向かうためにわたしたちが謙遜であるべきなのはなぜですか
□ しっかり立つために祈りが非常に重要なのはなぜですか
[17ページの図版]
定期的に祈ることは,家族がサタンの攻撃に抵抗するための助けとなる