研究記事15
あなたは 言 こと 葉 ば の 点 てん で 手 て 本 ほん となっていますか
「言 こと 葉 ば ……の点 てん で,忠 ちゅう 実 じつ な人 ひと たちの手 て 本 ほん となってください」。テモテ第 だい 一 いち 4:12
90 番 ばん の 歌 うた 励 はげ まし合 あ いましょう
何 なに を 学 まな ぶか
1. 私 わたし たち人 にん 間 げん に,話 はな す能 のう 力 りょく があるのはなぜですか。
私 わたし たちが持 も っている話 はな す能 のう 力 りょく は,愛 あい 情 じょう 深 ぶか いエホバ神 かみ からの贈 おく り物 もの です。最 さい 初 しょ の人 にん 間 げん アダムは,創 そう 造 ぞう された後 あと すぐに,天 てん のお父 とう さんエホバと会 かい 話 わ することができました。また,新 あたら しい言 こと 葉 ば を作 つく って語 ご 彙 い を増 ふ やしていくこともできました。アダムはこの能 のう 力 りょく を用 もち いて全 すべ ての動 どう 物 ぶつ に名 な 前 まえ を付 つ けていきました。(創 そう 2:19 )そして,美 うつく しい妻 つま エバと初 はじ めて話 はな した時 とき には,感 かん 激 げき したことでしょう。(創 そう 2:22,23 )
2. 過 か 去 こ から現 げん 代 だい に至 いた るまで,話 はな す能 のう 力 りょく はどのように誤 ご 用 よう されてきましたか。
2 しかし,話 はな す能 のう 力 りょく はすぐに誤 ご 用 よう されてしまいました。悪 あく 魔 ま サタンがエバにうそをつき,その結 けっ 果 か ,人 にん 間 げん は罪 つみ を犯 おか し,不 ふ 完 かん 全 ぜん になりました。(創 そう 3:1-4 )アダムは,自 じ 分 ぶん が失 しっ 敗 ぱい したのはエバのせいだ,またエホバのせいだ,と言 い いました。(創 そう 3:12 )カインは弟 おとうと のアベルを殺 ころ した後 あと ,エホバに対 たい してうそをつきました。(創 そう 4:9 )そして,カインの子 し 孫 そん であるレメクが作 つく った詩 し から,当 とう 時 じ の人 ひと 々 びと がどれほど暴 ぼう 力 りょく 的 てき だったかを読 よ み取 と ることができます。(創 そう 4:23,24 )では,現 げん 代 だい はどうでしょうか。政 せい 治 じ 家 か の中 なか には,人 ひと 前 まえ でも平 へい 気 き で汚 きたな い言 こと 葉 ば を使 つか う人 ひと がいます。汚 きたな い言 こと 葉 ば が出 で てこない映 えい 画 が はほとんどありません。若 わか い人 ひと たちは学 がっ 校 こう で,大人 おとな は職 しょく 場 ば でそうした言 こと 葉 ば を耳 みみ にします。このように汚 きたな い言 こと 葉 ば があふれていることは,世 よ の中 なか がますます悪 わる くなっていることの表 あらわ れです。
3. 私 わたし たちはどんなことに注 ちゅう 意 い する必 ひつ 要 よう がありますか。この記 き 事 じ ではどんなことを考 かんが えますか。
3 気 き を付 つ けていないと,私 わたし たちはこうした汚 きたな い言 こと 葉 ば に慣 な れてしまい,自 じ 分 ぶん でも使 つか うようになってしまうかもしれません。私 わたし たちはクリスチャンとして,エホバに喜 よろこ ばれることを行 おこな いたいと思 おも っています。その ためには,良 よ くない言 こと 葉 ば を決 けっ して使 つか わないようにする必 ひつ 要 よう があります。私 わたし たちは,話 はな す能 のう 力 りょく を正 ただ しい仕 し 方 かた で用 もち いて,エホバに賛 さん 美 び がもたらされるようにしたいと思 おも っています。この記 き 事 じ では,どうすれば(1)宣 せん 教 きょう で,(2)集 しゅう 会 かい で,(3)普 ふ 段 だん の会 かい 話 わ でそうすることができるかを取 と り上 あ げます。でもまず,エホバが私 わたし たちの言 こと 葉 ば に深 ふか い関 かん 心 しん を持 も っているのはなぜかを考 かんが えましょう。
エホバは 私 わたし たちの 言 こと 葉 ば に 深 ふか い 関 かん 心 しん を 持 も っている
