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コリント第一 7:14新世界訳聖書
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14 クリスチャンではない夫は妻との関係で神聖なものとされ,クリスチャンではない妻は夫との関係で神聖なものとされているからです。そうでなければ,皆さんの子供は清くないことになります。でも実際には聖なるものです。
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コリント第一 注釈 7章新世界訳聖書 (スタディー版)
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クリスチャンではない: 直訳,「信じていない」。この文脈で,パウロはこの表現をイエス・キリストの贖いに信仰を抱かない人を表すのに使っている。そのような人は,汚れた世から離れておらず,罪の奴隷という状態から解放されていない。正直に生き,道徳的な生活を送っているとしても,神から見て聖なる清い人ではない。(ヨハ 8:34-36。コ二 6:17。ヤコ 4:4)この節のとの関係で神聖なものとされに関する注釈を参照。
との関係で神聖なものとされ: ここで「神聖なものとされ」と訳されているギリシャ語動詞ハギアゾーとそれに対応する「聖なる」という意味の形容詞ハギオスは,神のために取り分けられていることを表す。神聖なものとされると,聖なる清いもの,神への奉仕のために取り分けられたものとなる。(マル 6:20。コ二 7:1。ペ一 1:15,16。用語集の「神聖さ」参照。)神の前でのこの清い立場は,神がご自分の子を通して与えてくださった贖いに信仰を抱く人に与えられる。この節のクリスチャンではないに関する注釈を参照。
聖なる: パウロは,クリスチャンでない夫や妻が結婚の絆によって「聖なる」ものとなると言っているのではない。その人は悪い行いをしていたり,汚れた習慣を持っていたりするかもしれない。パウロが言っていたのは,クリスチャンでない人がクリスチャンである配偶者「との関係で」神聖なものとされるということ。それで,神はそうした結婚関係つまり結び付きを清く尊いものと見なす。クリスチャンである親のおかげで,幼い子供は神からの世話と保護の下,聖なるものと見なされる。両親共にクリスチャンでない子供よりも恵まれた境遇にある。
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