「全能の神の大いなる日の戦争」中の安全
軍縮会議や政治国家の首脳たちの頂上会議が開かれて,生存者がひとりものこらないと心配されている戦争の延期あるいは回避がはかられているいま,この記事が出されました。その目的は,世界の指導者は見のがしているが,真実の安全にみちびく天からの助言を指し示すためです。この音信を読んで研究することは,賢明な行いです。この音信は,全世界の大都市で行なわれた一連の大会のとき,大聴衆の前で話されました。時機にかなったこの音信が,あなたを援助して必要な安全を見出すことができるように,発行者はのぞんでいます。
1 なぜ「大いなる日の戦争」は,ぜったいに必要ですか。なぜ善意者は,この戦争のことを考えて気分を悪くする必要がありませんか。
それは「大いなる日」でしょう ― それは,あらゆる戦争を終らせる戦争の日です。無私の気持で平和と兄弟のよしみを愛する人々は,その日を待ちのぞんできました。それは,善意者のあいだに永続する平和の世界をもたらすでしょう。その大いなる日の戦争は,ぜったいに必要なものです。それによってのみ,戦争のことを考えて戦争を挑発している全人類社会の平和撹乱者たちは,永久にぬぐいさられてしまうでしょう。この次の世界大戦はきわめて恐ろしいものとなります。しかし,善意者は宇宙的な規模を持つ戦争がたしかにあるということを考えて,ふるえおののく必要はありません。大きぼな戦争や小きぼの戦争を永久に終らせるには,そのような戦争によらねばならぬといっても,気分を悪くする必要はありません。善意者はたしかな安全を見出すことができ,その「全能の神の大いなる日の戦争」に生きのこることができます。
2 生存ということについて見るとき,なぜそれは第三次世界大戦とちがう戦争ですか。
2 ある人々は安全を得て生き残ることができます。すると,それはちがった種類の戦争でなければなりません。いま人々が第三次世界大戦について語るとき,生き残る人はひとりもいないと考えられます。なぜなら,この核力と宇宙弾導弾の時代に行なう戦争が,いったいどんなものであるか,人々は知っているからです。1950年代の10年間に,科学者や軍事家たちは致命的な新しい兵器をたくさんつくりだしたため,新聞寄稿家シー・エル・スルスバーガーが「以前には神のみの行ない得た全滅のコツ」aと述べているものを人類は完成しました。すでに人類は,生き返って,破壊的な行為をくり返して行なう力を持っているなら,何度も何度も人類の自滅をもたらすのに必要な破壊的な物質を十分に持っています。
3,4 (イ)宇宙弾導弾による脅威のほかに,どんな他の手段による戦争は私たちの生命を危険にしますか。(ロ)戦争ガスの製造は,どの程度まで行なわれましたか。そしてどんな恐怖は増加していますか。
3 今日,私たちは「核クラブ」にすでに入つている四つの国の弾導弾攻撃という脅威にさらされているだけではありません。私たちはまたガス戦争による恐ろしい滅びの危険にも面しているのです。今日では,毒ガス,病気蔓延ガス,そして神経ガスのようなものが発明されました。―まったく精神化学<サイコケミカル>ガスと呼ばれるものが発明されました。それは,人間のサイケ,すなわち魂,あるいは知能と神経の支配に影響します。このようなガスの中のあるものは,幾分も経たない中に幾万人もの人を殺すことができます。あるガスは,都市全部の人々を気違いにしてしまいます。他のガスは人々を麻痺状態におとしますが,人々を殺しません。それは,敵軍の占領している都市を自由解放する準備をするためです。
4 共産主義ロシアは,いろいろな戦争ガスの開発ということについては,アメリカ合衆国よりも6年も先んじています。ロシアは,アメリカ合衆国が今日持っているすべてのガスを持っているはずです。おそらく,アメリカよりも多くのガスを持っているでしょう。かつてアメリカ合衆国陸軍化学戦争部にいたセシル・エム・コギンス博士は,そのように語っています。1960年2月23日,彼はカリフォルニア医学会で講演をして,毒ガスのあるものは「核爆弾以上におそろしいものである」と告げました。それよりも幾日か前の2月5日,アメリカ合衆国は神経ガスの製造を中止したと報ぜられていました。なぜなら,アメリカにはいまそれが「十分」あるからです。コロラド州のある民主党議員の言葉によると,「十分」という意味は「世界中のあらゆる男,女,そして子供を殺す」のに十分間に合う量ということです。もちろん,そのようなことをしたいと思う人は,気違いと考えられるでしょう。しかし,今日では大きな心配が存在しています。まったく,そのような大量破壊の悪魔的な道具が使用される第三次世界大戦は,気の狂った人間,ちよっとした偶然事,あるいは見こみちがいによって始められるのではないか,という心配は増加しています。
5 人間の生存の手段は,どの源だけから来ますか。そして,なぜ?
5 全人類は危険な次の10年のうちに自分自身の手段によって無謀な自滅をはかる危険にいるように見えます。「降下物避難所」や,地下避難所を持つ核時代都市をつくるよう提唱されていますが,世界的な視模にわたる核戦争や毒ガス戦争が行なわれた後には,地上で安全に生活することはできないでしょう。人間が生き残ることのできるただひとつの手段は,人間よりも高い源,人間よりも力のある者から来るのです。その者は,人間の創造者,および人間が住んでいるこの地の創造者にちがいありません。
6 諸国家は,戦争の時になると,だれに祈りをささげますか。しかし,彼らの勝利はだれに帰することができせんか。
6 不敬虔な共産主義者はまず例外ですが,全国民は戦争の時になるとそれぞれの神に祈りをささげて,戦勝を祈願します。キリスト教国の諸国家は,同じひとりの神に祈りをささげます。神は不公平な国家主義的な神で,自称キリスト教の一国家を恵んで,他の国家を恵まないかのように彼らは考えています。しかし,軍事的な勝利を得たキリスト教国の国は,天の神のおかげで勝利を得たなどと考えることはできません。また,神の聖書ゼパニヤ 4章6節にある言葉からも,その勝利を説明することはできないでしょう。「万軍のヱホバのたまふ是は権勢によらず能力によらず我霊によるなり」。しかし,戦争に勝つための神助を願う彼らは,神がすべての国家よりも力の強い方である,と告白しています。しかしまた,戦勝祈願には答えが与えられず,祈りをささげた諸国家は敵によって打ち負かされました。それでは,彼らの考え方に従うと,神は敗戦国に反対していたことになります。
7 「全能の神の大いなる日の戦争」について,私たちはどんな実際的な質問を考慮しなければなりませんか。
7 それでは,「全能の神の大いなる日の戦争」のとき,キリスト教国の諸国家と世界の他の国家は天の神の御前でどんな立場を持ちますか。それはだれの戦争ですか。「全能の神」は,実際にその戦争で戦いますか。もしそうなら,だれに対してですか。なぜそれらの者に対してですか。これらは,すべての国民が真剣に考慮しなければならぬ実際的な質問です。たしかに,それらは私たち全部が考慮しなければならぬ質問です。なぜなら,私たちはみな,あらゆる戦争の中でいちばん重要なその戦争に近づいているからです! 私たちは,ぜひともそれらのことを知らねばなりません。
8,9 (イ)第三次世界大戦とくらべて見るときなぜ「その大いなる日の戦争」は必ず来ますか。(ロ)その戦争は,とくにどこで述べられていますか。それはふつう何と呼ばれていますか。
8 「全能の神の大いなる日の戦争」は,現代のおそろしい戦争の手段が使用される第三次世界大戦ではありません。第三次世界大戦が来るかどうかは確かでありませんが,「大いなる日の戦争」の来ることは権威をもって預言されています。それはかならず来ます。そのことを保証する全能の神ご自身の警告の言があります。神の書き給うた御言葉中,黙示録として知られている最後の本の中で,霊感をうけたクリスチャン使徒ヨハネは,次のような言葉でもってその預言的なまぼろしを告げています。
9 「第六の者〔御使〕が,その〔神の怒りの〕鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると,その水は,日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために,かれてしまった。また見ると,竜(サタン悪魔)の口から,獣の口から,偽預言者の口から,蛙のように見える三つの汚れた霊感の表現が出てきた。それらは,実際に悪鬼共によって霊感された表現であって,しるしを行なうのである。そしてそれらは全地の王たちのところに行き,全能の神の大いなる日の戦争のために彼らを集める…それらは,ヘブル語でハルマゲドンという所に,王たちを召集した」。(黙示 16:12-16,新世)この戦争の行なわれる場所が述べられています。そのわけで,現代の政治指導者,軍事指導者,そして宗教指導者たちは,その戦争をふつうハルマゲドンの戦いと呼んでいるのです。
10 (イ)どんなことにもかかわらず人間は不安を感じていますか。(ロ)諸国家は何に集められていますか。どんな手段によって?
