読者からの質問
● 啓示 19章19-21節によると,来たらんとする神の戦いの際に,象徴的な野獣と偽預言者は火の湖に投げ込まれますが,「そのほかの者たち」は剣で殺されることになっています。ここでいう「そのほかの者たち」とはだれのことですか。また,その者たちの身にはどんなことが起きますか。
神の敵と戦う「子羊」とその使いたちの姿を描写した後,啓示 19章19-21節はこう述べています。「わたしは,野獣と地の王たちとその軍勢が,馬に乗っているかたとその軍勢に対して戦いをするために集まっているのを見た。そして,野獣は捕えられ,それとともに,野獣の前でしるしを行ない,それによって,野獣の印を受けた者とその像に崇拝をささげる者とを惑わした偽預言者も捕えられた。彼らは両方とも生きたまま,いおうで燃える火の湖に投げ込まれた。しかし,そのほかの者たちは,馬に乗っている者の長い剣で殺された。その剣は彼の口から出ているものであった。そして,すべての鳥は,彼らの肉を食べて満ち足りた」。
この聖句を一読すると,野獣と偽預言者に臨む結末と「そのほかの者たち」に臨む結末との間に,基本的な相異点のあることが示唆されているように思えるかもしれません。しかし,この聖句の文脈と「啓示」の他の箇所の示すところによれば,「そのほかの者たち」とは来たらんとする神の戦いの際に神に敵対し,断ち滅ぼされる人間を指しています。
「新聖書注釈書」は啓示 19章11節から21節までを「メシアによるハルマゲドンの裁き」と名付けていますが,この箇所は白い馬に乗った子羊,イエス・キリストの幻の描写から始まります。イエス・キリストはその天の軍勢を従えて,神の憤りを諸国民に注ぐために乗り進みます。(11-16節)来たらんとする大量殺りくを予想して,ひとりの使いは,殺される者たちの肉を食べるよう死肉をついばむ鳥を呼び集めます。―17,18節。
そして,上に引用した箇所で,ヨハネは実際の戦いの場面を見ています。象徴的な野獣(サタンの配下にある世界的規模の政治体制を表わす)と偽預言者(第七世界強国を表わす)に対して最初に処置が取られます。a (啓示 13:1,2)この幻は,これら二つの存在がまさにその滅びの時に至るまで活動し続け,神に敵して戦うことを明らかにしています。象徴的な野獣の像の場合がそうであったように,これらの者は再び存在するようになるでしょうか。(啓示 17:8-11)その可能性は皆無です。これらの者は,「いおうで燃える火の湖に投げ込まれ」るのです。サタンもそこで滅ぼされます。「火の湖」は永久の滅びを象徴しています。―啓示 19:19,20; 20:10,14; 21:8。
それから,啓示 19章21節は,「そのほかの者たちは」長い剣で「殺され」,鳥のついばむにまかされると述べています。「そのほかの者たち」というのは,この戦いでいずれの側にも付かない,単なる傍観者のことでしょうか。
啓示の書は,明確に否と答えています。すぐ前の啓示 19章18節で,ひとりの使いが,鳥を晩さんに招くに当たってどんな人の肉が食い尽くされるかを列挙しているのに注目するとよいでしょう。それは,王たち,軍司令官たち,強い者たち,騎兵たち,そして,「すべての者,すなわち自由人ならびに奴隷および小なる者と大なる者」たちです。また,19節の中でも,王たちとその軍勢が野獣と組んで子羊と戦うとされています。ですから,「そのほかの者たち」は,エホバのみ子に敵対する者たちです。これらの者たちは,有力な人物かどうかにかかわらず,野獣に全面的な支持を与える者たちなのです。
啓示 14章9-11節は野獣のそのような支持者たち,すなわち心の中で野獣の努力に同意する者たちや実際に手を貸す者たちについてこう述べています。「野獣とその像を崇拝して,自分の額または手に印を受ける者がいれば,その者は,憤りの杯に薄めずに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲むことにもなり,聖なる使いたちの見るところで,また子羊の見るところで,火といおうによる責め苦に遭わされるであろう。そして,彼らの責め苦の煙はかぎりなく永久に上り,彼ら,すなわち,野獣とその像を崇拝する者,まただれでもその名の印を受ける者には,昼も夜も休みがない」― 啓示 14:9-11。
エホバの証人の行なう世界的な伝道活動は,神を支持する道を選ぶ人々を野獣を崇拝する人々から分ける助けになっています。今後,人々がいずれの側に立つかをはっきりさせるどんな事態が生じるかは,時の経過を待つよりほかありません。いずれにせよ,野獣と偽預言者に迫り来る滅びについて語るに当たって,啓示 19章は明らかに『野獣の印を受ける』者に言及しています。
では,啓示 19章20,21節で,野獣と偽預言者は火の湖に投げ入れられるとされているのに対し,「そのほかの者たち」は剣で殺され鳥の飼食になるにまかされる,と述べられている事実はどう理解すればよいでしょうか。
「そのほかの者たち」(野獣の全面的な支持者たち)の処刑は,「神の憤りの怒り」の表われであるという点は注目に値します。(啓示 19:15)啓示 13章8節は,野獣を崇拝する者たちについて,「子羊の命の巻き物には,彼らのうちのだれの名も……書かれていない」と述べています。また,啓示の書では,野獣を崇拝する者たちについて,啓示 20章10節でサタンと野獣や偽預言者について用いられているのと基本的には同じ表現が用いられています。それは,『彼らは昼も夜も永久に責め苦に遭う』という言葉です。これは,葬られずに放置され,鳥に食い尽くされるというこの処刑が,「そのほかの者たち」に対する神の完全な拒絶の表われであることを示しています。復活に値する者であるかのように葬られるのではなく,その者たちの死体は地面に放置されます。そして,死肉をついばむ鳥がその者たちを食べます。それで,啓示 19章21節は,その者たちが焼き尽くされるとは述べていないのです。(エゼキエル 39:17-19と比較してください。)この点に関して,「ティンダル新約聖書注釈」は次のように述べています。「滅びの情景は,鳥が殺された者たちの肉を食べて満ち足りたという記述で結ばれている。それは,最終的な滅亡を表わすごくありふれた比喩的表現の一つである」。
ですから,啓示 19章21節は,来たらんとする「全能者なる神の大いなる日の戦争」で絶滅させられる,神に敵対する人間,すなわち野獣の全面的な支持者たちに対する神の裁きを述べているのです。―啓示 16:14。
[脚注]
a 「『大いなるバビロンは倒れた』神の王国は支配す」(英文)506,511,561,562,628ページ。