言 こと 葉 ば は心 こころ の中 なか にあるものを明 あき らかにする。自 じ 分 ぶん の言 こと 葉 ば はどうだろうか。(4-5節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
4. マラキ 3章 しょう 16節 せつ によると,エホバが私 わたし たちの言 こと 葉 ば に深 ふか い関 かん 心 しん を持 も っているのはなぜですか。
4 マラキ 3:16 を 読 よ む。 エホバは,ご自 じ 分 ぶん を畏 おそ れ,ご自 じ 分 ぶん の名 な について思 おも い巡 めぐ らす人 ひと の名 な 前 まえ を「記 き 録 ろく の書 しょ 」に記 しる しておられます。それはなぜでしょうか。私 わたし たちの言 こと 葉 ば には,私 わたし たちの心 こころ の中 なか にあるものが表 あらわ れます。イエスも,「心 こころ に満 み ちあふれているものが口 くち から出 で ます」と言 い いました。(マタ 12:34 )私 わたし たちの言 こと 葉 ば から,私 わたし たちがエホバをどれほど愛 あい しているかが分 わ かります。そしてエホバは,ご自 じ 分 ぶん を愛 あい する人 ひと たちが新 あたら しい世 せ 界 かい でいつまでも幸 しあわ せに暮 く らすことを願 ねが っています。
5. (ア)私 わたし たちの言 こと 葉 ば と崇 すう 拝 はい にはどんな関 かん 係 けい がありますか。(イ)写 しゃ 真 しん に示 しめ されているように,言 こと 葉 ば の使 つか い方 かた に関 かん してどんなことに注 ちゅう 意 い する必 ひつ 要 よう がありますか。
5 私 わたし たちが話 はな す言 こと 葉 ば が良 よ いものかどうかは,私 わたし たちの崇 すう 拝 はい がエホバに受 う け入 い れられるかどうかを左 さ 右 ゆう します。(ヤコ 1:26 )エホバを愛 あい していない人 ひと たちの中 なか には,攻 こう 撃 げき 的 てき で厳 きび しく高 こう 慢 まん な話 はな し方 かた をする人 ひと がいます。(テモ二 に 3:1-5 )私 わたし たちはそうした人 ひと たちのようになりたいとは思 おも っていません。エホバに喜 よろこ ばれる話 はな し方 かた をしたいと思 おも っています。とはいえ,集 しゅう 会 かい や奉 ほう 仕 し の時 とき には優 やさ しく親 しん 切 せつ な話 はな し方 かた をしていても,誰 だれ も見 み ていないところでは,家 か 族 ぞく に対 たい して冷 つめ たくて厳 きび しい話 はな し方 かた をするとしたらどうでしょうか。エホバは喜 よろこ ぶでしょうか。(ペテ一 いち 3:7 )
6. キンバリー姉 し 妹 まい が良 よ い話 はな し方 かた をしたことは,どんな結 けっ 果 か につながりましたか。
6 話 はな す能 のう 力 りょく を正 ただ しく用 もち いるなら,自 じ 分 ぶん がエホバを崇 すう 拝 はい していることを示 しめ すことができます。そして,周 まわ りの人 ひと たちは,「神 かみ に仕 つか える人 ひと と仕 つか えない人 ひと の違 ちが い」を理 り 解 かい することになるでしょう。(マラ 3:18 )キンバリー姉 し 妹 まい の場 ば 合 あい がまさにそうでした。 姉 し 妹 まい は,クラスメートの女 おんな の子 こ と一 いっ 緒 しょ に学 がっ 校 こう の課 か 題 だい に取 と り組 く むことになりました。やがてその子 こ は,キンバリー姉 し 妹 まい がほかの子 こ たちとは違 ちが うことに気 き 付 づ きました。姉 し 妹 まい はほかの人 ひと の陰 かげ 口 ぐち を言 い ったり汚 きたな い言 こと 葉 ば を使 つか ったりせず,親 しん 切 せつ な話 はな し方 かた をしていました。その子 こ は,こうしたことがきっかけで関 かん 心 しん を持 も ち,聖 せい 書 しょ レッスンを始 はじ めました。私 わたし たちが人 ひと 々 びと を真 しん 理 り に引 ひ き寄 よ せるような良 よ い話 はな し方 かた をするなら,エホバはそれを見 み てとても喜 よろこ んでくださいます。
7. エホバから与 あた えられた話 はな す能 のう 力 りょく をどのように用 もち いたいと思 おも いますか。
