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  • 塔研20 11月号 18–23ページ
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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
塔研20 11月号 18–23ページ

研究記事47

あなたは進すすんで自じ分ぶんを正ただしますか

「最さい後ごに,兄きょう弟だいたち,これからも喜よろこび,正ただされ……てください」。コリント第だい二に 13:11

54番ばんの歌うた 「これが道みちである」

何なにを学まなぶかa

1. マタイ 7章しょう13,14節せつによると,私わたしたちはどんな旅たびをしていると言いえますか。

私わたしたちは皆みな,旅たびをしています。目もく的てき地ちは,愛あい情じょう深ぶかいエホバが治おさめる新あたらしい世せ界かいです。私わたしたちは命いのちに至いたる道みちを歩あゆもうと毎まい日にち努ど力りょくしています。しかし,イエスが言いった通とおり,この道みちは狭せばめられていて,歩あゆむのが難むずかしいこともあります。(マタイ 7:13,14を読よむ。)私わたしたちは完かん全ぜんではないので,この道みちからそれてしまう傾けい向こうがあります。(ガラ 6:1)

2. この記き事じでは,どんな点てんを考かんがえますか。(「謙けん遜そんであることは自じ分ぶんを正ただすのに役やく立だつ」も参さん照しょう。)

2 命いのちに至いたる狭せまい道みちを歩あゆみ続つづけたいと思おもうなら,自じ分ぶんの考かんがえ方かたや態たい度どや行こう動どうを進すすんで正ただす必ひつ要ようがあります。使し徒とパウロはコリントのクリスチャンに,これからも自じ分ぶんを正ただすよう勧すすめました。(コリ二に 13:11)このアドバイスは私わたしたちにも当あてはまります。この記き事じでは,次つぎの点てんを考かんがえます。聖せい書しょは,私わたしたちが自じ分ぶんを正ただすのにどのように役やく立だちますか。クリスチャンとして十じゅう分ぶんに成せい長ちょうした仲なか間まは,私わたしたちが命いのちに至いたる道みちを歩あゆみ続つづけられるよう,どのように助たすけてくれますか。どんな場ば合あいに,エホバの組そ織しきからの指し示じに従したがうのが難むずかしく思おもえるかもしれませんか。謙けん遜そんであることは,エホバに仕つかえる喜よろこびを失うしなわずに自じ分ぶんを正ただしていく上うえでどのように役やく立だちますか。

Collage: 1組の夫婦が,山に向かう狭い道を歩いている。その途中には,自分を正すための3つの方法が示されている。7,9,14節で,それぞれの方法が説明されている。

謙けん遜そんであることは自じ分ぶんを正ただすのに役やく立だつ

  • 神かみの言こと葉ば

    私わたしたちが正ただしい道みちからそれそうになる時とき,神かみの言こと葉ばはそのことに気き付づかせてくれる。謙けん遜そんであれば,神かみの言こと葉ばによって自じ分ぶんの間ま違ちがった考かんがえ方かたを正ただすことができる。(7節せつを参さん照しょう。)

  • 仲なか間まのクリスチャン

    クリスチャンとして十じゅう分ぶんに成せい長ちょうした仲なか間まが親しん切せつに指し摘てきしてくれることもある。そういう時とき,仲なか間まが勇ゆう気きを持もって話はなしてくれたことに感かん謝しゃするだろうか。(9節せつを参さん照しょう。)

  • 神かみの組そ織しき

    神かみの組そ織しきは,聖せい書しょのアドバイスを当あてはめるのに役やく立だつ,出しゅっ版ぱん物ぶつやビデオや集しゅう会かいを用よう意いしている。統とう治ち体たいは,私わたしたちの活かつ動どうの仕し方かたに調ちょう整せいを加くわえることもある。(14節せつを参さん照しょう。)

