高慢な伝統に打ち勝つて救わる
「『しるされている定めを越えない』ことを学び,ひとりの人をあがめ,ほかの人を見さげて高ぶることのないためである。いつたい,あなたを偉くしているのは,だれなのか。あなたの持つているもので,もらつていないものがあるか。もしもらつているなら,なぜもらつていないもののように誇るのか」。―コリント前 4:6,7,新口。
1 この世の伝統の中には,家族に対するどんな危険がありますか。
高慢な伝統は,古い世の考えであつて取りのぞかねばなりません。それは神の新しい世に存在しないからです。この世の伝統は,なんらかの面で各家族に影響を及ぼします。多くの場合,人々は自分の住んでいる場所の根深い伝統とか習慣のために,自分の考えがいつたいどの程度まで支配されているかに気づいていません。家族が救われるためには,家族の成員がこの古い世の習慣の危険に気づくことが必要です。この記事は,高慢な伝統が家族間,社会間,そして国家的な群れのあいだにつくり出す障壁とか分裂または不一致を論じています。
2 この世の高慢な伝統のいくらかは何ですか。なぜ,それらは新しい世の原則に反対していますか。
2 考えに深い影響をおよぼして分裂と偏見をもたらすこれらの伝統のいくらかは,国家的な誇り,人種又は氏族の誇り,家族とその歴史的な偉業の誇り,富,社会的地位,皮膚の色,または言語の誇り,階級または職業の誇りなどです。ある家族は,自分の先祖と先祖崇拝,先祖たちの軍事的な偉業や伝統,むかしからの宗教上の伝統に大きな誇りをいだいています。ひとりの人または群れを別のものから分裂させるこれらの伝統が,一致についての神の原則に反対していることは疑問の余地がありません。これらの伝統や偏見にしたがいながら,新しい世の社会の一部になることはできません。
これらの事を避けなさい
3 高慢な伝統は,何にもとづいていますか。なぜ,それはクリスチャンの交わりと奉仕に妨害をもたらしますか。
3 いまこれらのこの世的な伝統のいくらかが,人類に対してどう働きかけるかを考察してみましよう。階級の差別は,実際のところすべての国民の中に見出さいます。それは,財産,偉業,称号を持つ先祖,職業または知的な業績にもとづれていることでしよう。特権を持つこれらの群れの子孫にあたる家族は,自分たちが他の人間よりも上であると考えます。それで,彼らはごうまんな思いを持ち,高ぶつた気持をいだいて,他の者たちよりもすぐれていると考えます。この考えは,キリスト・イエスの教えに全く反するものです。使徒パウロは,「大言壮語する者,高慢な者,……高言をする者」たちのこの世的な考えを禁じました。(テモテ後 3:1-7,新口)「神は高ぶる者をしりぞけ,へりくだる者に恵みを賜うからである」。(ペテロ前 5:5,新口)そのような態度を持つている人は,隣人を救いの道に助け入れることはできません。なぜなら,そのような態度があるとき隣人と兄弟愛のよしみを持つことができないからです。それですから,すべての者は謙遜を求めねばなりません。神の言葉は次のように述べています,「人の高ぶりはその人を低くし,心にへりくだる者は誉を得る」。―シンゲン 29:23,新口。
4 なぜ国家的な誇りはつくられましたか。なぜ新しい世の社会内には,そのようなものがありませんか。
4 古い世の考え方に大きな役割を果す別の伝統は,国家的な誇りです。これは政治国家や教育機関また教会の権威者たちにより注意深くつくり上げられています。それは,古い昔から政治指導者たちが用いた計画で,あらゆる階級の人々を奴隷の状態にして,政治国家にしばりつけるためです。彼らの特定な国は他の国とことなつており,その国民は他の国民よりもすぐれている,と彼らは教えられています。ヒットラー時代のドイツは,最近の例です。ドイツ人は他の国民を支配して,その生活を制御する「優越人種」であるという考えを吹きこまれていました。