恩恵を受ける現代の人々を見分ける
1 黙示録 7章によれば残れる者の奉仕から特に恩恵を受けるのはだれですか。その人々が新しい契約にはいっているかどうかは何が示していますか。
1966年の今日,「新しい契約に仕える者」の残れる者の奉仕はすべての国民の間で知られています。しかし,彼らの奉仕から特に恩恵を受けるのは,聖書の最後の本が「〔当時〕数えきれないほどの大ぜいの群衆」と呼ぶ人々です。この「大ぜいの群衆」は「あらゆる国民,部族,民族,国語のうちから」出て来て,「〔神の〕御座と小羊〔イエス・キリスト〕との前に立」ちます。使徒ヨハネは,霊的イスラエルの十二部族の成員14万4000人が印をおされるのを見たのちに,この「大ぜいの群衆」の幻を見ました。(黙示 7:4-9)この「大ぜいの群衆」は新しい契約にはいっていませんが,現代において,「新しい契約に仕える者」である霊的イスラエルの残れる者と交わるがゆえに,新しい契約の恩恵を早く受けます。
2,3 (イ)「シオンのものみの塔」はいつ初めてこの「大ぜいの群衆」に読者の注意を促しましたか。(ロ)この「大ぜいの群衆」は何から成ると考えられましたか。その人々の前途は何でしたか。
2 「大ぜいの群衆」とはだれのことですか。これは長年のなぞでした。「シオンのものみの塔」誌が発刊された年に,この雑誌は読者の注意をこの「大いなる群衆」(黙示 7:9,文語)に向けました。しかしそれは天にゆくクリスチャンの霊の級であると考えられていました。14万4000人の忠実な弟子がキリストの天の花嫁になるのに対して,「大いなる群衆」は天においてこの花嫁級の次位に立つものとなり,花嫁に付添う若い処女ないしは花嫁級の「供びと」のような役割を果たすと考えられました。―詩 45:14,15。
3 たとえば,第4号すなわち1879年10月号の「ものみの塔」は「主の日」と題する記事の中でこう述べていました。
こうして「小さい群れ」,「花嫁」,「勝利の教会」がイエスと共に位につき,記録されたさばきを加える間に,教会内のクリスチャンの他の級,現世的な心を持ち世に残された者たちは「その衣を……洗い」小羊は彼らを真理で養い,彼らをいのちの水の泉に導き(ある者は早く他の者はさらに遅く),やがては導けるだけ多くの者を涙も痛みも悲しみをも完全に超越した天の状態に入れ,彼の永遠の住みかに受け入れられます。こうしてわたしたちは彼らが(黙示 7:14)「白い衣を身にまとい,しゅろの枝を手に持って」いるのを見ます。そしてわたしたちは「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって,その衣を……洗い」ということばを聞きます。「それだから彼らは,神の御座の前におり……その聖所で神に仕えているのである」。―7節
9節は詩篇 45篇13節を彼らにあてはめ,彼らをキリストの天の花嫁の「供びと」であるとしています。
4 この大ぜいの人々は何から出てくるとされましたか。彼らにはどんなからだが与えられると考えられましたか。
4 「世の和解」と題する同じ号の,次の記事はこの大ぜいの人々について述べ,24節でこう書いています。「『小さな群れ』ないしは花嫁となる人々と,大きな患難をとおってくる人々(黙示 7:14)とは常に霊のからだを与えられるでしょう」。
5 (イ)「大いなる群衆」がハルマゲドンの戦いを生き残るかどうかについてどんなことが期待されましたか。(ロ)この見解のゆえに,14万4000人の残れる者はどんな間違ったことを求めましたか。
5 こうした初期の見解のために,真の「大いなる群衆」ないし「大ぜいの群衆」は神ご自身の時が来るまで正当な顧慮を受けませんでした。またこの見解のために,14万4000人の「新しい契約に仕える者」の残れる者は,霊によって生まれるクリスチャンの大ぜいの人々が全世界に臨む最終的な「大きな患難」の間に,大いなるバビロンから出て来て,識別のための衣を洗い,殉教の血を流すことを期待しました。彼らは地上でハルマゲドンの戦いを生きのびるのではなく,戦いの終わる以前に死ぬと考えられていました。そのような見解から残れる者は間違ったものを求め続けました。
6 1914年に患難が始まった時,残れる者はなぜ驚きませんでしたか。
