1. 現 げん 代 だい の多 おお くの人 ひと は,知 ち 恵 え の呼 よ び掛 か けに対 たい してどんな反 はん 応 のう を示 しめ していますか。(格 かく 言 げん 1:20,21 )
多 おお くの国 くに では,人 ひと 通 どお りが多 おお い場 ば 所 しょ で伝 でん 道 どう 者 しゃ が道 みち 行 ゆ く人 ひと に笑 え 顔 がお で出 しゅっ 版 ぱん 物 ぶつ を提 てい 供 きょう している様 よう 子 す をよく目 め にします。あなたもこの活 かつ 動 どう に参 さん 加 か したことがありますか。もしあるなら,「格 かく 言 げん の書 しょ 」に載 の せられている例 たと えについて考 かんが えたことがあるでしょう。知 ち 恵 え がアドバイスを聞 き くようにと広 ひろ 場 ば で呼 よ び掛 か けているという例 たと えです。( 格 かく 言 げん 1:20,21 を 読 よ む。) 聖 せい 書 しょ や出 しゅっ 版 ぱん 物 ぶつ には,「真 しん の知 ち 恵 え 」つまりエホバの知 ち 恵 え が収 おさ められています。これは,人 ひと 々 びと が永 えい 遠 えん の命 いのち を得 え る上 うえ で欠 か かせないものです。私 わたし たちは,誰 だれ かが出 しゅっ 版 ぱん 物 ぶつ を受 う け取 と るとうれしく感 かん じます。とはいえ,全 すべ ての人 ひと が受 う け取 と るわけではありません。聖 せい 書 しょ について知 し りたくないと考 かんが えている人 ひと もいれば,あざ笑 わら う人 ひと もいます。そうした人 ひと たちは,聖 せい 書 しょ は時 じ 代 だい 遅 おく れだと考 かんが えているのです。また,聖 せい 書 しょ の道 どう 徳 とく 基 き 準 じゅん を批 ひ 判 はん して,その基 き 準 じゅん に従 したが う人 ひと のことを厳 きび しくて独 ひと り善 よ がりだと言 い う人 ひと もいます。それでも,エホバは愛 あい の気 き 持 も ちから,全 すべ ての人 ひと が真 しん の知 ち 恵 え を得 え られるようにしています。どのようにでしょうか。
2. どうすれば真 しん の知 ち 恵 え を得 え ることができますか。しかし,多 おお くの人 ひと はどうしていますか。
2 エホバはご自 じ 分 ぶん の言 こと 葉 ば である聖 せい 書 しょ を用 もち いて,人 ひと 々 びと が真 しん の知 ち 恵 え の声 こえ を聞 き けるようにしています。ほとんど全 すべ ての人 ひと が,聖 せい 書 しょ を自 じ 分 ぶん の理 り 解 かい できる言 げん 語 ご で手 て に入 い れることができます。エホバの証 しょう 人 にん の出 しゅっ 版 ぱん 物 ぶつ についてはどうでしょうか。エホバの祝 しゅく 福 ふく によって,1000余 あま りの言 げん 語 ご で入 にゅう 手 しゅ できるようになっています。知 ち 恵 え の言 こと 葉 ば を聞 き くなら,つまり, それを読 よ んで当 あ てはめるなら,必 かなら ず自 じ 分 ぶん のためになります。とはいえ,ほとんどの人 ひと は真 しん の知 ち 恵 え の言 こと 葉 ば に耳 みみ を貸 か そうとしません。何 なに かを決 き める時 とき には,自 じ 分 ぶん の考 かんが えや人 にん 間 げん の知 ち 恵 え に頼 たよ ります。聖 せい 書 しょ の教 おし えに従 したが う私 わたし たちのことを見 み 下 くだ す人 ひと さえいます。この記 き 事 じ では,人 ひと 々 びと がなぜそうした反 はん 応 のう をするのかについて取 と り上 あ げます。でもまずは,どうすればエホバの知 ち 恵 え を得 え ることができるのかについて考 かんが えましょう。
エホバについての 知 ち 識 しき が 必 ひつ 要 よう
3. 真 しん の知 ち 恵 え にはどんなことが関 かん 係 けい していますか。
