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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2022
塔研22 10月号 18–23ページ

研究記事43

真しんの知ち恵えが大おお声ごえで叫さけんでいる

「真しんの知ち恵えが通とおりで大おお声ごえで叫さけぶ。広ひろ場ばで声こえを上あげている」。格かく言げん 1:20

88番ばんの歌うた あなたの道みちを教おしえてください

何なにを学まなぶかa

1. 現げん代だいの多おおくの人ひとは,知ち恵えの呼よび掛かけに対たいしてどんな反はん応のうを示しめしていますか。(格かく言げん 1:20,21)

多おおくの国くにでは,人ひと通どおりが多おおい場ば所しょで伝でん道どう者しゃが道みち行ゆく人ひとに笑え顔がおで出しゅっ版ぱん物ぶつを提てい供きょうしている様よう子すをよく目めにします。あなたもこの活かつ動どうに参さん加かしたことがありますか。もしあるなら,「格かく言げんの書しょ」に載のせられている例たとえについて考かんがえたことがあるでしょう。知ち恵えがアドバイスを聞きくようにと広ひろ場ばで呼よび掛かけているという例たとえです。(格かく言げん 1:20,21を読よむ。)聖せい書しょや出しゅっ版ぱん物ぶつには,「真しんの知ち恵え」つまりエホバの知ち恵えが収おさめられています。これは,人ひと々びとが永えい遠えんの命いのちを得える上うえで欠かかせないものです。私わたしたちは,誰だれかが出しゅっ版ぱん物ぶつを受うけ取とるとうれしく感かんじます。とはいえ,全すべての人ひとが受うけ取とるわけではありません。聖せい書しょについて知しりたくないと考かんがえている人ひともいれば,あざ笑わらう人ひともいます。そうした人ひとたちは,聖せい書しょは時じ代だい遅おくれだと考かんがえているのです。また,聖せい書しょの道どう徳とく基き準じゅんを批ひ判はんして,その基き準じゅんに従したがう人ひとのことを厳きびしくて独ひとり善よがりだと言いう人ひともいます。それでも,エホバは愛あいの気き持もちから,全すべての人ひとが真しんの知ち恵えを得えられるようにしています。どのようにでしょうか。

2. どうすれば真しんの知ち恵えを得えることができますか。しかし,多おおくの人ひとはどうしていますか。

2 エホバはご自じ分ぶんの言こと葉ばである聖せい書しょを用もちいて,人ひと々びとが真しんの知ち恵えの声こえを聞きけるようにしています。ほとんど全すべての人ひとが,聖せい書しょを自じ分ぶんの理り解かいできる言げん語ごで手てに入いれることができます。エホバの証しょう人にんの出しゅっ版ぱん物ぶつについてはどうでしょうか。エホバの祝しゅく福ふくによって,1000余あまりの言げん語ごで入にゅう手しゅできるようになっています。知ち恵えの言こと葉ばを聞きくなら,つまり,それを読よんで当あてはめるなら,必かならず自じ分ぶんのためになります。とはいえ,ほとんどの人ひとは真しんの知ち恵えの言こと葉ばに耳みみを貸かそうとしません。何なにかを決きめる時ときには,自じ分ぶんの考かんがえや人にん間げんの知ち恵えに頼たよります。聖せい書しょの教おしえに従したがう私わたしたちのことを見み下くだす人ひとさえいます。この記き事じでは,人ひと々びとがなぜそうした反はん応のうをするのかについて取とり上あげます。でもまずは,どうすればエホバの知ち恵えを得えることができるのかについて考かんがえましょう。

エホバについての知ち識しきが必ひつ要よう

3. 真しんの知ち恵えにはどんなことが関かん係けいしていますか。

3 知ち恵えとは,良よい決けっ定ていを下くだすために知ち識しきを活かつ用ようする能のう力りょくのことです。とはいえ,真しんの知ち恵えにはもっと多おおくのことが関かん係けいしています。聖せい書しょにはこう述のべられています。「知ち恵えはエホバへの畏おそれから始はじまる。最もっとも聖せいなる方かたについての知ち識しきが理り解かいを与あたえる」。(格かく 9:10)ですから,重じゅう要ような決けっ定ていを下くだす時ときには,「最もっとも聖せいなる方かたについての知ち識しき」つまりエホバの考かんがえに基もとづいて決きめる必ひつ要ようがあります。そのために,聖せい書しょや出しゅっ版ぱん物ぶつを調しらべることができます。そうすれば,真しんの知ち恵えを示しめせます。(格かく 2:5-7)