これは殊更に新しいことではありません。なぜなら,ローマ人やアングロサクソン人そして他の国民も同じような考え方に従つたからです。新しい世の社会の者たちは,このいつわりの見せびらかしを見破ることができなければなりません。それは悪魔のしわざであつて,「彼はいつわり者」です。神の霊感を受けた御言葉は次のように述べています,「(神は)ひとりの人から,あらゆる民族を造り出して,地の全面に住まわせ」(使行 17:26,新口)また,「『しるされている定めを越えない』ことを学び,……高ぶることのないためである。いつたい,あなたを偉くしているのは,だれなのか」。(コリント前 4:6,7,新口)これらの神の原則から分るとおり,新しい世の社会内に国民の誇りがあつてはなりません。人間は,愚かな古い世の分裂なしに一致の中に生活することができます。そのことは,1958年のニューヨーク市におけるヱホバの証者の神の御心国際大会のときに示されました。123の国々から来た25万3922人は,クリスチャン平和と一致のうちに生活したのです。
5,6 ヱホバの証者の決議は,どのように国家的な誇りを禁じましたか。神の是認を得るために,何が成されねばなりませんか。
5 この大規模な国際的な大会は,ひとつの決議を一致して採決しました。それは,7000万部以上も配布して世界中に知らせたのです。その決議の述べている事柄のうちに,次のことが述べられていました,「私たちは……ノアの子孫である為に……みな一つの人間家族,一つの人間種族である……ヱホバ神は私たち人類の為に,御子イエス・キリストを通して一つの共通な取り極めを設け,近づいている新しい世における私たちの永遠の生命と幸福を図られています……サタン悪魔がその見えざる神であり支配者であると聖書は述べています。サタンとその悪鬼共の支配下にあつて,地上の諸国民と言語は人間種族の一致を破り,人類をして今日の危険な状態にみちびきました」。
6 この決議を採決した新しい世の社会の大きな家族は,国家的な誇りを克服しました。神の是認を得たいと欲するすべての家族は,同様に高慢な国家的な伝統をぬぎ捨てて,自分たちが神に依存していることを認めねばなりません。神は彼らが互に兄弟として生活するよう要求しているのです。
7 クリスチャンは言語に対してどのような態度を取らねばなりませんか。
7 サタンは人間を区別しようとたくらんでいます。その発展した状態は,ちがつた言語の群れ,人種または皮膚の色の群れに対して示される偏見とか区別の中に見られます。言語の誇りがあると,人々は他の人々と自由にまじり合うことができません。しかし,クリスチャンはすべての人々に音信を伝えねばならないのです。もしこのことが行なわれないなら,「すべての国民を教えよ」という神から与えられた任務を果していないことになります。神の新しい世で生活したいと願うすべての人は,自分の隣人と自由に会話ができるようにと誠実にのぞまなければなりません。ときおり,その国の言葉を学ぶための努力をしようとしない傾向があります。
8 人種的な習慣と社会的な習慣は,どのように非聖書的なみちにみちびきますか。
8 それから,クリスチャン原則よりも自分の人種的習慣,伝統そして行ないを重んずる群れの人々があります。このことは特に社会的な習慣にあてはまります。ある人々は,新世社会の兄弟たちに対するよりも,自分と同じ人種の者や,親族にもてなしを示し,交わりを持つことを好みます。時には両親は,クリスチャン兄弟よりも,自分たちと同じ人種の者や,自分たちと同じ言葉を語る者たちと子供が交際をして,結婚するようにすすめています。しかし,このことは「不信者とつり合わないくびきを共にするな」という聖句とは反対です。―コリント後 6:14,新口。
9 (イ)皮膚の色にかかわりなく,なぜすべての人は神の御前では平等ですか。(ロ)ヱホバの制度は,人間のどんな行いを認めますか。そしてなぜ?