3 知 ち 恵 え とは,良 よ い決 けっ 定 てい を下 くだ すために知 ち 識 しき を活 かつ 用 よう する能 のう 力 りょく のことです。とはいえ,真 しん の知 ち 恵 え にはもっと多 おお くのことが関 かん 係 けい しています。聖 せい 書 しょ にはこう述 の べられています。「知 ち 恵 え はエホバへの畏 おそ れから始 はじ まる。最 もっと も聖 せい なる方 かた についての知 ち 識 しき が理 り 解 かい を与 あた える」。(格 かく 9:10 )ですから,重 じゅう 要 よう な決 けっ 定 てい を下 くだ す時 とき には,「最 もっと も聖 せい なる方 かた についての知 ち 識 しき 」つまりエホバの考 かんが えに基 もと づいて決 き める必 ひつ 要 よう があります。そのために,聖 せい 書 しょ や出 しゅっ 版 ぱん 物 ぶつ を調 しら べることができます。そうすれば,真 しん の知 ち 恵 え を示 しめ せます。(格 かく 2:5-7 )
4. 私 わたし たちに真 しん の知 ち 恵 え を与 あた えることができるのはエホバだけである,と言 い えるのはなぜですか。
4 私 わたし たちに真 しん の知 ち 恵 え を与 あた えることができるのは,エホバだけです。(ロマ 16:27 )エホバを知 ち 恵 え の源 みなもと と呼 よ べるのはどうしてでしょうか。1つ目 め にエホバは創 そう 造 ぞう 者 しゃ なので,ご自 じ 分 ぶん が創 そう 造 ぞう したものについて全 すべ てのことをご存 ぞん じです。(詩 し 104:24 )2つ目 め に,エホバが行 おこな うことにはいつでも知 ち 恵 え が表 あらわ れています。(ロマ 11:33 )3つ目 め に,エホバの助 じょ 言 げん に従 したが うことは,必 かなら ず私 わたし たちのためになります。(格 かく 2:10-12 )それで,真 しん の知 ち 恵 え を得 え たいと思 おも うなら,これら3つの真 しん 理 り を受 う け入 い れ,それに沿 そ った決 けっ 定 てい や行 こう 動 どう をする必 ひつ 要 よう があります。
5. 人 ひと 々 びと がエホバを真 しん の知 ち 恵 え の源 みなもと として認 みと めようとしていないので,どんな結 けっ 果 か になっていますか。
5 私 わたし たちが伝 でん 道 どう で会 あ う人 ひと たちの多 おお くは,自 し 然 ぜん 界 かい がよくできているということは認 みと めています。しかし,造 つく った方 かた がいることを否 ひ 定 てい し,全 すべ ては進 しん 化 か によって生 しょう じたと考 かんが えています。また,神 かみ の存 そん 在 ざい を認 みと めてはいても,聖 せい 書 しょ の基 き 準 じゅん は時 じ 代 だい 遅 おく れだと考 かんが えて,自 じ 分 ぶん の好 す きなようにしている人 ひと もいます。では,どんな結 けっ 果 か になっているでしょうか。人 ひと 々 びと が神 かみ の知 ち 恵 え ではなく自 じ 分 ぶん の知 ち 恵 え に頼 たよ ったことによって,世 せ 界 かい は良 よ くなっているでしょうか。人 ひと 々 びと は本 ほん 物 もの の幸 しあわ せやしっかりとした希 き 望 ぼう を持 も っているでしょうか。今 いま の世 よ の中 なか の様 よう 子 す を見 み れば,次 つぎ の聖 せい 書 しょ の言 こと 葉 ば が真 しん 実 じつ であることがはっきり分 わ かります。「エホバに逆 さか らっては,知 ち 恵 え も,識 しき 別 べつ 力 りょく も,助 じょ 言 げん もあり得 え ない」。(格 かく 21:30 )ですから,私 わたし たちは真 しん の知 ち 恵 え を求 もと めてエホバに頼 たよ りたいという気 き 持 も ちになるはずです。でも残 ざん 念 ねん なことに,ほとんどの人 ひと はそうしていません。なぜでしょうか。