6 1914年,大洪水以来最大の患難が来ました。残れる者はこれによって驚いたわけではありません。彼らは異邦人の時,ないしは「諸国民の定められた時」が1914年の10月1日ごろに終わる事を知っていたからです。
7 (イ)第一次世界大戦の間,残れる者はどんな人々が出てくるのを見ませんでしたか。(ロ)1918年のロサンゼルスの講演はどんな希望をさしのべましたか。しかしその講演はだれを明らかにしませんでしたか。
7 第一次世界大戦は4年に及び,残れる者はかつてないほどの迫害を受けましたが,「大いなる群衆」がキリスト教国の多数の宗教組織から一団となって出て来る事は見られませんでした。ついで,第一次世界大戦がその絶頂に達した時,1918年2月24日日曜日に,当時のものみの塔聖書冊子協会の会長は,カリフォルニア州ロサンゼルスにおいて,「世は終わった ― 現存する万民は死なないであろう」という講演をしました。この講演は,死ぬ事なく地上に生き続け,その時地上で始まった「大きな患難」を生き残り,ハルマゲドンの戦いをも通過して,キリストによる神の天の御国の支配下に到来する新秩序にはいる希望のある事を明らかにしました。この講演は地上でハルマゲドンを生きのびる者が黙示録 7章9節にある「大いなる群衆」(文語)であるとはしませんでした。講演によれば,地上でハルマゲドンを生きのびる者とは,神に献身しておらず,あるいは霊によって生み出されていなくても,正義に専心している人々一般でした。
8 1923年,ロサンゼルス大会において,どんなたとえ話の意味が説明されましたか。採択された決議文の最終節はだれに呼びかけていましたか。何をすることを?
8 5年後の1923年8月26日日曜日,同じ講演者は,同じくロサンゼルス市において,3万を越える聴衆に,「万国はハルマゲドンに向かっている,しかし現存する万民は死なない」と題する話をしました。この話は8日間にわたるエホバの民の大会の最後を飾るものでした。前日の午後,講演者はマタイによる福音書 25章31-46節にあるイエスの「羊と山羊」のたとえ話について話しました。この話の中では,ハルマゲドンを生き残り,天の御国の下に神がもたらす新秩序にはいる人々と「羊」級との同一である事が明らかにされました。話の結びに講演者は17節からなる決議文を読みあげ,それを採択に移しました。その最終節は羊のような人々にこう呼びかけていました。「彼らは個人的にも集団的にも自らが主の側におり,主の目的に共感しており,かつ神が彼らのために世の初めから用意された御国の祝福を受ける備えのある事を示す」。しかし,そのような「羊」を集めるための特別の努力はされませんでした。
9 当時,聖書研究生は新しい契約はだれにあてはまると考えましたか。この点に関し,「ユダヤ人に対する慰め」は何と述べましたか。
9 当時,聖書研究生は,エレミヤ記 31章31-34節に予告された新しい契約が14万4000人の霊的イスラエル人にあてはまるとは考えず,ハルマゲドンの戦いののちに生来のユダヤ人に対して立てられるものと考えていました。「パレスチナに帰るユダヤ人」と題する講演が各地でなされ,多くの人々がこれを聞きました。そして,1925年10月に「ユダヤ人に対する慰め」という本が出版されました。この本の97-103頁は「新しい契約」という小題の下にこの契約について論じ,それをパレスチナに帰った生来のユダヤ人のためのものとしました。その本の終わりから3番目の節はこう述べていました。「ヨベルの年は来ました。イスラエルの人々に対して,ついで地上のすべての人々に対して良いたよりが与えられねばなりません」。―詩篇 89篇15節をごらん下さい。
10,11 (イ)その本の内容はのちにどんな大きな本の中に包括されましたか。その本が発表されたのは何年でしたか。(ロ)この本の中で,ユダヤ人はとくにどのように恵みを得るとされましたか。パレスチナとエルサレムに何が起きると考えられましたか。
10 のちに「ユダヤ人に対する慰め」の内容は「生命」と題する布表紙の大きな本の中に包括され,この新しい本は主としてユダヤ人に配布するものとして1929年7月15日にわたしたちに発表されました。