10 諸国家の軍備がこれほどに大きなもの,恐ろしいもの,破壊的であったことは,いままでにかつてないことでした。国家の軍備がこれほど大きなものでありながら,いま以上の不安を感じさせられたことは一度もありません。使徒ヨハネの預言的なまぼろしは,軍備を持つ諸国家が「大いなる日の戦争」に集められると示しています。それは,全能の神の聖霊によるのでなく,特定な宣伝,教理あるいは教え,「汚れた霊感の表現」,全能の神の敵である「悪鬼によつて霊感された表現」によるのです。この事実は,諸国民にとって良いことをすこしも意味しません。神と戦うのです!
「開戦の理由」あるいは論争
11 戦争についてどんな質問が生じますか。どのようにすれば,私たちはどこに立場を取るべきかを決定し得ますか。
11 どの戦争も,なんらかの論争にもとづいて戦われます。この「大いなる日の戦争」の論争は何ですか。その戦争は「全能の神の日」に行なわれます。すると,その論争は異教国に対するキリスト教国,あるいは神を否定する共産主義に対するキリスト教国という論争ですが。なぜその論争の解決は,戦争だけによるのですか。この戦争の結果はどちら側にも勝利をもたらしませんか。この戦争は,全部の者に対して災をもたらし,何人にも安全をもたらさない,という意味ですか。これらの肝要な質問に対する答は,ひとりの御方 ― その方の日の中に戦争が行なわれる ― を考えるとき,はっきりわかります。この「全能の神」とは誰ですか。今日,彼の関心事,興味は何ですか。彼は戦争をしなければなりませんか。もしその答を学ぶならば,私たちはどこに立場を取るべきかを決定することができます。
12 神は最初,御自分が全能者であることをだれに発表しましたか。どの国で?
12 「全能の神の大いなる日の戦争」という言葉は,聖書の最後の本から取られています。聖書の最初の本の中で,全能の神は御自身を発表しています。その発表は,神が深い関心を寄せられたひとりの人に対してなされました。私たちも,その人について関心を寄せるべきです。その人は,ノアの子セムの曽孫にあたるアブラムです。アブラムは,ノアの日の大洪水の時から352年後に生まれました。アブラムは,天の見えざる神にゆるがぬ信仰を示したので,「神の友」と呼ばれるようになりました。(ヤコブ 2:23,新口)3900年以上のむかし,神はメソポタミヤの谷の低地近くにあったウルの町からアブラムを召して,未知の地に行けと命じました。神は,定め給うた時がくれば,その地をアブラムの子孫に与えると約束しました。アブラムは,その召を受けいただき,父の死後ユウフラテ川を渡って約束の地に入りました。そこには後日エルサレムになったサレムの町がありました。(創世記 第12-14章)アブラムは,24年間この約束の地のあちこちへ行きました。それから,神は現われて御自身のことを告げられたのです。
13 神は御自分が全能者であると発表された後,その地的な友の名前をどのように変えましたか。
13 聖書の最初の本の第17章1-5節は,次のように述べています,「ヱホバ アブラムにあらはれてこれにいひたまひけるは我は全能の神なり汝わが前にあゆみてまつたかれよ…………我なんぢとわが契約を立つ汝はおほくの国民の父となるべし汝の名をこののちアブラムと呼ぶべからず汝の名をアブラハムとよぶべしそは我なんぢを衆多の国民の父と為ばなり」この新しいアブラハムという名前は「衆多の人の父」という意味です。
14 そのときエホバは,御自分が全能の神であることをどのようにアブラハムに証明しましたか。
14 エホバは御自分の友アブラハムに対して全能の神であることを証明しましたか。たしかにそうです。どのように? エホバは,アブラハムに現われて御自身のことを告げられた翌年に,妻サラを通してひとりの男の子を彼に与えたからです。しかし,なぜこのことはエホバが全能者であると証明しましたか。なぜなら,アブラハムとその妻サラの両人が年老いていても,エホバはアブラハムに与えたすばらしい約束を成就し得ると証明したからです。そのときアブラハムは99歳で,彼の妻サラは89歳でした。子供を産む力ということについて言えば,彼ら両人は死んだ者と同様でした。しかし,両人の息子イサクがはらまれる以前でも,エホバはアブラムの名前を変えて,そのときのアブラムの状態に合わない名前,つまり「衆多の人の父」と呼んだのです。そして,エホバはまた彼の妻の名前を,王妃という意味のサラに変えました。彼らのひとり息子イサクがはらまれたことは,あたかも神がアブラハムとサラを死からよみがえして,子供を産める年齢の状態にもどしたと同じようでした。
15 ロマ書 4章16-21節の中でこのことについてのパウロの注解から示されるように,アブラハムがどんな特質を働かせたがために,この奇跡は起こりましたか。
15 それで,イサクの誕生は,全能の神なるエホバの行なわれた奇跡でした。それが行なわれたわけは,アブラハムが神を全能のかた,できないものは何一つない御かたと信じたからです。使徒パウロは,このことについて注解しています。そして,アブラハムと同じような信仰を持つクリスチャンたちに,彼は次のような手紙を書き送りました,「『わたし〔エホバ〕は,あなたを立てて多くの国民の父とした』と書いてあるとおりである。彼はこの神,すなわち,死人を生かし,無から有を呼び出される神を信じたのである。彼は望み得ないのに,なおも望みつつ信じた。そのために,『あなたの子孫はこうなるであろう』と〔神に〕言われているとおり,多くの国民の父となったのである。すなわち,およそ百歳となって,彼自身のからだが死んだ状態であり,また,サラの胎が不妊であるのを認めながらも,なお彼の信仰は弱らなかった。彼は,神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず,かえって信仰によって強められ,栄光を神に帰し,神はその約束されたことを,また成就することができると確信した」。―ロマ 4:16-21,新口。
16 なぜエホバ神は今日でも全能ですか。これについてのどんな聖書的な証言がありますか。
16 この同じエホバ神は,いまからわずか4000年むかしのアブラハムの日のときと同じく今日でも全能です。神の聖書が,いまでは1900年古いものであっても,神は死んでいません。神は不滅で,今日まったく生きておられます。霊感をうけた預言者ハバククは,エホバに向かって次のようなすばらしい言葉を告げました,「エホバよ,あなたは古い昔から存在しているではありませんか。わが神,わが聖者よ,あなたは死なない。」(ハバクク 1:12,ロザハム訳)ハバククから700年の後,使徒ヨハネは,神の言われた言葉を引用しています,「今いまし,昔いまし,やがてきたるべき者,全能者なるエホバ神bは言われる『わたしはアルパであり,オメガである』」。ヨハネはまた,特定な忠実な生物が次のように言っていると引用しています,「聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな。全能者なるエホバc神。昔いまし,今いまし,やがてきたるべき者」。(黙示 1:8; 4:8,新世)それで次のように結論するのは正しいことです。すなわち不滅の来たるべき「全能者なるエホバ神」は今日全能の力を持って生きておられること,彼は今日の地上の国際的な出来事に気づいておられ,そして間もない中に来てその「大いなる日」を施行されるということです。