人 ひと 々 びと が 真 しん の 知 ち 恵 え を 退 しりぞ ける 理 り 由 ゆう
6. 格 かく 言 げん 1章 しょう 22-25節 せつ によると,真 しん の知 ち 恵 え に耳 みみ を貸 か そうとしないのはどんな人 ひと たちですか。
6 多 おお くの人 ひと は,真 しん の知 ち 恵 え が「通 とお りで大 おお 声 ごえ で叫 さけ 」んでも,耳 みみ を貸 か そうとしません。聖 せい 書 しょ によれば,知 ち 恵 え を退 しりぞ ける人 ひと たちには3つのグループがあります。「経 けい 験 けん のない人 ひと 」,「あざける人 ひと 」,「愚 おろ かな人 ひと 」です。( 格 かく 言 げん 1:22-25 を 読 よ む。) では,こうした人 ひと たちが神 かみ の知 ち 恵 え を退 しりぞ けるのはなぜか,私 わたし たちはどうすればこうした態 たい 度 ど を避 さ けることができるかを考 かんが えていきましょう。
7. 「経 けい 験 けん のない人 ひと 」の中 なか に,あえて変 へん 化 か しようとしない人 ひと がいるのはなぜですか。
7 「 経 けい 験 けん のない 人 ひと 」 とは,世 せ 間 けん 知 し らずで,簡 かん 単 たん に説 せっ 得 とく されたりだまされたりする人 ひと のことです。(格 かく 14:15 ,脚 きゃく 注 ちゅう )私 わたし たちは伝 でん 道 どう でそうした人 ひと たちに会 あ うことがあります。確 たし かに,非 ひ 常 じょう に大 おお 勢 ぜい の人 ひと が,宗 しゅう 教 きょう 指 し 導 どう 者 しゃ や政 せい 治 じ 指 し 導 どう 者 しゃ に惑 まど わされています。中 なか には,自 じ 分 ぶん がだまされてきたことを知 し ってショックを受 う ける人 ひと もいます。しかし,格 かく 言 げん 1章 しょう 22節 せつ に出 で てくる人 ひと は,経 けい 験 けん のなさを好 この んでいるので,あえて 変 へん 化 か しようとしません。(エレ 5:31 )「自 じ 分 ぶん の好 す きなことをしたい。聖 せい 書 しょ の教 おし えを学 まな んだり聖 せい 書 しょ の基 き 準 じゅん に従 したが ったりはしたくない」と考 かんが えているのです。カナダのケベック州 しゅう に住 す む,1人 ひとり の信 しん 心 じん 深 ぶか い女 じょ 性 せい は,訪 たず ねてきたエホバの証 しょう 人 にん に対 たい して,こう言 い いました。「もしうちの司 し 祭 さい が私 わたし たちを惑 まど わしているとしても,それはその司 し 祭 さい の責 せき 任 にん であって,私 わたし たちの責 せき 任 にん ではありません」。同 おな じように考 かんが えている人 ひと は大 おお 勢 ぜい います。でも私 わたし たちは,あえて変 へん 化 か しようとしないこうした人 ひと たちのようにはなりたくありません。(格 かく 1:32; 27:12 )
8. 経 けい 験 けん を積 つ んでいくために,どんなことができますか。
8 聖 せい 書 しょ が,経 けい 験 けん のないままでいるのではなく,「理 り 解 かい 力 りょく の点 てん では大人 おとな にな」るようにと勧 すす めているのももっともなことです。(コリ一 いち 14:20 )私 わたし たちは,聖 せい 書 しょ の教 おし えを当 あ てはめることによって経 けい 験 けん を積 つ んでいくことができます。そうしていくなら,問 もん 題 だい を避 さ けたり賢 かしこ い決 けっ 定 てい をしたりする上 うえ で聖 せい 書 しょ が助 たす けになる,ということを少 すこ しずつ実 じっ 感 かん できるでしょう。この点 てん で自 じ 分 ぶん がどれほど成 せい 長 ちょう しているかをチェックするのは良 よ いことです。聖 せい 書 しょ を勉 べん 強 きょう し,集 しゅう 会 かい に出 しゅっ 席 せき するようになってしばらくたっているのに,献 けん 身 しん やバプテスマの段 だん 階 かい まで進 しん 歩 ぽ していないなら,それはなぜでしょうか。