7 私 わたし たちは誰 だれ もが,良 よ い話 はな し方 かた をすることによって,エホバをたたえ,仲 なか 間 ま の兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい といっそう親 した しくなりたい,と思 おも っています。では,「言 こと 葉 ば 」の点 てん で引 ひ き続 つづ き「手 て 本 ほん とな[る]」ためにどんなことができるか,考 かんが えていきましょう。
宣 せん 教 きょう で 手 て 本 ほん となる
宣 せん 教 きょう で親 しん 切 せつ に話 はな すなら,エホバは喜 よろこ んでくださる。(8-9節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
8. イエスは宣 せん 教 きょう の際 さい にどんな話 はな し方 かた をしましたか。
8 ひどいことを 言 い われても, 親 しん 切 せつ に 敬 けい 意 い を 込 こ めて 話 はな す。 イエスは宣 せん 教 きょう を行 おこな っていた間 あいだ に,人 ひと 々 びと から大 おお 酒 ざけ 飲 の み,大 おお 食 ぐ い,悪 あく 魔 ま の使 つか い,安 あん 息 そく 日 び を破 やぶ る者 もの ,神 かみ を冒 ぼう 瀆 とく する者 もの といった真 しん 実 じつ でないことを言 い われました。(マタ 11:19; 26:65。 ルカ 11:15。 ヨハ 9:16 )それでもイエスは,厳 きび しい口 く 調 ちょう で言 い い返 かえ したりはしませんでした。私 わたし たちもイエスに倣 なら うようにしましょう。ひどいことを言 い われても,言 い い返 かえ したりしてはいけません。(ペテ一 いち 2:21-23 )もちろん,このように親 しん 切 せつ を示 しめ すのは簡 かん 単 たん ではありません。(ヤコ 3:2 )では,どんなことが助 たす けになるでしょうか。
9. 宣 せん 教 きょう で良 よ い話 はな し方 かた をするためにどんなことが助 たす けとなりますか。
9 誰 だれ かからひどいことを言 い われた時 とき には,相 あい 手 て の状 じょう 況 きょう を考 かんが えるようにしましょう。サム兄 きょう 弟 だい はこう言 い っています。「私 わたし は,この家 いえ の人 ひと は真 しん 理 り を聞 き く必 ひつ 要 よう があるということや,変 へん 化 か する可 か 能 のう 性 せい があるということを考 かんが えるようにしています」。家 いえ の人 ひと が腹 はら を立 た てたのは,たまたまタイミングが悪 わる い時 とき に私 わたし たちが訪 ほう 問 もん したからかもしれません。ルシア姉 し 妹 まい は,ひどいことを言 い われた時 とき に,短 みじか く祈 いの り,穏 おだ やかな気 き 持 も ちを保 たも てるよう,また不 ふ 親 しん 切 せつ な言 こと 葉 ば や失 しつ 礼 れい な言 こと 葉 ば を言 い ったりしないよう,エホバに助 たす けを求 もと めます。私 わたし たちも同 おな じようにすることができます。
10. テモテ第 だい 一 いち 4章 しょう 13節 せつ からすると,どんなことを目 もく 標 ひょう にできますか。
10 教 おし える 技 ぎ 術 じゅつ を 磨 みが く。 テモテは宣 せん 教 きょう の面 めん で経 けい 験 けん を積 つ んでいましたが,教 おし える技 ぎ 術 じゅつ を磨 みが く必 ひつ 要 よう がありました。( テモテ 第 だい 一 いち 4:13 を 読 よ む。) 私 わたし たちはどうすれば教 おし える技 ぎ 術 じゅつ を磨 みが けるでしょうか。よく準 じゅん 備 び することが大 たい 切 せつ です。感 かん 謝 しゃ すべきことに,こうした点 てん で役 やく 立 だ つさまざまな道 どう 具 ぐ が用 よう 意 い されています。「読 よ むことと教 おし えることに励 はげ む 」の冊 さっ 子 し や,「クリスチャンとしての生 せい 活 かつ と奉 ほう 仕 し 集 しゅう 会 かい ワークブック」の「野 や 外 がい 奉 ほう 仕 し に励 はげ む」の部 ぶ 分 ぶん を調 しら べるなら,役 やく 立 だ つ情 じょう 報 ほう を見 み つけることができます。こうした資 し 料 りょう を活 かつ 用 よう していますか。よく準 じゅん 備 び して宣 せん 教 きょう を行 おこな うなら,緊 きん 張 ちょう せずに自 じ 信 しん を持 も って語 かた ることができるでしょう。
