勇気を得よ ― 神の御国は近し!
1,2 (イ)どんな資質がこの時代に必要ですか。(ロ)神の御国の近づいたことを知って,勇気を出すのはなぜですか。
この時代には勇気が必要です! いまは勇気を出すときです! なぜ? 神の御国が近づいたからです!
2 19世紀前,これと同様な音信が,それを期待していた人々の心をゆり動かしました。今日,神の御国について聞いたことのない人は無数におり,神の御国のことを聞いている何億の人々も,この神の政府が人類にとって何を意味するかを理解していません。ではこれらの人々が神の御国の近いことを知って勇気を出すのはなぜですか。そのことについて言えば,だれにもせよ,その事実から勇気を得るのはなぜですか。それは神の御国がこの時代の後にではなく,まさしく今の時代のうちに救いと祝福をもたらすからです。永遠の救いが近づいたいま,正しいことを愛する人々が勇気を出すのは当然です。今日,勇気のある人々は,他の人を勇気づけたいと望んでいます。
3 地と天を見るとき,どんな対照に気づきますか。しかしこのロケット時代に何を恐れる必要はありませんか。
3 この地上の世界が混乱のきわみに達していることは,だれしも認めざるを得ません。それは人類歴史上かってないほどのものです。しかし目をあげて,はてしなく広がる空間を見ると,そこには息をのむような秩序,調和,つり合い,天体相互の依存が昼も夜も見られます。ロケットを用いて人間を大気圏外に送ることも行なわれる今日,人間の無秩序が宇宙に持ち込まれる心配さえありますが,天には美しい,驚嘆すべきシステムが何十億年も前から存在しているのです。しかしロケットや人工衛星,宇宙船を持つ人間が目に見える宇宙をかき乱すのではないかと,恐れる必要はありません。むしろ天にある秩序と調和がこの地上のものとなって,その基はどんな悪人もこれをくつがえすことができないでしょう。
4,5 (イ)地球について言えば,これら天体の偉大な創造主に関して私たちはどんな質問をしますか。(ロ)創造主に匹敵できるものがないのはなぜですか。
4 天体のあいだに見られる秩序と平和が,この時代に地上にも確立されることを願いますか。無数の天体をこのように美しく配置し,また科学的な秩序に従って空間においた偉大なつくり主,偉大な創造者は,その定めの時,この地に秩序をもたらすことができます。地球は広大無辺な宇宙の一点に過ぎません。創造主ご自身が書きしるさせた言葉に聞いて下さい。昔の言語で書かれたその言葉を現代語に訳して言えば次の通りです,
5 「それで,あなたがたは神をだれとくらべ,どんな像と比較しようとするのか。……あなたがたは知らなかったか。あなたがたは聞かなかったか。初めから,あなたがたに伝えられなかったか。地の基をおいた時から,あなたがたは悟らなかったか。主は地球のはるか上に座して,地に住む者をいなごのように見られる。主は天を幕のようにひろげ,これを住むべき天幕のように張り,また,もろもろの君を無きものとせられ,地のつかさたちを,むなしくされる。………聖者は言われる,『それで,あなたがたは,わたしをだれにくらべ,わたしは,だれにひとしいというのか』。目を高くあげて,だれが,これらのものを創造したかを見よ。主は数をしらべて万軍をひきいだし,おのおのをその名で呼ばれる。その勢いの大いなるにより,またその力の強きがゆえに,一つも欠けることはない。………あなたは知らなかったか,あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神,地の果の創造者であって,弱ることなく,また疲れることなく,その知恵ははかりがたい」― イザヤ 40:18-28,新口。
6 昔の王は,天体とその創造者について,どんな詩的な言葉を書きましたか。
6 むかし天体を観察した一人の王は,現代語に訳せば次のような詩的な言葉を書きました,「もろもろの天は神のえいくわうをあらはし穹蒼はその御手のわざをしめす,この日ことばをかの日につたへ,このよ知識をかの夜におくる語らずいはずその声きこえざるにそのひびきは全地にあまねくそのことばは地のはてにまでおよぶ,神はかしこに帷幄を日のためにまうけたまへり日は新郎がいはひの仮をいづるごとく勇士がきそひはしるをよろこぶに似たり,そのいでたつや天の涯よりし,その運りゆくや天のはてにいたる,物としてそのあたたまりをかうぶらざるはなしエホバの法はまたくして霊魂をいきかへらしめエホバの証詞はかたくして愚なるものを智からしむエホバの訓諭はなほくして心をよろこばしめ」― 詩 19:1-8。
7 天体は神に関するどんな真理を裏づけていますか。したがって神の御国は全人類にとって何を意味しますか。
7 天体を研究した人ならば,むかし一東洋人が「神は無秩序の神ではなく,平和の神である」と書いたことの真実を認めるでしょう。(コリント前 14:33,新口)秩序と平和が,利己的で死をもたらす混乱にとってかわるには,この神の力が必要です。その法は全く,証しは清く,さとしは正しく,たとえ人間の目に見えなくても,もろもろの天はその栄光をあらわしています。ゆえに神の御国が全人類にもたらす益のひとつは,宇宙的な平和と秩序です。とどまるところを知らない混乱は,とり除かれます。
8 創造主なる神を王とすることは現在まで地を支配している宗教にとって何を意味しますか。
8 神が全地の王となることを考えてごらんなさい! 地と人間の創造者が王となるのは,ふさわしいことです。創造主よりも高い王をいただく事はできません。神ととなえる人間が私たちを支配することはなくなります。昔,エジプトのパロは神ととなえ,人々は腹ばいになってパロに近づきました。またローマの皇帝は神格化され,神と呼ばれました。日本の天皇は,1945年12月31日,天皇が天照大神の子孫なる神ではないことを宣言しています。また神を王にいただくと言っても,ローマカトリックやギリシャ正教の教職者が,政治家,実業家,判事,警察,一般大衆を支配することではありません。また仏教,ヒンヅー教,回教,神道あるいは新教の聖職者が天の王の代理者として治める,すなわち人間による神の支配が行なわれるのでもありません。宗教上の権力者が人間の生活を支配することは何世紀も行なわれてきました。それは何をもたらしましたか。今日,地上に見られる収拾のつかない混乱にほかなりません!