すでにバプテスマを受 う けているなら,良 よ い知 し らせを伝 つた えたり教 おし えたりする面 めん で成 せい 長 ちょう しているでしょうか。何 なに かを決 き めなければいけない時 とき には,聖 せい 書 しょ の教 おし えに沿 そ った決 けっ 定 てい をしているでしょうか。人 ひと と接 せっ する時 とき ,イエスの手 て 本 ほん に倣 なら うようにしているでしょうか。改 かい 善 ぜん できるところに気 き が付 つ いたなら,「経 けい 験 けん の浅 あさ い人 ひと を賢 かしこ くする」エホバの教 おし えについてじっくり考 かんが えるようにしましょう。(詩 し 19:7 )
9. 「あざける人 ひと 」は,どのようにして知 ち 恵 え を退 しりぞ けていますか。
9 神 かみ の知 ち 恵 え に耳 みみ を貸 か そうとしない2つ目 め のグループは,「あざける 人 ひと 」 です。私 わたし たちは伝 でん 道 どう でそのような人 ひと に会 あ うことがあります。こうした人 ひと たちは,あざけることを好 この んでいます。(詩 し 123:4 )聖 せい 書 しょ は,終 お わりの時 じ 代 だい にあざける人 ひと たちが多 おお く見 み られると警 けい 告 こく しています。(ペテ二 に 3:3,4 )正 ただ しい人 ひと ロトの婿 むこ たちと同 おな じように,神 かみ からの警 けい 告 こく に注 ちゅう 意 い を払 はら わない人 ひと がいます。(創 そう 19:14 )聖 せい 書 しょ の教 おし えに従 したが って生 い きる人 ひと たちをあざ笑 わら う人 ひと も少 すく なくありません。あざける人 ひと は,「神 かみ を敬 うやま わずに欲 よく 望 ぼう のままに」行 こう 動 どう します。(ユダ 7, 17,18 )あざける人 ひと について聖 せい 書 しょ が述 の べていることは,背 はい 教 きょう 者 しゃ やエホバを退 しりぞ ける人 ひと たちにぴったり当 あ てはまるのではないでしょうか。
10. 詩 し 編 へん 1編 ぺん 1節 せつ からすると,あざける人 ひと にならないために何 なに ができますか。
10 どうすれば,あざける人 ひと にならないよう,自 じ 分 ぶん を守 まも れるでしょうか。1つの方 ほう 法 ほう は,批 ひ 判 はん 的 てき な態 たい 度 ど を取 と る人 ひと たちと関 かか わりを持 も たないようにすることです。( 詩 し 編 へん 1:1 を 読 よ む。) それで,背 はい 教 きょう 者 しゃ の言 い うことを聞 き いたり書 か いた物 もの を読 よ んだりは決 けっ してしません。気 き を付 つ けていないと,私 わたし たちは批 ひ 判 はん 的 てき になって,エホバや組 そ 織 しき からの指 し 示 じ に疑 うたが いを持 も つようになってしまうかもしれません。そうならない ために,次 つぎ のように考 かんが えましょう。「自 じ 分 ぶん は新 あたら しい指 し 示 じ や説 せつ 明 めい があった場 ば 合 あい ,消 しょう 極 きょく 的 てき なことばかり言 い うだろうか。教 おし え導 みちび いている人 ひと たちのあら探 さが しをする傾 けい 向 こう があるだろうか」。こうした良 よ くない点 てん をすぐに改 かい 善 ぜん するなら,エホバは喜 よろこ んでくださいます。(格 かく 3:34,35 )
11. 「愚 おろ かな人 ひと 」はエホバの道 どう 徳 とく 基 き 準 じゅん に対 たい してどんな態 たい 度 ど を取 と りますか。
