この時代の恐怖に打ち克つ
皆さんは悪いことに恐怖を抱いていますか? 大抵の人々は恐怖しています。その原因は,世界の恐怖についての根本原因とかその意義の知識をもたぬからです。あなたは恐怖に打ち克ち,知識に根ざした幸福と自信を持ちうることを,この記事はよく説明しております。
この時代は恐怖にみちております。どこに住んでいる人々も恐怖にとりまかれています。人々は不安定を恐れています。人々は飢えを恐れています。人々は病いを恐れています。人々はその隣人を恐れています。人々は政府を恐れています。人々は戦争を恐れています。人々は知識を恐れています。人々は恐怖をすら恐れています。
古今の歴史を通じて,危機のときでも,災害のときでも,人々は,確信を持たないながらも,つねに,希望をもつて,未来を待ち望んでまいりました。しかし,今は変りました。『第一次世界大戦中に,社会の秩序がこわされてから,大衆の安定もなくなり,誰ひとりとしてやすらかな心をもつていない。』とウオルター・リップマンは『公共の哲学』のうちで述べています。
科学者は,原子力については,素人のだれよりも,その偉力についてよく知つていますが,彼らは,未来を心から恐怖しています。ノーベル賞を得た原子科学者,ハロード・シー・ウレイ博士は,『恐怖からの自由? 我らは恐怖を食べ,恐怖のうちに眠り,恐怖のうちに生き,恐怖のうちに死んで行く』とさえ言いました。しかもこれは,水素爆弾がまだ登場していないときの言葉です。
人々は恐怖と戦うための最良の武器である知識をも恐れています。知識を恐れないで下さい。恐怖を克服するのに絶対的に必要であるという,その知識とは何でしようか? 前代未聞の世界的の恐怖,未来への恐怖にとりまかれている,この風変りな時代についての正しい知識です。では,これらの意義を解く鍵は誰から得られますか? 恐怖に全くとりつかれている,この世の述べる所説にきき入ることは,愚かなこころみです。この世の人々は,自分たちが恐怖の霧のうちをさまよつていることを,自認しているからです。私たちは,権威をもつて語る方 ― 即ち神の子イエス・キリストに聴くべきです。かつて地上に生存していた一番偉大なこの予言者は組織制度の終りについての質問に次のように答えました。『民は民に,国は国に敵対して立ち上がるであろう。また大地震があり,あちこちに疫病やききんが起り,いろいろ恐ろしい光景があるであろう。』― ルカ 21:10,11
これらの『恐ろしい光景』は,人類が今までに時折,見てきたような,普通の恐ろしい光景とは違います。本当に,全く違います。偉大な予言者は,これら独特の『恐ろしい光景』を次のように語つております。『地上では,諸国民が悩み,海と大波とのとどろきにおじ惑い,人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう。』(ルカ 21:25,26)この意味によく注意して下さい。まず第一に,諸国民の悩みとか恐怖について最も機敏な政治家でも,施す術がないことです。つまり,このように全世界に恐怖がひろがつたことは,人類の歴史に今までその例がないということです。第二に人々は『恐怖で気絶する』ということです。何故?『起ろうとすることを思い』未来を恐れているからです。私たちの時代の変つた特徴は,じつに,イエスの予言の成就に外なりません。
1914年以来のこの時代は,今までの時代のどれよりも多くの恐怖を経験しております。この時代は『末の日』であり,『終りの時』であり,また堕落した組織制度は過ぎて,神のつくる,義の住む新しい世の訪れるときです。今は,ハルマゲドンの戦が起るまでの過渡期の終りのときです。そのハルマゲドンの戦は,過去又は未来を通じて,凡ゆる時代のなかで最も畏怖を感じさせるときです。イエスは次のように宣言しました。『世の初めから現在に至るまで,かつてなく,今後もないような大きな患難が起るからである。』― マタイ 24:21。
大抵の人々は悪いことを恐れています。人々は隣人を恐れ,あるいは国々を恐れています。しかし,彼らはハルマゲドンこそ恐れるべきです。若し人がこの世にとどまるなら,ハルマゲドンはそれらの人々をこの世と共に滅し去るからです。しかし,このことについて,人類の大部分は気付いておりません。そしてこの無智から,悪いことへの恐怖が生れてきました。特に,この時代はハルマゲドンを目前に控えているときですから,事実を恐れずに直視すべきときです。『これらの事が,ことごとく起るまでは,この時代は滅びることがない。』とイエスは警告しました。―ルカ 21:32。