17,18 (イ)アブラハムは,その戦争の論争を決定することとどんな関係を持ちますか。(ロ)アブラハムに対する約束の中で,エホバはこのことをどのように示しましたか。
17 しかし,この「大いなる日の戦争」の論争が何かを決定することにアブラハムはどんな関係を持ちますか。全地を支配するひとつの政府は全能の神とかかわりを持つため,アブラハムはそのことに関係しているのです。神はアブラムに現われて,彼の名前を変え,「衆多の人」の先祖にならせたとき次のように言われました。
18 「わたしはあなたに多くの子孫を得させ,国々の民をあなたから起そう。また,王たちもあなたから出るであろう。わたしは彼女〔サラ〕を祝福し,また彼女によつて,あなたにひとりの男の子を授けよう。わたしは彼女を祝福し,彼女を国々の民の母としよう」』。(創世 17:6,16,新口)神の友アブラハムから出てくるその王系は,地上の全家族および全国民にとって,特別の価値と重要性を持つものでした。どうしてそうですか。なぜなら,神は他の全家族と全国民についてアブラハムに別の約束をしたからです。その約束はかならず成就するでしょう。エホバ神にとってできないものはひとつもありません。アブラハムは,約束の地に行けと命じた神の召に従いました。この従順の故に全能の神は,アブラハムに与えた他の約束を守らねばなりません。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し,あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは,あなたによつて祝福される」。さらに,後日アブラハムが奇跡的に与えられた息子のイサクをもよろこんで犠牲にささげようとしたとき,エホバの御使はこう言いました,「地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである」。創世 12:1-3; 22:15-18,新口。
19 このことから判断すると,解決されねばならぬ論争は何ですか。
19 全能の神は,破ることのできないこの約束を成就させるために,アブラハムの子孫からひとりの王を出さねばなりません。そして,この王により地上の全家族と全国民は,自分自身を祝福するでしょう。それで,神に善意を持つすべての人の益のために,論争になっている御国があるのです。この御国の論争は解決されねばなりません。
御国の論争
20 (イ)なぜ今日のキリスト教国とユダヤ人たちは,祝福の御国をつくり出すのに失敗しましたか。(ロ)しかし,なぜアブラハムになされた神の約束は失敗しませんか。
20 キリスト教国の国々のうちで,約束された祝福の御国と証明されたものはひとつもありません。キリスト教国の王たちのうちで,アブラハムのすえにあたる者はひとりもいません。霊的な意味でもいません。実際,彼らの中でアブラハムの信仰を持った者はひとりもいないのです。核兵器と毒ガスの装備を持つキリスト教国は,今日の人類にとって祝福ではありません。イスラエル内にいるユダヤ人,および全世界にいるユダヤ人について言えば,彼らは王を持っていません。ユダヤ人は,エルサレムで一連の王たちが支配していた時を回顧するだけです。それはダビデ王から始まる王統で,王たちは西暦前607年にエルサレムが初めて滅ぼされるときまで王座に坐っていました。ユダヤ人たちは,この世界の国際連合制度を支持します。この事実にもかかわらず,いまから3900年むかしアブラハムになされた神の約束は,不履行になったわけではありません。今日,全能のエホバ神は,たしかにその王と御国を持っておられます。その王によるこの政府こそ,エホバはその大いなる日の戦争の際の論争にならせます。
21 神はその御国の目的を為し行なうにあたって,どんな約束をダビデ王になされましたか。なぜエルサレムの滅びは,その目的をくじきませんでしたか。
21 その力づよい目的を成しとげるため,エホバ神はユダの支族に属するダビデをエルサレムの王座に即けました。ダビデは神の友アブラハムの子孫です。エホバ神はダビデに永遠の国を立てると約束しました。ダビデ王から出る王統は,永遠の王にふさわしい御子が来るまで,破れることはないでしょう。主エホバはダビデ王にこう告げました,「あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう。あなたの位は長く堅うせられる」。(サムエル後 7:16,新口)たしかに,エルサレムは西暦前607年に滅ぼされました。しかし,そのためダビデ王の王統が消滅したのではありません。この王統から,地上の全国民を祝福する王が出るはずです。
22 なぜ祝福の王の系図は示されていますか。彼の地的な母はだれでしたか。彼の父はだれでしたか。
22 その最重要な祝福の王にいたるまでの系統は,霊感をうけたふたりの歴史家マタイとルカによつて示されています。歴史家のマタイは,王者なる相続者の名前を述べ,その血統の正しいことを示すため,記録の最初に次のように述べています,「アブラハムの子であるダビデの子,イエス・キリストの系図」。(マタイ 1:1,新口)それでイエスは,全国民の人々を祝福するアブラハムの約束されたすえであります。彼はひとりの処女から生まれた者でアブラハムの子孫です。彼女は,ダビデ王の誕生地,すなわちユダの支族の地域内にあるベツレヘムの町で生まれました。彼女の名前はミリアムあるいはマリヤでした,マタイ(1:16)によると,「このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになつた」。しかし,全能の神はイエス・キリストの父でした。
23 マリヤに告げたガブリエルの言葉は何を証明しましたか。だれがその王の支配から益を受けますか。
23 ガブリエルという名前の御使は天からマリヤにつかわされて,マリヤが神の御子の母親になるよう神によって選ばれた,と告げました。ガブリエルは次のように言いました,「恐れるな,マリヤよ,あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ,あなたはみごもって男の子を産むであろう。その子をイエスと名づけなさい。この者は偉大な者となり最高者の子と呼ばれるであろう。エホバd神は父ダビデの座位を彼に与え,彼はヤコブの家の永遠の王となるであろう。彼の御国には終りがない。……聖霊があなたに臨み,いと高き者の力があなたをおおうであろう。それゆえに,生れ出る子は聖なるものであり,神の子と,となえられるであろう。神には,なんでもできないことはない」。(ルカ 1:26-37,新世)神の御使ガブリエルがこのように述べたことから,イエス・キリストが,その地的な先祖であるダビデの王座につく永遠の相続者になること,そして今日そうなられているかたであることは証明されています。彼はサラを通してアブラハムから出る王統の最高潮の者であります。そして,王である彼の支配により,地上の全家族は楽園の地上で永遠の祝福を得ます。