11 331頁は「すべての国民」という副見出しの下にこう書いていました。
新しい契約の条項の下に復帰の恵みを受けるのは単にユダヤ人だけではありません。その恵みは地上のすべての人々,すべての国民にさしのべられます。『地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう』とは神の不変の約束であり,その子孫とはキリストです。(ガラテヤ 3:16,27-29)今日地上にいるクリスチャンの「残れる者」が復帰に深い関心を寄せているのは一つにはこれが理由です。
最後の章はさらに340,341頁でこう述べています。
神はアブラハムとイサクとヤコブにパレスチナの土地を約束されました。……神の約束が続くために彼らは復活させられねばなりません。……イエスはこれらの者たちが地上で御国を代表する者として御国にいると言われました。―マタイ 8:11,12。エルサレムは地上でもっとも重要な都市となります。聖書はこのような結論に十分な根拠を与えています。ずっと昔,神はそこを選んでご自分の名をおかれました。常に神に忠節で誠実であった昔の忠実な人々を神がよみがえらせ,パレスチナの地に入れられる時,エルサレムが地上の政府の所在地となる事はきわめて適切でしょう。
12 イエスの羊と山羊のたとえ話の中の「羊」はだれのつぎにならぶと考えられましたか。これらの「羊」を集める仕事に対する態度はどうでしたか。
12 こうして1929年には,イエスの羊と山羊のたとえ話の「羊」より,割礼のある生来のユダヤ人に対してより多くの注意と関心が払われました。「羊」はユダヤ人に対して次位の立場に置かれ,ハルマゲドン後にユダヤ人の次に並ぶと考えられました。当時,「羊」を「よい羊飼」であるイエス・キリストの「一つの群れ」に集める努力は何もされませんでした。
13 1930年に出た「光」という本は黙示録 7章9-17節をだれにあてはめましたか。それで,「他の羊」に対してどの程度の注意が払われましたか。
13 1930年の2巻に分かれた「光」という本は,黙示録の各節を詳細に注解するものでしたが,その中においても黙示録 7章9-17節の「大いなる群衆」は,クリスチャンを自任し,霊によって生み出される人々の級の一つであり,その人々はハルマゲドンにおける殉教ののち各自が「霊者の命を得る」が,キリストの花嫁に対しては次位の立場に立つとされていました。(第1巻91-97)このため,地的な「羊」級,良い羊飼いの「他の羊」に対して集中的な配慮の向けられる事はありませんでした。―ヨハネ 10:16。1923年10月15日号「ものみの塔」310頁33節。
14 (イ)1931年に出た「立証」という本は「大いなる群衆」と額にしるしを受ける人々とを別のものであるとしましたが,それはどんな理解の仕方によりましたか。(ロ)この本はだれがしるしを受ける人々であるとしましたか。
14 1931年「立証」の第1巻が出版されました。この本は,エゼキエルの預言の9章に関する記述の中で,額にしるしを受けて刑の執行から守られる人々についてこう述べていました。「しるしを受ける者が『大いなる群衆』ないしは『患難』級をさすとは考えられません。なぜなら……彼らは大きな苦難の時に守られるのではなく,むしろその前途は死に定められているからです。……彼らは苦難の時を通過しません。主の側に立つために彼らは苦難の時に入れられますが,霊者として生きるために死なねばなりません」。ついで「立証」はしるしを受ける者たちを地的な「他の羊」,またイエスの羊と山羊のたとえ話の「羊」と同じものであるとし,その「羊」はハルマゲドンの戦いを生き残って神の新秩序にはいるとしています。
15 「立証」の111頁は証言活動の目的を何であるとしましたか。それで「他の羊」についてどんな仕事は促進されませんでしたか。
15 しるしをつける仕事について「立証」の111頁はこう説明しました。「この証しの仕事は世界の人々を改宗させてなんらかの組織の中に入れる目的で行なわれるのではなく,キリスト教国のよこしまな組織からのがれる事を望む人々にそれが可能であり,自らの立場を主の側に定めて殺りくの始まる苦難の時を通過する者の隊伍に加わり得る事を知らせるために行なわれます」。こうして,14万4000人の霊的イスラエル人の残れる者が「エホバの証人」の名を採用した1931年においてさえ,これらしるしを受ける人々,「他の羊」を真に集め,組織する仕事は行なわれませんでした。