もし私たちが知識を得て,その知識にもとづいて行動するなら,そのハルマゲドンさえも恐れる必要はありません。何故なら『末の日』の兆となる患難とか出来事は,悲しみを知らせずに,喜びを知らせているからです。それは,恐怖ではなく,自信をもつべきことを告げています。奇妙に聞えますか? いいえ,戦争,諸国民の悩み,未来への恐怖とか憂慮,地震,ききん,その他の患難におそわれて,この世が先例のない程の恐怖にとりかこまれたならば,真のクリスチャンはよろこびなさいという,主の次の言葉をよむなら,少しも不思議ではありません。『これらのことが(一時代のうちに)起り始めたならば,見上げよ,頭を上げよ。救は近づいたのである。』― ルカ 21:28。
義の住む新しい世への救は可能なことです。このために,使徒パウロは,この組織制度の破滅について述べてからすぐ後に,次のような慰めの保証について語つています。『しかし,私たちは,神の約束に従つて,義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。』(ペテロ後 3:13)ですから,世界の患難とか恐怖は,神の義の住む新しい世の序曲に外ならず,歓喜の原因とも言えます。
しかし世界の恐怖の意義について知識をもつただけでは充分でありません。なぜ世界が恐怖につつまれているかというその原因までさぐらなければなりません。この知識がなければ,暗やみのなかで敵と戦を交えるようなものでしよう。神の御言葉,聖書は,人類の敵,恐怖を生み出した者,ヱホバの主なる敵に光をあて,明るみに出します。それは悪魔サタンです。この地が沸きかえるような大混乱を呈しているのも少しも不思議ではありません。天における戦の結果,1914年以来サタンは地に追い落され,サタンは地上の苦しみとか暴行をそそのかしております。聖書は黙示録 12章7-10節,12節で,私たちに次のように解明の光を与えております。
『天では戦いが起つた。ミカエルとその御使たちとが,龍と戦つたのである。龍もその使たちも応戦したが,勝てなかつた。そして,もはや天には彼らのおる所がなくなつた。この巨大な龍,すなわち,悪魔とか,サタンとか呼ばれ,全世界を惑わす年を経たへびは,地に投げ落され,その使たちも,もろともに投げ落された。』その結果,『地と海よ,おまえたちはわざわいである。悪魔が,自分の時が短かいのを知り,激しい怒りをもつて,おまえたちのところに下つてきたからである。』
ヱホバはあなたの助け主
私たちは人類の歴史のうちでも,最もすばらしい時代に住んでいると知るとき,恐怖を克服することができます。それには,知識をとりつづけるよう努めるべきです。そのための時間を作りましよう。沢山の聖書研究の手引を用いて,神の言葉を学んで下さい。人々が恐怖に対抗して戦うために,ヱホバの証者は沢山の聖書文書を人々に紹介しています。聖書の次の助言もよく銘記していましよう。『知恵ある者は強い人よりも強く,知識ある人は力ある人よりも強い。良い指揮によつて戦いをすることができ,勝利は多くの議する者がいるからである。』『知恵ある者』は『力ある人』より良いとありますから,前者の方が恐怖に打ち克つための備えがととのつていると言えましよう。議する者からの賢明な導きを得て,王とか統治者は戦をします。恐怖とか,あるいは悪魔サタンと言つたような侮りがたい敵に対して戦を行うときには,あなたは最良の助言者に謀ることが必要です。ヱホバ神とキリスト・イエスが最善最良の助言者です。どうぞ,その忠告に従つて下さい。神の御言葉からの助言にきくなら,戦に勝利をおさめ,かく言うことができましよう。『ヱホバは私の助け主である。私はおそれない。』― 箴言 24:5,6,ア訳。ヘブル 13:6,新世。
