「デナリ」の現代的な成就
1 西暦33年五旬節に起きた事から,「デナリ」のたとえに最終的な成就があると言えるのはなぜですか。
19世紀昔の古代イスラエル国民の「ぶどう園」労働者の経験によく似たことが,この終わりの時代に,キリスト教国と呼ばれるものに関連して起きています。昔の「ぶどう園」,つまりモーセの律法契約下にあったイスラエル国民は模型的です。その経験の多くはきたるべき事柄の預言的な「影」でした。(コリント第一 10:1-6,11。コロサイ 2:16,17。ヘブル 10:1)さらに,象徴的な「デナリ」が支払われた五旬節の日に,使徒ペテロの引用したヨエル書 2章28-32節の預言は,1900年前のそのとき完全に成就したのではありません。ヨエル書 2章28-32節には,さらに大規模で最終的な成就があるはずです。このことは,現存する事物の制度の「終りの時」である今日,イエスの「デナリ」のたとえ話があと一度,そして最終的に成就することを意味しています。(使行 2:17,18。テモテ第二 3:1-5)そのことを証明する事実があります。
2,3 (イ)「デナリ」の使用はいつ衰え始めましたか。(ロ)キリスト教国は何を自任してきましたか。キリスト教国牧師はどんな奉仕をしていると考えてきましたか。なぜそうですか。
2 イザヤ書 5章1-7節の預言どおり,エホバ神は19世紀前,割礼のある生来のイスラエルの模型的な「ぶどう園」を退けられました。以来エホバ神は,イエス・キリストがぶどうの木つまり中心の株,キリストの真の追随者が枝である,霊的な「ぶどう園」を育ててこられました。(ヨハネ 15:1-8)エホバは今,霊的な「神のイスラエル」を所有しておられます。それはイエスの死の時に廃された古い律法契約のもとになく,イエス・キリストが天で仲立ちをつとめる新しい契約のもとにあります。(マタイ 26:26-28。ルカ 22:19,20。テモテ第一 2:5,6)1世紀の終わりまでにキリストの使徒すべては死んで,五旬節に払われた象徴的な「デナリ」を使うことはしだいに衰えました。4世紀前半にキリスト教国宗教組織が設立され,これはやがて世界的な規模に成長し,カトリック,ギリシャ正教,プロテスタントなどの指導者もしくは牧師が導く幾多の宗派を擁するところとなりました。
3 このキリスト教国には牧師と平信徒の別があります。またキリスト教国は幾つもの宗派に分かれています。この点でキリスト教国は,イエス・キリストおよびその使徒時代のイスラエルの宗教組織に似ています。キリスト教国は霊的な神のイスラエルを自任し,それゆえ,イエス・キリストを仲立ちに神と新しい契約にはいっていることを主張してきました。またキリスト教国は神の霊的な「ぶどう園」を自任し,諸宗派の教会はぶどうの木イエス・キリストの「枝」であると唱えてきました。こうして,任命された司祭や説教師から成るキリスト教国牧師は,至高の神の「ぶどう園」で働いていると自ら唱えてきました。これら牧師は個々の宗派から形式的な任命を受け,平信徒の群れを支配する地位についています。彼らは牧師としての地位および責任を自分の職業つまり全時間の職とし,それゆえ神に全時間の奉仕をしていると考えています。そして一たび任命を受けるなら,実際の活動から引退したのちにも,終生牧師であると考えています。
4 キリスト教国牧師は自らの主張によって,神のぶどう園に雇われることにつき,自分をどんな立場においていますか。献身し,バプテスマを受けたクリスチャンで牧師でない人々を彼らはどう見ていますか。
