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神の政府は支配を始めるあなたは地上の楽園で永遠に生きられます
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16章
神の政府は支配を始める
1 (イ)信仰のある人々は長いあいだ何を待ち望んできましたか。(ロ)神の王国はなぜ「都市」と呼ばれていますか。
神の政府を信じている人々は,幾千年ものあいだ,その政府が支配を始める時を待ち望んできました。例えば,忠実な人であったアブラハムは,「真の土台を持つ都市を待ち望んでいたのです。その都市の建設者また作り主は神です」と,聖書は述べています。(ヘブライ 11:10)その「都市」とは神の王国のことです。しかし,神の王国がここで「都市」と呼ばれているのはなぜでしょうか。なぜなら,古代には,一人の王が一つの都市を支配することは珍しくなかったからです。それで人々はよく一つの都市を一つの王国と考えました。
2 (イ)キリストの初期の弟子たちにとって神の王国が現実のものであったことは,どんなことから分かりますか。(ロ)弟子たちは王国について何を知ることを願っていましたか。
2 キリストの初期の追随者たちにとって,神の王国は現実のものでした。そのことは,彼らが王国の支配に対して鋭い関心を持っていたことから分かります。(マタイ 20:20-23)彼らが抱いていた疑問は,キリストとその弟子たちはいつ支配を始めるのだろうか,ということでした。イエスが復活後ご自分の弟子たちに姿を現わされた時,彼らは,「主よ,あなたは今この時に,イスラエルに王国を回復されるのですか」と尋ねました。(使徒 1:6)キリストの弟子たちと同じように,あなたも,キリストが神の政府の王としていつ支配を開始されるのか,知りたいと思いますか。
クリスチャンが祈り求める政府
3,4 (イ)神が常に王として支配してこられたことは何から分かりますか。(ロ)キリストがご自分の追随者たちに,神の王国が来るよう祈ることを教えられたのはなぜですか。
3 キリストはご自身の追随者たちに,「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」と神に祈るよう,教えられました。(マタイ 6:9,10)しかし,『エホバ神はいつも王として支配してきたのではないのか。もしそれが事実なら,なぜ神の王国が来るように祈るのか』と言う人があるかもしれません。
4 確かに聖書はエホバを「とこしえの王」と呼んでいます。(テモテ第一 1:17)また,「エホバ自ら天にその王座を堅く立てられた。その王権はすべてのものの上に支配を行なった」と述べています。(詩編 103:19)ですからエホバは常に,すべての創造物を治める最高支配者であられます。(エレミヤ 10:10)しかし,エデンの園でエホバの支配権に対する反逆が起きたために,神は特別の政府をつくる取決めを設けられました。のちに,イエス・キリストが追随者たちに,祈り求めなさいと教えられたのはこの政府です。この政府の目的は,悪魔サタンとほかの者たちが神の支配から離反した時に生じた諸問題を終わらせることにあります。
5 もしそれが神の王国であるのなら,キリストの王国,また14万4,000人の王国とも呼ばれているのはなぜですか。
5 この新しい王国政府はその権能と支配する権利を,大いなる王であられるエホバ神から受けます。それはエホバ神の王国なのです。聖書は繰り返しそれを「神の王国」と呼んでいます。(ルカ 9:2,11,60,62。コリント第一 6:9,10; 15:50)しかし,エホバはご自身のみ子をその主要な支配者に任命されましたから,その王国政府はキリストの王国とも呼ばれます。(ペテロ第二 1:11)前のほうの章で学んだように,人類の中から取られる14万4,000人はこの王国でキリストと共に支配します。(啓示 14:1-4; 20:6)それで聖書はこの王国政府を,「彼らの王国」とも呼んでいます。―ダニエル 7:27。
6 ある人々は,神の王国がいつ支配を始めたと言いますか。
6 王国は,イエスが天に戻られた年に支配を開始した,とある人々は言います。キリストは,西暦33年,ユダヤ人の祭りのペンテコステの日に追随者たちに聖霊を注ぎ,その時に支配を開始した,と彼らは言います。(使徒 2:1-4)しかし,サタンの反逆によってつくり出された問題すべてを終わらせるためにエホバが取り決められたその王国政府は,その時には支配を開始しませんでした。『男の子』,すなわちキリストを支配者とする神の政府がその時に誕生し,支配を開始したことを示すものは何もありません。(啓示 12:1-10)では,西暦33年にイエスは何らかの方法で王国を持っておられたでしょうか。