11 知 ち 恵 え を退 しりぞ ける3つ目 め のグループは,「 愚 おろ かな 人 ひと 」 です。こうした人 ひと たちが愚 おろ かと言 い えるのは,神 かみ の道 どう 徳 とく 基 き 準 じゅん に従 したが って生 い きるのではなく,自 じ 分 ぶん が正 ただ しいと思 おも うことを行 おこな っているからです。(格 かく 12:15 )そのようにして,知 ち 恵 え の源 みなもと であるエホバを退 しりぞ けているのです。(詩 し 53:1 )そうした人 ひと たちは,伝 でん 道 どう している私 わたし たちに対 たい して,聖 せい 書 しょ の基 き 準 じゅん に従 したが っていることを厳 きび しく批 ひ 判 はん することがよくあります。とはいえ,より良 よ い生 い き方 かた を示 しめ すことはできません。聖 せい 書 しょ の次 つぎ の言 こと 葉 ば の通 とお りです。「愚 おろ かな人 ひと は真 しん の知 ち 恵 え を獲 かく 得 とく できない。町 まち の門 もん の所 ところ で何 なに も言 い う事 こと がない」。(格 かく 24:7 )愚 おろ かな人 ひと が真 しん の知 ち 恵 え を語 かた ることはできません。ですから,エホバが「愚 おろ かな人 ひと から離 はな れていよ」と警 けい 告 こく しているのも当 とう 然 ぜん のことです。(格 かく 14:7 )
12. 愚 おろ かな人 ひと のようにならないために,どんなことができますか。
12 愚 おろ かな人 ひと は神 かみ の助 じょ 言 げん を嫌 きら いますが,私 わたし たちは神 かみ の考 かんが え方 かた や道 どう 徳 とく 基 き 準 じゅん への愛 あい を強 つよ めたいと思 おも っています。そうする上 うえ で,神 かみ の基 き 準 じゅん に従 したが うことの結 けっ 果 か と従 したが わないことの結 けっ 果 か を比 ひ 較 かく することが役 やく に立 た ちます。愚 おろ かにもエホバの基 き 準 じゅん を退 しりぞ ける人 ひと はどんな問 もん 題 だい を経 けい 験 けん しているか,そして,私 わたし たちは神 かみ に従 したが うことによってどれほど良 よ い生 い き方 かた ができているかを考 かんが えてみてください。(詩 し 32:8,10 )
13. エホバはご自 じ 分 ぶん の助 じょ 言 げん に無 む 理 り に従 したが わせようとしますか。
13 エホバは全 すべ ての人 ひと が知 ち 恵 え を得 え られるようにしていますが,それを押 お し付 つ けたりはしません。それでも,知 ち 恵 え に耳 みみ を傾 かたむ けない人 ひと がどんな結 けっ 果 か になるかを明 あき らかにしています。(格 かく 1:29-32 )エホバに従 したが おうとしない人 ひと は,「当 とう 然 ぜん の報 むく いを受 う け」ることになります。悲 かな しみや苦 く 痛 つう を経 けい 験 けん し,最 さい 後 ご には滅 ほろ ぼされるのです。一 いっ 方 ぽう ,エホバの素 す 晴 ば らしい助 じょ 言 げん に耳 みみ を傾 かたむ け,従 したが う人 ひと には,次 つぎ のような保 ほ 証 しょう が与 あた えられています。「私 わたし の言 い うことを聞 き く人 ひと は安 あん 心 しん して暮 く らし,災 わざわ いを恐 おそ れて動 どう 揺 よう することはない」。(格 かく 1:33 )
真 しん の 知 ち 恵 え は 私 わたし たちのためになる
集 しゅう 会 かい でコメントするなら,エホバとの友 ゆう 情 じょう を強 つよ めることができる。(15節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
14-15. 格 かく 言 げん 4章 しょう 23節 せつ からどんなことを学 まな べますか。
14 神 かみ の知 ち 恵 え を当 あ てはめるなら,必 かなら ず私 わたし たちのためになります。ここまでで考 かんが えてきた通 とお り,エホバはご自 じ 分 ぶん の素 す 晴 ば らしい助 じょ 言 げん を誰 だれ もが得 え られるようにしています。例 たと えば,「格 かく 言 げん の書 しょ 」には,時 じ 代 だい を超 こ えたアドバイスがちりばめられていて,それ を当 あ てはめるならより良 よ い生 い き方 かた ができます。では,そのうちの4つを調 しら べてみましょう。