9 地の支配について言えば,とくに西歴紀元年607年以来,神は何を許してきましたか。
9 神の御国は人類を益します。それは宗教的な権力が政界の実力者,富を持つ者にとり入って物事を運営,支配し,商業と雇用を左右し,大衆の生活を支配者のために統制するのとは全く趣を異にしています。バビロン王ネブカデネザルが世界支配者となったのは,西暦紀元前607年すなわち今からおよそ2570年前のことです。とくにその時以来,神は諸国民が望むままに政治支配者を立てることを許してきました。それで人間は,王や国については意のままに行ない,王を廃して民主政治や共和政体のような人民の支配を打ちたてることもしました。
10 神の御国を信ずる人々は,政治的運動に対してどんな立場をとってきましたか。それはなぜですか。
10 しかし神の御国に本当の信仰を抱いた人々は,これらの政治的な運動に全く加わりませんでした。それは19世紀前,カイザルのローマにいたクリスチャンのため,霊感の下に書かれた次の定めに従ったからです,「すべての人はその上におかれた権威に従うべきである。なぜなら神の許しなしに存在できる権威はひとつもない」。(ロマ 13:1,アメリカ訳)。真のクリスチャンはこの定めに従いました。神の御国に信仰を抱き,神の御国が全地を治めて神には栄光,人にはかぎりない祝福がもたらされる時を祈り求め,また待ち望んできたからです。
11 (イ)神の許しによって人間の支配がすでに長いあいだ行なわれてきたのに,人間は今でも何を望んでいますか。(ロ)しかしいまは神が何をするときですか。
11 神はすでに長い間,人々とその支配者が地上で意のままに行なうのを許してきました。今まで人類の重ねてきた経験を考えれば,真の神を忘れた人間の支配にはもはやあきたはずです。しかし今日,人々はいわゆる高い権力すなわち「上にある権威」なる人間の支配をすすんで受けています。その中には西欧の型あるいは東欧の型の民主政治や共和政治もあります。この事のおもな理由は,人々が現状よりもまさったもののある事を知ろうとせず,またそういう事を信じないためです。人間には十分の機会がありました。また神の許しによって,人間が意のままに行ない,選択してきた結果,世界は今日の事態に立ち至ったのです。結果から判断すると,人間が意のままに行なってきたことは,人々の益となりませんでした。それでも人々は神を王にいただくことを望みません。しかし一般大衆や政治,商業,宗教の指導者の意志にはかかわりなく,神の許しによって人間が勝手に地を支配できる時はまもなく終ります。御国をたてる神の時がきたからです。
12 (イ)なぜ神は地を支配する神の国を建てる権利を持っていますか。(ロ)神がそれをなさることをどうして期待できますか。
12 神の御国を何時,設立しても,それは神の権利に属する事柄です。それをあえて否定する者はいないでしょう。神の創造になる地球は神のものであり,私たちすべては神に造られたものであって,生命も他の良いものもすべて神に依存しています(詩 24:1)。私たちのはるか上にある天体すべてを造り出して秩序正しく配置し,運行させているこの神は,神のものである地に住む私たちを治める,正義の完全な御国を設立する力と知恵を持っています。神は定めの時にそれを成し遂げることを約束されました。その約束は,神が御自身の忠実な僕たちを霊感して書きしるさせた本すなわち聖書に書かれています。19世紀前,人間イエス・キリストとなった神の御子が地上にいた時,神の崇拝者に次の祈りを教えました,「天にいますわれらの父よ,御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」(マタイ 6:9,10,新口)。全能の神は,イエス・キリストの真の追随者が長いあいだ祈ってきたこの祈りに答えるでしょう。それは神御自身の御心に一致しているからです。
13 政治国家を神の国に変革しようとする宗教の努力は,なぜ必ず失敗しますか。事実だれがそれに失敗しましたか。
13 神の許したあいだ,いわゆる高い権力すなわち「上にある権威」が政治を支配してきました。それは今日にまで及んでいます。これらは人間の色々な営みをつかさどる神の定めに従い,神の許しによって,立てられてきたものです。したがってこの世の高い権力をキリストによる神の御国に変えようとすることは,どんな宗教組織がそれを試みても,宗教の名をかりるにせものを作るに等しく,必らず失敗します。今日の世界の状態は,キリスト教国の失敗を証明するものです。キリスト教国は神の御手にある器ではなく,神の御国となるものではありません。―ロマ 13:1,2。
14,15 (イ)神の新しい世においては,ネブカネデザルの教えられたどんな教訓に従って,支配者が任命されますか。(ロ)したがって全地の支配者に任ぜられるのはだれですか。
14 神の御国が現在の高い権力に代って人類を治めるとき,神は正義の新しい世を支配する権威を直接に任命して,その地位につけるでしょう。そのとき神は25世紀前,バビロンのネブカデネザル王に学ばせた教訓を実際に示します。「いと高き者が,人間の国を治めて,自分の意のままにこれを人に与え,また人のうちの最も卑しい者を,その上に立てられる」,これがその教訓でした(ダニエル 4:17,25,32,新口)。この者は低い人間イエス・キリストになった天の御子です。この者は同じく卑しい者である忠実な追随者を地から天にまで高め,これらの者から成る御自分の会衆に御国をわかちます。この時代のうちに,神は予言者ダニエルが昔バビロンで見た幻を成就させるでしょう,
15 「見よ,人の子のような者が,天の雲に乗ってきて,日の老いたる者のもとに来ると,その前〔エホバ神の前〕に導かれた。彼に主権と栄光と国とを賜い,諸民,諸族,諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって,なくなることがなく,その国は滅びることがない」― ダニエル 7:13,14,新口。