24 それでは,なぜキリスト教国の王や他の政治支配者たちは,失望と失敗であることを証明しましたか。そして,なぜ彼らは論争を強いるのですか。
24 そのわけで,キリスト教国のカトリックの王や新教徒の王,および別の政治支配者たちは自分たちの国民と他の人類に永遠の福利と祝福をもたらすことができず,失望と失敗をかさねてきたのです。彼らは全能の神によって選ばれたそのひとりの支配者ではありません。彼らが王なるキリストの代理者すなわち地的な代表者として統治したことは一度もありません。実際には彼らはイエスを世に悪く表わし示しました。そして全くのところ,神がイエス・キリストに与えた永遠の御国に反対しているのです。この事実から,「神の大いなる日の戦争」の論争が生じています。
祝福の御国に対する反対
25 油注がれた王を持つ神の御国に対する反対は,だれから出てきましたか。なぜ,ハルマゲドンに集められる諸国民にとって,それはわざわいを意味しますか。
25 御座についている油そそがれた王と神の御国が反対をうけることは,格別新しいことではありません。神の御国は,その最初から反対されました。この反対は,いつも同じ源から出ており,同じ型にならっています。反対の源は,人間よりも高いものです。その源は,エホバ神の大反対者あるいは敵対者です。それは,悪鬼共の支配者,サタン悪魔です。サタンという名称は,反対者,敵対者を意味し,悪魔という名称は,サタンがそしる者,悪意のある嘘を語る者,あざむきを行なう者であることを示します。イエス・キリストの教えによると,サタン悪魔は目に見えない「この世の支配者」で,人間と諸国民にのろいをもたらしたものです。(ヨハネ 12:31; 14:30; 16:11)それで,「悪鬼共に霊感された」宣伝の「表現」によって,「全能の神の大いなる日の戦争」をするため,ハルマゲドンの戦場に集められる諸国民はわざわいです! かつてむかしの時代にエホバ神の御国に反対した者たちは滅ぼされました。彼らもそれと同じ滅びをうけるよう運命づけられています。彼らは安全を見出しません。―黙示 12:12。
26 その国については,昔のペリシテ人やアッスリアの世界強国は何をしようと試みましたか。彼らにはどんな結果が生じましたか。
26 いまから3000年むかしのダビデ王のとき,神の模型的な国あるいは縮図的な国は,中東の地上に設立されました。ダビデ王とその息子のソロモン王および他の後継者たちは,「エホバの座位」と聖書に言われているところに坐しました。(歴代志上 29:23)ガザや,ペリシテの他の海岸都市にいたペリシテ人たちは,ダビデの国を倒そうとしましたが,かえって滅ぼされました。高度に軍事化されたアッスリアの世界強国は,エホバ神をあなどって,ダビデの家系の者が支配していた神の国をくつがえそうとはかりました。それはエルサレムを滅ぼすことに失敗し,エルサレムを占領することにも失敗しました。かえって,バビロンの征服者ネブカデネザルに滅ぼされました。
27 (イ)バビロンは,どんな冒濱の行いが許されましたか。そして,バビロン自身は,どんな罰をうけましたか。(ロ)私たちはどんな警告に注意すべきですか。そしてなぜですか。
27 ついにエホバ神は,ダビデの王統に属する多数の王たちがエルサレムの「エホバの座位」に坐しながら,エホバを悪く表わし示したことに義憤を感じられました。それでその町にある王座はくつがえされ,ほろぼされるとエホバは宣言しました。(エゼキエル 21:25-27)バビロンの世界強国の王ネブカデネザルは,この神の宣言を成就するため,西暦前607年にエルサレムを滅ぼし,その王を捕えてバビロンの捕虜とし,その地で死なせました。それから68年の後,すなわち西暦前539年に,バビロンはエルサレムにあったエホバの模型的な国に対する冒瀆の行いの罰をうけ,バビロン自体がくつがえされ,ついに存在しなくなりました。一方,エルサレムは,バビロンから帰ってきたエホバ神の崇拝者たちにより再建されました。しかし,王座はエルサレムに再興されませんでした。なぜですか,なぜなら,神は御子イエス・キリストの永遠の御国を地上に立てず,天に立てることを考えておられたからです。エホバ神の御国に反対し,攻撃を加え,滅ぼそうと図ったバビロンやその他の国々および世界強国には,おそろしい滅びがのぞみました。それで,私たちはそれらのことから警告をうけましょう。警告に注意を払うことは,私たちにとって安全を意味します。
28 キリスト教国の王たちの唱えるどんな主張にもかかわらず,だれが御国の正しい権威を持っていますか。
28 全能の神は,エルサレムがバビロンによって滅ぼされると定めたとき,預言者エゼキエルをとおしてこう言われています,「ああ破滅,破滅,破滅,わたしはこれをこさせる。わたしが与える権威をもつ者が来る時まで,その跡形さえも残らない」。(エゼキエル 21:27,新口)ダビデの王統に属する処女マリヤに告げた御使ガブリエルの言葉によると,神の御国の永遠の御座につく正しい権威を持って来る者は,イエス・キリストでした。それで,キリスト教国の諸王たちは「神権によって」支配を行なうと宗教的に主張していますが,イエス・キリストこそ神権を持たれるただひとりの御かたです。
29 どのようにイエスは,「キリスト」になりましたか。なぜ彼は神の御国の伝道を促進しましたか。
29 イエスの称号「キリスト」は,油注がれた者という意味です。「最高者の子」イエスは,30歳になったとき油を注がれました。祭司が彼の頭に油を注いだのではありません。最高の神が天から聖霊を彼に注いだのです。このことは,イエスがヨルダン川の水の下で洗礼をうけてすぐ後に起こりました。このように聖霊で油を注がれることによりイエスは約束のキリストになりました。(マタイ 3:16,17。ルカ 3:21-23)彼は祝福の王になるべく油を注がれ,アブラハムに告げられた神の約束を成就しました。彼が油を注がれたことの中には,神の御国の良いたよりを伝道すること,および神の報復の日を叫ぶことも含まれていました。(イザヤ 61:1,2。ルカ 4:14-22)それから後の3年半のあいだ,イエスはパレスチナ内をくまなく伝道しました。しかし,彼はまた御自分のまわりに弟子たちを集めて,彼らを教え,それから神の御国を伝道させるために弟子たちをつかわしました。(ルカ 9:1-6; 10:1-9)彼はローマ皇帝の王位を取りませんでした。彼はそれを悪魔に任せておきました。