7 西暦33年以来キリストはだれを支配してこられましたか。
7 そうです。イエスはその時,やがては天でご自分と共になることになっていた追随者たちの会衆に対して,支配を開始されたのです。そのために聖書は,地上にいるあいだの彼らのことを,「[神の]愛するみ子の王国」へ移された者として述べています。(コロサイ 1:13)しかし,天の命の希望を持つクリスチャンたちに対するこの支配,もしくは「王国」は,イエスが追随者たちに祈り求めるよう教えた王国政府ではありません。それは,天でイエスと共に支配する14万4,000人だけを治める王国です。幾世紀ものあいだ,彼らだけがその王国の臣民でした。したがって,この支配,もしくは『神の愛するみ子の王国』は,天に行く希望を持つその臣民の最後の者が死に,天でキリストと共になる時に終わります。その時には,彼らはもはやキリストの臣民ではなく,神が遠い昔に約束された王国政府でキリストと共に王となっているでしょう。
敵のただ中での支配の開始
8 (イ)キリストが復活されてから支配を開始されるまでに待つ時期があることは,何から分かりますか。(ロ)キリストの支配する時が来た時,神はキリストに何と言われましたか。
8 キリストは復活されたのち,天に戻られましたが,その時には,神の王国の王として支配を開始されませんでした。ある期間待つことになっていたからです。使徒パウロは次のように説明しています。「この方[イエス・キリスト]は,罪のために一つの犠牲を永久にささげて神の右に座し,それ以来,自分の敵たちが自分の足の台として置かれるまで待っておられます」。(ヘブライ 10:12,13)キリストが支配を始める時が来た時,エホバはキリストに言われました。「あなたの敵のただ中で従えてゆけ[あるいは,征服してゆけ]」― 詩編 110:1,2,5,6。
9 (イ)すべての人が神の王国を望んでいるわけではありませんが,それはなぜですか。(ロ)神の政府が支配を始める時,諸国民は何を行ないますか。
9 神の政府の敵になる者がいるなど,不思議に聞こえますか。ところが,正しいことを行なうよう臣民に求める政府の下での生活を,すべての人が望んでいるわけではないのです。ですから聖書は,エホバとみ子がどのように世界支配を引き継ぐかを告げたあと,『諸国民は憤った』と述べています。(啓示 11:15,17,18)サタンが諸国民を惑わして神の王国に反対させているために,諸国民は神の王国を歓迎しないのです。
10,11 (イ)神の政府が支配を始める時,天では何が起こりますか。(ロ)地上では何が起こりますか。(ハ)それでどんな重要な点を覚えていなければなりませんか。
10 神の政府が支配を始める時,サタンとその使いたちはまだ天に住んでいます。彼らは王国の支配に反対しますから,すぐに戦争が始まります。その結果,サタンとその使いたちは天から追い出されます。その時,大きな声がこう言います。「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した!」 そうです,神の政府の支配が始まるのです! サタンとその使いたちが天から除かれたので,天には喜びがあります。「このゆえに,天と天に住む者よ,喜べ!」と,聖書は言います。―啓示 12:7-12。
11 その時は地にとっても喜びの時でしょうか。そうではありません。それどころか,地は未曽有の災いの時を迎えることになります。聖書はわたしたちにこう告げています。「地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。(啓示 12:12)ですから,次のことは忘れてならない重要な点です。つまり,神の王国が支配を開始しても,平和と安全が地上に直ちに訪れるわけではないということです。真の平和はのちほど,つまり神の王国が地を完全に支配する時に訪れます。神の王国が地を完全に支配下に置くのは,『短い時』の終わる時です。その時,邪魔なサタンとその使いたちは片付けられるので,もうだれも悩ますことができなくなります。
12 神の王国が支配し始める時を,聖書がわたしたちに教えてくれると期待できるのはなぜですか。
12 しかし,サタンはいつ天から追い出され,『短い時』のあいだ,地上に苦難をもたらすのでしょうか。神の王国はいつ支配を始めるのでしょうか。聖書はこれに答えを与えているでしょうか。わたしたちは,聖書が答えを与えてくれると期待できるはずです。なぜなら,神のみ子が人間として初めて地上に現われ,メシアとなる時を,聖書はずっと前もって予告していたからです。事実,み子がメシアとなる年まで示しています。では,それよりもさらに重要な,王国支配を始めるためのメシアの,もしくはキリストの到来については,どうでしょうか。わたしたちは,それがいつになるかも聖書が教えてくれることを確かに期待できます!