11. 教 おし える技 ぎ 術 じゅつ を磨 みが くために,どんなことをしている兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい がいますか。
11 会 かい 衆 しゅう の兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい の手 て 本 ほん からも学 まな ぶことができます。先 さき ほどのサム兄 きょう 弟 だい は,「あの人 ひと たちはどうしてあんなに教 おし えるのが上 じょう 手 ず なんだろう」と考 かんが えるようにしています。そして,その人 ひと たちの教 おし え方 かた を分 ぶん 析 せき し,自 じ 分 ぶん でも同 おな じようにしてみています。タリア姉 し 妹 まい は,経 けい 験 けん を積 つ んだ兄 きょう 弟 だい たちが公 こう 開 かい 講 こう 演 えん でどのように説 せつ 明 めい しているかを注 ちゅう 意 い 深 ぶか く聞 き いています。そのようにして,宣 せん 教 きょう でよく尋 たず ねられることにどのように答 こた えたらよいかを学 まな んでいます。
集 しゅう 会 かい で 手 て 本 ほん となる
集 しゅう 会 かい で心 こころ を込 こ めて歌 うた うなら,エホバを賛 さん 美 び できる。(12-13節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
12. どんなことに難 むずか しさを感 かん じる人 ひと がいますか。
12 私 わたし たち一人 ひとり 一人 ひとり が賛 さん 美 び の歌 うた に加 くわ わり,よく準 じゅん 備 び したコメントをするなら,集 しゅう 会 かい はいっそう有 ゆう 意 い 義 ぎ なものになります。(詩 し 22:22 )とはいえ,多 おお くの人 ひと がいる所 ところ で歌 うた ったりコメントしたりすることに難 むずか しさを感 かん じる人 ひと もいるかもしれません。あなたもそう感 かん じますか。もしそうであれば,兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい がそうした不 ふ 安 あん にどのように立 た ち向 む かっているかを知 し りたいと思 おも いませんか。
13. 集 しゅう 会 かい で心 こころ を込 こ めて歌 うた う上 うえ で,どんなことが役 やく 立 だ ちますか。
13 心 こころ を 込 こ めて 歌 うた う。 私 わたし たちが王 おう 国 こく の歌 うた を歌 うた う主 おも な目 もく 的 てき は,エホバを賛 さん 美 び することです。サラ姉 し 妹 まい は,自 じ 分 ぶん はあまり歌 うた が上 じょう 手 ず ではないと思 おも っていますが,歌 うた でエホバを賛 さん 美 び したいと願 ねが っています。姉 し 妹 まい は,集 しゅう 会 かい の予 よ 習 しゅう をするのと同 おな じように,歌 うた についても前 まえ もって準 じゅん 備 び しておくことが役 やく 立 だ つと感 かん じています。それで,集 しゅう 会 かい で歌 うた う歌 うた を練 れん 習 しゅう し,歌 か 詞 し と集 しゅう 会 かい で学 まな ぶ内 ない 容 よう がどのように関 かん 連 れん しているかを考 かんが えるようにしています。姉 し 妹 まい はこう言 い っています。「そうすることによって,歌 か 詞 し に思 おも いを向 む けることができ,上 じょう 手 ず に歌 うた うことができるかはあまり気 き にならなくなりました」。
14. 内 うち 気 き な人 ひと が集 しゅう 会 かい でコメントする上 うえ で,どんなことが役 やく 立 だ ちますか。