4. 私わたしたちに真しんの知ち恵えを与あたえることができるのはエホバだけである,と言いえるのはなぜですか。

4 私わたしたちに真しんの知ち恵えを与あたえることができるのは,エホバだけです。(ロマ 16:27)エホバを知ち恵えの源みなもとと呼よべるのはどうしてでしょうか。1つ目めにエホバは創そう造ぞう者しゃなので,ご自じ分ぶんが創そう造ぞうしたものについて全すべてのことをご存ぞんじです。(詩し 104:24)2つ目めに,エホバが行おこなうことにはいつでも知ち恵えが表あらわれています。(ロマ 11:33)3つ目めに,エホバの助じょ言げんに従したがうことは,必かならず私わたしたちのためになります。(格かく 2:10-12)それで,真しんの知ち恵えを得えたいと思おもうなら,これら3つの真しん理りを受うけ入いれ,それに沿そった決けっ定ていや行こう動どうをする必ひつ要ようがあります。

5. 人ひと々びとがエホバを真しんの知ち恵えの源みなもととして認みとめようとしていないので,どんな結けっ果かになっていますか。

5 私わたしたちが伝でん道どうで会あう人ひとたちの多おおくは,自し然ぜん界かいがよくできているということは認みとめています。しかし,造つくった方かたがいることを否ひ定ていし,全すべては進しん化かによって生しょうじたと考かんがえています。また,神かみの存そん在ざいを認みとめてはいても,聖せい書しょの基き準じゅんは時じ代だい遅おくれだと考かんがえて,自じ分ぶんの好すきなようにしている人ひともいます。では,どんな結けっ果かになっているでしょうか。人ひと々びとが神かみの知ち恵えではなく自じ分ぶんの知ち恵えに頼たよったことによって,世せ界かいは良よくなっているでしょうか。人ひと々びとは本ほん物ものの幸しあわせやしっかりとした希き望ぼうを持もっているでしょうか。今いまの世よの中なかの様よう子すを見みれば,次つぎの聖せい書しょの言こと葉ばが真しん実じつであることがはっきり分わかります。「エホバに逆さからっては,知ち恵えも,識しき別べつ力りょくも,助じょ言げんもあり得えない」。(格かく 21:30)ですから,私わたしたちは真しんの知ち恵えを求もとめてエホバに頼たよりたいという気き持もちになるはずです。でも残ざん念ねんなことに,ほとんどの人ひとはそうしていません。なぜでしょうか。

人ひと々びとが真しんの知ち恵えを退しりぞける理り由ゆう

6. 格かく言げん 1章しょう22-25節せつによると,真しんの知ち恵えに耳みみを貸かそうとしないのはどんな人ひとたちですか。

6 多おおくの人ひとは,真しんの知ち恵えが「通とおりで大おお声ごえで叫さけ」んでも,耳みみを貸かそうとしません。聖せい書しょによれば,知ち恵えを退しりぞける人ひとたちには3つのグループがあります。「経けい験けんのない人ひと」,「あざける人ひと」,「愚おろかな人ひと」です。(格かく言げん 1:22-25を読よむ。)では,こうした人ひとたちが神かみの知ち恵えを退しりぞけるのはなぜか,私わたしたちはどうすればこうした態たい度どを避さけることができるかを考かんがえていきましょう。