13 メシアが地上に現われた年を聖書はどのように予告していますか。
13 しかし,『メシアが地上に現われたその年は聖書のどこに予告されていたのか』と尋ねる人があるかもしれません。聖書のダニエル書には,「エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられてから指導者であるメシアまでに,七週,そしてさらに六十二週」,すなわち合計69週あると述べられています。(ダニエル 9:25)しかし文字通りの69週ではありません。文字通りの69週はわずか483日,つまり1年と少しにしかなりません。これらの週は69週年,すなわち483年です。(民数記 14:34と比較)エルサレムの城壁を修復して建て直せとの命令は西暦前455年に出されました。a (ネヘミヤ 2:1-8)それでこの69週年は483年後,つまり西暦29年に終わりました。そしてイエスがヨハネの所に来てバプテスマをお受けになったのがちょうどこの年です。その時イエスは聖霊で油そそがれ,メシア,すなわちキリストとなられました。―ルカ 3:1,2,21-23。
神の政府が支配を始める時
14 ダニエル書 4章の中の「木」は何を表わしていますか。
14 では,キリストが神の政府の王として支配を開始される年は,聖書のどこに予告されているでしょうか。それも同じく聖書のダニエル書にあります。(ダニエル 4:10-37)この場合は,天まで届くような高い木が,バビロンの王ネブカドネザルを表わすものとして用いられています。ネブカドネザルは当時,人間の支配者としては最高の存在でした。しかしそのネブカドネザル王が,自分よりもさらに高い者が支配していることを,いやおうなく知らされることになりました。その方は「至高者」すなわち「天の王」であられるエホバ神です。(ダニエル 4:34,37)ですからこの天に達する高い木は,神の最高支配権,とりわけこの地球との関係における最高支配権を,さらに重要な仕方で表わすようになります。エホバの支配権は,イスラエル国民の上に立てられた王国を通して,一時のあいだ表明されました。したがって,イスラエル人を治めたユダの部族の王たちは,『エホバの王座に座す』と言われました。―歴代第一 29:23。
15 その「木」が切り倒された時,それにたがが掛けられたのはなぜですか。
15 聖書のダニエル書 4章の記述によると,その天に達する高い木は切り倒されます。しかし根株は残され,鉄と銅のたががそれに掛けられます。このために根株は生長しませんが,神のご予定の時が来るとそのたがははずされ,再び生長し始めます。それにしても,神の支配権はどのように,そしていつ切り倒されたのでしょうか。
16 (イ)神の支配権はどのように,そしていつ切り倒されましたか。(ロ)「エホバの王座」に座ったユダの最後の王にどんなことが告げられましたか。
16 エホバがお立てになったユダ王国はやがてひどく腐敗したので,エホバはネブカドネザル王がその王国を滅ぼすのを,つまり切り倒すのをお許しになりました。そのことは西暦前607年に生じました。その時,エホバの王座に座すユダの最後の王ゼデキヤは,「冠を取り外せ。……それは法的権利を持つ者が来るまで,決してだれのものにもならない。わたしはその者にこれを必ず与える」と告げられました。―エゼキエル 21:25-27。
17 西暦前607年にはどんな期間が始まりましたか。
17 こうして,「木」によって表わされた神の支配権は,西暦前607年に切り倒されました。地上で神の支配権を代表する政府はもはやなくなりました。こうして西暦前607年に,イエス・キリストがのちほど「諸国民の定められた時」と言われた一つの期間,つまり「異邦人の時」が始まりました。(ルカ 21:24,欽定訳)この「定められた時」の間,神はご自身の支配権を地上で代表する政府を持たれませんでした。
18 「諸国民の定められた時」の終わりには何が起きることになっていましたか。
18 この「諸国民の定められた時」の終わりに何が起こることになっていたでしょうか。エホバが,「法的権利を持つ」方に,支配する権能をお与えになることになっていたのです。その権利を持つ方はイエス・キリストです。それで,「諸国民の定められた時」の終わる時が分かれば,キリストが王として支配を始められる時も分かるでしょう。
19 地に対する神の支配権は何「時」のあいだ中断されますか。
19 ダニエル書 4章によると,この「定められた時」は「七つの時」となります。「木」によって表わされる神の支配権が地上に対して行使されない「七つの時」があることをダニエルは示しています。(ダニエル 4:16,23)この「七つの時」はどれほどの長さでしょうか。