14 毎 まい 回 かい の 集 しゅう 会 かい でコメントする。 そうするのはとても難 むずか しいと感 かん じる人 ひと もいます。先 さき ほどのタリア姉 し 妹 まい はこう言 い います。「声 こえ にはあまり表 あらわ れないので,周 まわ りの人 ひと は気 き 付 づ きませんが,私 わたし は人 ひと 前 まえ で話 はな す時 とき にすごく緊 きん 張 ちょう します。それで,コメントをするのはとても大 たい 変 へん です」。それでも,姉 し 妹 まい は頑 がん 張 ば って コメントを続 つづ けています。集 しゅう 会 かい の予 よ 習 しゅう をする時 とき には,最 さい 初 しょ のコメントは質 しつ 問 もん に対 たい する短 みじか くて直 ちょく 接 せつ 的 てき な答 こた えであるべきだ,ということを思 おも いに留 と めています。姉 し 妹 まい はこう言 い っています。「ですから,短 みじか くて要 よう 点 てん を突 つ いたコメントであれば良 よ いということです。司 し 会 かい 者 しゃ はそういうコメントを期 き 待 たい しているんです」。
15. コメントに関 かん してエホバはどんなことを願 ねが っていますか。
15 特 とく に内 うち 気 き ではなくても,コメントするのをためらってしまう人 ひと もいます。なぜでしょうか。ジュリエット姉 し 妹 まい はこう言 い います。「私 わたし のコメントなんて,短 みじか いし,どうせ大 たい したものではない,と思 おも うと,手 て が挙 あ がらないことがあります」。でも,エホバが願 ねが っているのは,私 わたし たちがコメントをするために自 じ 分 ぶん にできることを行 おこな うことです。 私 わたし たちが恐 おそ れに負 ま けずに集 しゅう 会 かい でエホバを賛 さん 美 び するよう努 ど 力 りょく するなら,エホバはとても喜 よろこ んでくださいます。
普 ふ 段 だん の 会 かい 話 わ で 手 て 本 ほん となる
16. どんな言 こと 葉 ば を避 さ ける必 ひつ 要 よう がありますか。
16 あらゆる 種 しゅ 類 るい の「 暴 ぼう 言 げん 」を 避 さ ける。 (エフェ 4:31 )先 さき ほど考 かんが えた通 とお り,クリスチャンは汚 きたな い言 こと 葉 ば を決 けっ して使 つか うべきではありません。とはいえ,注 ちゅう 意 い していないと,気 き 付 づ かないうちに「暴 ぼう 言 げん 」を言 い ってしまうことがあるかもしれません。例 たと えば,文 ぶん 化 か や民 みん 族 ぞく や国 こく 籍 せき が違 ちが う人 ひと について話 はな している時 とき に,比 ひ 較 かく してネガティブなことを言 い ってしまわないように気 き を付 つ ける必 ひつ 要 よう があります。また,人 ひと を悪 わる く言 い うような言 こと 葉 ば にも注 ちゅう 意 い する必 ひつ 要 よう があります。1人 ひとり の兄 きょう 弟 だい はこう言 い っています。「私 わたし は時 とき 々 どき ,皮 ひ 肉 にく っぽいことを言 い って人 ひと を傷 きず つけてしまうことがあります。悪 わる 気 ぎ はないのですが,面 おも 白 しろ いことを言 い おうとして相 あい 手 て の気 き 持 も ちを深 ふか く傷 きず つけてしまうことがあるんです。この点 てん で妻 つま はずっと助 たす けになってくれています。妻 つま やほかの人 ひと を傷 きず つけるようなことを言 い ってしまった時 とき には,2人 ふたり だけの時 とき にそのことに気 き 付 づ かせてくれます」。
17. エフェソス 4章 しょう 29節 せつ からすると,どうすれば人 ひと を元 げん 気 き づけることができますか。
17 励 はげ みとなる 言 こと 葉 ば を 語 かた る。 不 ふ 満 まん や不 ふ 平 へい を言 い うのではなく,人 ひと を褒 ほ めるようにしましょう。( エフェソス 4:29 を 読 よ む。) イスラエル人 じん は,感 かん 謝 しゃ できることがたくさんあったにもかかわらず,繰 く り返 かえ し不 ふ 満 まん を口 くち にしました。不 ふ 満 まん は伝 でん 染 せん します。約 やく 束 そく の地 ち を偵 てい 察 さつ するために遣 つか わされた人 ひと たちのうち10人 にん が悪 わる い報 ほう 告 こく をした時 とき ,どうなったでしょうか。「イスラエル人 じん は皆 みな モーセ……に対 たい して不 ふ 満 まん を口 くち にし始 はじ め」ました。(民 みん 13:31–14:4 )一 いっ 方 ぽう ,褒 ほ め言 こと 葉 ば には人 ひと を元 げん 気 き づける力 ちから があります。