16 (イ)こうしてだれが残れる者の注意を奪いましたか。(ロ)1932年,「立証」の第2巻と第3巻は復帰に関する聖書の約束について何を明らかにしましたか。
16 割礼のある生来のユダヤ人と,霊によって生み出されるクリスチャンのうち副次的な人々からなる架空の「大いなる群衆」とが霊的な残れる者の注意を奪っていたことは明白です。a しかし,1932年にエゼキエルの預言の残りの24章を扱う「立証」の第2巻と第3巻が出版されました。これらの本によってエホバは,復帰に関する預言が地上の,割礼のある,生来のユダヤ人ないしはイスラエル人にではなく,西暦1919年以来の霊的なイスラエルの忠実な残れる者にあてはまる事をご自分の民に啓示されました。―第2巻253頁から終わりまでをごらん下さい。
17 この解明はユダヤ人にどう影響しましたか。しかし,「立証」は「大いなる群衆」についてどんな期待を残していましたか。
17 この説明はユダヤ人にあてられていた光を消すものでしたが,新しい契約については問題を未決のままとしていました。またクリスチャンを自任し,霊によって生み出される人々の「大いなる群衆」の出現はのちに予期すべきであり,その人々を大いなるバビロン特にキリスト教国から助け出すべきであるとしていました。「立証」の第3巻はこの副次的な霊の級を予影するものとして,エゼキエルの預言の40章から48章に出ている預言的な宮をあげました。―240,265-269頁をごらん下さい。
18 1934年,新しい契約についてどんな理解上の進歩が「ものみの塔」誌によってもたらされましたか。
18 2年後の1934年に,理解の上で進歩がありました。「ものみの塔」は1934年4月15日号の中で(117頁10節),新しい契約は割礼のある生来のユダヤ人に対してハルマドン後のパレスチナで立てられるのではなく,それはすでに立てられており,霊的なイスラエル人と結ばれていると述べました。その一部はこうです。「新しい契約は…霊的なイスラエルのために結ばれました。生来のイスラエル人はエジプトで立てられた律法契約の条項を破りましたから,神がその同じ民に対して新しい契約を立てる事は全く不合理でしょう。その新しい契約は古い律法契約以上に高遠なものであり,また喜び多いものです。このことから当然,新しい契約は生来のアブラハムの子孫と立てられるという考えは除外すべきものとなるでょう」。(「エホバ」という本の1934年版171-173頁をもごらんください)こうして理解の正された事は残れる者にとって大きな喜びとなりました。
「他の羊」と浸礼
19 「ものみの塔」1934年8月15日号の中では,献身,浸礼,聖書研究などについて「他の羊」にどんな励ましが与えられましたか。
19 1934年8月15日号「ものみの塔」の中では「他の羊」に対する真の励ましも与えられました。古代において地的な「他の羊」を予表したのはイスラエルのエヒウ王の友人であり,レカブの子であった,非イスラエルのヨナダブです。それで「彼の親切」と題する記事は「他の羊」をヨナダブないしはヨナダブ級と呼びました。34,35節はこう述べていました。
ヨナダブは自らを主にささげ,浸礼を受けるべきですか。答え。きわめて確かな事ながら,ヨナダブが神のみ心を行なうために自らをささげることは適切です。それをすることなくしてはだれも命を得ません。水の浸礼は神のみ心を行なうために自らをささげた事の象徴にすぎず,それは秩序に従うことでしょう。……今はヨナダブと「万民」級とを指導すべき時であり,この両者は全く同一のものです。
ついでこの「ものみの塔」の記事は,油をそそがれた残れる者に属する人々がヨナダブ級との集まりをどのように司会すべきかを取上げて,こう述べました。「このような研究は今きわめて大切であり,特にヨナダブの人々の益になります。それは彼らが自分たちに対する神のみ心を学ぶことを目的としています」。
