神のお名前をほんとうに高めた大会
「証人たちは[リバーフロント]スタジアムにエホバの治める小都市を建設しようとしている」。これはインクワィヤラー紙の特集記事担当記者が,当時アメリカ,シンシナチ市で準備中だった「神のお名前」地域大会を評した一節です。
この予想は,昨年6月から8月にかけてアメリカで開催された34の大会およびカナダにおける11の大会のすべてに関して事実となりました。
実際,事前の準備活動から5日間のプログラム全部を通して,参集したエホバの証人が自分たちの神である創造者の好意に浴していることは明白でした。証人は自分たちの活動がその神によって監督されていることを認めています。この大会の神髄は,神の前に良い名前を得るだけでなく,神のお名前を高めることにありました。また,霊性およびその必要とそれを守る方法,また他の人びとを霊的に建て起こすことが大いに強調されました。
大会に行き渡っているそうした姿勢に深い感銘を受けたアトランタ・コンスティチューション紙の一記者は述べました。「証人たちは霊的な飲みものや糧,自分たちの問題を解決する助け,あるいは自分たちの愛している他の人を助けるてだてを求めてやって来る。彼らはあらゆる人を愛している」。
準備
合計幾十万人もの出席者の予想されるこうした大会を取り決めて準備するのは決して小さな仕事ではありません。発表される新しい聖書文書を供給するわざは優に1年余の前に,時には何年も前に開始されます。また,大会会場が選定され,使用契約が結ばれます。ものみの塔聖書冊子協会の印刷工場では何か月も前に植字と印刷作業が開始され,印刷工場の製本部門は大会の直前まで忙しく仕事を進めます。大会で発表される出版物は協会の聖書・聖書研究用の本・雑誌に対する通常の需要以外のものですから,印刷施設には余分の負担が課されることになり,たいてい正規の時間外の余分の仕事が行なわれます。
そのうえ,今日の世界の諸事情のもとにあるクリスチャンの必要とするものを考慮に入れてプログラムを準備しなければなりません。幾つかの主要な講演の原稿を印刷し,他の話の筋書きを作成して,どの大会に出席しても,同じ霊的な食物にあずかれるようにします。聖書劇の録音を準備して,事前にテープを大会都市に送り,劇の配役を受けた人たちが台本を読み,拡声器を通して流される声に合わせて無語で演技を行なえるようにします。他の劇は徹底的に準備し練習して,「なま」放送で上演されます。
そのすべてに加えて,おのおのの大会を組織するのに延べ幾千時間もが費やされ,簡易食堂・喫茶スタンド・群衆を取り扱う整理係・大規模な清掃班・拡声装置・駐車場と整理係・宿舎係・自発奉仕係その他たくさんの部門すべてが開会当日までに設置されます。
大会を歓迎した都市
昔,エホバの証人はキリスト教世界の諸教会から反対を受け,大会の会場を借りるのに相当の障害に直面しました。また,僧職者が一般市民に圧力をかけたため,時には宿舎を確保するのが困難でした。証人たちの動機や信頼性が誤って伝えられたため,市当局者や実業家たちさえ影響されましたが,今日,こうしたことはめったに見られません。
モントリオール・スター紙の一記者は大ぜいの出席者(競馬場で開かれた大会の出席者2万2,692名)を評してこう述べました。「聖書は競馬以上に多くの人々をここに引き寄せた。エホバの証人は決して降参しない。証人たちと戦った者はもはやいないが,エホバの証人は依然としてここにいる」。
当局者や会場の責任者または実業家たちの態度の典型的な例を次に掲げます。
メンピス大会2日目のコマーシャル・アピール紙の社説はこう述べました。
「エホバの証人1万5,000人余が5日間の集まりに出席すべく当メンピス市に訪れたが,当市は証人たちを心から歓迎するものである。
「エホバの証人は勤勉な人々である。証人たちは以前にも当市に来たことがあるが,その振舞いは常に模範的である。この派は,自発的に奉仕する会員で成る福音伝道団体で,彼らの大会は,生活面で困っている仲間の労働者のために費用を切り下げることに努力を払っており,証人たちが設置する簡易食堂は彼らの慎重な計画のほどを物語っている。
「証人たちは持ちまえの勤勉さゆえに客人として歓迎されている。われわれは証人たちが当市で快く迎えられるよう望んでやまない」。
また,メンピス・プレス・スキミター紙は,エホバの証人のつどいは「家族的なもの」であるとはいえ,あまりに大きすぎて同市最大の大会会場にもはいりきれなかったと述べ,さらにこう評しました。「証人たちがメンピスで次の大会を計画するころには,当市ノース・メインのエベレット・クック会議センターが証人を待ち受けているであろう。われわれは彼らをいつでも歓迎する。エホバの証人は行動また礼儀の高い規準を保ち,自分たちの問題をみずから処理している」。