9 皮膚の色という事柄にもとづいて,人間の伝統は人間と人間のあいだに人工的な分けへだてをつくりました。根本的には人間はみな同じ先祖からの子孫であり,同じ基本的な能力を持つています。すべての者は唯一の真の神を認めて,崇拝をささげねばなりません。また自分たちの救い主として主イエス・キリストを受け入れねばなりません。人間は区別を設けます。そして,神の民はある国々の法律が人種とか皮膚の色の区別を要求するなら,その法律を認めねばなりません。しかし,新しい世の社会内では,区別はないのです。そして,皮膚の色が異なるという理由で兄弟たちに区別を設けることは許されません。ヱホバ神はそのような区別を設ける取り扱いをしません,「神は人をかたよりみないかたで,神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが,ほんとうによくわかつてきました。」― 使行 10:34,35,新口。
10 なぜ先祖崇拝は神の御前では忌み嫌われるものですか。それを克服するさいに,どんな困難な事柄がありますか。
10 特に東洋の国々では,先祖崇拝という深く根づいた習慣があります。死んだ先祖は神々です。彼らの前に食物が置かれ,念入りな儀式が行なわれて祈りが捧げられます。それは家族名の名誉に関することであり,家族の中の生存している人々は,みなそのことに関心を持つています。家族内の年長者は,間もない中に神々になる者であつて,生ける先祖と思われます。彼らは,この儀式が家族の年若い成員を支配して,束縛する有力な手段と見出しています。中年の人でさえ,その両親が死ぬまでは家庭内の権威を持ちません。先祖崇拝はまた自分にへつらう巧妙な形式でもあります。崇拝者は神々である先祖の子孫であり,したがつて自分自身神になる途上にある,というのです。この信仰があると,人は隣人と分けへだてをつくることになります。また,啓発を受けた人は,社会的,伝統的,宗教的,そして経済的な行いとむすびついている家族の伝統を破りにくいと知ります。変化しようと考えることは,けいべつと恐怖の目で見られます。それで彼らの心は,変化や進歩に対して閉じてしまいます。新しい世の社会に進歩する家族は,先祖崇拝または家族崇拝の儀式を取りのぞくよう準備しなければなりません。
11 どんな理由でイエスは宗教的な言伝えを非難しましたか。どんな例が与えられていますか。
11 深く根づいている人間の別の伝統は,宗教的に古めかしいことを尊敬することです。回教徒,ローマ・カトリック信徒,仏教徒,儒教徒そしてヒンズー教徒は,自分たちの先祖や,ずつと昔の作品とか言葉を畏敬の念をもつて見ます。それらは神の言葉に反対するものです。人間のこの伝統は,彼らの心を暗まして,調べる気持を起させません。カトリック信徒や新教徒たちは,神の御言葉よりも自分たちの伝統的な信仰や信条の方を重んじます。ユダヤ人たちは,タルムッドおよび人間の考えを編集したものの方が,霊感を受けたヘブル語聖書よりもはるかに貴重である,と見なしています。ユダヤ人にとつては,聖書とタルムッドをくらべると,タルムッドはちようどこくのある赤いぶどう酒のようで聖書は水のようであると考えられます。どんなに古いものであろうと,これらの人間的なこの世の伝統は,ことごとくわざわいにみちびきます。イエスは次のように語りました,「なぜあなた方も自分たちの言伝えによつて,神のいましめを破つているのか。……あなた方は自分たちの言伝えによつて,神の言葉を無にしている。偽善者たちよ,イザヤがあなた方について,こう適切な預言をしている,『この民は,口さきでは私を敬うが,その心は私から遠く離れている。人間のいましめを教として教え,無意味に私を拝んでいる』」。―マタイ 15:3-9,新口。
直理は高慢な伝統をばくろする
12 社会的な立場の誇は,真理を受けいれることをどのように妨げますか。
12 ヱホバの御言葉の真理を受けいれる家族や人々は,これらの高慢な伝統による妨げをしばしばうけています。たとえば,ヱホバ神のこと,王であるキリストのこと,正義の新しい世のことを初めて告げられるとき,人は熱心にみちみちます。それはすばらしいものです。しかし,問題が一つあります。「このことは私の家族の地位にどう影響するだろうか。私たちはこの地方で高い尊敬を受けている家族だ。尊敬や名誉を受けるかわりに,嘲笑や迫害をうけるかも知れぬ。真理は人気がない」。この立場にいる人は,何をすべきですか。人間の伝統によつて左右されますか,それとも神の御言葉を受けいれて,その光の中に歩きますか。神の恵みを得るためには,神に従うことが最善です。