神かみの言こと葉ばによって自じ分ぶんを正ただす

3. 神かみの言こと葉ばはどのように役やく立だちますか。

3 自じ分ぶんの考かんがえ方かたや感かんじ方かたを調しらべるのは,簡かん単たんなことではありません。心こころは信しん用ようできず,正ただしい方ほう向こうに導みちびいてくれるとは限かぎりません。(エレ 17:9)私わたしたちは,心こころに欺あざむかれて「間ま違ちがった考かんがえ方かたをして」しまうことがよくあります。(ヤコ 1:22)ですから,神かみの言こと葉ばを使つかって自じ分ぶん自じ身しんを調しらべる必ひつ要ようがあります。神かみの言こと葉ばは,私わたしたちの心こころの奥おく底そこにある「考かんがえや願ねがい」を明あきらかにします。(ヘブ 4:12,13)レントゲン装そう置ちを使つかうと物ものの内うち側がわが見みえるように,聖せい書しょを使つかうと私わたしたちの内ない面めんを見みることができます。しかし,聖せい書しょの教おしえや,教おしえ導みちびく役やく割わりを与あたえられている兄きょう弟だいたちからのアドバイスを当あてはめるには,謙けん遜そんでなければなりません。

4. サウル王おうが謙けん遜そんさを失うしなってしまったことは,どんなことから分わかりますか。

4 謙けん遜そんであることの大たい切せつさについて,サウル王おうの例れいから考かんがえてみましょう。サウルは誇ほこりの気き持もちが強つよくなって,自じ分ぶんの考かんがえ方かたや行こう動どうを正ただす必ひつ要ようがあることを認みとめようとしませんでした。(詩し 36:1,2。ハバ 2:4)次つぎのようなことがありました。サウルは,アマレク人じんを打うち破やぶった後あとどうすべきかについて,エホバから明めい確かくな指し示じを与あたえられていましたが,その通とおりにしませんでした。預よ言げん者しゃサムエルにそのことを指し摘てきされても,サウルは自じ分ぶんの間ま違ちがいを認みとめませんでした。それどころか,指し示じに従したがわなかったのは大たいしたことではないと考かんがえ,責せき任にんを部ぶ下かたちに押おし付つけて,自じ分ぶんを正せい当とう化かしようとしました。(サム一いち 15:13-24)サウルは以い前ぜんにも,同おなじようにしたことがありました。(サム一いち 13:10-14)残ざん念ねんなことに,心こころが傲ごう慢まんになっていたのです。サウルは考かんがえ方かたを正たださなかったので,エホバから戒いましめられ,退しりぞけられてしまいました。

5. サウルのようにならないために,どんなことができますか。

5 サウルのようにならないために,次つぎのように考かんがえるのは良よいことです。「聖せい書しょのアドバイスを読よんでも,これは自じ分ぶんには当あてはまらないと考かんがえることが多おおいだろうか。従したがわなくても大たいしたことではないと思おもうだろうか。責せき任にんをほかの人ひとに押おし付つけることがあるだろうか」。1つでも心こころ当あたりがあるなら,考かんがえ方かたや態たい度どを正ただす必ひつ要ようがあります。そうしないと,心こころが傲ごう慢まんになり,エホバから退しりぞけられてエホバの友ともでいることはできなくなってしまいます。(ヤコ 4:6)

6. ダビデはサウルとどのように対たい照しょう的てきでしたか。

6 サウル王おうと対たい照しょう的てきだったのは,その後あとを継ついだダビデです。ダビデは「エホバの律りっ法ぽう」を愛あいする人ひとでした。(詩し 1:1-3)エホバが謙けん遜そんな人ひとを救すくい,傲ごう慢まんな人ひとに敵てき対たいする,ということを知しっていました。(サム二に 22:28)それで,神かみの律りっ法ぽうによって自じ分ぶんの考かんがえ方かたを正ただしました。こう書かいています。「私わたしは,助じょ言げんしてくださったエホバを賛さん美びする。夜よる,自じ分ぶんの奥おく底そこの考かんがえによって正ただされる」。(詩し 16:7)

兄弟が聖書を読んでいる。

神かみの言こと葉ば

私わたしたちが正ただしい道みちからそれそうになる時とき,神かみの言こと葉ばはそのことに気き付づかせてくれる。謙けん遜そんであれば,神かみの言こと葉ばによって自じ分ぶんの間ま違ちがった考かんがえ方かたを正ただすことができる。(7節せつを参さん照しょう。)