事実,大会の開かれた都市すべてが同様の態度で証人たちを迎えました。会場の責任者もしくは職員との借用交渉で問題にぶつかったのはわずかに二,三の例だけでした。それも,以前証人たちを取り扱ったことのある他の会場の責任者や職員に事情を問い合わせてもらったところ,不審の点は解消しました。フィラデルフィア市の在郷軍人スタジアムの主事は同スタジアムの使用許可を出す前に,他のスタジアムの職員何人かと話し合ったことを記者に述べ,こうつけ加えました。「証人たちは最上のお客さんです。彼らは大ぜいの人々を引きつけますが,膨大な清掃の仕事をやってのけますし,自分たちの必要をみずから顧みますからね」。
警察・市当局・実業家たちから同様の協力が得られたことは,アメリカおよびカナダの大会すべてに見られた特色の一つです。宿舎部門の活動があまりにもすばらしい成果を収めたため,アルブケレケ・ニューメキシコ・ニュース紙は,「まるでだれか偉い人物が個人的に関心を注いで事を運んでいるかの感がある」と評したほどです。
大会の目的
この大会は次のような二重の目的を持つものと言えます。(1)エホバの証人および証人たちが接しうる他の人びとすべての思いと心のうちに神のお名前エホバを高め,(マタイ 6:9)(2)証人自身およびその子どもたち,また神のお名前が表わす,神の定められた原則に服する他の人びとのための教育を施すこと。
大会初日には,「あなたはだれの名前をいっそう尊びますか ― 自分のですか,それとも神のお名前ですか」と題する大会の基調講演が行なわれ,キリスト教世界の僧職者はみずからを神にまさる者とし,神のみことばよりも自分勝手な考えを好んでいるということが明示されました。それとは対照的に,この大会の大きな特色は,聖書を用いるよう強調されたことです。家族はみな聖書を毎日読むように励まされ,また聖書をほんとうに深く理解し,正しく適用するためには,聖書各巻の背景や関連のあるできごとを考慮するとともに,読む箇所の文脈をも考える必要のあることが実演で示されました。
「諸国民すべてが神と正面衝突する時」と題する公開講演は,神の主権と神のお名前の立証に意を用いる必要がいかに大きいかを強力に示すものでした。大会最終日の最高潮となったこの講演にさいして出席者数は頂点に達し,アメリカとカナダの大会の合計出席者数は67万8,359人にのぼりました。
実際のところ,大会は,公正・秩序正しさ・平和・真の愛・互いに対する思いやりの行き渡る新秩序下の生活に備える主要な段階を成すものであり,エホバの証人は今そのような仕方で生活することに努めています。
証人たちは,神に次のように懇願する「主の祈り」をほんとうに信じています。「あなたの王国が来ますように。あなたの意志が,天におけるごとく,地上でも行なわれますように」。(マタイ 6:10,新)証人たちは,「だから,王国と[神の]義とを第一に求めつづけなさい」とのイエスの助言に従っており,それゆえに真の幸福を味わっています。―マタイ 6:33,新。
エホバの証人に好意をいだきながらも,証人が神のみことばに基づいて信じている事がらに耳を傾けようとしない人もいます。しかし,神のみことばを学び,その原則を生活面で実践しなかったならば,証人たちの行動は模範的でもなければ,彼らはこうしたりっぱな大会も開けなかったでしょう。中にはこの点を認める人もいます。オレゴン州ポートランドの一婦人は,大会出席者の宿泊する部屋を提供していただけまいかと願い出たふたりのエホバの証人にこう語りました。「みなさんはたいへん暖かくて親切で善良なかたがたです。みなさんの信仰がこうした結果をもたらしているに違いありません」。
バッファロー・イブニング・ニュース紙の一特約寄稿家は,「エホバの証人は他人の所有物を尊重することを,ほかならぬクリスチャンとしての振舞いの一つとみなしている」と評し,ニューヨーク,トナワングのある家の人の経験を報告しました。その人は大会出席者のための部屋の提供を最初ちゅうちょしましたが,後日こう言いました。「もし人々がみな証人たちのように振舞うものなら,部屋を毎週お貸ししたい。雨が降ると,証人たちは家にはいる前に靴を脱ぎさえして,じゅうたんを汚さないよう気づかってくれた。彼らは私がこれまでに会った最も礼儀正しい人々の部類に属する人たちです」。
教えるわざ