4 自らこのように考える牧師は,霊的イスラエルの神の「ぶどう園」で一日中働くため,「先」に雇われた者です。宗教面で部分時間の奉仕をする者は彼らに劣る者,そして少ない賃銀を受ける者とみなされてきました。献身し,バプテスマを受けたクリスチャンで,彼らの神学校教育を受けず,彼らから学位や称号を許されず,また彼らの説教壇を割り当てられない者が神の国を伝道すると,第一級の地位を自負する牧師はこれを軽蔑ました。献身し,バプテスマを受けたクリスチャンはすべてぶどうの木イエス・キリストの枝であり,神の霊的な「祭司」として実を結ぶべきであるにもかかわらず,任命を受けたキリスト教国牧師はその事実を忘れ,彼らを見下げてきました。牧師は彼らを「あとの」者,神の奉仕に正式の任命を受け,神の霊的な「ぶどう園」で働く見込みの少ない者とみなしました。訓練も教育もないただの「平信徒」とみなされた,これら献身した神の奉仕者に対し,キリスト教国の説教壇はおおむね開放されませんでした。
5 このようにみなされる人々の間で近年どんなクリスチャングループが組織されましたか。牧師はその人々について第一次大戦中に何をすることに成功しましたか。
5 キリスト教国の任命された牧師からこのようにみなされた人々の中に,一貫してキリスト教国を離れ,しかもこの20世紀に顕著な存在となった,献身したクリスチャングループがあります。それが組織されたのは19世紀後半であり,当初は小さなグループとして始まりました。1884年,そのグループは出版ならびに管理機関として,今日の,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会を設立しました。このグループはまた万国聖書研究生として知られるようになりました。キリスト教国牧師は,神のことばを伝道し説明するこれら聖書研究生を軽蔑し,その熱心な御国伝道に反対してこれを妨害しました。これはやがて発展し,第一次世界大戦騒乱のさ中に,ものみの塔協会の会長と会計秘書,および編集役員数人をアメリカ合衆国連邦刑務所に投獄するまでになりました。また,彼らの宗教上の文書は多くの土地で一部,ないしは全面的な禁止処分を受けました。
「デナリ」ではない
6 これらのクリスチャンが雇われる面で「あとの者」と思われたのはなぜですか。彼ら自身は「第十一時」について何と考えましたか。
6 これら献身したクリスチャン聖書研究生の世界の宗教舞台への出現は,時代的に遅く,非正統的であったため,彼らは,大いなる家あるじエホバ神がご自分の霊的な「ぶどう園」,真のキリスト教組織に雇う「あとの者」であると思われました。異邦人の時期が1914年,第一次世界大戦の勃発した年に終わったことを見れば特にそうでした。(ルカ 21:24)第一次大戦と共に悪化する人類事情を見たこれらクリスチャンの万国聖書研究生は,この事物の制度の終わりに関する預言の解釈に従い,エホバ神の霊的な「ぶどう園」で働く最後の時間つまり「第十一時」が今や終わろうとしているのを知りました。彼らはぶどう園とデナリに関するイエスのたとえ話にずっと以前から関心をもち,「シオンのものみの塔」誌は早くも1881年4月号7ページ,「千人の伝道者が必要」の見出しで,このたとえ話と「第十一時」にふれていました。その記事は働き人を求めるものでした。
7 協会は1917年7月にどんな本を発行しましたか。その本と象徴的な「デナリ」との関係について何が言われましたか。