30 ローマは,神の御国の敵対行動に,どのように協力しましたか。ローマは,このことについて何を払わねばなりませんか。
30 神の御国を憎む者たちは,神の御国の伝道とその長なる伝道者イエス・キリストに反対しました。彼らはそれを政治的な論争にしたのです。イエスは自分自身を王とし,ローマ皇帝<カイザル>に反対の言葉を述べている,と彼らは言いました。カイザルに親しい態度を示した彼らは,イエス・キリストをエルサレムに駐在していたローマの官憲に引き渡し,彼を苦しみの杭上で殺さねばならぬと主張しました。ローマの代表者たちは,それに協力しました。イエスは杭の上で死にましたが,そのとき彼の頭上には,称号が記されていました。その言葉は,ローマ総督がつくったもので,「ユダヤ人の王,ナザレのイエス」と記されていました。(ヨハネ 18:28から19:22)そのようにして,ローマは宗教的な圧力に屈し,神の永遠の御国の相続者を処刑しました。しかし,後日には,ローマはその帝国内にいた忠実なクリスチャンたちを自ら進んで迫害しました。これらのクリスチャンたちは,天の御国でイエス・キリストと共に共同相続者になるべく召された者です。そのような行いをしたローマは,キリストなる油注がれた王の支配する神の御国に敵対していることを示しました。ローマは,御国に対するこの非クリスチャン的な反対の責を負わねばならないでしょう。
31 ローマは,以前に屈じょくをうけていながら,なおもどんな裁きをうけねばなりませんか。そしてなぜ?
31 すでに(西暦)410年の8月,ローマはビシゴテ人の王アラリク1世の軍隊に占領され,6日間掠奪されました。後日,455年の7月,バンダル人の王ゲンセリックはローマを急襲して占領し,2週間掠奪行為をしました。しかし,もはや世界強国でなくなったローマは,その後でもクリスチャンに反対する行為をいちだんと多くするようになりました。ローマが,バビロンと同じ運命をうけ,「全能の神の大いなる日の戦争」の裁きで,完全永久の滅亡をこうむることは,当然であります。
32 (イ)ローマはイエス・キリストを死刑に処しましたが,神の目的は挫折しませんでしたか。(ロ)いま,どんなことが必ず起こるにちがいありませんか。
32 ローマはイエス・キリストを,恥ずかしい残酷な死刑に処して,その約束の御国に反対していた宗教家たちの歓心を買いました。しかし,このことは天の御父なるエホバ神の目的を挫折させませんでした。それは神の預言を成就して,神の言葉が真実でありその預言が確実なものであることを証明しました。イエスが死んで3日目にエホバは御自分が全能の神なることを全宇宙に再び示しました。彼はイエス・キリストを死人の中から復活させ,不滅性,不朽性,および天的な栄光を着させました。(コリント前 15:3-8,42-54)40日の後,全能の神は主イエスを天にある御自分の御座にのぼらせ,ダビデ王の語った預言を成就させられました。「ヱホバわが主にのたまふ,我なんぢの仇をなんぢの承足とするまではわが右にざすべし,ヱホバはなんぢのちからの杖をシオンよりつきいださしめたまはん,汝はもろもろの仇のなかに王となるべし」(詩 110:1,2。使行 2:32-36。ヘブル 10:12,13; 1:3,4)神とそのキリストの御国の地的な敵たちが全部支配されることは,必ず生ずるにちがいありません。なぜ? なぜなら,全能の神はキリストの敵をことごとく御自分の足台にし,足下にふみつけて滅ぼしてしまうからです。そのとき,私たちは安全をのぞみますか。のぞむべきであります。
安全の必要
33,34 (イ)今日の全人類の前にある最重要な論争は何ですか。なぜ,その戦争は近づいていますか。(ロ)ダビデの王統に属する神の国は,いつくつがえされましたか。すると,神の国は永久に存在しなくなりましたか。
33 今日の全人類に直面している一番重要な論争は,国際的な完全軍縮でなく,キリストによるエホバ神の御国です。いまこそその焦眉の急となっている論争が解決されて,御国の最高主権者エホバ神が立証されねばならぬ危険な時です。御国の論争について戦われる「全能の神の大いなる日」は,刻一刻近づいています。なぜなら,この地に関して神の御国は再び設立されたからです。
34 このことについて疑いを持つ必要はありません。なぜなら,エホバ神はずっと以前にこの画期的な出来事の生ずる時を定めておかれたからです。聖書中の時の表とくらべて見るとき,世俗の歴史の時の表は,ダビデ王の家系に属する神の国が,神が定めて置かれた通り西暦前607年にくつがえされたと示しています。そのとき,王都エルサレムは,世界強国バビロンによって全滅させられました。しかし,この地に関連する神の御国は永久に無くなったわけではありません。ただ,正しい権利を持つ者が来る時まで中断されるということです。そのとき神はそれを彼に与えるでしょう。
35 (イ)御国の中断の時が終了することは,どのように計算されていましたか。(ロ)その中断されていた時を終らせるにあたって,神の述べておられた目的は何でしたか。なぜ戦争はいま事態を決定せねばなりませんか。
35 ダビデの家の王族がバビロンに捕われていた時,神はバビロンにいた預言者ダニエルに,神の御国が再建されるまでの期間は預言的な七つの時であると示しました。すなわちそれぞれが360年の長さを持つ預言的な七つの時です。それは2520年の長さになります。御座のあったエルサレムの町の破壊とユダの地の荒廃は,西暦前607年の10月までに終了しました。すると,異教徒,異邦人の地上支配の七つの時は,そのときから2520年の後に終るということになります。すなわちこの20世紀の1914年の10月に終るということになります。(ダニエル 4:16,23,25,32)神は,御自分の御国の中断を1914年に終了させましたが,ひとつの目的を持っておられました。それはバビロンの王に告げたごとく,世界の支配者たちが「いと高き者が人間の国を治めて,自分の意のままに,これを人に与えられることを」知るためです。(ダニエル 4:25,32,新口)今日の世界支配者たちは,その事実を認めておらず,また認めることを拒絶します。それで,人類の国の中における最高の神の支配権は論争になりました。そして,だれが全被造物を支配するかを決定するために宇宙的な戦争がなければなりません。
36 御国の設立は,どのようにあかしされていますか。何の前にこの御国の証言は終わらねばなりませんか。