それが私たちに意味するもの
16 地上にいた時のイエスが示したように,神の国の下で人類はどのように養われますか。
16 諸民,諸族,諸国語の者にとって,これは何と意義深いことなのでしょう! 今日,飢がは世界の各地にあり,世界人口の半分が食物に不足し,栄養不良の状態は慢性化しています。御自分を「人の子」と呼んだイエス・キリストが地上にいたとき,イエスは飢えをいやすために奇跡を行なって石をパンに変えることを拒絶しました。しかしある日,人々を教えてのち,わずかのパンと魚を奇跡的にふやしたので5000人の群衆が食べあきました。同様にして別の時には4000人が食物を得ました。人々に奇跡的に食物を与える力がイエス・キリストにあるのを見て,多くの人はイエスを自分たちの王にしようと考えました。しかしイエスは人々の企てをしりぞけました。(マタイ 4:1-4; 15:29-38。ヨハネ 6:1-15)しかし神がイエスを全人類の王とするとき,イエスは現在の高い権力にかわって人々を支配する者となり,地に住む従順なイエスの民に十分の食物を与えるでしょう。飢がに襲われることは二度とありません。
17 (イ)この点について,イエス・キリストは詩篇 72篇を成就するどんな事をしますか。(ロ)イエスはどのように「ソロモンにまさる者」になりますか。
17 神が全人類の上に任命した王イエス・キリストは,次の預言の通りに治めるでしょう,「彼は乏しい者をその呼ばわる時に救い,貧しい者と,助けなき者とを救う。彼は弱い者と乏しい者とをあわれみ,乏しい者のいのちを救い,彼らのいのちを,しいたげと暴力とからあがなう。彼らの血は彼の目に尊い。国のうちには穀物が豊かにみのり,その実はレバノンのように山々の頂に波打ち,人々は野の草のごとく町々に栄える」(詩 72:12-14,16,新口)。食物の豊かなことは,聖書に次のように書かれた賢明な王,平和なソロモンの世にも匹敵するでしょう,「ユダとイスラエルの人々は多くて,海べの砂のようであったが,彼らは飲み食いして楽しんだ。ソロモンの一生の間,ユダとイスラエルはダンからベエルシバに至るまで,安らかにおのおの自分たちのぶどうの木の下と,いちじくの木の下に住んだ」。(列王上 4:20,25,新口)この点においても,イエス・キリストは御自分で言われた通り「ソロモンにまさる者」となるでしょう。―マタイ 12:42,新口。
18 イエス・キリストは御自分の場合にも,どんな食物を物質的な食物よりも大切にしましたか。御国において,イエスはこのことをどのように示しますか。
18 しかしイエス・キリストは,物質的な食物よりも霊的な食物を第一にしました。それで私たちの大敵サタン悪魔に聖書の次の言葉を述べています,「人はパンだけではなく,エホバの御口から出るすべての言葉によって生きなければならない」。(マタイ 4:4。申命 8:3,新世)御国においてイエスは,からだに必要なものだけでなく霊的な食物をも,御自分の忠実な民のために備えて下さることでしょう。イエスは地上にいた時にしたように,人々に霊的な食物を与えます。それでエホバ神に関する清い真理を人々に与え,神の全き御心を行なって神に崇拝と奉仕をささげる正しい方法を教えます。この食物によって養われ,強められる人々は,神の新しい世における永遠の生命を得ます。そして豊富な物質のために自分の腹を神にする人は一人もないでしょう。すべてのものを与えて下さる天の偉大な与え主に対して愛と感謝の念にみちる人々は,この神を心から喜んで崇拝し,たたえます。
19 イザヤ書 25章は,御国の下で人類に与えられる神の恵みをどのように預言していますか。
19 人々に与えられるこのような神の恵みは,イザヤの次の預言の言葉によく言い表わされています,「万軍のエホバこの山にてもろもろの民のために肥たるものをもて宴をもうけ,久しくたくはへる葡萄酒をもて宴を設く,髄おほき肥えたるもの久しくたくはへたるすめる葡萄酒の宴なり又この山にてもろもろの民のかぶれる面帕ともろもろの国のおほへる外帔をとりのぞきとこしへまで死を呑み給はん,主エホバは凡ての面より涙をぬぐひ全地のうへよりその民のはづかしめをのぞきたまはん,これはエホバの語りたまへるなり,その日かくいはん,これはわれらの神なり,われら俟望めり彼われらを救ひたまはん是エホバなり,われらまちのぞめりわれらそのすくひを歓びたのしむべしと」。(イザヤ 25:6-9)心に建全な霊的食物を得るので,神の御国の忠実な民は物質主義を自分たちの神にしません。
健康の楽園
20 (イ)豊かな食物を産出するには,何が必要ですか。(ロ)エホバは,諸国民の祈り求める神々とどのように著しく異なっていますか。
20 現在の世界人口よりも遙かに多い人々に十分の食物を与えるには,地上の気候と土壌の変化,害虫の駆除がどうしても必要です。地球上の多くの場所では何ヵ月も雨が降らないため,何百万人もの人が飢えに苦しんでいます。あるだけの食物を分配する組織も,この事態を解決できません。餓死する人々も大ぜいいます。食物が足りないために弱りはて,やせ細った人は何百万人もいます。政治支配者に対して反逆の気分が高まり,ひろがりつつあります。これは神の御国の下で必らずや存在する理想的な,気候,土壌,灌漑の状態と著しい対照をなしています。乾ききった大地をうるおす雨を切望して人々は諸国家の神々に雨乞いをします。しかし雨を降らせて下さるのはこれらの神々ではなくてエホバ神です。昔のエホバの予言者も,そのことを知っていました。預言者エレミヤはエホバに頼ってこう言いました,「異邦のむなしき物の中に雨を降せうる者あるや天みづから自雨をくだすをえんや,我らの神エホバ汝これを為し給ふにあらずや,我ら汝を望むそは汝すべてこれらをことごとく作りたまひたればなり」,(エレミヤ 14:22)。歴史はこの事の真実を証明しています。
21 エホバは,荒野のイスラエルにどのように水を与えましたか。イザヤ書 41章17-20節によればエホバは何を約束されていますか。