大会のプログラムは教えるわざを大いに強調するものでした。大会出席者は,家族の成員間の意志の疎通を図るよう常に努力すべきであるとさとされました。『世代の断絶』を避けるには,親は子どもにごく幼少の時から教えねばなりません。「偉大な教え手に聞き従う」(英文)と題する192ページの本を発表するに先だって,講演者は親たちにこう語りました。「単に自分がそうだからといって,自分の子どもが自然に弟子になるなどと考えないでください。そうなるよう子どもたちに教えないかぎり,子どもたちはイエス・キリストの追随者とはならないでしょう」。
親たちは,子どもに組織的に教える計画を立てて,聖書の深い真理やクリスチャンの行ないを律する原則を,わかりやすいやさしいことばやさし絵を用いて子どもに理解させる助けとなる真の贈り物としてその本を受け取りました。大会に出席した子どもたちもまた,そうした聖書の教えを熱心に受け入れようとする態度を示しました。このことは,『子どもたちのために』発行されたその本をしっかりと握ったり,食い入るように読んだりしている幾百人もの子どもたちの姿が大会会場内に見られたことからもわかります。
この本の発表に先だって,同様の記事が「ものみの塔」誌に連載され,なかにはその記事を切り抜いて本を作った人もいます。ある親はこう語りました。「子どもたちは,私が一つの記事も見落とさないよう毎週注意を促してくれます。私たちはこれらの記事を用いてゲームをしながら読みますが,子どもたちは記事の中のあらゆる質問に答えます。事実,子どもたちがいっせいに話すのを避けるため,最初,手を上げないようたしなめねばなりません。これらの記事は子どもに考えさせ,また子どもを内容に精神的に関与させずにはおきません」。別の人は言いました。「子どもはむずかしい考えをさえ非常に早く学べるということに感心させられました」。
こうして注意深く教える親は豊かな報いを得ます。分裂した家族の多いこの世界にあって,真のクリスチャンの間に見られる家族の一致は注目に値します。ミシガン州ランシングのある記者がステート・ジャーナル誌で評したとおりです。「場内や廊下の人々,または第二会場となった階下の展示室にあふれた老若男女の表情を見渡たすと,家族の一致 ― この宗教団体の慣行の要石の一つ ― がありありと伺える。こうしたきずなが信者全体に及んでいるのである」。(傍線は発行者が付した)
この大会の講演者のひとりは述べました。『組織的に教える計画は若い人たちだけで終わるわけではありません。わたしたちはみな卒業のない学校にはいっています。わたしたちすべては無尽蔵の神の宝庫から学び続けねばなりません。わたしたちがエホバの道について学ぶほど,神のお名前はいよいよさん然と輝きます』。次いで講演者は「神権宣教学校案内書」と題する本を大会の聴衆に発表しました。これはエホバの証人の各会衆で老若の別なくすべての人のために毎週開かれている宣教学校で用いる本です。
「聖書を理解する助け」と題するさらに進んだ聖書の知識を得るための1,700ページの本が発表されました。聖書辞典と同様のスタイルのこの本は7年に及ぶ研究を集大成したものです。
道徳
大会のプログラム全体を通して大いに注視されたのは道徳問題です。演壇で若い男女とのインタビューが行なわれ,昨今学校で起きている麻薬の問題が話し合われました。ある両親は十代の子どもたちとその問題を話し合い,麻薬の危険に注意させ,なぜ,また,どのように麻薬の使用を避けるべきかに関する助言を与えました。問題の理にかなった理解のある取り上げ方は親たちにとって手本となりました。子どもを救いたいと思うなら,親は子どものしていることを知り,麻薬の脅威に対して子どもに油断なく備えさせなければなりません。
以前麻薬常用者でしたが聖書の原則を学んで適用することにより麻薬から解放された人幾人かとのインタビューが,演壇で行なわれました。大会の開かれた幾つかの都市では,後にラジオやテレビでそうした若者との詳しいインタビューが行なわれました。あるインタビューののち,アトランタ・ラジオ放送局のニュース演出者はこう結びました。「あなたがたの中の若者たちは聖書に関する答えばかりか,麻薬問題に関する答えをも知っています」。
古代のイスラエル民族が約束の地にはいる直前,偶像を崇拝する不道徳なモアブ人と交わったために陥ったわなを描写した,「エホバは忠節な者たちを祝福される」と題する劇は多くの人を感動させました。(民数記略 22–25章)そして,性的に汚れたみだらな行為はすべて,淫行や偶像崇拝同様に罪であることが明らかにされました。現在のこの事物の体制の滅びと,神の民が神の建てられる義の新秩序にはいる時の非常に迫った今の時代において,悪い交わりがどんなに危険かをその劇は観衆すべてに銘記させました。