7. 謙けん遜そんな人ひとは,どのように行こう動どうしますか。

7 謙けん遜そんであれば,神かみの言こと葉ばによって間ま違ちがった考かんがえ方かたを正ただすことができ,間ま違ちがったことをせずに済すみます。神かみの言こと葉ばは,私わたしたちにこう語かたり掛かけています。「これが道みちである。この道みちを歩あゆみなさい」。私わたしたちが正ただしい道みちから右みぎや左ひだりにそれそうになる時とき,そのことに気き付づかせてくれるのです。(イザ 30:21)エホバの声こえに耳みみを傾かたむけることは,多おおくの面めんで私わたしたちのためになります。(イザ 48:17)例たとえば,誰だれかに間ま違ちがいを指し摘てきされて恥はずかしい思おもいをする,ということを避さけられます。また,エホバが私わたしたちを子こ供どものようにかわいがってくれていることを実じっ感かんして,エホバをいっそう身み近ぢかに感かんじることができます。(ヘブ 12:7)

8. ヤコブ 1章しょう22-25節せつからすると,どうすれば聖せい書しょを鏡かがみのように使つかうことができますか。

8 神かみの言こと葉ば 聖せい書しょは鏡かがみのような働はたらきをします。(ヤコブ 1:22-25を読よむ。)私わたしたちは毎まい朝あさ出で掛かける前まえにたいてい鏡かがみを見みます。そうすれば,人ひとに見みられる前まえに,身みだしなみを整ととのえることができます。同おなじように,毎まい日にち聖せい書しょを読よむなら,自じ分ぶんの考かんがえ方かたや態たい度どをどのように正ただすべきかが分わかります。多おおくの人ひとは,毎まい朝あさ出で掛かける前まえに日ひ々びの聖せい句くを読よむと良よい,と感かんじています。読よんだことを一いち日にち中じゅう思おもい巡めぐらし,聖せい書しょのアドバイスをどのように当あてはめられるかを考かんがえることができるからです。それに加くわえて,私わたしたちは聖せい書しょを毎まい日にち読よんで黙もく想そうすることを習しゅう慣かんにする必ひつ要ようがあります。これは基き本ほん的てきなことに思おもえるかもしれませんが,命いのちに至いたる狭せまい道みちを歩あゆみ続つづけるために欠かかせないことなのです。

仲なか間まの言こと葉ばに耳みみを傾かたむける

クリスチャンとして十分に成長した姉妹が,奉仕中に年下の姉妹と話している。

仲なか間まのクリスチャン

クリスチャンとして十じゅう分ぶんに成せい長ちょうした仲なか間まが親しん切せつに指し摘てきしてくれることもある。そういう時とき,仲なか間まが勇ゆう気きを持もって話はなしてくれたことに感かん謝しゃするだろうか。(9節せつを参さん照しょう。)

9. どんな場ば合あいに,仲なか間まから正ただされることがあるかもしれませんか。

9 あなたは,命いのちに至いたる道みちからそれかけたことがありますか。(詩し 73:2,3)その時とき,クリスチャンとして十じゅう分ぶんに成せい長ちょうした仲なか間まが勇ゆう気きを持もって話はなしてくれたかもしれません。あなたはそのアドバイスに耳みみを傾かたむけて当あてはめましたか。もしそうしたのであれば,それは立りっ派ぱなことです。仲なか間まが正ただしてくれたことにきっと感かん謝しゃしていることでしょう。(格かく 1:5)