7 それで戦争たけなわの1917年7月,ものみの塔聖書冊子協会は「完成された奥義」と題する本を出版しました。(英語のみ)a これは7巻から成る「聖書の研究」の最終巻でした。クリスチャン教会の忠実な残れる者の天への栄化は近いと信じられていたため,この聖書研究の手引き「完成された奥義」およびそれに伴う奉仕の特権が象徴的な「デナリ」であり,忠実な「ぶどう園」労働者がこの地を離れる以前に与えられる報酬であると考えられました。事実,この本の第2ページ,発行者のページにはデナリ貨に似た硬貨の形が大きく印刷されました。その銘刻は次のとおりです。「召しを待つ聖別された聖徒,および『いたる所で主を呼ぶすべての人』,『信仰の家族』,また歎きつつ神の子らの現われを待つ,苦悩する全創造のため,王の王,主の主にこの本をささげる」。また同じ年,1917年10月1日号「ものみの塔」に293ページは,「デナリ」という見出しで,「完成された奥義」とそれに伴う「誉れ」が象徴的な「デナリ」であると述べました。b
8 (イ)しかし,「デナリ」にこのような意味が付された時,発行者は何を予知していませんでしたか。(ロ)「完成された奥義」の発行に続き,カナダとアメリカでどんな事態が起きましたか。
8 しかし,第7巻,「完成された奥義」の中で「デナリ」にこのような意味が付されたとき,第一次世界大戦が翌年(1918年)終わり,その後,油そそがれた残れる者に天での栄光でなく,この地上で平和な時代のあることを予知した者はいませんでした。「完成された奥義」を家から家に頒布するため,7000人の聖書研究生を組織化することが行なわれました。c しかし1918年春までに,この本はアメリカとカナダの双方で禁止されました。当時ドイツと戦争状態にあったアメリカ政府は,この本を理由に万国聖書研究生の指導者をジョージア州アトランタの連邦刑務所に投獄したのです。
9 第一次大戦後「完成された奥義」について何がなされましたか。そしてついに,この本と「デナリ」との関係について何が明らかになりましたか。
9 こうして,これら聖書研究生の活動は,政府の禁止処置,牧師の反対,宗教的な迫害,戦時の断絶などのため,はなはだしく阻害されました。1919年春,投獄されていたものみの塔協会の代表者は,連邦刑務所から完全に釈放され,各地のものみの塔協会支部との連絡も再開されました。ついで1920年,第7巻に対する禁令は除かれ,「完成された奥義」は再度アメリカ合衆国で頒布を許されました。しかし1927年,「完成された奥義」は他の「聖書の研究」シリーズ6巻と共に発行されなくなり,戦後の新しい聖書研究の手引きがこれに代わりました。こうして10年の間に,第7巻およびそれに伴う奉仕の誉れは真実のデナリでないことが明らかになりました。
10 1925年までに,エホバの名について何が理解されるようになりましたか。この理解が1931年に頂点を迎えたことを述べなさい。
10 その間1925年に,これらクリスチャン聖書研究生は,誕生したメシヤの御国による神のみ名エホバの立証こそ,神の主要な目的であることを理解しました。事実,1922年以降,イザヤ書 43章10-12節がくり返し取り上げられ,地上での残りの日の間,聖書研究生は主なる神の証人となるべきことが指摘されました。d 神の名をあかしすることは彼らの間でしだいに支配的な仕事となりました。これが頂点に達したのは1931年です。その年,幾多の中傷をあびてきた聖書研究生は,オハイオ州コロンバスの国際大会において,イザヤ書 43章10-12節に基づく名前「エホバの証人」を,決議によって採用しました。
11 「完成された奥義」に関連した事柄は「デナリ」でなかったことが明らかになった今,「エホバの証人」の名を与えられたことについて何が考えられましたか。なぜ?