13 特定な家族の伝統は,1958年の決議の中で示されているごとく,どのように平和の君の原則と反対しますか。
13 別の人は,全世界にわたる平和と幸福の千年統治の期間中に復活が行なわれるのは神の目的であると知り大きなよろこびを感じます。ところが,一つの問題が生じます。その人は,1958年の夏ニューヨーク市でヱホバの証者が採決した大決議のことを知ります。その決議の一部は,次のように述べられているのです,「象徴的に言つて私たちは剣を鋤に打ちかえ,槍を鎌にかえました。私たちは多数の国籍から成り立つていますが,互に剣を上げることをしません。なぜなら私たちはクリスチャン兄弟であり,神の一つの家族の成員だからです。私たちはお互どうしに対する戦争を,もはや,学ぼうとせず,平和,一致,兄弟愛の中に神の道に歩みます」。さて,興味を持つた人は次のように言います,「しかし,私の家族には誇り高い陸海軍の伝統がある。私たちの家族は,幾時代にもわたつてこの国の軍籍に入つていた。私の先祖は,多くの有名な戦闘で戦かつた」。そのような誇り高ぶつた伝統は,平和の君の原則とは真正面から反対します。この人は,高慢な家族の伝統か,または新しい世で生活することのどちらかを選ばねばなりません。
14 (イ)キリスト・イエスおよび今日の彼の忠実な弟子たちが伝道する真理の真実の源を説明しなさい。(ロ)アメリカに協会の本部がある理由は何ですか。なぜこのことで,人々は真理に対して偏見を持つてはなりませんか。
14 他の人々は,昔からの国家的な伝統を誇つています。そして,自分たちはすぐれているという態度で,ものみの塔聖書冊子協会の出版する聖書研究の文書についてこんな風に言います,「この文書はどこから来るのか。アメリカ合衆国から? アメリカは新しい国ではないか。幾世紀ものあいだ我々の国にだつて聖書学者はいた。いつたい,アメリカが我々に何を教えようというのだ」。そのような人々は,侮べつの気持をいだいており,その態度は昔の人々がナザレの町をけいべつして言つた態度とちがいません,「ナザレから,なんの良いものが出ようか」。(ヨハネ 1:46,新口)イエスの音信は,ナザレから出たのでなく,ヱホバ神から出ました。それで,今日でもヱホバの証者の音信はアメリカから来るのでなく,最高の神から来るのです。ヱホバ神は,その聖霊の働きにより忠実な人々にその音信を伝えました。真理はアメリカの音信ではありません。しかし,便宜をはかるためと,協会の活動を取り扱うために,本部はニューヨークにあります。それは今日の地上にある大回漕業と交易の中心地です。国家的な伝統のために理性を持つ人々が偏見をいだいて神の御言葉の真理に盲目となるというようなことがあつてはなりません。なぜなら,ヱホバの真理はどの国であろうと,またどの言語であろうとも同じだからです。真理を受けるために,人はそのような伝統に打ちかたねばなりません。
15 人間の伝統が真理を受け入れることを,どのように妨げるか,ひとつの例を述べなさい。
15 ひとつの実例があります。ヒットラー時代中にヱホバの証者といつしよに収容所に入れられていたドイツの一ユダヤ人の例です。この人は,次のように言つていました,「彼らがすばらしい人々であることについては,疑問の余地はすこしもない。他の者たち,カトリックの司祭とか,ラビとか,新教徒たちは原則を捨てて動物のように生活するのを見た。しかし,ヱホバの証者を降参させることはできなかつた。私はヱホバの証者には感心している。たしかに神は彼らと共にいる。しかし,私の場合では,私の家族もいるし,私の友人もいる。伝統や教育にしたがい私はユダヤ人で,これからもユダヤ人でなければならない。私は言葉では言わぬが,彼らを支持する者であり,彼らをほめる者である。しかし,彼らといつしよに行くことはできない」。これは,人間の伝統や人種の誇りのために,ひとりの人はヱホバの御霊が注がれてい人々をまのあたりに見ながら,それらの人々に加わるのをためらつた明白な一例です。
高慢な人間の伝統に打ち勝たねばならぬ理由
16 神の民はなぜ人間の伝統に打ち勝たねばならぬか,聖句と理由を述べなさい。
