離婚は許されるべきですか
アイルランド共和国の有権者たちは,1986年6月,3対2で離婚禁止に賛成票を投じました。これにより西ヨーロッパでは,離婚を依然非合法とする国はアイルランドだけとなりました。
自由主義的な態度や考えが一般の風潮となっているものの,離婚という,感情的要素の強い問題に関しては,ほとんどの人が依然,自分たちの背景に大きく左右されるようです。人種,教育,社会的諸要素がみな関係してきますが,中でも最も重要な単一の影響力として残るのは宗教があるかないかということです。
離婚に関してあなたはどんな意見をお持ちですか。もし夫婦が一緒に暮らすことに苦痛を覚え,性格の不一致がはっきりしているなら,離婚によってその苦痛を解消することを許されるべきでしょうか。この問いにあなたはどうお答えですか。もっと大切なこととして,何に基づいてその答えを出されますか。
相反するさまざまな意見
ローマ・カトリックの基準を守る多数の人々にとって,離婚などというものは存在しません。「クリスチャンの結婚の場合,少なくとも床入りにより結婚が完了したあとは,[再婚の権利を伴う]絶対的な離婚はあり得ない」と,カトリック百科事典は述べています。それでもローマ・カトリック教会は,特定の状況においては無効宣告<アナルメント>を行ないますが,この方法は広く用いられています。例えば,1986年4月にデンバー・ポスト紙は次のように伝えました。「地元のカトリック教徒による結婚無効宣告の要求があまりにも多いので,デンバー大司教区は,その仕事をさばくために増員されたスタッフと1台のコンピューターに対し,25万㌦(約3,250万円)を費やしている」。その記事はさらに,「デンバー大司教区には,3年分に当たる未処理の無効宣告ケースが700件ある」と述べています。
世界に何百とある宗派に属する新教徒は,離婚に関する非常に多くの教会法や規定に直面します。しかし,一般に新教の当局者は,重大な理由があるときにのみ離婚を許します。ところが重大とみなされる事柄は,教会によって大きく異なります。普通の場合,姦淫,虐待,遺棄などの罪は理由として受け入れられますが,決してそうした事柄だけではありません。今では,結婚式の時のように,賛美歌を歌い,祈りをささげて,離婚式の礼拝を行なう宗派さえあります。「結婚の誓いは撤回され,カップルは結婚指輪を牧師に渡す。牧師が結婚の解消を発表すると礼拝は終了し,両人は握手をする」といった離婚式もある,とニューヨーク・タイムズ紙は伝えています。
ユダヤ教徒には,宗教裁判所によって実施される伝統があります。ラビの法律は,配偶者同士の合意,または身体的障害や耐え難い振る舞いのいずれかに基づいて離婚を許します。しかし,この離婚は夫が“離縁状”つまり離婚証明書を出したときにのみ,合法的な離婚と考えられています。この離婚証明書は争いの種になることがあります。憤慨して証明書を出そうとしなかったり,証明書を取り引きの材料にする夫がいるからです。「この問題で何千人もの敬虔なユダヤ教徒の女性たちが,結婚上不安定な位置に置かれて苦しんでいる」と,ニューヨーク市議会の議長,アンドリュー・ステインは,ラビや弁護士その他の出席した会合の席上で述べています。今のイスラエル国家では,離縁状がなければ女性側の再婚は違法とみなされていて,生まれてくる子供はみな,禁じられた結婚によって生まれた子という汚名を着せられます。
無宗教の人や無神論者の場合は,国の法律に従うことになると思われますが,これとて簡単な問題ではありません。というのは,離婚に関する法律は国によって異なり,一国の中でも地域によって異なるからです。ある権威者は,米国のいろいろな地域で合法的とされる離婚理由を50ほど列挙しています。「甚だしい不行跡や悪意」,「結婚生活を続けられる可能性がありそうにない」,「妻が,夫と一緒にこの州に移転することを拒否する」といった理由も含まれています。最近は,正邪の観念の最後の名残すら,普通に無過失離婚と呼ばれるものによって,ぬぐい去られてしまいました。
依然,複雑な状況
離婚に関するこれら種々様々の,相反する法規は聖書に基づくものであると言われてはいますが,それらは婚姻制度を強化し,人の幸福を増進することに成功しているでしょうか。離婚率の上昇 ― 国によっては二組に一組が離婚 ― を見れば,その答えは明白です。それらの法律は結婚のきずなを強めることに成功していないだけでなく,多くの人々の生活を一層惨めで苦しいものにしています。
その点を考えると,正しい事柄を行なうことに純粋の関心を抱く人々は,この問題に関して聖書が実際には何を教えているかを知ることが重要になってきます。