11 天の御国相続者の油そそがれた残れる者を集める仕事は終わりに近づいたように見えました。それで,聖書に基づくこの名が1931年に与えられたことは,1919年以来12年にわたるきびしいクリスチャン活動に従事したことの報いであると思われました。「完成された奥義」の本,およびそれを頒布することの誉れが「デナリ」でなかったことは明らかでした。それで,万国聖書研究生に今新しい名の与えられたことが「デナリ」でしたか。
12 1933年の終わり近く,「ものみの塔」は「デナリ」について何と述べましたか。
12 1933年,「ものみの塔とキリスト臨在の先ぶれ」誌は,11月15日号と12月1日号に,(2号にまたがった)中心記事「労働者の賃銀」をのせました。これはイエスのぶどう園のたとえを説明するものでした。この記事の第1部第2節は述べました。「労働者とはさばきのために宮におり,御国の奉仕に携わる人です。その賃銀もしくはデナリは,ご自分の民に対する新しい名をエホバから受ける誉れです」。(339ページ)344ページ21節は述べました。「地上の創造物にとって,エホバ神のみ口から名を受けるほどすばらしい賃銀はないでしょう。しかもその名はエホバとその忠実な民の間の親密な関係を表わすのです。エホバが以前にこのような賃銀を創造物に与えられたことはありません」。
13 1937年までに,エホバの証人であることについてどんなことが理解されましたか。1942年の「新しい世」は今日の「他の羊」の「大ぜいの群衆」もまたどんな者であることを明らかにしましたか。
13 しかし1937年,浸礼者ヨハネから最初の殉教者アベルにさか上る忠実な預言者や信仰の人々もエホバの証人,『雲のように多い証人』であることがいっそう明確に理解されました。(ヘブル 11:1–12:1)そののち1942年に発行された本「新しい世」は,黙示録 7章9,10節に予告された「他の羊」の「大ぜいの群衆」もエホバの証人であると述べました。(368,369,375ページ)今日,集められて,油そそがれた残れる者と交わるこれら「他の羊」の「大ぜいの群衆」は,いつもエホバの証人の中に数えられています。もしこれらの人々が1935年以来エホバの証人でなかったとするなら,歴史の事実から言って,いったい何であったでしょう。彼らが現代のエホバの証人でないとするなら,ほかの何であり得ましょう。
14 こうして「エホバの証人」の呼び名について何が理解されるようになりましたか。そして西暦33年五旬節の時におけるこのような「新しい名前」についてはどうですか。
14 ここに見るとおり,「エホバの証人」の名はただ油そそがれた残れる者にのみあてはまるのではありません。それで,クリスチャンに対するこの新しい名前は,イエスのたとえ話の象徴的な「デナリ」ではありません。西暦33年五旬節において,「新しい名前」は「デナリ」ではありませんでした。当時のイエス・キリストの弟子はユダヤ人であり,イザヤ書 43章1-12節の言うエホバの選びの民に生まれた者として,すでにエホバの証人であったからです。
15 (イ)今日,どうすれば「デナリ」の意味をはっきり理解できますか。(ロ)現代において,「夕方」とぶどう園作業の終わりはいつ来ましたか。どのように?
15 1933年,そしてアドルフ・ヒトラーのナチス体制下に行なわれた,エホバの証人に対する恐怖の迫害が始まった年以来すでに34年たっています。いま,19世紀前の使徒時代に,イエスのぶどう園のたとえがいかに実現したかを顧みるなら,「デナリ」の意味を理解することはむずかしくありません。たとえ話の現代の成就において,「夕方」と12時間の作業時間の終わりは第一次大戦中に到来しました。この戦いは異邦人の時が1914年秋に終わったことをしるしづけるものでした。全時間の労働者,「先」に雇われた者つまりキリスト教国牧師は,その努力を参戦国の戦闘行為に向けました。「あと」に雇われた者の活動は,1918年,ものみの塔の文書が禁止され,万国聖書研究生の代表役員が投獄されたことによって阻害され,実質的に停止しました。この活動の停止はイエスの死および弟子たちの離散に相当します。
今日に至る「デナリ」の使用