7. 「経けい験けんのない人ひと」の中なかに,あえて変へん化かしようとしない人ひとがいるのはなぜですか。

7 「経けい験けんのない人ひと」とは,世せ間けん知しらずで,簡かん単たんに説せっ得とくされたりだまされたりする人ひとのことです。(格かく 14:15,脚きゃく注ちゅう)私わたしたちは伝でん道どうでそうした人ひとたちに会あうことがあります。確たしかに,非ひ常じょうに大おお勢ぜいの人ひとが,宗しゅう教きょう指し導どう者しゃや政せい治じ指し導どう者しゃに惑まどわされています。中なかには,自じ分ぶんがだまされてきたことを知しってショックを受うける人ひともいます。しかし,格かく言げん 1章しょう22節せつに出でてくる人ひとは,経けい験けんのなさを好このんでいるので,あえて変へん化かしようとしません。(エレ 5:31)「自じ分ぶんの好すきなことをしたい。聖せい書しょの教おしえを学まなんだり聖せい書しょの基き準じゅんに従したがったりはしたくない」と考かんがえているのです。カナダのケベック州しゅうに住すむ,1人ひとりの信しん心じん深ぶかい女じょ性せいは,訪たずねてきたエホバの証しょう人にんに対たいして,こう言いいました。「もしうちの司し祭さいが私わたしたちを惑まどわしているとしても,それはその司し祭さいの責せき任にんであって,私わたしたちの責せき任にんではありません」。同おなじように考かんがえている人ひとは大おお勢ぜいいます。でも私わたしたちは,あえて変へん化かしようとしないこうした人ひとたちのようにはなりたくありません。(格かく 1:32; 27:12)

8. 経けい験けんを積つんでいくために,どんなことができますか。

8 聖せい書しょが,経けい験けんのないままでいるのではなく,「理り解かい力りょくの点てんでは大人おとなにな」るようにと勧すすめているのももっともなことです。(コリ一いち 14:20)私わたしたちは,聖せい書しょの教おしえを当あてはめることによって経けい験けんを積つんでいくことができます。そうしていくなら,問もん題だいを避さけたり賢かしこい決けっ定ていをしたりする上うえで聖せい書しょが助たすけになる,ということを少すこしずつ実じっ感かんできるでしょう。この点てんで自じ分ぶんがどれほど成せい長ちょうしているかをチェックするのは良よいことです。聖せい書しょを勉べん強きょうし,集しゅう会かいに出しゅっ席せきするようになってしばらくたっているのに,献けん身しんやバプテスマの段だん階かいまで進しん歩ぽしていないなら,それはなぜでしょうか。すでにバプテスマを受うけているなら,良よい知しらせを伝つたえたり教おしえたりする面めんで成せい長ちょうしているでしょうか。何なにかを決きめなければいけない時ときには,聖せい書しょの教おしえに沿そった決けっ定ていをしているでしょうか。人ひとと接せっする時とき,イエスの手て本ほんに倣ならうようにしているでしょうか。改かい善ぜんできるところに気きが付ついたなら,「経けい験けんの浅あさい人ひとを賢かしこくする」エホバの教おしえについてじっくり考かんがえるようにしましょう。(詩し 19:7)

9. 「あざける人ひと」は,どのようにして知ち恵えを退しりぞけていますか。

9 神かみの知ち恵えに耳みみを貸かそうとしない2つ目めのグループは,「あざける人ひと」です。私わたしたちは伝でん道どうでそのような人ひとに会あうことがあります。こうした人ひとたちは,あざけることを好このんでいます。(詩し 123:4)聖せい書しょは,終おわりの時じ代だいにあざける人ひとたちが多おおく見みられると警けい告こくしています。(ペテ二に 3:3,4)正ただしい人ひとロトの婿むこたちと同おなじように,神かみからの警けい告こくに注ちゅう意いを払はらわない人ひとがいます。(創そう 19:14)聖せい書しょの教おしえに従したがって生いきる人ひとたちをあざ笑わらう人ひとも少すくなくありません。あざける人ひとは,「神かみを敬うやまわずに欲よく望ぼうのままに」行こう動どうします。(ユダ 7,17,18)あざける人ひとについて聖せい書しょが述のべていることは,背はい教きょう者しゃやエホバを退しりぞける人ひとたちにぴったり当あてはまるのではないでしょうか。