15 心 こころ を 守 まも る。 聖 せい 書 しょ にはこうあります。「ほかの何 なに よりも,あなたの心 こころ を守 まも れ。命 いのち は心 こころ に懸 か かっているからである」。(格 かく 4:23 )心 しん 臓 ぞう を守 まも るためには,どんなことが必 ひつ 要 よう でしょうか。健 けん 康 こう に良 よ い物 もの を食 た べ,十 じゅう 分 ぶん に運 うん 動 どう し,良 よ くない習 しゅう 慣 かん を避 さ けることです。心 こころ を守 まも ることについても,似 に たようなことが言 い えます。聖 せい 書 しょ で毎 まい 日 にち 自 じ 分 ぶん を養 やしな います。準 じゅん 備 び して集 しゅう 会 かい に出 しゅっ 席 せき し,コメントをします。熱 ねっ 心 しん にまた定 てい 期 き 的 てき に伝 でん 道 どう を行 おこな います。そして,良 よ くない習 しゅう 慣 かん を避 さ けます。つまり,不 ふ 道 どう 徳 とく なエンターテインメントや悪 わる い交 こう 友 ゆう といった,考 かんが え方 かた を腐 ふ 敗 はい させるものを一 いっ 切 さい 避 さ けるということです。
お金 かね に対 たい してバランスの取 と れた見 み 方 かた をするなら,持 も っている物 もの で満 まん 足 ぞく できるようになる。(16節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
16. 格 かく 言 げん 23章 しょう 4,5節 せつ の言 こと 葉 ば が現 げん 代 だい でも役 やく 立 だ つと言 い えるのはなぜですか。
16 持 も っている 物 もの で 満 まん 足 ぞく する。 聖 せい 書 しょ には次 つぎ のようなアドバイスがあります。「富 とみ を得 え ようとして疲 つか れ切 き ってはならない。……目 め をやると,そこに富 とみ はない。それは必 かなら ずワシのように翼 つばさ を生 は やして空 そら に飛 と び去 さ る」。(格 かく 23:4,5 )財 ざい 産 さん がなくならないという保 ほ 証 しょう はありません。にもかかわらず,お金 かね を持 も っている人 ひと も持 も っていない人 ひと も,さらにお金 かね を稼 かせ ごうと必 ひっ 死 し になっています。そのために,自 じ 分 ぶん の評 ひょう 判 ばん や人 にん 間 げん 関 かん 係 けい や健 けん 康 こう さえ犠 ぎ 牲 せい にする人 ひと もいます。(格 かく 28:20。テモ一 いち 6:9,10 )一 いっ 方 ぽう ,知 ち 恵 え があるなら,お金 かね に対 たい してバランスの取 と れた見 み 方 かた を持 も つことができます。そして,貪 どん 欲 よく を避 さ け,満 まん 足 ぞく 感 かん や幸 しあわ せを味 あじ わうことができます。(伝 でん 7:12 )
話 はな す前 まえ に考 かんが えるなら,傷 きず つけるようなことを言 い わずに済 す む。(17節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
17. どうすれば,格 かく 言 げん 12章 しょう 18節 せつ に出 で てくる「賢 かしこ い人 ひと たちの舌 した 」を得 え ることができますか。