20 1934年11月15日に出た「エホバ」という本によれば,「イスラエルの家とユダの家」という表現に含まれる人々として,新しい契約はだれと立てられましたか。
20 しかし,同じ年の3ヵ月後,すなわち1934年11月15号に「エホバ」と題する本がニューヨーク,ブルックリンの協会の印刷機械で仕上げられましたが,その182頁は副次的な霊の級に関する考えを捨てず,それが大いなるバビロンから出て来てエホバの側に立つのを将来に期待すべきものとしていました。従って,新しい契約は割礼のある生来のユダヤ人にあてはまらないとしながらも,その181,182頁はこう述べていました。
霊的なイスラエルの家は,キリスト・イエスの血をあがなうものである事を信じて神のみ心を行なうとの契約を立て,かつ神に生み出されたもののすべてを包含します。これは必然的に,霊によって生み出された者のすべてを含みますが,特に「小さな群れ」がこの中に含まれます……この預言は新しい契約が霊的なイスラエルの家すなわち霊によって生み出される者すべてを含めて霊的なイスラエルすべて,およびユダの家と結ばれる事に関するものであり,これによって御国の仲間が明示されます。この御国の仲間はキリスト・イエスと連携する者たちであり,キリスト・イエスは「ユダ族のしし」です。(黙示 5:5)― 185頁2節をもごらん下さい。
21 こうして1934年の暮れにいたるまで,どんな級が「地的な羊」以上に重要なものとして,霊的な残れる者の注意を奪っていましたか。
21 こうして1934年の暮れになっても,この霊によって生み出される霊的イスラエルの副次的な級が残れる者の注意を奪い,額にしるしを受けるべきヨナダブ,すなわち地的な「他の羊」級以上に重要なものとされていました。(エゼキエル 9:4)それゆえ,額にしるしを受ける人々が1935年,ニサン14日の主の晩さんの祝いに特に招かれることはありませんでした。b
大ぜいの群衆を見分ける
22 「ものみの塔」1935年4月1日号の中でどんな全体的な大会の開催が発表されましたか。大会に対して特別の招きを受けたのはだれですか。
22 しかし,ヨナダブ仲間ないしは「他の羊」にとって大きな喜びの時が近づいていました。5日にわたるエホバの証人の全体的な大会の開催が発表されました。1935年4月1日号を初めとして「ものみの塔」の発表記事はこう述べました。「再び『ものみの塔』はエホバの証人とヨナダブcとの大会が1935年5月30日から6月3日までワシントン市で開催される事を読者に知らせます。残れる者とヨナタブの多くが大会に出席することが望まれます。従来,大会に出席する特権を得たヨナダブは多くありませんでしたが,ワシントンにおける大会は彼らにとって真の慰め,また真の益になるでしょう」。(98頁)「これは奉仕の大会であり,すべての残れる者とヨナタブは奉仕に参加することを期待されています」― 110頁。
23 そのワシントン大会において,黙示録 7章9-17節の「大いなる群衆」についてどんな啓示がなされましたか。
23 ワシントン市におけるその大会はヨナダブにとって確かに有益なものとなりました。大会2日目の午後(5月31日),時のものみの塔協会会長はワシントン講堂に集まった目に見える聴衆とWBBRおよびWHPAの放送を通して話を聞く目に見ない聴衆とに対して,黙示録 7章9-17節(文語)に予告された「大いなる群衆」について話しました。この話の中で会長は,長年論議されてきた副次的な霊の級は存在せず,「大いなる群衆」に関する描写はそのような級にあてはまらないと述べました。「大いなる群衆」は現代のヨナダブから成り立っており,その者たちもエホバ神に対して霊的な残れる者と同じほどの忠実さを示さねばなりません。
24 そのような啓示に対する喜びはどのようにして全世界に広げられましたか。1936年の年鑑はこの点について何を報告しましたか。
24 その日の午後ワシントン市に集まったヨナダブたちの言いつくせぬ喜びは,全地の同じ級の者たちに広げられました。この啓示が「ものみの塔」の1935年8月1日と15日の2号にわたった「大いなる群衆」と題する記事の中に発表されたからです。のちに1936年版の「エホバの証人の年鑑」(63頁)はこう書いていました。「この啓示は兄弟たちを動かし,新たな活動へと奮いたたせました。そして世界中いたる所から,今や残れる者には大いなる群衆に音信を携える特権があるということを喜ぶ報告が寄せられており,また大いなる群衆の者たちも主の御名のほまれのために共に働いています」。