21 モーセの手によって御自分の選民を「乳と蜜の流れる地」に導かれる途中,エホバ神は荒野で奇跡的に水の源を開きました,それはよく知られている歴史の事実です。しかもそれは御国によって神のなされる事を表わす例であって,神の預言的な約束は次のように述べています,「貧しき者と乏しき者と水をもとめて水なくその舌かわきて衰ふるとき,われエホバ聴きてこたへん,我イスラエルの神かれらを棄てざるなりわれ河をかぶろの山にひらき泉を谷の中にいだし,また荒野を池とし乾ける地を水のみなもとと成ん我あれのに香柏ねぶの樹もちの樹および油の樹をうえ,沙漠に松杉およびつげをともにおかんかくて彼等これを見てエホバの手の為し給ふところ,イスラエルの聖者の造りたまふ所なるをしり,且こころをとめ且ともどもにさとらん」― イザヤ 41:17-20。
22,23 (イ)このように水が供給されるとき,地はどうなりますか。イエスは死ぬ前にこの事をどのように保証しましたか。(ロ)これはアダムとエバのかって住んだ楽園とどうくらべられますか。
22 地球上の乾いた土地をこのようにうるおし,水を適当に分配するとき,この地球はどうなりますか。神はこれらのものを与え,御国の民の手のわざを祝福します。そのとき全地は楽園となり,従順な人類の永遠の住家となるでしょう。地を治める神の御国に汚点となるような状態は存在せず,どこもかしこも地の創造者である神に栄光を帰する場所となります。エルサレムの城壁の外で杭にかけられて犠牲の死をとげたイエス・キリストは,神がイエスを死からよみがえらせ,御国に来させるとき,地に楽園が回復することを見通していました。イエスのかたわらで死んだ,心の正しかった男は「イエスよ,御国におはいりになる時,私を思い出して下さい」と頼みました。イエスはこう答えています,「ほんとうに今日あなたに言う,あなたは私と共にパラダイスにいるであろう」。(ルカ 23:42,43,ロザハム訳)この楽園の美しさ,楽しさ,生命を支える豊かさは,最初の男女が神に罪を犯して失った楽園にあったものと同じです。
23 しかしこの楽園は中東にだけあるのではありません。全地は完全な人で満ちる楽園となるでしょう。最初の男女が成しとげなかったこの神のもくろみは,キリストによる神の御国によって栄光のうちに成就されます。
生命とよみがえり
24 その楽園にどのくらい長く住むことが可能となりますか。そこに住むとき,健康状態はどうなりますか。
24 この事を考えるとき,死んで楽園を失うのはたまらないことです。全くその通りですが,神の御国は,従順な人々が神と王イエス・キリストと平和を保ち,互同志また動物,鳥,水中の生物とも平和を保ちながら,この楽園に永遠に生きることを可能にします。戦争はなく,殺される人はありません。完全な全面的軍備撤廃が実現するでしょう。それをなしとげるものは無神論の共産主義でも国際連合でもなくて神の御国です。(ミカ 4:1-5)完全な政府の支配の下に平和な楽園に住み,新鮮な空気を呼吸し,清浄な水を飲み,よい食物に豊かに恵まれた人々は健康を増進し,ついには完全な健康を享受するでしょう。
25 (イ)王イエス・キリストは犠牲の死をとげたゆえに,人類のために何をすることができますか。(ロ)イザヤ書 33章22,24節は,支配権と健康とをどのように結びつけていますか。
25 王イエス・キリストは犠牲の死をとげて御自分の完全な生命をささげ,人々のために死にました。その事のゆえにイエスは,死をなくすことができます。すべての人は,最初の人の罪のゆえに死に定められているのです(ロマ 5:12-14)。このようにしてキリストによる神の御国は,忠実で従順な人類を完全な人間にまで向上させることができます。神が創造してエデンの楽園においた最初の人間アダムとエバは,完全な人間でした。病気と死はぬぐい去られてしまうでしょう。イエス・キリストが地上で行なったことからもそれは確かです。イエスは病気をいやし,盲人の目をあけ,つんぼの耳を開き,おしの舌をいやし,らい病人をきよめ,死人をよみがえらせました。あるときは,死んで4日たった人をよみがえらせました。キリストによって支配する神を王にいただくことの,これは結果なのです。イザヤの予言(33:22,24)は,支配と健康を結びつけています,「エホバはわれらをさばきたまふもの,エホバはわれらに律法をたてたまひし者,エホバはわれらの王にましまして我らをすくひたまふべければなりかしこに住める者の中われ病めりといふ者なし,かしこにをる民の咎はゆるされん」。
26,27 (イ)そのとき生きている人々だけが,これらのことを享受するのではありません。それはなぜですか。(ロ)燃えるしばのところでモーセに言われた事によると,神はアブラハム,イサク,ヤコブにとってどんな神でしたか。
26 生きている人にとって,これはすばらしいことです。しかしすでに死んでしまった何十億という人々はどうなるのですか。神の忠実な予言者,たとえば何千年も前に死んだアブラハム,イサク,ヤコブ,モーセは,どうなるのですか。死んだ人にも明るい希望があると,喜んで答えることができます。私たちはサドカイ人に似る者とはなりません。ユダヤ人の一宗派であったサドカイ人は,神の国の支配の下で死人のあることを信ぜず,死後の希望については何も教えませんでした。復活を信じないこれらの人々にむかって,イエス・キリストは生命によみがえる人々のことを次のように述べました,「彼らは…復活にあずかるゆえに,神の子でもあるので,もう死ぬことはあり得ないからである。死人がよみがえることは,モーセも柴の篇で,主〔エホバ,新世〕を『アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神』と呼んで,これを示した。神は死んだ者の神ではなく,生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである」― ルカ 20:36-38,新口。
