温和 なぜ自分のためになるか
温和とは何か
温和は,気質が穏やかなことです。温和な人は,人に優しく親切です。いらいらするようなことが起きても,穏やかで気持ちをコントロールできます。
温和な人は,心が強い人です。温和に相当するギリシャ語は,手なずけられた野生の馬を指して用いられました。調教されることによって馬の力がきちんと制御されたからです。同じように,温和な人は荒々しい行動を抑え,他の人と仲良くできます。
「自分はもともと穏やかな性格ではない」と思う人がいるかもしれません。私たちは,攻撃的で我慢できない人たちに囲まれているので,温和な人になるのは難しいと感じるかもしれません。(ロマ 7:19)温和を身に付けるには努力が必要です。でも,エホバの聖なる力が働くなら,温和な人になりたいという願いは強まります。(ガラ 5:22,23)温和を身に付けると良いのはなぜですか。
温和だと人に好かれます。記事の始めに出てきたサラが述べている通り,温和な人と一緒にいると気持ちが楽です。イエスは温和さと親切の点で際立っています。(コリ二 10:1)イエスに初めて会った子供たちも,イエスのそばにいたがりました。(マル 10:13-16)
温和だと自分のためにも周りの人のためにもなります。温和な人は,すぐにいらいらしたり腹を立てたりしません。(格 16:32)誰かに嫌な思いをさせてしまったという後ろめたさを持たないで済みます。愛している人を傷つけずに済みます。温和だと怒りをぶちまけたりしないので,周りの人は安心できます。
温和さの完璧な手本
イエスは重い責任を担い,すべきことがたくさんありましたが,誰に対しても温和でした。当時の多くの人は苦労し,荷を負い切れずにいたので,爽やかになりたいと思っていました。イエスに次のように言われてほっとしたことでしょう。「私の所に来てください。……私は温和で,謙遜だからです」。(マタ 11:28,29)
イエスのような温和さをどうすれば身に付けられますか。まず聖書から,イエスが人々にどう接したか,難しい状況にどう対応したかを学びます。そして,温和さが試されるときには,イエスに倣おうと努力します。(ペテ一 2:21)イエスが温和でいられた3つの理由を考えましょう。
イエスは謙遜でした。イエスは,「私は温和で,謙遜」だと言いました。(マタ 11:29)このように,聖書は温和さと謙遜さを結び付けています。(エフェ 4:1-3)なぜでしょうか。
謙遜であれば,人から言われることに過剰に反応せずに済みます。イエスは,「大食いで,大酒飲みの男」と非難された時,どうしましたか。言い掛かりに根拠がないことを行動で示し,温和な態度で「知恵は行動によって明らかになります」と答えました。(マタ 11:19)
人種,性別,生い立ちに関して心ないことを言われたとき,温和に対応するようにしましょう。南アフリカのピーターという長老はこう言っています。「いら立つようなことを言われたなら,『イエスならどうするだろう』と考えるようにしています。誰かに言われることに過敏にならないよう気を付けています」。
イエスは人の弱さを受け入れました。イエスの弟子たちは,期待に応えたいと思いながらも,不完全だったため思い通りに行動できないことがありました。イエスが亡くなる前の晩,ペテロとヤコブとヨハネは,つらい思いをしているイエスを支え続けることができませんでした。イエスは,「心は強く願っていても,肉体は弱い」ことを認めました。(マタ 26:40,41)弟子たちの状況を理解していたので,いら立つことはありませんでした。
マンディーという姉妹は,人に完璧を求めるタイプでしたが,イエスの温和さに倣うよう努力しています。こう言っています。「人はみんな不完全であることを忘れないようにし,良いところを見るようにしています。エホバもそのように兄弟姉妹を見ているんだと思います」。イエスのように人の弱さを思いやるなら,どんなときも温和に対応できるようになるでしょう。
イエスはエホバに全てを委ねました。イエスは地上にいた時,不当な仕打ちに耐えました。誤解され,見下げられ,苦しめられました。それでも温和でいられたのは,「正しく裁く方に自分を委ね」ていたからです。(ペテ一 2:23)天のお父さんが愛し気に掛け,ふさわしい時に不公正を正してくださることを知っていました。
不公正な扱いに腹を立て,自分で正そうとするなら,過剰に反応してしまい,状況が悪化するかもしれません。聖書がこう述べているのもうなずけます。「怒りの気持ちからは,神が求める正しさは生まれません」。(ヤコ 1:20)怒る正当な理由がある場合でも,不完全さのために間違った行動を取ってしまうことがあります。
ドイツのカティーという姉妹は,「自分の権利は自分で守らないと,誰も助けてくれない」と考えていました。エホバに頼るようになってからは,考え方が変わりました。こう言っています。「不公正と闘う必要はないことが分かりました。エホバが全てを正してくださることを知っているので,穏やかな対応ができます」。不公正な扱いを受けても,イエスの手本に倣っていつもエホバに頼るなら,温和でいられます。
「温和な人たちは幸福です」
イエスは,温和と幸福には深い関係があると教えました。「温和な人たちは幸福です」と言いました。(マタ 5:5)温和であることが役立つ場面を考えてみましょう。
夫婦が円満でいられます。オーストラリアのロバートという兄弟はこう語っています。「悪気はないものの,妻を傷つけるようなことをたくさん言ってしまっていました。怒りに任せて言ってしまったことは取り消せません。どれほど妻を傷つけていたかを知って,とても後悔しました」。
「私たちは皆,[言葉で]何度も過ちを犯します」。(ヤコ 3:2)思いやりのない言葉が原因で夫婦の絆が損なわれることがあります。温和であれば,気持ちが乱されるときでも冷静さを保ち,舌を制御できます。(格 17:27)
ロバートは,感情的にならず冷静に対応できるように努力しました。どうなりましたか。「今では意見が合わないときでも,まずは妻の話をよく聞き,穏やかに話し,腹を立てないようにしています。妻との仲もずいぶん良くなりました」。
周りの人と良い関係を保てます。すぐに腹を立てる人と友達になりたいと思う人はいません。一方,温和であれば「平和という絆で結ばれ」ます。(エフェ 4:2,3)先ほどのカティーはこう言っています。「温和に対応すると,人と気持ちよく接することができます。もちろん,気難しい人もいます」。
自分が穏やかな気持ちでいられます。聖書は,「天からの知恵を持つ人」は温和であり平和を求めると述べています。(ヤコ 3:13,17)温和な人は「穏やかな心」を保てます。(格 14:30)マーティンという兄弟は,頑張って温和さを身に付けました。「以前よりも自分を抑え,人に合わせられるようになったので,穏やかな気持ちでいられ,幸せです」と言っています。
温和を身に付けるのは簡単ではありません。ある兄弟は,「正直なところ,今でも怒りを抑えるのが難しいことがあります」と言っています。それでも,「温和を追い求めなさい」と勧めているエホバが助けてくださいます。(テモ一 6:11。イザ 41:10)私たちの「訓練を終え」,「強い人」にしてくださいます。(ペテ一 5:10)私たちは,使徒パウロのように「キリストの温和さと親切」に倣えるようになります。(コリ二 10:1)
a 一部の名前は変えてあります。