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使徒の活動 注釈 20章新世界訳聖書 (スタディー版)
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誰かが救われないとしても私は潔白である: 直訳,「私は全ての血から清い」。パウロは王国の良い知らせを伝える機会を逃さなかったので,神の前で流血の罪を負っていなかった。命を救うそのメッセージを伝えるのを差し控えなかった。(使徒 18:6。エゼ 33:6-8と比較。)パウロは神の処罰の日に誰かが命を失うことを望まなかったので,エフェソスの弟子たちに「神の意志を全て」伝えた。(使徒 20:27)また,故意であってもなくても人を殺すことによって,クリスチャンは神の前で流血の罪を負うことがある。それには「大いなるバビロン」(啓 17:6; 18:2,4)や,無実な人の血を流してきたその他の組織(啓 16:5,6。イザ 26:20,21と比較)など,流血の罪がある組織の活動を積極的にあるいは暗黙のうちに支持することも含まれる。さらに,どんな形でも血を食べたり飲んだりするなら罪を負うことになる。(使徒 15:20)
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