神の御言葉は剣のようで,そこから得た知識は一揃いの鎧のようです。そのむかし,兵士が戦に出かけるとき,剣と一揃いの鎧だけでは充分でありませんでした。楯も必要でした。クリスチャンの戦は『悪魔の策略に対抗し』また『天上にいる悪の霊に対する』ものですから,聖書はあなたに『神の武具を身につけなさい』と忠告しています。なかでも『信仰のたてを手に取りなさい。それをもつて,悪しき者の放つ火の矢を消すことができる』と教えています。悪魔の策略によつて生じた恐怖を克服するのに,信仰は何んという大切な役目を演ずることでしよう! 信仰がどれ程,力づよいものかご存知ですか? 使徒は『私たちの信仰こそ,世に勝たしめた勝利の力である』と言いましたが,神の御言葉に固く根ざした信仰は,そんなにも力づよいものです。皆さんも恐怖に打ち克つには,こういう信仰が必要です。―エペソ 6:11-17。ヨハネ第一 5:4。
愛の気持
この時代の恐怖に打ち克つには,たんなる信仰とか知識以上のものが要求されています。何故なら,人は恐怖の気持をすて去り,愛の気持を抱かねばならぬからです。何故?『愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く』(ヨハネ第一 4:18)とあるからです。恐れをとり除くという愛とは,どんな種類の愛でしようか? イエスが教えているような愛だけが,そのような力づよいものです。それは,生命を得るための二つの大きな誡めに含まれている愛です。『すべての心,すべての魂,そしてすべての精神をこめてあなた方の神であるヱホバを愛さねばならない。』『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』― マタイ 22:37-39,新世。
ヱホバを愛するのは,とりもなおさず人を恐れることを止めることです。人々は生命を与えることが出来ません。人はある人の生命を絶つことができますが,新しい世における未来の生命の権利を取り去ることはできません。しかし神はできます! イエスの助言をおきき下さい。『人の体を亡ぼしても,その魂を亡ぼし得ない者を恐れるな。しかし魂と身体とをゲヘナにおいて亡ぼし得るものを恐れなさい。』ヱホバへの愛とは,正しい方を畏れることを意味します。ヱホバを畏れなさい。それは,人々への恐れのような,つまらない恐れではありません。『人を畏るれば罠におちいる。』『ヱホバをかしこみ畏るる道は清くして世々に絶ゆることなし。』またヱホバへの愛は彼の誡めを守ることにより示されます。『神を愛するとは,すなわち,その戒めを守ることである。』― マタイ 10:28。シンゲン 29:25。詩篇 19:9。ヨハネ第一 5:3。
私たちの隣人をも愛すべきです。愛は恐れをとり除きます。隣人に私たちの愛を示す最良の方法とは,恐怖をとり除く音信 ― すなわち,ヱホバの新しい世の良いたよりを告げ知らすことです。
恐怖にみちた世への唯一の解決策である神の新しい世を他人にも心から伝えましよう。その新しい世は静かな平和な世界であり,生命と健康とに充ち,幸福と歓喜の溢れる世界です。そこには,どんな恐れも見当らないでしよう! 未来への恐れも消え失せます。生命保険はもとより,どんな種類の保険も必要ありません。ヱホバはあなたの未来を保証して下さるからです。『ヱホバのたまわく,わが造らんとする新しき天と新しき地と,わが前にながくとどまる如くなんぢの裔となんぢの名はながくとどまらん。』(イザヤ 66:22)病気の恐怖,死の恐怖は,決してありません。神は『人の目から涙を全くぬぐいとつて下さる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない。』(黙示 21:4)そして人はもはや恐怖をも恐れません。恐怖からの自由がたしかに実現するからです。神はこう言われています。『皆そのぶどうの樹の下に坐し,そのいちじくの樹の下に居らん。之を懼れしむる者なかるべし。万軍のヱホバの口これを云う。』(ミカ 4:4)恐怖の気持は愛の気持へと変ります。
皆さんは,現在でも,この時代からの恐怖からの自由をかち得られます。知識,信仰,愛を得て下さい。もう一歩の前進は必要です。いま,あなたにとつて,愛の気持は必要です。いま,あなたにとつて,恐れのない気持は大切です。もしこの古い世と交りつづけるならば,恐怖でもつて汚されます。そうしないで恐れぬ民と交つて,それらの人々と同じように恐れなく生きましよう。恐怖のない新しい世の社会と共に,自信を以つて未来に向い,隣人にもヱホバの証者に参加するよう招待し彼らへの愛を示して下さい。そして,心おののく者に『強くあれ,恐れてはならない。』と言いましよう。―イザヤ 35:4。