36 神が1914年に御自分の御国を設立して,キリストの手にゆだねたという事実についてあかしする人々は,いまでも地上に生存しています。神は,全国民に御国の証言を与える証者たちを地上に持つ,と預言されました。(イザヤ 43:10,12,21)1877年のむかし,エホバの証者は口で話したり,また印刷物を用いて,1914年に異邦人の七つの時が終り,キリストの手中にある神の御国が天で全く設立される,ということに人々の注意をひいていました。イエス・キリストはこの世の制度の終りについての預言の中で,次のことを預言しました。すなわち,御国が設立された後にエホバ神は御自分の証者を地上に持たれるという預言です。彼らは設立された御国について全国民にあかしをたてるでしょう。使徒マタイは,イエス・キリストの預言の言葉を次のように引用しています,「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:14,新口)それで,この御国の証言は,「全能の神の大いなる日の戦争」前に行なわれ,終了しなければなりません。そのときまでには,多数の人々は真実の安全の場所を見出していることでしょう。
37 (イ)キリスト教国の諸国家は,1914年に御国が設立したという良いたよりについて,どのように行なうべきでしたか。(ロ)彼らの祈りの誠実さについて,何が否定不能の答えを与えていますか。
37 1914年,キリストによる神の御国が設立されたという良いたよりを聞いたキリスト教国の諸国家は,よろこぶべきでした。彼らは幾千万冊の聖書を持っています。また幾十万という司祭や牧師は,幾千万人もの教会員を指導して「天にいますわれらの父よ,御名があがめられますように御国がきますように」という主の祈りを祈ってきました。彼らは,本気にその祈りを捧げたのですか。キリスト教国の王たちは,「神権によって」支配するという彼らの主張を認めるよう国民に要求しました。それでは,彼らは全人類の上に立って王として支配する神権,すなわち「合法の権利」を持つただひとりのかた,主なる神の油注がれた者キリストを,よろこんで認めましたか。1914年とそれ以来の出来事は,否定できぬ真実の答を示しました。キリスト教国の諸国家は,聖書預言の予告したとおりの行いをしました。彼らの行いは,その祈りの偽善さをばくろしました。
38,39 (イ)詩篇 2篇1,2節によると,諸国民は1914年にはどんな状態でしたか。(ロ)1914年によると,誰が最初『怒りをいだいて』黙示録 11章15-18節を成就しましたか。どんなことは,そのとき以来の彼らの態度が変らなかったことを示しますか。
38 預言的な詩篇は,彼らの行いについて,次のごとく問うています,「いかなればもろもろの国人はさわぎたちたみらはむなしきことをはかるや地のもろもろの王はたちかまへ群伯はともにはかり,エホバとその受膏者〔キリスト〕とにさからひていふ」。―詩 2:1,2。
39 ここに預言されているごとく,もろもろの国はさわぎ立ち,一致結合して天の御国に反対しました。このことは,使徒ヨハネが見たまぼろしと一致しています。それは1914年に異邦人の七つの時が終るときに生ずることを示しました。ヨハネは,こう述べています,「天に大きな声が起こって言った,『この世の国は,私たちの主と彼のキリストとの国となった。そして彼は王として永遠に治め給うであろう』そして,神のみまえで座についている二十四人の長老は,ひれ伏し,神を拝して言った,『今いますかた,昔いましたかた,エホバ神,全能者よ,あなたが大いなる権力をとって王として治めはじめられたことを感謝します。しかし諸国民は怒り………』」。(黙示 11:15-18,新世)1914年に『怒りを抱い』たのは「異教」と言われる国々ではなく,司祭や牧師といっしょになってキリスト教国をつくりあげる国々でした。彼らは自分たちの力で世界を支配しようとして世界大戦を始めたのです。それ以来,主なる神とそのキリストの御国に対する彼らの敵対的態度は変わっていません。第二次世界大戦は,宗教的なキリスト教諸国の中で1939年に始まりました。1945年に第二次世界大戦が終了して以来,キリスト教国の指導をうける80以上の国々は,国際連合制度の中に結集しました。それは,合法的権利を持つキリストの手にある天の御国を支持するためでなく,地的な人間によって世界の支配をつづけるためです。
40 諸国家は,何にみちびかれることを拒絶しましたか。それで,彼らは何に集められていますか。何によって?
40 サタン悪魔と悪鬼共も御国に敵対しています。使徒ヨハネの書いた黙示録は,そのことを示しています。キリスト教国内の国々も,キリスト教国外の国々も,第一次世界大戦以来エホバの証者が伝道している神の設立された御国の良いたよりに従おうとしません。それで,彼らは平和な態度で神の御国に従っていません。むしろ,ヨハネのまぼろしが前もって見たごとく,彼らは悪鬼共の支配者サタンに従う「悪鬼に霊感された表現」によって,ハルマゲドンにおける「全能の神の大いなる日の戦争」に集められています。(黙示 12:1-12; 16:14-16)それは,諸国民にとって何を意味しますか。神は告げておられます。
41 イザヤ書 13章1,5-9節によると,諸国民には何が来ますか。
41 神の軍勢により,むかしのバビロンにのぞんだと同様の滅びがのぞむでしょう。神の預言者イザヤは,こう述べています,「かれらはとほき国より天の極よりきたる,これヱホバとそのいきどほりをもらす器とともに全国をほろぼさんとて来るなりなんぢらなきさけぶべしヱホバの日ちかづき全能者よりいづるほろびきたるべければなり………視よヱホバの日苛くしていきどほりとはげしき怒とをもて来りこの国をあらしその中より罪人を絶ち滅ぼさん」。―イザヤ 13:1,5-9。
42 ゼパニヤ書 1章2,3,14-18節によると,諸国民の上には何がのぞみますか。
42 バビロンの王が不忠実なエルサレムにもたらした滅びと同様な滅びが来るでしょう。ゼパニヤの述べた預言の中に,こう書かれています,「ヱホバ言たまふわれ地の面よりすべての物をはらひのぞかん」「われ人と獣畜をほろぼし空の鳥海の魚およびつまづきになる者と悪人とを滅さん我かならず地のおもてより人をほろぼしたたんヱホバこれを言ふ」「ヱホバの大なる日近づけり近づきて速かに来るきけよこれヱホバの日なるぞかしこにますらをのいたく叫ぶありその日はいかりの日なやみおよび痛苦の日荒かつ亡ぶるの日黒暗またをぐらき日 あつき雲および黒雲の日………われ人々になやみをかうむらせ………かれらの銀も金もヱホバのはげしき怒の日には彼らを救ふことあたはず全地そのねたみの火に呑るべし即ちヱホバ地の民をことごとく滅したまはんそのことまことに速なるべし」。―ゼパニヤ 1:2,3,14-18。
安全な場所
43 危険な戦争の故に,私たちはぜひとも何を必要としますか。だれがそれを備えることができ,また備えていますか。
43 危険な「全能の神の大いなる日の戦争」に直面しているゆえ,かくれ所,避難所,安全な所がぜったいに必要です。それは,この世的に賢明な人々が,生ずるかも知れぬ第三次世界核戦争に生き残るために提唱しているものとことなるものです。人間は,将来の世界戦争中の人間の安全をはかることを提唱しています。しかし,それは人間とサタンおよび悪鬼共に対する来るべき神の戦争中に安全ではありません。どのような安全な処置が適当なものかは,神が告げ得るものです。いまから4300年のむかし,悪いこの世の制度を滅ぼした大洪水に生き残らせるため,神はどのような安全な処置を取るべきかを,敬虔なノアに告げました。キリストの支配する神の御国の敵共をことごとく一掃するその戦争中,全能の神だけが安全と生存のところを備えることができます。全能の神は安全なところを備えておられ,その場所へのはいり方を私たちに告げています。