10. 仲なか間まから正ただされた時ときは,どうすると良よいと思おもいますか。

10 聖せい書しょには,「忠ちゅう実じつな友ともは傷きずを負おわせ[る]」とあります。(格かく 27:6)どういう意い味みでしょうか。例たとえで考かんがえてみましょう。あなたは交こう通つう量りょうの多おおい道みちを渡わたろうとしています。しかし,携けい帯たい電でん話わに気きを取とられて,左さ右ゆうをよく見みずに道みちを渡わたり始はじめてしまいます。その時とき,友とも達だちがあなたの腕うでをつかんで歩ほ道どうに引ひき戻もどしてくれます。とても強つよくつかまれたのであざができてしまいましたが,おかげで車くるまにひかれずに済すみました。つかまれた所ところが何なん日にちか痛いたむとしても,その友とも達だちに文もん句くを言いったりはしないでしょう。助たすけてくれたことを感かん謝しゃするはずです。同おなじように,自じ分ぶんの言こと葉ばや行こう動どうが神かみの正ただしい基き準じゅんに沿そっていないと仲なか間まから指し摘てきされると,最さい初しょは傷きずつくかもしれません。しかし,腹はらを立たてたり文もん句くを言いったりしてはなりません。それは愚おろかなことです。(伝でん 7:9)仲なか間まが勇ゆう気きを持もって話はなしてくれたことに感かん謝しゃしましょう。

11. 仲なか間まからのせっかくの良よいアドバイスを退しりぞけてしまう原げん因いんには何なにがありますか。

11 親しん切せつな仲なか間まからせっかく良よいアドバイスをもらっても,それを退しりぞけてしまう原げん因いんには何なにがありますか。誇ほこりの気き持もちです。誇ほこりの気き持もちがある人ひとは,「自じ分ぶんたちが聞ききたい話はなしをしてもらう」ことを好このみ,「真しん理りに耳みみを傾かたむけなくなり」ます。(テモ二に 4:3,4,脚きゃく注ちゅう)自じ信しん過か剰じょうになって,自じ分ぶんにはアドバイスなど必ひつ要ようないと考かんがえます。しかし,使し徒とパウロはこう書かいています。「本ほん当とうは何なに者ものでもないのに,自じ分ぶんは大たいした者ものだと考かんがえる人ひとは,間ま違ちがった見み方かたをしています」。(ガラ 6:3)また,ソロモン王おうもこう述のべています。「年としを取とっているのに愚おろかで警けい告こくを受うけ入いれない王おうよりも,貧まずしくても賢かしこい子こ供どもの方ほうがよい」。(伝でん 4:13)

12. ガラテア 2章しょう11-14節せつにある使し徒とペテロの例れいから何なにを学まなべますか。

12 使し徒とペテロの例れいを考かんがえてみましょう。ペテロはみんなの前まえでパウロから正ただされました。(ガラテア 2:11-14を読よむ。)あんな所ところであんな言いい方かたをしなくても,と腹はらを立たててもおかしくありませんでした。でも,ペテロは賢かしこい判はん断だんをしました。アドバイスを受うけ入いれ,パウロを恨うらんだりはしませんでした。それどころか,後のちにパウロのことを「愛あいする兄きょう弟だい」と呼よんでいます。(ペテ二に 3:15)

アドバイスをする前まえに…

13節せつを参さん照しょう。b

  • 「アドバイスが本ほん当とうに必ひつ要ようだろうか」と考かんがえる。

アドバイスをする時ときは…

  • 問もん題だい点てんをはっきり伝つたえる。

  • 聖せい書しょに基もとづいて話はなす。

  • イエスのように思おもいやりを示しめす。

13. アドバイスをする時ときには,どんなことに気きを付つける必ひつ要ようがありますか。

13 仲なか間まにアドバイスをしなければならないと感かんじる時ときには,どんなことに気きを付つける必ひつ要ようがありますか。仲なか間まに話はなす前まえに,こう考かんがえましょう。「私わたしは『正ただしさにあまりにこだわって』いないだろうか」。(伝でん 7:16)正ただしさにあまりにこだわると,エホバの基き準じゅんではなく自じ分ぶんの基き準じゅんで人ひとを判はん断だんしてしまい,厳きびしい見み方かたをしがちです。慎しん重ちょうに考かんがえた上うえで,それでも話はなす必ひつ要ようがあると思おもうなら,どうしますか。問もん題だい点てんをはっきり伝つたえ,質しつ問もんを使つかって相あい手ての気き持もちを引ひき出だしてください。相あい手ての気き持もちや考かんがえ方かたが分わかると,間ま違ちがいに気き付づくよう助たすけやすくなります。聖せい書しょに基もとづいて話はなすようにしましょう。あなたが行おこなうべきなのは,仲なか間まを批ひ判はんすることではなく,エホバの気き持もちを理り解かいできるように助たすけることだからです。(ロマ 14:10)神かみの言こと葉ばの知ち恵えに従したがい,アドバイスをする時ときには,イエスのように思おもいやりを示しめしましょう。(格かく 3:5。マタ 12:20)私わたしたちが人ひとに思おもいやりを示しめすなら,エホバも私わたしたちに思おもいやりを示しめしてくださるからです。(ヤコ 2:13)