17 話 はな す 前 まえ に 考 かんが える。 私 わたし たちは注 ちゅう 意 い していないと,言 こと 葉 ば で人 ひと を深 ふか く傷 きず つけてしまうことがあります。聖 せい 書 しょ には,「心 こころ ない発 はつ 言 げん は剣 つるぎ のように突 つ き刺 さ し,賢 かしこ い人 ひと たちの舌 した は人 ひと を癒 い やす」とあります。(格 かく 12:18 )誰 だれ かの欠 けっ 点 てん や失 しっ 敗 ぱい についてのうわさ話 ばなし をしないようにするなら,良 よ い人 にん 間 げん 関 かん 係 けい を保 たも つことができます。(格 かく 20:19 )人 ひと を傷 きず つけるのではなく,癒 い やす言 こと 葉 ば を語 かた るためには,聖 せい 書 しょ の言 こと 葉 ば で心 こころ を満 み たしておく必 ひつ 要 よう があります。(ルカ 6: 45 )聖 せい 書 しょ についてじっくり考 かんが えるなら,私 わたし たちの言 こと 葉 ば は「知 ち 恵 え の泉 いずみ 」のようになり,人 ひと を爽 さわ やかにするものとなるでしょう。(格 かく 18:4 )
組 そ 織 しき からの指 し 示 じ に従 したが うなら,宣 せん 教 きょう をいっそう上 じょう 手 ず に行 おこな えるようになる。(18節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
18. 格 かく 言 げん 24章 しょう 6節 せつ の言 こと 葉 ば は,宣 せん 教 きょう で成 せい 功 こう を収 おさ める上 うえ でどのように助 たす けとなりますか。
18 指 し 示 じ に 従 したが う。 聖 せい 書 しょ には次 つぎ のような良 よ いアドバイスがあります。「的 てき 確 かく な導 みちび きによって戦 たたか いをせよ。助 じょ 言 げん 者 しゃ が多 おお ければ成 せい 功 こう する」。(格 かく 24:6 ,脚 きゃく 注 ちゅう )この言 こと 葉 ば は,宣 せん 教 きょう で成 せい 功 こう を収 おさ める上 うえ でも助 たす けになります。私 わたし たちは,自 じ 分 ぶん なりの方 ほう 法 ほう で行 おこな うのではなく,提 てい 案 あん に従 したが うよう努 ど 力 りょく しています。そうした提 てい 案 あん は集 しゅう 会 かい で与 あた えられます。話 はなし や実 じつ 演 えん を通 とお して,上 じょう 手 ず に聖 せい 書 しょ から教 おし える方 ほう 法 ほう を学 まな ぶことができます。加 くわ えて,エホバの組 そ 織 しき は,出 しゅっ 版 ぱん 物 ぶつ や動 どう 画 が といった役 やく 立 だ つツールも準 じゅん 備 び してくれています。これらは,聖 せい 書 しょ を理 り 解 かい するよう人 ひと 々 びと を助 たす ける上 うえ で大 おお いに役 やく 立 だ っています。あなたは,こうしたツールを十 じゅう 分 ぶん に活 かつ 用 よう していますか。
19. あなたはエホバの知 ち 恵 え についてどう感 かん じていますか。(格 かく 言 げん 3:13-18 )
19 格 かく 言 げん 3:13-18 を 読 よ む。 私 わたし たちは,聖 せい 書 しょ に収 おさ められている良 よ いアドバイスに心 こころ から感 かん 謝 しゃ しています。それがなかったなら,私 わたし たちは今 いま ごろどうなっていたか分 わ かりません。この記 き 事 じ では,「格 かく 言 げん の書 しょ 」に載 の せられている知 ち 恵 え の言 こと 葉 ば を幾 いく つか考 かんが えてきました。もちろん,聖 せい 書 しょ のほかの部 ぶ 分 ぶん にもエホバの知 ち 恵 え が数 かず 多 おお く載 の せられています。ですから,生 せい 活 かつ のあらゆる面 めん でエホバの知 ち 恵 え を当 あ てはめるようにしましょう。世 よ の中 なか の人 ひと 々 びと が神 かみ の知 ち 恵 え にどんな見 み 方 かた を持 も っているとしても,私 わたし たちは,「知 ち 恵 え [を]しっかりとつかんでいる人 ひと たちは幸 しあわ せな人 ひと と呼 よ ばれる」ということを確 かく 信 しん しているのです。