44 全能の神は,セパニヤをとおしてどんな正しい行ないをせよとすすめていますか。どんなことがあり得ますか。
44 罪を持っているにもかかわらず,また全能の神に反対しているにもかかわらず,すこしもはじない諸国民の男,女,子供たちにむかって,神は以前に引用した預言者ゼパニヤをとおして次のように言われています,(ゼパニヤ 2:2,3)「かのひはもみがらのごとく過ぎさるされば詔言のいまだ行はれざる先ヱホバのはげしき怒のいまだ汝らにのぞまざる先ヱホバのいかりの日のいまだなんじらに来らざるさきに自ら省みるべしすべてヱホバの律法を行ふこの地のへりくだるものよ汝らヱホバを求め公義を求め謙遊を求めよさすれば汝らヱホバのいかりの日にあるひはかくさるゝことあらん」。正しい行いをすればかくされるであろう,ということは,きわめて適切なものです。なぜなら,ゼパニヤの名前は「エホバはかくされた」という意味だからです。
45 ゼパニヤは,そのような助言のすぐ後に,何を告げていますか。
45 絶滅を避けてかくれることのできる唯一の場所をぜひとも求めねばならぬ,とゼパニヤは告げています。そして,その直後において,ゼパニヤはペリシテ人,モアブ人,アンモン人の現代版の者たちに来る破滅について告げています。むかし,それらの者たちはみな,エルサレムなるシオンにあったエホバの御国に憎しみを示しました。―ゼパニヤ 2:4-15。
46 そのような助言を考慮するとき,私たちは何をすることを止めるべきですか。私たちは,全能の神との間の何を求めるべきですか。
46 これは安全にみちびく信頼すべき助言です。なぜなら,それは神から与えられた助言だからです。それでは,これら将来の出来事に恐れおののく理由がありますか。そしてイエス・キリストの預言したことがらに苦しむ理由がありますか。イエス・キリストは,「地上では,諸国民が悩み,海と大波とのとどろきにおじ惑い,人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう」と預言しました。(ルカ 21:25,26,新口)これ以上,「悪鬼共によって霊感された表現」に負けてはなりません。また,諸国民と共になって,全能の神およびキリストによる神の御国に敵対するよう導かれてはなりません。御国の敵共に終りが来る前のいま,エホバの証者があらゆる場所で伝道している御国の良いたよりに耳を傾けなさい。(マタイ 24:14)全能者であるエホバ神と平和な関係を求めなさい。なぜなら,その大いなる日の戦争中,私たちの安全はことごとくエホバの恵みに依存しているからです。
47 ゼパニヤをとおして与えられた助言の中で述べられている者たちはだれですか。私たちは,そのようなものであると,どう証明すべきですか。
47 エホバから与えられる安全の指示は,「ヱホバの律法を行うこの地のへりくだるもの」にあてて告げられています。エホバの御前にあって柔和なる者,謙遜なる者と示しなさい。そして,エホバの律法を行なうことによって,そのことを示しなさい。それはエホバの書き給うた聖書の中に記されています。今日,エホバの証者はエホバの律法を行なっています。エホバが決定し給うたものは,この最も危険な時において私たちのなすべき神の御こころです。エホバの証者はそのことを知っています。主の祈りの中で『あなたの御心が天で行なわれるように地でも行なわれるように』と天の御父に祈るなら,いまエホバの御心が何であるかを知るために正直な努力をいたしましょう。そして,愛の心をこめて,信仰の気持と従順な態度を示しつつエホバの御心を行ないましょう。
48 (イ)なぜ今日エホバを求めることは,ゼパニヤの日のときよりも多くの意味を持ちますか。(ロ)いま正義を求めることは,何を意味しますか。
48 今日エホバを求めるとは,政治的なシオン主義に改宗するとか,人間の言伝えを持つユダヤ教に改宗する,という意味ではありません。ゼパニヤの時代では,ユダヤ教はまだ始められていませんでした。いまエホバを求めるとは,ゼパニヤの時代のときになされたこと以上を意味します。なぜなら,その預言者がいた時にはダビデの家系から出た王たちが地的なエルサレムあるいはシオンにあった「ヱホバの座位」につき,模型的な国が運営されていたからです。(ゼパニヤ 1:1)今日エホバを求めるとは神の御子と一致の状態にはいるという意味です。神の御子は,この地よりはるかに高い天でエホバの右におられ,エホバの座位に王として坐しておられます。イエスは,その足跡に従う弟子たちに,「あなたの御国が来ますように」と祈る主の祈りを教えました。その後で彼は弟子たちにこう言われています,「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば,これらのものは,すべて添えて与えられるであろう」。(マタイ 6:9-13,33)ユダヤ人の弟子たちはみなユダヤ教を捨てて,エホバのキリストによる御国を求めました。(ガラテヤ 1:13-17)彼らは御子イエス・キリストを通してエホバ神から来る正義を求めました。イエス・キリストは,信ずる男女を罪と刑罰なる死から救うため完全な人間の犠牲として死なれたのです。
49 (イ)なぜ今日の私たちは,なおさら一層イエスの弟子たちが行なったようなことをするべきですか。(ロ)なぜ私たちは,彼の御国によってのみエホバを求めることができますか。
49 今日の私たちは,なおいっそう彼らと同様のことをしなければなりません。なぜなら,キリストの天の御国は今日設立されているからです。それは1914年に異邦人の七つの時が終って以来運営されています。いまエホバは,キリストの敵を,あたかも足台のように,全部彼の足下に置こうとしています。私たちは,キリストの敵のように,その足下にふみつけられて殺されたいとは望みません。「全能の神の大いなる日の戦争」の際のキリストの戦闘行為については,次のように書かれています,「〔彼は〕全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。その着物にも,そのももにも,『王の王,主の主』という名がしるされていた」。(黙示 19:15,16,新口)彼の御国は,エホバ神の主権が宇宙最高のものであることを立証する手段です。それはまた地上の全家族を祝福する手段です。それは,アブラハムの祝福のすえの御国です。私たちは祝福をのぞみます。なぜなら,それは御国の支配下にある新しい組織制度内での永遠の生命を意味するからです。私たちは,神と人間との仲保者なる御子の御国によらないでは,今日エホバを求めることができません。