16 (イ)それで,賃銀の時と考えられたのはいつですか。(ロ)「雇われた」者にとって1919年春が五旬節の日のようであったことを説明しなさい。
16 1918年11月11日第一次世界大戦は終戦を迎え,世界の関心は平和と戦後の再組織に向けられました。世界平和と安全の器として国際連盟が提唱されました。宗教事情を言えば,表向きにも実質的にもエホバの霊的なぶどう園で働いた者に対する賃銀の時が来ていました! 大戦後の新時代に彼らに与えられる「デナリ」は何ですか。「ぶどう園」での作業に「あと」から雇われた者にとって,1919年の春はさながら五旬節の日のようでした。クリスチャンの万国聖書研究生にとってそれは死からのよみがえりにも似ていたからです。1919年3月26日,彼らの編集ならびに代表役員は釈放され,ただちに戦後の活動が計画されました。「ぶどう園」労働者は全世界で再組織されました。1919年9月1日から8日まで,オハイオ州シーダーポイントにおける第1回の大会が開かれ,公開集会に7000人が集まりました。そして1919年10月1日には,「ものみの塔」に加わる新しい雑誌「黄金時代」(今日の「目ざめよ!」)が発刊されました。万国聖書研究生の宗教面におけるこうした再活動はキリスト教国内に驚きと当惑を呼びました。
17 それで,「あと」に雇われた働き人にとって「デナリ」は何でしたか。
17 ここに,19世紀前の五旬節の日におけるような,エホバの霊的な「ぶどう園」にあとから雇われた者に対する「デナリ」の支払いがあります。メシヤによる神の国は1914年,異邦人の時期が終わると共に天に誕生していました。そして,ぶどう園労働者に支払われた「デナリ」は,その誕生の時からやがて来る,ハルマゲドンでの『全能なる神の大いなる日の戦い』に至るまで,新たに生まれたメシヤによる神の国の油そそがれた大使として奉仕する特権と誉れでした。この大使としての奉仕は神の聖霊に助けられつつ行なわれました。前述のことに一致して,彼らはマタイによる福音書 24章14節に従い,この事物の制度の終わりが来る以前にすべての国民へのあかしとして,誕生したメシヤによる神の国の福音を,人の住む全地に宣べ伝える特権をも与えられました。(黙示 16:14-16。マルコ 13:10)彼らにとってこの「デナリ」の価値はすばらしいではありませんか!
18 この事実に不満をいだいたのはだれですか。やがてどの程度まで?
18 キリスト教国は神のぶどう園を自任しており,キリスト教国の牧師は霊的な賃銀がこうして支払われたことに不満をいだき,その不満はこれら御国伝道者に対する迫害となって表われました。牧師も望むならこの御国の証言に加わることができました。しかし彼らは国際連盟を「神の国の地上における政治的な表現」であるとして,誕生した神の国を退けました。彼らは世俗の政治家との交友を断ちませんでした。
19 「デナリ」を受ける面で「あとの者」となっているのはだれですか。
19 エホバ神が1919年以降に加えられた者も含め,御国相続者の油そそがれた残れる者すべては,自分の受けた「デナリ」に感謝しています。彼らは1919年に支払いを受けて以来,それを使い,その価値に対する認識をしだいに深くしています。キリスト教国牧師は貴重な「デナリ」を受ける面では「あと」の者になっています。しかもそれを受けるのは,今や近いエホバの大いなる恐るべき日に,大いなるバビロン(キリスト教国を含む)が滅びる以前でなければなりません。―ヨエル 2:31,32。使行 2:20,21。
20 これら支払いを受けた働き人は,「デナリ」を今日まで感謝して使ってきたことに対し,すでにどのように報われていますか。
20 特に1935年以来「デナリ」は,黙示録 7章9-17節に予告された羊のような人々の「大ぜいの群衆」を集めるために使われてきました。これらの者は油そそがれた御国の大使が伝える御国のたよりを受け入れました。そしてすでに全地で100万を数えるこれらの人々は,大いなるバビロンを離れ,油そそがれた残れる者と共に,エホバ神およびそのメシヤなる王イエス・キリストをたたえています。御国の大使はエホバの「デナリ」を受け入れ,それを感謝して使ったことによって,すでにすばらしい報いを受けているではありませんか!