10. 詩し編へん 1編ぺん1節せつからすると,あざける人ひとにならないために何なにができますか。

10 どうすれば,あざける人ひとにならないよう,自じ分ぶんを守まもれるでしょうか。1つの方ほう法ほうは,批ひ判はん的てきな態たい度どを取とる人ひとたちと関かかわりを持もたないようにすることです。(詩し編へん 1:1を読よむ。)それで,背はい教きょう者しゃの言いうことを聞きいたり書かいた物ものを読よんだりは決けっしてしません。気きを付つけていないと,私わたしたちは批ひ判はん的てきになって,エホバや組そ織しきからの指し示じに疑うたがいを持もつようになってしまうかもしれません。そうならないために,次つぎのように考かんがえましょう。「自じ分ぶんは新あたらしい指し示じや説せつ明めいがあった場ば合あい,消しょう極きょく的てきなことばかり言いうだろうか。教おしえ導みちびいている人ひとたちのあら探さがしをする傾けい向こうがあるだろうか」。こうした良よくない点てんをすぐに改かい善ぜんするなら,エホバは喜よろこんでくださいます。(格かく 3:34,35)

11. 「愚おろかな人ひと」はエホバの道どう徳とく基き準じゅんに対たいしてどんな態たい度どを取とりますか。

11 知ち恵えを退しりぞける3つ目めのグループは,「愚おろかな人ひと」です。こうした人ひとたちが愚おろかと言いえるのは,神かみの道どう徳とく基き準じゅんに従したがって生いきるのではなく,自じ分ぶんが正ただしいと思おもうことを行おこなっているからです。(格かく 12:15)そのようにして,知ち恵えの源みなもとであるエホバを退しりぞけているのです。(詩し 53:1)そうした人ひとたちは,伝でん道どうしている私わたしたちに対たいして,聖せい書しょの基き準じゅんに従したがっていることを厳きびしく批ひ判はんすることがよくあります。とはいえ,より良よい生いき方かたを示しめすことはできません。聖せい書しょの次つぎの言こと葉ばの通とおりです。「愚おろかな人ひとは真しんの知ち恵えを獲かく得とくできない。町まちの門もんの所ところで何なにも言いう事ことがない」。(格かく 24:7)愚おろかな人ひとが真しんの知ち恵えを語かたることはできません。ですから,エホバが「愚おろかな人ひとから離はなれていよ」と警けい告こくしているのも当とう然ぜんのことです。(格かく 14:7)

12. 愚おろかな人ひとのようにならないために,どんなことができますか。

12 愚おろかな人ひとは神かみの助じょ言げんを嫌きらいますが,私わたしたちは神かみの考かんがえ方かたや道どう徳とく基き準じゅんへの愛あいを強つよめたいと思おもっています。そうする上うえで,神かみの基き準じゅんに従したがうことの結けっ果かと従したがわないことの結けっ果かを比ひ較かくすることが役やくに立たちます。愚おろかにもエホバの基き準じゅんを退しりぞける人ひとはどんな問もん題だいを経けい験けんしているか,そして,私わたしたちは神かみに従したがうことによってどれほど良よい生いき方かたができているかを考かんがえてみてください。(詩し 32:8,10)

13. エホバはご自じ分ぶんの助じょ言げんに無む理りに従したがわせようとしますか。

13 エホバは全すべての人ひとが知ち恵えを得えられるようにしていますが,それを押おし付つけたりはしません。それでも,知ち恵えに耳みみを傾かたむけない人ひとがどんな結けっ果かになるかを明あきらかにしています。(格かく 1:29-32)エホバに従したがおうとしない人ひとは,「当とう然ぜんの報むくいを受うけ」ることになります。悲かなしみや苦く痛つうを経けい験けんし,最さい後ごには滅ほろぼされるのです。一いっ方ぽう,エホバの素す晴ばらしい助じょ言げんに耳みみを傾かたむけ,従したがう人ひとには,次つぎのような保ほ証しょうが与あたえられています。「私わたしの言いうことを聞きく人ひとは安あん心しんして暮くらし,災わざわいを恐おそれて動どう揺ようすることはない」。(格かく 1:33)

真しんの知ち恵えは私わたしたちのためになる

1人の兄弟が集会でコメントをしている。

集しゅう会かいでコメントするなら,エホバとの友ゆう情じょうを強つよめることができる。(15節せつを参さん照しょう。)