神かみの組そ織しきからの指し示じに従したがう

兄弟が集会の話を注意深く聞いている。

神かみの組そ織しき

神かみの組そ織しきは,聖せい書しょのアドバイスを当あてはめるのに役やく立だつ,出しゅっ版ぱん物ぶつやビデオや集しゅう会かいを用よう意いしている。統とう治ち体たいは,私わたしたちの活かつ動どうの仕し方かたに調ちょう整せいを加くわえることもある。(14節せつを参さん照しょう。)

14. 神かみの組そ織しきは私わたしたちのために何なにを用よう意いしていますか。

14 エホバはご自じ分ぶんの組そ織しきの地ち上じょうの部ぶ分ぶんを用もちいて,私わたしたちが命いのちに至いたる道みちを歩あゆみ続つづけられるよう導みちびいてくださいます。神かみの組そ織しきは,聖せい書しょに収おさめられているアドバイスを当あてはめるのに役やく立だつ,ビデオや出しゅっ版ぱん物ぶつや集しゅう会かいを用よう意いしています。これらは全すべて,聖せい書しょに基もとづいているので信しん頼らいできます。統とう治ち体たいは,伝でん道どう活かつ動どうをどのように行おこなっていくのが一いち番ばん良よいかを決きめるに当あたって,聖せいなる力ちからの導みちびきを求もとめます。それだけでなく,過か去こに下くだした決けっ定ていに調ちょう整せいが必ひつ要ようかどうかにいつも気きを配くばっています。「今いまの世よのありさまは変かわっていく」ので,神かみの組そ織しきも状じょう況きょうの変へん化かに対たい応おうしていく必ひつ要ようがあるからです。(コリ一いち 7:31,脚きゃく注ちゅう)

15. どんな時ときに難むずかしさを感かんじるかもしれませんか。

15 聖せい書しょの教おしえや道どう徳とく基き準じゅんに関かんする説せつ明めいが組そ織しきから新あらたに与あたえられた場ば合あい,私わたしたちは進すすんで受うけ入いれることでしょう。しかし,私わたしたちの生せい活かつに影えい響きょうするような変へん更こうが加くわえられた場ば合あいはどうでしょうか。例たとえば,最さい近きんでは,崇すう拝はいに関かん連れんした施し設せつの建けん設せつやメンテナンスのために,ますます多おおくの資し金きんが必ひつ要ようになっています。それで統とう治ち体たいは,王おう国こく会かい館かんをできるだけ有ゆう効こうに活かつ用ようするよう指し示じしています。その結けっ果か,会かい衆しゅうの合がっ併ぺいや王おう国こく会かい館かんの売ばい却きゃくが行おこなわれてきました。こうした工く夫ふうによって得えられた資し金きんは,王おう国こく会かい館かんがいっそう必ひつ要ようとされている地ち域いきでの建けん設せつプロジェクトに使つかわれています。自じ分ぶんの住すんでいる地ち域いきで王おう国こく会かい館かんの売ばい却きゃくや会かい衆しゅうの合がっ併ぺいが行おこなわれる場ば合あい,状じょう況きょうの変へん化かに対たい応おうすることに難むずかしさを感かんじるかもしれません。王おう国こく会かい館かんがこれまでより遠とおくなるかもしれません。王おう国こく会かい館かんの建けん設せつやメンテナンスを一いっ生しょう懸けん命めい行おこなっていた人ひとなら,「なぜ売ばい却きゃくされるのだろう。自じ分ぶんの時じ間かんや努ど力りょくは無む駄だになった」と思おもうかもしれません。それでも,こうした調ちょう整せいにみんなが協きょう力りょくしています。それは本ほん当とうに立りっ派ぱなことです。

