家族制度が崩壊すれば
家族は社会の最も古い,最も基本的な単位です。また,一国の青年男女を保護し,育むための枠組でもあります。しかし,深刻な問題を抱えた家族が多いことを恐らく知っておられるでしょう。
家族のきずなが弱まり,崩壊の一途をたどるようになるとどうなるでしょうか。US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌の1978年3月13日号は次のように述べました。
「家族は社会の中心的な力である。その家族という制度が崩壊すれば,その代わりとなるものを設けない限り,社会も崩壊する。しかも,それは強力で道理に合ったものでなければならない」。
しかし,実際のところ,従来の家族制度の代わりを立派に務めるものが何かあるでしょうか。今はやりの,「家族のような」様々な実験的関係を見てどう思われますか。
例えば,同性愛者の“家族”が続々と登場し,中には,養子をもらっている“家族”さえあります。性関係も共同なら,生まれた子供の養育も共同という,コミューン式の“集団婚<グループ・マリッジ>”も盛んになりました。正式に結婚している男女が,互いに配偶者以外の人と性関係を持つことを認め合っている“開かれた結婚”も試みられています。特に多いのは,男女が合法的な結婚の正式手続をせずに同棲する“内縁関係”です。
その結果を調べる
では,それら,従来の家族制度に取って代わろうとする関係はどんな結果を生んでいるでしょうか。大体において良い結果は得られていません。例えば,新しい道徳を実践している若者の間では十代の妊娠が非常な勢いで増えており,そのために政府は毎年,医療費と福祉費に多額の予算を計上しなければなりません。そのつけは納税者に回ってきます。
実を言うと,これら家族制度に取って代わる生活上の取り決めが出てきたこと自体,すでに実証ずみの価値が崩壊していることの表われなのです。これは早晩わたしたちすべてに影響を及ぼす事柄です。1978年のワールド・ブック百科事典もそのことを次のように印象的に述べています。
「文明全体の存続もしくは消滅は,家族生活が堅実かどうかにかかっていた」。
これは本当に真実でしょうか。
歴史家たちは,古代ギリシャにおいて道徳の退廃が家庭を破壊したことを指摘します。歴史家ウィル・デュラントは当時の人々の様々な生活様式に注目したのち,こう書いています。「これまで,ギリシャがローマによって征服された根本原因は,ギリシャ文明が内部から崩壊したことにあった,という点を示そうと努めてきた。大国が征服される場合,その国は必ずすでに内部から崩壊している」。
このことはローマについても言えました。デュラントによれば,ローマの初期には家族の結束が強かったので,人々はしっかりしていて国家は強力でした。それから数世紀経てローマ人の家族生活が弱まると,国力も衰えました。
ところで,現在の社会をながめて,歴史が全世界的な規模で繰り返しているのではないだろうかと考える人もいます。今日,家庭は本当に破綻をきたしているのでしょうか。