25 (イ)1937年5月,ヨナダブ級の奉仕の特権はどのように拡大されましたか。(ロ)このとりきめは,今日見られるとおり,どのように神慮のあらわれでしたか。
25 「ものみの塔」1937年5月1日号130頁には会すなわち会衆に関する発表がのり,その結果として,エホバの民の会衆内でヨナダブ級ないしは「大いなる群衆」の者たちに与えられる奉仕の特権が拡大されました。
会の中に会のしもべ,また奉仕委員の地位を満たすことのできる有能な人がおらず,その能力と熱意のあるヨナダブがいる場合には,そのヨナダブをして奉仕委員にならせ,その者に奉仕の機会を与えなさい。
この取きめが神慮によるものであり,のちの活動に必要なものであった事は,29年後の今日よく理解することができます。今日,「新しい契約に仕える者」の残れる者は減少して1万1500人ほどとなり,全世界に2万4000以上を数える会衆の多くにおいては,「他の羊」が監督や補佐のしもべを出す事が必要になりました。
26 (イ)それゆえ,ヨナダブは毎年どんな行事に出席することをすすめられましたか。(ロ)1950年,奉仕の見込みについてヨナダブ級にどんな喜びの絶頂が訪れましたか。
26 「会のしもべ」に関するこの発表に続く1938年4月15日の主の晩さん式には,残れる者のともがらとしてヨナダブが出席する事も特にすすめられました。(1938年2月15日号「ものみの塔」50頁)しかしヨナダブ級すなわち「他の羊」に喜びの絶頂が訪れたのは1950年の年です。1950年8月5日日曜日の晩,ニューヨーク市ヤンキー球場でのエホバの証人の国際大会において,今日集められている「他の羊」のうち有能な者たちは,ハルマゲドンの戦いののち,詩篇 45篇16節に出ている者たちと共に,『全地』に任命されるという事が聖書から明らかにされました。―1950年10月1日号「ものみの塔」364,365頁,1950年11月1日号414-417頁。
27 良い羊飼いは「他の羊」をついにどこに導き入れてしまいましたか。
27 こうして,献身し浸礼を受けた「大いなる群衆」,「他の羊」の人々はついに,「新しい契約に仕える者」の残れる者に対する自分たちの正しい立場を得たのです。よい羊飼いである主イエス・キリストは,「小さい群れ」の残れる者がすでに集められた「一つの囲い」の中にご自分の「他の羊」を入れ始められました。それは今日,「ひとりの羊飼」の下に「一つの群れ」があるためでした。―ヨハネ 10:16。ルカ 12:32。
及ぶ恩恵
28 大戦さなかの1942年,エホバの民の会衆はいくつありましたか。何人が伝道活動を報告していましたか。昨奉仕年度にはいくつの会衆があり,何人の伝道者がいましたか。
28 1939年から1945年に至る第二次世界大戦の猛威も油そそがれた残れる者と地的な「他の羊」との絆を破る事はできませんでした。それゆえ,キリストの霊的な兄弟たちに善行をするこれら「羊」の数は増加を続け,今日見られるとおりの「大ぜいの群衆」となりました。戦争さなかの1942年には,人の住む全地における「この御国の福音」の伝道活動を報告する,献身したエホバの民の会衆が5232あり,この救いの音信を広める残れる者と「他の羊」とは16万人いました。(1943年「年鑑」221,222頁)過ぐる1965奉仕年度の間,190以上の土地に2万4158の会衆があり,残れる者と「他の羊」の中に毎月平均103万4268人の伝道者がいました。
29 「他の羊」の増加についてこれは何を意味しましたか。その奉仕年に何人が主の死を記念しましたか。
29 これは「一つの群れ」の中にすでに集められた「他の羊」の数が,「大ぜいの群衆」となるまでに増加した事を示しています。この時までに「新しい契約に仕える者」の残りの者の数は1万1550人にまで減少していたからです。これらの人々は1965年4月16日の主の晩さんの時にパンとぶどう酒の象徴物にあずかりましたが,この時全世界で合計193万3089人の人が,新しい契約の仲保者であるイエス・キリストの死を記念しました。