16 それはヱホバから始まらず,この世から始まつている故にヱホバの忠実な民はこの世とかかわり合いを持つてはなりません,「私が世のものでないように,彼らも世のものではありません」と主イエスは言われました。(ヨハネ 17:16,新口)この世の行いと伝統から離れる必要性は,使徒ヨハネにより告げられました,「世と世にあるものとを愛してはいけない。もし,世を愛する者があれば,父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの,すなわち,肉の欲,目の欲,持ち物の誇は,父から出たものではなく,世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」。(ヨハネ第一書 2:15-17,新口)この命令は,全く明白です。人は古い世のみちにならつてはいけません。使徒パウロは,次のように言いました,「この世の組織制度に従うのをやめなさい。むしろ,神の善にして,御旨にかなう全き御心をわきまえ知るために,あなた方の思いをかえて変化しなさい」。―ロマ 12:2,新世。
17 人間の伝統を始めた者は誰ですか。それに従う者たちには,どんな結果が生じますか。
17 これらの聖句は,次のことを明白に示しています。すなわち高慢な人間の伝統は神からのものでなく,悪魔からのものであるということです。それは上からのものでなく,下からのもの,神に敵対しているこの悪い世からのものです。「世を友とするのは,神への敵対であることを,知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は,自らを神の敵とするのである」。(ヤコブ 4:4,新口)理性のある人なら,神の敵になりたいと望む人はひとりもいないはずです。それですから,ヱホバの民はこの世とその伝統に打ち勝たねばなりません。
18,19 人間の伝統のわざは何ですか。それらは,今日どのように見られますか。
18 人間の伝統は,肉欲のほこりの一部です。それは悪を生じさせます。使徒パウロは,次のように述べています,「肉の働きは明白である。すなわち,不品行,汚れ,好色,偶像礼拝,まじない,敵意,争い,そねみ,怒り,党派心,分裂,分派,ねたみ,泥酔,宴楽,および,そのたぐいである。私は以前も言つたように,今も前もつて言つておく。このようなことを行う者は,神の国をつぐことがない」。(ガラテヤ 5:19-21,新口)これは,神の新しい世にいたいと欲するすべての者が高慢な伝統を克服しなければならない別の強い理由です。
19 人間の高慢な伝統の悪は,現在の世のなげかわしい状態に見られます。現在の世には争い,不一致,分裂,依古ひいき,憎しみ,腐敗,そして戦争が存在しています。分離を生じさせる伝統についての理論は,分裂の力になつています。世界の一致,国家の一致そして家族の一致は,そのような伝統によつて破られています。
20 ニューヨーク大会で採決された決議に示されているごとく,ヱホバの証者は個人としても,また群れとしてもどんな立場を取りましたか。
20 ヱホバの証者は,この世から離れて,この世に反対する立場を取りました。彼らは新しい世の側に立ち,この世とその分裂の伝統から離れて,ひとつの一致した民であるという立場を全世界に知らせました。1958年のニューヨーク市における国際大会のときに採決した決議の中で,彼らは次のように言明しました,「多くの異なつた国民から私たちが来たという事実にもかかわらず,私たちは一つのクリスチャンの民です。それは,私たちがこの世とこの世の憎むべき争いから分れ離れてイエス・キリストを通し唯一つの神,天の御父に献身しているからです。……私たちは,神に敵対して戦う人間によつて,私たちの一致を破らせません」。そして更に「私たちはハルマゲドンの後に来る神の永遠の新しい世にみちびき入れられるにふさわしい者と判明します。その新しい世では,一つの政府,すなわちキリストによる神の御国の下にあつて,私たちは人種差別とか,国家的な境界とか,分裂なしに,神の民の一つの家族として一致した崇拝を神に捧げ,神の御こころを永遠にわたつて行ないます」。
高慢な伝統に打ち勝つ方法
21 高慢な伝統は新しいものですか。使徒パウロがアテネで見つけたものを説明しなさい。
21 この20世紀に表明されている高慢な人間の伝統は,人類の歴史上ことさらに新しいものではありません。いまから1900年むかしに使徒パウロがアテネを訪ねたときに目撃したギリシャの文明も,根本的な同じ考えを持つていました。パウロは,シラスとテモテの来るのを待つている間,その町と習慣を注意深く観察しました。彼は多くの都市と偶像崇拝を見てきましたが,アテネで目撃したものにはたいへんおどろきました,「さて,パウロはアテネで彼らを待つている間に,市内に偶像がおびただしくあるのを見て,心に憤りを感じた」。(使行 17:16,新口)偶像は宮のなかにあるだけでなく,広場とか,街路とか,町のなかのいたるところにありました。