[脚注]
a 「ものみの塔」1917年12月15日号373頁は述べました。「第7巻のスウェーデン語およびフランス語のほん訳は終わり,今月中にヨーロッパで出版できる予定です。これら二つおよび他の言語の注文に応じられるようになれば,すぐにこの欄で発表いたします。この本はドイツ語,ポーランド語,ギリシャ語『ものみの塔』誌上に逐次ほん訳発表されています。またさらに四つの言語でほん訳中であり,近日中にさらに多くの言語でほん訳されるでしょう」。そしてこの「ものみの塔」は次の節でマタイ 20:2-17の「デナリ」について注解しました。広告によれば,「完成された奥義」は1924年までに,英語,デンマーク語,ノルエー語,フィンランド語,フランス語,ドイツ語,ギリシャ語,ポーランド語,スウェーデン語で出版されていました。
b 「デナリ」という見出しのもとの2節は次のとおりでした。「ラッセル兄弟はデナリのたとえ(マタイ 20:1-16)を説明し,『聖書研究』第3巻223頁で,デナリは『御国の誉』であるとしています,詩 149:5-9はこうです。『聖徒を栄光によって喜ばせ,その床の上で喜び歌わせよ。そののどには神をあがめる歌があり,その手にはもろ刃のつるぎがある。これはもろもろの国にあだを返し,もろもろの民を懲らし,彼らの王たちを鎖で縛り,彼らの貴人たちを鉄のかせで縛りつけ,しるされたさばきを彼らに行うためである。これはそのすべての聖徒に与えられる誉である』。ラッセル兄弟はこの詩篇を注解し,ここに言及される「誉」は幕のこちら側で聖徒に与えられると述べました。聖徒がつるぎを幕のこちら側で使うのと同じです。王たち,支配者たち,貴人たち,およびこの世の制度を縛るつるぎ(真理の音信)を使うことに今参加することは,大きな,またすばらしい誉です。つるぎの『先端』つまり第7巻を喜び勇んで受け,これを使う者はすべて(エゼキエル 21:14,15)それによって『御国の誉』― デナリを受けます。
「第7巻は何年も前から約束されていました。すべての者がそれを求め,真理にあとからはいった者が先の者と並んでそれを受ける日を待ち望んできました。たとえ話によれば不満を抱いて不平を言う者がいます。そのたとえ話どおり,ある者は不平を言い,第7巻を拒絶しています。彼らはデナリ,つまりこのすばらしい収穫完了の仕事に加わった報いとして主が与えられる誉に満足していません。それらの者は今収穫の仕事に携わっておらず,むしろ不平を言い,あらをさがし,仕事を妨害しようとしています」。
c 1919年9月15日号「ものみの塔」281頁は,戦争のため十分に行なわれていなかった,第7巻の活動にふれ,その2節と3節で一部次のように述べました。「これまで,『ものみの塔』の読者はすべて,喜びのたよりを人に伝えたいと思ってきました。今あなたはそのための機会を利用されませんか。
「どのように進めるか
「第7巻活動のための組織は大きな成功でした。その特別な活動には7000人の仲間が参加しました。わたしたちはいたる所のクラスがその組織を再興し,本来の姿にもどすことをすすめます」。
d オハイオ州シーダーポイントで行なわれた,国際聖書研究生の第2回国際大会で特に「その日」と名づけられていた1922年9月8日,金曜日,ものみの塔協会会長はマタイ 4:17の聖句「天国は近づいた」に基づく,忘れ得ぬ話をしました。その講演の終わりから5節目と6節目で,J・F・ラザフォード会長は述べました。
「では,さとらぬ人々になぜ音信を伝えるのですか。だれかが聞くのですか。主の預言者がこう答えます,目があっても目しいのような民,耳があっても耳しいのような民を連れ出せ。国々はみな相つどい,もろもろの民は集まれ。彼らのうち,だれがこのことを告げ,さきの事どもを,われわれに聞かせることができるか。その証人を出して,おのれの正しい事を証明させ,これは『真実だ』と言わせよ。主は言われる,『あなたがたはわが証人,わたしが選んだわがしもべである。……あなたがたはわが証人であると主は言われる』― イザヤ 43:8-12。
「ここに明示されるとおり,宮級の人々はこの時代において主の証人です。それは人々に慰めのおとずれを伝え,天の御国は来ており,現存する幾百万の人は決して死なないことを告げるためです。それで,神のみ名をたたえ,神が主であることを人に知らせることは神の目的です。また神は,この緊急な時代に地上に一つの民を持つことを意図しておられます。その民は他のすべてと全く異なり,神の証人となり,恐れることなく『天国は近づいた!』と叫びます」。
[276ページの図版]
「完成された奥義」から
[278ページの図版]
神の国の大使であるという特権を使う