14-15. 格かく言げん 4章しょう23節せつからどんなことを学まなべますか。

14 神かみの知ち恵えを当あてはめるなら,必かならず私わたしたちのためになります。ここまでで考かんがえてきた通とおり,エホバはご自じ分ぶんの素す晴ばらしい助じょ言げんを誰だれもが得えられるようにしています。例たとえば,「格かく言げんの書しょ」には,時じ代だいを超こえたアドバイスがちりばめられていて,それを当あてはめるならより良よい生いき方かたができます。では,そのうちの4つを調しらべてみましょう。

15 心こころを守まもる。聖せい書しょにはこうあります。「ほかの何なによりも,あなたの心こころを守まもれ。命いのちは心こころに懸かかっているからである」。(格かく 4:23)心しん臓ぞうを守まもるためには,どんなことが必ひつ要ようでしょうか。健けん康こうに良よい物ものを食たべ,十じゅう分ぶんに運うん動どうし,良よくない習しゅう慣かんを避さけることです。心こころを守まもることについても,似にたようなことが言いえます。聖せい書しょで毎まい日にち自じ分ぶんを養やしないます。準じゅん備びして集しゅう会かいに出しゅっ席せきし,コメントをします。熱ねっ心しんにまた定てい期き的てきに伝でん道どうを行おこないます。そして,良よくない習しゅう慣かんを避さけます。つまり,不ふ道どう徳とくなエンターテインメントや悪わるい交こう友ゆうといった,考かんがえ方かたを腐ふ敗はいさせるものを一いっ切さい避さけるということです。

質素な家の外にいる幸福そうな家族。母親は火を使って簡素な食事を作っている。そばでは,父親が「聖書から学べる大切なこと」の本から2人の子供を教えている。

お金かねに対たいしてバランスの取とれた見み方かたをするなら,持もっている物もので満まん足ぞくできるようになる。(16節せつを参さん照しょう。)

16. 格かく言げん 23章しょう4,5節せつの言こと葉ばが現げん代だいでも役やく立だつと言いえるのはなぜですか。

16 持もっている物もので満まん足ぞくする。聖せい書しょには次つぎのようなアドバイスがあります。「富とみを得えようとして疲つかれ切きってはならない。……目めをやると,そこに富とみはない。それは必かならずワシのように翼つばさを生はやして空そらに飛とび去さる」。(格かく 23:4,5)財ざい産さんがなくならないという保ほ証しょうはありません。にもかかわらず,お金かねを持もっている人ひとも持もっていない人ひとも,さらにお金かねを稼かせごうと必ひっ死しになっています。そのために,自じ分ぶんの評ひょう判ばんや人にん間げん関かん係けいや健けん康こうさえ犠ぎ牲せいにする人ひともいます。(格かく 28:20。テモ一いち 6:9,10)一いっ方ぽう,知ち恵えがあるなら,お金かねに対たいしてバランスの取とれた見み方かたを持もつことができます。そして,貪どん欲よくを避さけ,満まん足ぞく感かんや幸しあわせを味あじわうことができます。(伝でん 7:12)

1人の姉妹が会衆の3人の姉妹たちにうわさ話をしている。そのうちの2人は興味を示しているが,1人は聞いた内容についてじっくり考えている。

話はなす前まえに考かんがえるなら,傷きずつけるようなことを言いわずに済すむ。(17節せつを参さん照しょう。)

17. どうすれば,格かく言げん 12章しょう18節せつに出でてくる「賢かしこい人ひとたちの舌した」を得えることができますか。

17 話はなす前まえに考かんがえる。私わたしたちは注ちゅう意いしていないと,言こと葉ばで人ひとを深ふかく傷きずつけてしまうことがあります。聖せい書しょには,「心こころない発はつ言げんは剣つるぎのように突つき刺さし,賢かしこい人ひとたちの舌したは人ひとを癒いやす」とあります。(格かく 12:18)誰だれかの欠けっ点てんや失しっ敗ぱいについてのうわさ話ばなしをしないようにするなら,良よい人にん間げん関かん係けいを保たもつことができます。(格かく 20:19)人ひとを傷きずつけるのではなく,癒いやす言こと葉ばを語かたるためには,聖せい書しょの言こと葉ばで心こころを満みたしておく必ひつ要ようがあります。(ルカ 6:45)聖せい書しょについてじっくり考かんがえるなら,私わたしたちの言こと葉ばは「知ち恵えの泉いずみ」のようになり,人ひとを爽さわやかにするものとなるでしょう。(格かく 18:4)