27 神は将来を見通して,アブラハム,イサク,ヤコブその他の死人が,キリストによる神の御国の下に再び生きるのをごらんになりました。アブラハム,イサク,ヤコブはその子孫モーセの時代にはすでに死んでいましたが,神は死人をよみがらせるその御目的を必らず成就するゆえに,アブラハム,イサク,ヤコブのかっての神としてではなく,彼らが当時生きていたかの如く,彼らの将来の神として語っているのです。
28 御国の下で死人の復活があることの保証として,神はどんな復活を行いましたか。
28 御国の下で死人をよみがえらせる保証として,神は御子イエス・キリストをよみがえらせました。神はこのイエスを全地の王にします。死人の中からよみがえったイエス・キリストに奇跡的にまみえて言葉を賜わったクリスチャンの使徒パウロは次のように語っています,「キリストは眠っている者の初穂として,死人の中からよみがえったのである。それは,死がひとりの人〔エバの夫,アダム〕によってきたのだから,死人の復活もまた,ひとりの人〔犠牲となったイエス・キリスト〕によってこなければならない」。イエス・キリストの復活を証ししたこの同じ証人は,古代アテネの最高法廷でこう述べました,「神は,義をもってこの世界をさばくためその日を定め,お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち,このかたを死人の中からよみがえらせ,その確証をすべての人に示されたのである」― コリント前 15:20,21。使行 17:31,新口。
29,30 (イ)死んだ人は霊の世界にいますか。あるいは転生しましたか。(ロ)復活はなぜ魂の輪回ではそりませんか。どれだけのあいだ生きる機会がありますか。
29 死んだ人が見えない霊界に生きている事はありません。魂が人間のからだを離れて動物や鳥,昆虫,魚あるいは別の人間のからだにはいることもないのです。神の言葉によれば,死んだ人は死んだ魂であり,たとえ生存中に神の御国のことを知らなかった人でも,神の御国の下でよみがえる時まで死の眠りについています。その数が何十億人であろうと,神の記憶に妨げとはなりません。何十億を越える無数の星でさえも,神はその名を全部ご存じです。
30 すべての死人の完全な記録は神の前にあり,神はその人々を地上に再び造ることができます。どんなに昔の人でも,神の記録がふたしかになることはありません。神がキリストによって行なわれる復活は,同じ人となり,同じ知能を持つ人を再創造することなのです。したがって復活は,神の御国の下にはじめて生まれた新しい人に,死人が生まれ変るのではありません。今の時代の人のうち,御国の時にまで生き延びる人は,友人や家族の者がよみがえってくるとき,たしかにそれと知る事ができるでしょう。アブラハム,イサク,ヤコブはよみがえりのとき,互に認めることができるでしょう。この事は,イエスが御国にくるとき,共にパラダイスにいると言われた,あの友好的な男をも含め,他のすべての人について言えます。よみがえったすべての人は,神の御心を行ない,王イエス・キリストに従うとき,神の御国の下で永遠の生命を得るすばらしい機会に恵まれるでしょう。人々は月に行こうとするのではなく,月の下で楽園に住みます。
近づけり!
31,32 (イ)神の御国は願わしいものであるゆえに,私たちは当然に何を願いますか。これについて今は何が言えますか。(ロ)神の御国の到来がキリスト教国に依存しているとすれば,どうなりますか。どんな統計がそのことを示していますか。
31 まことに神の御国は,人類のすべての願いを満足させます。この御国に信仰を持ちたいと思うすべての人は,当然それが今の時代にくることを望みます。この人々に対して,聖書は神の御国が近いと告げています。勇気を出す理由はここにあるのです。人は生きているうちに,この未曾有の祝福と喜びの時を迎えることができるからです。しかし今生きている人々がその恵みの支配を受けられるほど,神の御国の近いことを確信できるのはなぜですか。御国の到来が何千年も先のことではなく,またキリスト教国が世界をキリスト教に改宗させる時を待たないのはなぜですか。キリスト教国が世界をキリスト教に改宗するのを待つとすれば,神の御国は何時までたっても来ないでしょう。
32 具体的に説明してみましょう。1955年度世界年鑑によると,当時の世界人口24億のうちクリスチャンと唱える人は7億8701万6933人でした。7年後すなわち1962年度の世界年鑑は世界人口を29億7180万人,そのうちキリスト教国に属する人の数を8億8800万3026人と計算しています。つまり7年間に1億178万6093人だけ「クリスチャン」がふえたことになります。しかし世界人口のほうはどうですか。7年間に5億7180万人も増加しています。言いかえれば,世界人口の増加は,いわゆるクリスチャンの増加よりも5.61倍も早いのです。1955について見ると,クリスチャンでない人の数は16億1298万3067人でした。1962年におけるその数に20億8299万6974人です。したがってクリスチャンでない人々と「クリスチャン」との人数の開きは,狭くなるどころか,毎年大きくなって行きます。これは当然の成行きです。なぜなら聖書は,キリスト教国が世界をキリスト教に改宗させて神の御国を建設するとは預言していません。むしろ聖書は,真のクリスチャンの信仰からの脱落を預言していました。キリスト教国は,キリスト教からの脱落のしるし,また証拠です。そのわけでキリスト教国には今日,平和と一致がありません。―テサロニケ後 2:1-12。
33,34 (イ)勇気を出すには,何を知らねばなりませんか。なぜですか。(ロ)1914年以来,経験してきたどんな出来事の意味を知りたいと思いますか。