30 知識という面では新しい契約にどんな恩恵がありますか。この知識はだれに分け与えられていますか。
30 それゆえ,新しい契約の恩恵がすでに人類の全世界に及んでいる事は疑いありません。この新しい契約の条項に従えば,神の新しい契約に入れられた,油をそそがれた残れる者は「小より大に至るまで」エホバを知ることになっていました。今,残れる者は至高の神について知っており,かつ,世界のすべての所から集められ,次第に増加する「大ぜいの群衆」にこの知識を分け与えています。
31 新しい契約は神のあわれみによるどんな恩恵を約束しましたか。これはだれを通して残れる者に与えられますか。
31 さらに,新しい契約の中で,エホバは霊的イスラエル人の残れる者の不義をゆるし,その罪を思わないと言われました。(エレミヤ 31:34)彼らは自己を犠牲とされた新しい契約の仲保者,イエス・キリスト,「神の小羊」の完全な犠牲によってそのような罪の許しを得ています。
32 今日,ほかのだれがそのような罪の許しにあずかっていますか。聖書はそのような,献身して浸礼を受けた人々をどのように見なしていますか。
32 今日,神に献身し,その献身を水の浸礼で象徴した「大ぜいの群衆」も,小羊イエス・キリストの血による罪の許しを得ています。彼らはこうしてエホバ神との平和を楽しみ,「善意の人」の中に数えられています。(ルカ 2:14,新世訳)イエスの羊と山羊のたとえ話は彼らを「正しい者」と呼んでいます。黙示録 7章9,14節は彼らが「白い衣を身にまとい」,その衣は「小羊の血で洗い,それを白くした」と述べています。今神は彼らを認められ,それゆえに彼らは「昼も夜もその聖所で神に仕えて」おり,神は彼らの目から涙をことごとくぬぐいとられます。―黙示 7:15-17。
33 (イ)今日,地上で新しい契約の恩恵にあずかっている人はどれほどいますか。だれの奉仕を通して?(ロ)それらの人々が地上の奉仕を終える時,どんな約束が実現しますか。
33 油をそそがれた,「新しい契約に仕える者」の残りの者が,「他の羊」の助けを得つつ奉仕の仕事を続けるにつれ地上においてその奉仕の恩恵を受ける人々の「大ぜいの群衆」は大きくなります。こうして,神の新しい契約は人類世界全体にはあてはまらなくても,その恩恵はますます全世界に及び,羊のような人々にエホバ神とエホバの王として統治するイエス・キリストに関する知識を与えており,その知識は命を与え,永遠の救いに導きます。(ヨハネ 17:3)神の定めの時に残れる者は地上の奉仕を終えます。イエス・キリストの約束に従えば,彼らは天においてイエス・キリストと一体になります。―ルカ 22:28-30。
34 その時,その人々はどのように奉仕しますか。地上においては,新しい契約に関する神の目的が達成されることからだれが恩恵を受けますか。
34 その時,神の新しい契約によって生み出される「祭司の国」は首尾よく完成されることになります。彼らはメルキゼデクが予表した偉大な王なる祭司イエス・キリストと共に,王または祭司としての奉仕をします。そして,キリストが治める1000年間に,生きる者と死んだ者とを含めた全人類は,神がご自分の新しい契約の,愛に基づく目的を成功裏に達成されることにより,かつてないほどの恩恵に浴するでしょう。―黙示 20:4-6; 21:3,4。
[脚注]
a 「立証」第1巻212頁が,生来のイスラエル人に対する新しい契約の確認ないしは成立について述べていることに注意して下さい。その時「神の古代の預言者や証人たちはユダヤ人のための地上の保証人として立つであろう」としています。(1931年版)1932年版の第3巻255-257頁が新しい契約の成立を将来のものとし,全人類のためのものとしている事にも注意して下さい。
b 「ものみの塔」1935年2月1日号47頁1,2節をごらん下さい。
c 当時,ヨナダブないし「他の羊」は「エホバの証人」であると見なされていませんでした。―「ものみの塔」1934年8月15日号249頁31節をごらん下さい。
[308ページの図版]
黄金時代 1935年7月17日