心に注目する
プログラムを通して提供されたすぐれた資料に対して多くの人は感謝の意を表しました。しかし,提供された情報そのものと同様に感謝されたのは,プログラムが心に焦点を合わせたためにかもし出された精神でした。真理のこの「道」を19年間歩んできた出席者のひとりはそうした感想をこう述べました。「プログラムはたいへん個人的な問題を取り上げたものだっただけに,自分自身と自分の家族の心の状態を吟味し,聖書に基づく愛ある必要な助けを与えるよう促されました。このプログラムのおかげで,会衆にいっそうの援助を差し伸べる責務を痛感させられました」。プログラム全体の要点とされるのは何かとの問いに別の人はこう答えました。「それは神への愛であって,数字へのそれではありません。私たちは神のお名前が立証されることを望みます」。
出席者すべての関心を奪わずにおかなかったのは,「あなたの心の中には何がありますか」と題する特別なプログラムでした。この劇の参加者は,クリスチャンがよく直面する,心を探る事態を経験しました。演壇に置かれた,頭脳と心臓の大きな模型は,道徳上のむずかしい決定をめぐって内面的な戦いをする個人の内部でおのおの“話す”たびに明かりがつきました。ナオミの神に対するモアブの女ルツの献身を描いた「あなたの生きかたをエホバの目的にかなったものとしなさい」と題する劇はすべての観衆の心を動かしました。
「あなたの行かれる所へ私も行き…あなたの民は私の民,あなたの神は私の神です」と語ったルツのことばは,真の神エホバの崇拝を押し進めるためにみずからを十分に役だてて奉仕しているかどうか自分自身の心を探るよう聴衆を動かさずにはおきませんでした。
「劇」の形式で資料を提供する方法が有効かどうかに関して,オレゴン州ポートランド大会のある出席者はこう述べました。「話と劇は,悪い考えを閉め出すための行動をじん速に起こさせる『私たちの心を守る』必要を大いに強調できました」。ワシントン州の別の人は述べました。「この大会で強調されたのは愛であり,私たちすべては自分の心を探って,エホバとキリスト・イエスに対する忠節と献身の深さを吟味するよう助けられました」。
実際,「命の源が[心]に発している」のです。ニューヨーク州ポキプシー会衆からのある出席者が結論として語ったとおりです。「大多数の講演者によって語り継がれた考えの脈絡とみなされるのは,正しい動機づけ ― 何をするかだけでなく,なぜそうするか ― の問題です。エホバは,人の行なうわざや当人の外見ではなく,人の心をさばかれるからです」。―箴言 4:23,新; 21:2。
こうして,「神のお名前」大会は神ご自身の民の前にエホバというお名前をほんとうに高めるとともに,彼らの秩序正しさ,清潔さ,礼儀正しさ,そして幸福の霊は,エホバの証人の仕える神のお名前を傍観者すべての眼前でたたえるものとなりました。シュレブポート・ジャーナル誌の一編集者は大会に関する特集記事に「彼らは幸福な神の証をする」という題を付したほどです。
真の神エホバの崇拝がもたらす心底からの誠実な態度に注目した,ノースカロライナのグリーンズバロ・デーリー・ニュース紙の記者は,「他のおおかたの宗教団体以上に人種的融合の比率が高い」ことを指摘して,「『兄弟姉妹』という関係は見せかけではない」と述べました。
エホバの証人は自分たちの活動が神のお名前を高める結果になっていることをうれしく思っています。しかし,神に対する奉仕の務めを絶えず改善して,『王国と神の義を求めつづけ』ねばならないことをも認識しています。この広範にわたる問題も大会のプログラムの中で考慮されましたので,それを次の記事で取り上げることにしましょう。
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ミルウォーキー市役所に掲げられた,大会出席者を歓迎することば
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ロサンゼルス大会で,「諸国民すべてが神と正面衝突する時」と題する講演を聞く62,885人の聴衆
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ミルウォーキー大会の講演者が発表した,全巻完成した「聖書を理解する助け」の本
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「偉大な教え手に聞き従う」と題する新しい本について楽しそうに語り合う子どもたち