33 世界を改宗させて神の御国をもたらすことをキリスト教国に期待しても,失望に終るだけです。それで勇気を出すには,神の言葉,聖書に頼らなければなりません。神の言葉は人間歴史の真実の意味を教える本です。それは1914年以来,世界に起きている出来事の意味を教えています。1914年以来,おそろしい事がつづいています。しかもまだ終りではありません。これは何を意味しますか。1914年以来,人類は二つの世界大戦を経験し,その第二のものは第一のものよりも大きな損失をもたらしました。キリスト教国中の最強国の手によって,現代戦争に原子爆弾が登場しました。疫病,ききん,地震は今なお多くの人命を奪っています。不法の増加は目に余るものがあります。全世界を滅ぼしたノアの時代の洪水の前でさえも,これほどまで暴力がはびこったとは思えません。―創世 6:11-13。ペテロ後 3:6。
34 これに加えて道徳の腐敗,社会の病弊,国の分裂,世界人口の増大と適正を欠く食糧分配,核弾頭つきミサイルなどをあげなければなりません。核弾頭をつけたミサイルが打ち込まれるならば,ソドム,ゴモラやヨルダン平野の他の都市よりもはるかに広大な地域が燃えつきてしまうでしょう。
35 大きな破壊力を持つどんな最新の兵器が考えられていますか。
35 またごく最近には「小惑星爆弾」が考えられています。これは強力なロケットを用いて太陽をめぐる軌道から小惑星を攻撃地点に打ち込むものです。一科学者は次のように語っています,「一個の小惑星爆弾がケンタッキー州に落ちたとすれば,アメリカ合衆国の東半分が吹き飛んでしまうだろう。」またつづいて起きる地震のショックによって「北アメリカの建物全部が倒壊してしまうに違いない」。この科学者によれば1970年までにソ連はこのようなロケットを作るだろうとの事です今は全く恐ろしい時代ではありませんか。―1962年1月19日付ニューヨーク・タイムズ。
36 イエスの追随者にとって,今は恐れる時かどうかを,イエスのどんな言葉が示していますか,
36 恐れおののくとき? そうではありません! 世に勝った一人の人は言いました。その人は約束された神の御国の王に任ぜられたイエス・キリストです。33年のユダヤ人の過越しの晩,そして神の御国を伝道したため,数時間後には杭にかけて殺されるという時に,イエスは忠実な使徒たちにこう語りました,「これらのことをあなたがたに話したのは,わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは,この世ではなやみがある。しかし,勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」― ヨハネ 16:33,新口。
37 今日,恐れに支配されること,あるいは勇気を出すことは,それぞれどんな道に従うことになりますか。
37 今日,恐れの気持ちに負けてしまう人は,この世の道を行くことになります。しかしイエス・キリストの命じたことを行ない,イエスにあって平安を得,イエスのゆえに恐れない人は勇気を出すことができます。19世紀前,杭にかけて殺される何時間か前に,イエスは弟子たちに対し,世にあってなやみがあろうとも,勇気を出しなさいと告げました。そのなやみは,イエスが受けようとしていた苦しみにくらべれば決して大きなものではありません。そのとき,彼らの指導者であるイエスは,すでに世に勝っていました。世はイエスになやみをもたらしましたが,神の御国に対するイエスの忠実を砕くことができなかったからです。
38 なぜ今日イエスには,勇気を出しなさいと告げる大きな理由がありますか。この理由がたしかなことを,どうすれば知ることができますか。
38 今日は,イエス・キリストには,勇気を出しなさいと私たちに告げるいっそう大きな理由があります。なぜならば,イエスは神から油そそがれ,位につけられた新しい世の王として御国に来たからです。この事には少しの疑いもありません。1914年以来,私たちの経験してきた世界の出来事は,イエスが御国に来られたという証拠です。これらの世界の出来事と状態は,1914年にイエスが天の位につけられたことを示す見える証拠であると,イエスは預言していたからです。それは第一次世界大戦の勃発と共にこのすべての悩みが始まった年でした。
39,40 (イ)イエスは1914年以来の世界の出来事の意味をどのように正しく解釈しましたか。(ロ)イエスの言葉によれば,イエスの追随者に加えられた悩みは何の証拠ですか。
39 「お話しください。これらのことはいつ起こるのですか。あなたの臨在とこの組織制度の終結のしるしはどんなものですか」。4人の使徒のこの質問に答えて,王イエス・キリストは,これらの出来事をきわめて詳細に預言しました。その預言は聖書の四つの章にわたっています。(マタイ伝 24章,25章。マルコ伝 13章。ルカ伝 21章)イエスは1914年以来のこの時代の出来事にどんな意味があるかを教え,真実の解釈を与えています。その解釈によれば,約束された天の御国におけるイエスの臨在は1914年に始まりました。その年にこの世の組織制度は終りにはいったのです。そのうえこの時代に生きるイエスの本当の追随者が1914年以来こうむった悩みは,御国が近いこと,この組織制度が全き終りに直面している「しるし」すなわち見える証拠のひとつです。イエスはこの預言の中で,マタイ伝 24章9-13節(新口)にある次の言葉を述べました,
40 「そのとき人々は,あなたがたを苦しみにあわせ,また殺すであろう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。そのとき,多くの人がつまずき,また互に裏切り,憎み合うであろう。また多くのにせ預言者が起って,多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので,多くの人の愛が冷えるであろう。しかし,最後まで耐え忍ぶ者は救われる」。
41 (イ)油そゝがれた忠実な追随者の残れる者がまだ地上にいるのは,どうしてですか。(ロ)イエスによると,起りつゝある出来事のゆえに彼らはどんな態度をとらねばなりませんか。