22 パウロは,アテネの人々のどんな状態に面しましたか。真理を述べ伝えた際に,どんな問題はパウロに直面しましたか。
22 アテネは大学の町で,教授や,講演者や,哲学者,学生,そして知者たちで一杯でした。「いつたい,アテネ人もそこに滞在している外国人もみな,何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに,時を過していたのである」。彼らは話し合つたり論じたりすることを好みました。「エピクロス派やストア派の哲学者数人も,パウロと議論を戦わせていた」。(使行 17:18-21,新口)神を認めぬ不可知論者や知識人,そして高慢な伝統や人間の理論でみちみちているこのところで,クリスチャンであるパウロはただひとりだけでした。これらの不信者の前に真の崇拝をどのように示すことができますか。この世的に賢明な人々をどのように援助すれば,彼らが真理を持つていないことを認めるでしようか。彼らの心から伝統の障害を取りのぞくことによつて,どのように援助することができるでしようか。これらの人々を救うには,先ず彼らの高慢な伝統を打ち破らねばならぬ,とパウロは見ました。それで,彼はアテネにある最高の法廷,アレオパゴスの法廷に行つたのです。そこは,非常に古いところで,パウロはその所でキリスト教を弁護する話を始めました。使徒パウロが聖霊の導きの下にどのように話をしたかを理解するとき,それは高慢な伝統に打ち勝つために基礎的な聖書の真理をどのように用いるかの良い例となります。
23 高慢な伝統を打ち破る際,パウロはどんな基礎的な真理を用いましたか。
23 パウロは,次のような基礎的な真理を述べることによつて,高慢なアテネ人を普通の,一般的な標準に引き下げました,「この世界と,その中にある万物とを造つた神は,天地の主であるのだから,……すべての人々に命と息と万物とを与え,またひとりの人から,あらゆる民族を造り出して,……われわれは神のうちに生き,動き,存在しているからである。……このように,われわれは神の子孫なのであるから,神たる者を,人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫りつけたものと同じと,見なすべきではない。……神は義をもつてこの世界をさばくためその日を定め,お選びになつた方によつてそれをなし遂げようとされている。すなわち,このかたを死人の中からよみがえらせ,その確証をすべての人に示されたのである」。―使行 17:24-31,新口。
24 人間はなぜ誇るべきものを何一つ持つていないか,聖書から示しなさい。
24 パウロは高慢な伝統を持つ人間に真実の光を照らしました。彼は,すべての人間の存在は,神に依存している,ということを示しました。この最初の賜物を神からいただかないならば,彼らも,彼らの都市も,国家も,伝統も存在しなかつたでしよう。それですから,一切のことを創造主なる生命の与え主に依存していることを認めて,彼らは創造主の道を学び,彼のいましめに従うべきです。後日パウロがテモテに宛てた手紙の中で述べているとおりです,「私たちは,何ひとつ持たないで世にきた。また何一つ持たないでこの世を去つて行く。ただ衣食があれば,それで足れりとすべきである」。―テモテ前 6:7,8,新口。
25 救を得るために私たちは何をしなければなりませんか。なぜ私たちは感謝を捧げるべきですか。
25 私たちの持つすべてのものは,宇宙の全能なる創造者から来ているということを認めないなら,私たちは家族としても又は個人としても,ひとりも救を得ることができません。人はみな全能の創造者に対する感謝の気持でみちなければなりません。創造者の恵みと救にいたる道を私たちのために開かれた創造主の善と過分の御親切に感謝すべきです。誇りを持つ人間のこの世的な伝統を捨てないなら,それはいつも道の妨害物となり,いつも害を与え,いつも分裂をもたらし,いつも人々をして神と隣人の敵にさせるでしよう。真理が啓示されたことにたいし,神に感謝をささげましよう。ヱホバの新しい世には分裂とか区別を生ぜしめるものはないのです。すべてのものは,いま平和のうちにそしてお互どうし一致の中に生活しなければならないのです。
[16ページの図版]
ノア
黒人
コーカス人
東洋人