エフタの娘 むすめ は,友 とも たちからの褒 ほ め言 こと 葉 ば のおかげで,自 じ 分 ぶん の務 つと めをしっかり果 は たそう,という気 き 持 も ちを強 つよ めることができたに違 ちが いありません。(裁 さば 11:40 )先 さき ほど出 で てきたサラ姉 し 妹 まい はこう言 い います。「誰 だれ かを褒 ほ めるなら,その人 ひと にエホバや会 かい 衆 しゅう の人 ひと たちから愛 あい されているということを感 かん じてもらえます」。ですから,機 き 会 かい を見 み つけて心 こころ からの褒 ほ め言 こと 葉 ば を語 かた るようにしましょう。
18. 詩 し 編 へん 15編 へん 1,2節 せつ によると,正 しょう 直 じき に語 かた る必 ひつ 要 よう があるのはなぜですか。それにはどんなことが含 ふく まれますか。
18 正 しょう 直 じき に 語 かた る。 正 しょう 直 じき でないなら,エホバに喜 よろこ んでいただくことはできません。エホバはあらゆるうそを憎 にく むからです。(格 かく 6:16,17 )現 げん 代 だい では,多 おお くの人 ひと がうそをつくことを普 ふ 通 つう のことと考 かんが えています。でも,私 わたし たちはエホバの基 き 準 じゅん にしっかり従 したが います。( 詩 し 編 へん 15:1,2 を 読 よ む。) あからさまなうそをつくことはもちろん,間 ま 違 ちが った印 いん 象 しょう を与 あた えるような話 はな し方 かた もしません。
会 かい 話 わ が消 しょう 極 きょく 的 てき になった時 とき ,話 わ 題 だい を積 せっ 極 きょく 的 てき なものに変 か えるなら,エホバは喜 よろこ んでくださる。(19節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
19. どんな点 てん にも注 ちゅう 意 い すべきですか。
19 有 ゆう 害 がい なうわさ 話 ばなし を 広 ひろ めないようにする。 (格 かく 25:23。テサ二 に 3:11 )先 さき ほど出 で てきたジュリエット姉 し 妹 まい は,有 ゆう 害 がい なうわさ話 ばなし を聞 き くとどんな気 き 持 も ちになるかについてこう述 の べています。「良 よ くないうわさ話 ばなし を聞 き くと嫌 いや な気 き 持 も ちになりますし,その話 はなし をしている人 ひと を信 しん 用 よう できなくなります。その人 ひと がほかの所 ところ で私 わたし のことを悪 わる く言 い わない,とは言 い い切 き れないからです」。会 かい 話 わ が有 ゆう 害 がい なうわさ話 ばなし になりかけていることに気 き 付 づ いたなら,話 わ 題 だい を変 か えて前 まえ 向 む きなことを話 はな すようにしましょう。(コロ 4:6 )
20. あなたは自 じ 分 ぶん の話 はな す能 のう 力 りょく をどのように用 もち いていきたいと思 おも いますか。
20 良 よ くない話 はな し方 かた が当 あ たり前 まえ になっている世 よ の中 なか で,エホバに喜 よろこ ばれる話 はな し方 かた をするには,大 おお きな努 ど 力 りょく が求 もと められます。話 はな す能 のう 力 りょく はエホバからの贈 おく り物 もの であり,エホバは私 わたし たちがその贈 おく り物 もの をどのように用 もち いるかに深 ふか い関 かん 心 しん を持 も っています。私 わたし たちが宣 せん 教 きょう や集 しゅう 会 かい や普 ふ 段 だん の会 かい 話 わ で良 よ い話 はな し方 かた をするよう真 しん 剣 けん に努 ど 力 りょく するなら,エホバは必 かなら ず祝 しゅく 福 ふく してくださいます。神 かみ を敬 うやま わないこの体 たい 制 せい は,間 ま もなく終 お わります。その時 とき が来 く れば,言 こと 葉 ば でエホバを賛 さん 美 び するのは今 いま よりずっと楽 らく になることでしょう。(ユダ 15 )では,それまでの間 あいだ ,エホバに喜 よろこ ばれる仕 し 方 かた で自 じ 分 ぶん の「口 くち の言 こと 葉 ば 」を用 もち いるよう励 はげ んでいきましょう。(詩 し 19:14 )
121 番 ばん の 歌 うた 自 じ 制 せい が必 ひつ 要 よう