41 油そそがれた,これら忠実な追随者の残れる者は,1914年以来のすべての患難にもかかわらず,今日私たちと共に地上にいます。それは指導者イエス・キリストにならって世に勝ったからです。しかし最後の勝利はまだ得ていません。この世に完全に打ち勝たねばなりません。そのためには,この世すなわち組織制度の終るまで患難に耐えることが必要です。「勇気を出しなさい」。勝利を得たイエス・キリストのこの言葉は,彼らの耳に鳴り響いていなければなりません。この世の組織制度の終りを間違いなくしるしづける出来事を預言した言葉の中で,イエスが教えた態度を保たねばなりません。1914年以降における世界情勢の進展を預言してのち,イエスはこう言われました,「人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである。そのとき,大いなる力と栄光とをもって,人の子が雲に乗って来るのを,人々は見るであろう。これらの事が起るのを見たなら,身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」。それで,勇気を出すのは当然ではありませんか。―ルカ 21:26-28,新口。
42 (イ)これらの者の救いが近いことは,ほかにも何を意味しますか。(ロ)キリストの山上の乗訓中にあるどんな適切な事柄に彼らはいま信仰を抱きますか。
42 神の天の御国の相続者である忠実な残れる者の救いは,いま近づいています。幸いなことにそれは,あらゆる国民,民族,皮膚の色,言語の人々のうち,いまキリストによる神の国を自分の関心事にして,神の国を生活の中で第一にする人々の救いもまた近いことを意味しています。これらの人々はキリストの有名な山上の垂訓に信仰を持っています。「何事でも人々からしてほしいと望むことは,人々にもそのとおりにせよ」と教えた黄金律だけでなく,その全部に信仰を持っているのです。それで次の言葉も信じています,「だから,何を食べようか,何を飲もうか,あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな,異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は,これらのものが,ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば,これらのものは,すべて添えて与えられるであろう」― マタイ 7:12; 6:31-33,新口。
43 (イ)これらの言葉に従う勇気を得るため,何を持たなければなりませんか。(ロ)なぜ神の御国は全創造の中で最も支持されていますか。
43 山上の垂訓にあるこれらの言葉に従うには,勇気が必要です。このような勇気を持つには,天の父である神に信仰を抱かなければなりません。それでも設立された神の国が来たことと,この御国が私たちを後押ししていることを信ずる十分の理由があります。100以上の成員国を擁する国際連合があっても,神の御国は,見えるものも見えないものも凡ての創造の中でいちばん大きく支持されているものなのです。神の御国に対しては世界をあげての反対があり,それを伝道する人々には憎しみと迫害が加えられているのに,どうしてそうなのですか。それは神の天に住む聖なる天使たちがこぞって,キリストによる神の国を支持しているからです。私たちも同じものを支持すれば,これらの天使が私たちの側にいます。
44 (イ)天使の軍勢について何が言えますか。(ロ)それは何時最終的な戦いをしますか。どんな結果になりますか
44 人間には数えることのできないほど多いこれらの天使は,全創造のうちで最精鋭の戦力です。天使たちはかつて戦いに敗れたことがなく,彼らの神を失望させたことも,その栄光の御名にそしりを招いたこともありません。見えない霊的な天における出来事を順に描いた聖書の預言によれば,1914年に神の御国が設立されてのち,これらの天使は神の御国のために戦いました。その結果,御国の主要な敵対者であるサタン悪魔は,その悪鬼もろともに聖なる天から地にまで追い落され,ハルマゲドンの敗北を待つばかりになりました。ハルマゲドンの宇宙的な戦争のとき,神の天使たちは王イエス・キリストにひきいられて,神の御国のために最後の決戦をすることでしょう。この世すなわち組織制度は滅びます。神の御国は勝利を得て永遠に治め,人類を祝福します。―黙示 12:1-12; 19:11-21。
どのように勇気を出すか
45,46 (イ)ハルマゲドンは人類の経験したもののうち,どんな出来事になりますか。(ロ)そのとき動かされないものは何ですか。それで世のかん難のあいだ,だれの言い表わした確信を持つことができますか。
45 全世界の組織制度がハルマゲドンで滅びるとき,人類はノアの時代の大洪水以来,最大のかん難を経験するでしょう。イエスの預言はそのことを述べています。(マタイ 24:21,22,37-39)災の絶えないこの組織制度はその根底から除かれて,あたかも大洋の暗黒のふちに投げ込まれたかのように無くなります。大地が人間の足許から取り去られたかのようになるでしょう。しかし神の御国は動かされることなく,無くなることはありません。それを第一に求め,それに望みをおく限り,私たちは詩篇 46篇1-7節に預言的に言い表わされた確信を持つことができます。
46 「神はわれらの避所また力なり,なやめるときの最ちかき助なりさればたとへ地はかはり山はうみの中央にうつるとも我らはおそれじ よしその水はなりとどろきてさわぐとも,その溢れきたるによりて山はゆるぐとも何かあらん,河あり,そのながれは神のみやこをよろこばしめ至上者のすみたまふ聖所をよろこばしむ神そのなかにいませば都はうごかじ,神は朝つとにこれを助けたまはんもろもろの民はさわぎたちもろもろの国はうごきたり,神その声をいだしたまへば地はやがてとけぬ万軍のエホバはわれらとともなり。ヤコブの神はわれらのたかき櫓なり」。
47 (イ)敬虔な勇気を持つ人々は,どなたと一致しますか。そして何を祈りますか。(ロ)この人々は,政治権力に関する使徒のどんな教えに従いますか。どのように?