1人の姉妹が,週日の集会で使われる話し合いのサンプルの動画を見ながらノートを取っている。ノートのそばにはパンフレットとスマートフォンが置いてある。スマートフォンの画面には,JW Libraryアプリが表示されている。

組そ織しきからの指し示じに従したがうなら,宣せん教きょうをいっそう上じょう手ずに行おこなえるようになる。(18節せつを参さん照しょう。)

18. 格かく言げん 24章しょう6節せつの言こと葉ばは,宣せん教きょうで成せい功こうを収おさめる上うえでどのように助たすけとなりますか。

18 指し示じに従したがう。聖せい書しょには次つぎのような良よいアドバイスがあります。「的てき確かくな導みちびきによって戦たたかいをせよ。助じょ言げん者しゃが多おおければ成せい功こうする」。(格かく 24:6,脚きゃく注ちゅう)この言こと葉ばは,宣せん教きょうで成せい功こうを収おさめる上うえでも助たすけになります。私わたしたちは,自じ分ぶんなりの方ほう法ほうで行おこなうのではなく,提てい案あんに従したがうよう努ど力りょくしています。そうした提てい案あんは集しゅう会かいで与あたえられます。話はなしや実じつ演えんを通とおして,上じょう手ずに聖せい書しょから教おしえる方ほう法ほうを学まなぶことができます。加くわえて,エホバの組そ織しきは,出しゅっ版ぱん物ぶつや動どう画がといった役やく立だつツールも準じゅん備びしてくれています。これらは,聖せい書しょを理り解かいするよう人ひと々びとを助たすける上うえで大おおいに役やく立だっています。あなたは,こうしたツールを十じゅう分ぶんに活かつ用ようしていますか。

19. あなたはエホバの知ち恵えについてどう感かんじていますか。(格かく言げん 3:13-18)

19 格かく言げん 3:13-18を読よむ。私わたしたちは,聖せい書しょに収おさめられている良よいアドバイスに心こころから感かん謝しゃしています。それがなかったなら,私わたしたちは今いまごろどうなっていたか分わかりません。この記き事じでは,「格かく言げんの書しょ」に載のせられている知ち恵えの言こと葉ばを幾いくつか考かんがえてきました。もちろん,聖せい書しょのほかの部ぶ分ぶんにもエホバの知ち恵えが数かず多おおく載のせられています。ですから,生せい活かつのあらゆる面めんでエホバの知ち恵えを当あてはめるようにしましょう。世よの中なかの人ひと々びとが神かみの知ち恵えにどんな見み方かたを持もっているとしても,私わたしたちは,「知ち恵え[を]しっかりとつかんでいる人ひとたちは幸しあわせな人ひとと呼よばれる」ということを確かく信しんしているのです。

どのように答こたえますか

  • どうすれば真しんの知ち恵えを得えることができますか。

  • 多おおくの人ひとたちが真しんの知ち恵えに耳みみを貸かそうとしないのはなぜですか。どんな結けっ果かになっていますか。

  • あなたにとって「格かく言げんの書しょ」のどのアドバイスが特とくに役やく立だっていますか。

36番ばんの歌うた 心こころを守まもる

a エホバが与あたえてくださる知ち恵えは,この世よの中なかで得えられるどんな知ち恵えよりもはるかに優すぐれたものです。この記き事じでは,「格かく言げんの書しょ」に載のせられている興きょう味み深ぶかい例たとえを考かんがえます。知ち恵えが広ひろ場ばで叫さけんでいる,という表ひょう現げんです。また,どうすれば真しんの知ち恵えを得えられるか,ある人ひとたちが知ち恵えに耳みみを貸かそうとしないのはなぜか,それに耳みみを傾かたむけることはどのように私わたしたちのためになるかも考かんがえます。

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