50 それでは,安全な場所は,どこにありますか。使徒ペテロは,五旬節の日に,その事実に一致するどんな預言を引用しましたか。
50 ここに安全な場所があります。すなわち全能の神と,そのキリストの側に立ち,その保護をうけることです。神がキリストを死人の中から復活させてから御自分の右に高めたとき,神はいくらかの聖霊を彼に与えて地上にいる弟子たちに注がせました。このように御霊を注ぐことは,西暦33年5月の五旬節<ペンテコスト>の日に始まりました。その日に御霊を得た使徒ペテロは,目撃者たちの群れに話をして,これこそ末の日に関するヨエルの預言の成就であると告げました。それからペテロは,ヨエルの預言の次の言葉を引用しています,「天と地にしるしをあらはさん即ち血あり火あり煙の柱あるべしヱホバの大なるおそるべき日の来らん前に日はくらく月は血に変らんすべてヱホバの名をよぶ者は救はるべしそはヱホバののたまひしごとくシオンの山とヱルサレムとに救はれし者あるべければなりそののこれる者の中にヱホバの召し給へるものあらん」。―ヨエル 2:28-32。使行 2:1-36。
51 ペテロは,シオンとエルサレムという言葉を引用しましたが,彼は何に言及しましたか。それで,生き残る者は何の側に立ちますか。
51 もちろん,使徒ペテロは地上にある実際のエルサレムあるいはシオンを意味しませんでした。なぜなら,イエスの死を叫び求め,その後イエスの忠実な弟子たちを迫害したエルサレムはローマの軍隊により悲惨な滅びをこうむったからです。それは五旬節<ペンテコスト>のときペテロとその仲間の弟子たちに聖霊が注がれてから,ちょうど37年後のことでした。ペテロおよび彼が言葉を引用したヨエルは,天的なエルサレム,天的なシオンを指したのです。それはキリストによる神の御国を象徴します。それで,私たちはいま,全能の神とそのキリストの設立された御国を求めねばなりません。その側に立って,その下にいることによってのみ,私たちは生き残る者の中に入ることができます。
52 ヨエルによると,どんな御心を行なっている者は救われますか。今日このことを行なうことは,何を意味しますか。
52 ペテロが引用した預言者ヨエルは,「ヱホバの大なる畏るべき日の来」る前に「すべてヱホバの名をよぶ者は救はるべし」と語りました。私たちは「ヱホバを求めよ」という預言者ゼパニヤの言葉に従うとき,また『ヱホバの御名を呼び求めよ』と語ったヨエルの言葉にも従わねばなりません。そのとき,私たちはその大いなる日の宇宙戦争中に救われるでしょう。このためには,いま私たちは支配している王イエス・キリストを通してエホバを呼ばねばなりません。それはまたエホバの御名を公に呼び求めることを意味します。エホバの証者は,すべての国でそのことをしています。彼らは,口で話したり,印刷した頁を用いて,町から町に,家から家に出かけています。エホバの御名は,その御国によって栄光をうけるでしょう。そして,エホバの御国は,今日いちばん重要な論争になっています。それで今日エホバを求める人々は,「全能の神の大いなる日の戦争」によってこれらの国々が終る以前に,全国民への最終的なあかしとしてこの御国の良いたよりを全地に伝道しなければなりません。エホバの王イエス・キリストは,いまこの証言がなされねばならぬと命じました。
53 正しい道をとるなら,おそらくどんなことがあなたに生ずる,とゼパニヤは述べていますか。何を楽しむことができると,詩篇 90篇1,2節は言っていますか。
53 もしこの世の「終りの時」に,私たちが明白に述べられたこの道に従うとき,「さすればなんじらヱホバのいかりの日に或はかくさるることあらん」と霊感をうけた預言者ゼパニヤは述べています。(ゼパニヤ 2:2,3)私たちをかくし給うエホバのところにいて,私たちはなんとすばらしい安全を楽しむのでしょう! なんという休息,なんという平和,そしてこの世の敵国に対して神が怒りを示す日に生き残れるとは,なんと心わき立つ期待なのでしょう! 霊感をうけた詩篇記者は,そこで楽しむ奇跡的な安全について,次のように美しく描写しています。「至上者のもとなる隠れたるところにすまふその人は全能者のかげにやどらん われヱホバのことを宣べてヱホバはわが避所わが城わがよりたのむ神なりといはん」。
54,55 (イ)かくされていながら,何を見,何を目撃しますか。(ロ)なぜ「長寿」のむくいは,満足をもたらしますか。なぜエホバによる救いは,永遠のものですか。
54 全能の神の戦争が悪い敵共を絶滅するとき,私たちは神の翼のかげにかくされそして,次の言葉を経験するのです。そのことを考えてごらんなさい「千人はなんぢの左にたふれ万人はなんぢの右にたふる,されどその災害はなんぢに近づくことなからん なんぢの眼はただこの事をみるのみ,なんぢ悪者のむくいを見ん」。それで,私たちは賢明にこの残っている時を活用し,エホバを求めてその御名を求めることができますように! なぜなら,全能の神は次のように言われていますから,「かれ我をよばゞ我こたへん我その苦難のときにともにをりてこれをたすけこれをあがめん われ長寿をもてかれを足らはしめかつわが救をしめさん」。―詩 91:1,2,7,8,15,16。
55 「全能の神の大いなる日の戦争」の後の新しい組織制度内で「長寿」― なんとすばらしい報いでしょう! それは満足をもたらします。なぜならその新しい組織制度を支配する御国は,善意者にとって祝福となるからです。神は,神を求める者たちに永遠の救いを得させます。なぜなら,救をもたらす神の御国は永遠にわたって存続するからです。それで,ごく間近い将来および永久にわたる私たちの安全は,神の御国にあるのです。私たちがいまそれを探すなら,私たちの行いは生命の報いをもたらします。
56 なぜ私たちは,「全能の神の大いなる日」をたたえることができますか。いま私たち全部は,何を見出すために加わるべきですか。
56 それで,すべてのものは「全能の神の大いなる日」をたたえましょう! その日がはやく来るようにしましょう。なぜなら,それは真の神エホバとそのキリストによる正義の政治にとって栄光にかがやく勝利をもたらし,かつ生きている者も死んでいる者も,すべての善意者には永遠の救いをもたらすからです。いまエホバの御国の幸福な証者に加わり,安全なかくれ所を見つけて下さい。そして「『全能の神の大いなる日の戦争』中の安全」を得てください。
[脚注]
a 1959年12月26日のニューヨーク・タイムス社説欄,「外交問題」の見出しの下に掲載。
b 新世訳と一致している七つの出版された黙示録のヘブル語翻訳があります。それらはこのところを「エホバ」と記しています。
c 新世訳と一致している七つの出版された黙示録のヘブル語翻訳があります。それらは,このところを「エホバ」と記しています。
d 新世訳と一致している12の出版されたルカ伝のヘブル語訳は,ここで「エホバ」と記しています。