47 今日,真に敬虔なこの勇気を持つ人々は,アブラハム,イサク,ヤコブの神すなわち万軍のエホバ,と一致しています。この人々は神の御国が来てこの世の組織制度を滅ぼすように祈ります。イエス・キリストは山上の垂訓の中でその祈りを教えました,「天にいますわれらの父よ,御名があがめられますように,御国がきますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」。(マタイ 6:9,10,新口)それで神の御国の来るのを待たずに亡命政府を樹立して秘密裡に反政府活動をすすめ,暴力に訴えて人々を無理やりに神の御国の側につかせるような早まった事をしません。むしろロマ書 13章1,5節(新口)にある使徒の教えに平和に従います,「すべての人は,上に立つ権威に従うべきである。なぜなら,神によらない権威はなく,おおよそ存在している権威は,すべて神によって立てられたものだからである。だから,ただ〔上にある権威の表わす〕怒りをのがれるためだけではなく,良心のためにも従うべきである」。真のクリスチャンは,自分たちがこの世の組織制度をくつがえすことはできないことを知っています。しかもその事をする神の時が近いことを知っているのです。
48 どうすれば勇気を出すことができますか。キリスト教国においてさえ,勇気はなぜ必要ですか。
48 「勇気を出しなさい」と呼びかけるのは簡単なことです。しかし世界情勢がこのように緊迫している現在,どうすれば勇気を出すことができますか。唯一の方法は,神の言葉,聖書を学ぶことです。聖書は神がどなたであり,神の御国が私たちにとって何を意味するかを教え,確信を与えます。今日,聖書の神に対する不信仰は,キリスト教国においてさえも,一般的になっています。したがって嘲笑する世の中にあって,この神への信仰を言い表わすのにも勇気がいります。しかもキリスト教国の世界改宗によるのではなく,神御自身,世界を滅ぼすことによって御国が設立されることに信仰を持つには,なおのこと勇気が必要です。
49 聖書とその約束に関して,何をしなければなりませんか。
49 しかし神のことを学ばなければ,私たちの避け所であるこの神を求めることはできません。神の御国とその重要さを知らないでいるなら,神の御国をまず求めることはできません。ゆえに聖書を1冊求めて,心を喜ばすその約束を学び,それに信仰を持つことはどうしても必要です。これらすべての貴重な約束をして下さった神に祈ることも必要です。神は,この世のとり除かれること,神の御国の設立と正義の新しい世の到来,死人の復活と全地にわたる楽園の出現を保証しています。
50 聖書から何を学びますか。どのようにして,確信にみちた勇気を示さねばなりませんか。
50 ゆえに御国の本,聖書に親しんで下さい。聖書を学び,王であるエホバ神と,人類を愛して人々のために犠牲の死をとげたキリスト・イエスのことを知って下さい。御国と,この時代における御国の勝利がなぜ確実かを学んで下さい。御国が全地とすべての人にとって絶対の政府である理由を学んで下さい。そして生命を救うこの知識を他の人々に分かち,この組織制度の「終りの時」に成就される栄光ある預言の成就にあずかって確信に基づいた勇気を示して下さい。どの預言ですか。それはイエスが御国に来られ,この世が「終りの時」にはいったことを示す証拠のひとつとして成就すると,イエスの言われた預言です。すなわち「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」― マタイ 24:14,新口。ダニエル 12:4。
51 (イ)なぜ伝道のわざを一人でする必要はありませんか。(ロ)その人々と交わることはなぜ必要ですか。それはヘブル書のどんなさとしに従うことですか。
51 御国の伝道をするのは,あなた一人ではありません。全世界187の国々で150以上の言語を用いて,大ぜいのエホバの証者が活発にこの伝道をしています。彼らは「万軍のエホバ」を避け所,力,助けとしました。いま勇気を得るには,一緒に神の言葉を学んで,その持つ勇気を吸収するため,エホバの御国証者と交わることが必要です。このことについて,聖書の時宜を得たさとしに従いなさい,「愛と善行とを励むように互に努め……集会をやめることはしないで互に励まし,かの日が近づいているのを見て,ますます,そうしようではないか」― ヘブル 10:24,25,新口。
52 (イ)前途にある新しい世のことを考えるとき,なぜ今クリスチャンの勇気をつちかうことが必要ですか。(ロ)勇気のある人々は,ハルマゲドンのあいだ,何を経験しますか。
52 すべての証拠に照らしてみるとき,「かの日」は近づいています! ですから勇気,クリスチャンの勇気をつちかうため,積極的にあらゆる手段を講じて下さい。キリストと同じ勇気を持つ人々だけが,間もなく世界を滅ぼすハルマゲドンを通り抜けることでしょう。世に従う臆病な人々はその宇宙的な戦争に生き残りません。そのような人々は今日,神の側におらず,神の御子,王イエス・キリストの側にもいないからです。正義の宿る神の新しい世は,臆病者のはいる世界ではありません。聖書はそのことを明白に述べています。(黙示 21:8)二つの世界を代表する勢力間の決定的な戦いハルマゲドンにおいても,勇気のある人々は神の御国に忠実を保ち,御国がサタンの古い世に対する大勝利を得て,正義の新しい世をもたらすまで御国の伝道を決してやめないでしょう。これらの勇気ある人々は神から保護され,戦いを通り抜けてキリストによる神の勝利の御国の下,約束された新しい世にはいるでしょう。聖書のすすめにいま従うのは全く当を得たことです。勇気を出しなさい! 神の国は近づいたからです!