16. コロサイ 3章しょう23,24節せつにあるアドバイスは,喜よろこびを保たもつ上うえでどのように役やく立だちますか。

16 私わたしたちはエホバのために働はたらいており,エホバはご自じ分ぶんの組そ織しきを導みちびいておられます。このことを忘わすれないなら,喜よろこびを保たもつことができます。(コロサイ 3:23,24を読よむ。)ダビデ王おうは良よい手て本ほんを残のこしました。神しん殿でん建けん設せつのために寄き付ふをした時とき,こう言いいました。「このように自じ発はつ的てきな捧ささげ物ものをする立たち場ばに立たたせていただけるとは,私わたしも私わたしの民たみも何なに者ものだというのでしょう。全すべてのものはあなたから来きていますので,私わたしたちはあなたから頂いただいたものを捧ささげたにすぎません」。(代だい一いち 29:14)私わたしたちが寄き付ふをする時ときも,エホバから頂いただいたものを捧ささげているにすぎません。それでも,私わたしたちが自じ分ぶんの時じ間かんや体たい力りょくや資し産さんを用もちいてエホバのために働はたらくなら,エホバはとても喜よろこんでくださいます。(コリ二に 9:7)

狭せまい道みちを歩あゆみ続つづける

17. 自じ分ぶんの歩あゆみを正ただす必ひつ要ように気き付づいても,がっかりしなくてよいのはなぜですか。

17 命いのちに至いたる狭せまい道みちを歩あゆみ続つづけるには,イエスの歩あゆみにしっかり付ついていかなければなりません。(ペテ一いち 2:21)自じ分ぶんの歩あゆみを正ただす必ひつ要ように気き付づいても,がっかりしないでください。それは,エホバの指し示じに従したがいたいと思おもっていることの表あらわれだからです。エホバは,不ふ完かん全ぜんな私わたしたちにイエスの手て本ほんに完かん璧ぺきに倣ならうよう求もとめたりはされません。

18. 目もく的てき地ちにたどり着つくために,何なにをする必ひつ要ようがありますか。

18 将しょう来らいに目めを向むけ,自じ分ぶんの考かんがえ方かたや態たい度どや行こう動どうを進すすんで正ただしていきましょう。(格かく 4:25。ルカ 9:62)謙けん遜そんさを保たもち,「これからも喜よろこび,正ただされ」るようにしましょう。(コリ二に 13:11)そうすれば,「愛あいと平へい和わの神かみが共ともにいてくださいます」。エホバは,私わたしたちが喜よろこびを持もって狭せまい道みちを歩あゆみ続つづけられるように,そして新あたらしい世せ界かいという目もく的てき地ちにたどり着つけるように,助たすけてくださるのです。

謙けん遜そんさはどのように役やく立だちますか

  • 自じ分ぶんの考かんがえ方かたや行こう動どうを正ただす時とき

  • 仲なか間まから正ただされる時とき

  • 神かみの組そ織しきからの指し示じに従したがうために

34番ばんの歌うた 高こう潔けつさを捨すてずに歩あゆむ

a 自じ分ぶんの考かんがえ方かたや態たい度どや行こう動どうを変かえるのは,簡かん単たんなことではありません。この記き事じでは,誰だれもが自じ分ぶんを正ただす必ひつ要ようがあるのはどうしてか,自じ分ぶんを正ただす時ときに喜よろこびを保たもつにはどうすればよいかを考かんがえます。

b 写しゃ真しんや挿さし絵え: 若わかい兄きょう弟だい(左ひだり)が自じ分ぶんの失しっ敗ぱいについて打うち明あけている。年ねん長ちょうの兄きょう弟だいは静しずかに耳みみを傾かたむけ,アドバイスが必ひつ要ようかどうか考かんがえている。

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