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使徒の活動 注釈 9章新世界訳聖書 (スタディー版)
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ダマスカス: 現代のシリアに位置するダマスカスは,建設されて以来ずっと人が住み続けている世界最古の町の1つと言われている。族長アブラハムがカナンに南下する途中でこの町を通ったか,そのそばを通り過ぎたかもしれない。ある時点でアブラハムは,「ダマスカスの人」エリエゼルを自分の家の従者として迎えた。(創 15:2)1000年近く後にダマスカスは聖書に再び出てくる。(用語集の「アラム,アラム人」参照。)この時,シリア人(アラム人)はイスラエルと戦い,2つの国は敵対関係になった。(王一 11:23-25)1世紀,ダマスカスはローマの属州シリアの一部だった。その時までに,ダマスカスには恐らく約2万人のユダヤ人がいて,たくさんの会堂があった。ダマスカスは,旅行者が通る重要な道路が交差する場所で,サウロはその町からクリスチャンの教えが急速に広まるのを恐れて,そこに住むクリスチャンを標的にしたのかもしれない。付録B13参照。
手紙: 西暦1世紀,ある人を紹介してその人の身元や権限を証明する出どころの確かな手紙が重視された。(ロマ 16:1。コ二 3:1-3)ローマにいるユダヤ人はそのような連絡のことを述べていた。(使徒 28:21)サウロは,大祭司にお願いしたダマスカスの会堂宛ての手紙によって,その町のユダヤ人のクリスチャンを迫害する権限を得た。(使徒 9:1,2)サウロが依頼したその手紙は,クリスチャンに反対するサウロの活動への協力をダマスカスにある会堂に求めるものだったようだ。
この道: クリスチャンの生き方と初期のクリスチャン会衆を指して,「使徒の活動」で使われている呼び方。ヨハ 14:6で「私は道」であると述べたイエスの言葉から来ているのかもしれない。イエスの弟子になった人たちは,「この道」に従う人と言われた。それは弟子たちがイエスの手本に倣った生き方をしていたということ。(使徒 19:9)イエスの生き方は,唯一の真の神エホバへの崇拝を中心としていた。クリスチャンにとって,この生き方にはイエス・キリストへの信仰も欠かせなかった。早ければ西暦44年に,イエスの弟子たちはシリアのアンティオキアで「神の導きによってクリスチャンと呼ばれた」可能性がある。(使徒 11:26)しかし,そう呼ばれるようになった後でも,ルカは会衆のことを「この道」と言っている。(使徒 19:23; 22:4; 24:22)使徒 18:25; 19:23の注釈を参照。
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