20 (イ)一「時」とはどれほどの長さですか。(ロ)「七つの時」はどれほどの長さですか。(ハ)わたしたちはなぜ1日を1年と数えますか。
20 啓示 12章6節と14節を見るなら,1,260日が「一時と二時と半時」に等しいことが分かります。合計して三時半です。それで「一時」は360日と等しいことになります。ですから「七つの時」は360の7倍,すなわち2,520日ということになります。そして,1日を聖書の規則に従って1年と数えるなら,「七つの時」は2,520年となります。―民数記 14:34。エゼキエル 4:6。
21 (イ)「諸国民の定められた時」はいつ始まっていつ終わりますか。(ロ)神の政府はいつ支配を始めますか。(ハ)神の王国が来ますようにと祈るのは今でも適切なことですが,それはなぜですか。
21 すでに学んだように,「諸国民の定められた時」は西暦前607年に始まりました。それでその年から2,520年を数えるなら西暦1914年に終わります。「定められた時」が終わったのはその年です。今生きている人の中には1914年に起きた事柄を覚えている人が幾百万人もいます。その年には第一次世界大戦と共に恐ろしい苦難の時期が始まり,それはわたしたちの時代まで続いています。このことは,イエス・キリストが神の天の政府の王として,1914年に支配し始められたことを意味します。王国はすでに支配を開始したのですから,王国が『来て』サタンの邪悪な事物の体制を地から一掃するよう祈り求めることは,極めて時宜にかなったことと言えます。―マタイ 6:10。ダニエル 2:44。
22 ある人々はどんな質問をすることがありますか。
22 それでもある人は,『もしキリストが父の王国で支配するためにすでに戻っているのであれば,わたしたちもキリストを見るはずではないか』と言うかもしれません。
[脚注]
a この命令が西暦前455年に出された歴史的証拠については,ものみの塔聖書冊子協会ニューヨーク法人発行の「聖書理解の助け」(英文),「アルタクセルクセス」の項をご覧ください。
[140,141ページの図表]
神のユダ王国は,西暦前607年に倒れました。
イエス・キリストは,神の天の政府の王として,西暦1914年に支配を開始されました
西暦前607年 ― 西暦1914年
西暦前607年10月から西暦前1年10月までは, 606年
西暦前1年10月から西暦1914年10月までは,1,914年
異邦人の七つの時は, 2,520年
[134ページの図版]
「あなたはいまこの時に,イスラエルに王国を回復されるのですか」
[139ページの図版]
ダニエル書 4章に出てくる高い木は,神の支配権を表わしています。神の支配権は,一時のあいだ,ユダ王国を通して表明されました
[140,141ページの図版]
ユダ王国が滅ぼされたときに,その木は切り倒されました
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キリストの再来 ― どのように見えますかあなたは地上の楽園で永遠に生きられます
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17章
キリストの再来 ― どのように見えますか
1 (イ)キリストはどんな約束をされましたか。(ロ)キリストが戻って来られることはどれほど必要ですか。
『わたしは再び来ます』。(ヨハネ 14:3)イエス・キリストは死の前夜,使徒たちと一緒におられた時に,彼らにこの約束をなさいました。キリストが王国の権を持って戻って来られる時に人類にもたらされる平和と健康と命が,今ほど切実に求められる時はかつてなかったと,あなたも認めておられることでしょう。しかし,キリストはどのように戻って来られるのでしょうか。だれが,どんな方法で,キリストを見るのでしょうか。
2 (イ)キリストは戻られる時,使徒たちを含め油そそがれた追随者たちをどこに連れて行って住まわせますか。(ロ)そこでは彼らはどんな体を持ちますか。
2 キリストは戻られる時,地上で住むのではありません。むしろ,キリストと共に王として支配する人々が,天でイエスと共に住むために取られるのです。イエスは使徒たちに言われました。「わたしは再び来て,あなた方をわたしのところに迎えます。わたしのいる所にあなた方もまたいるためです」。(ヨハネ 14:3)それで,キリストが戻って来られる時,天に取られる人は霊者となり,栄光をお受けになった霊の体のキリストを見ることになります。(コリント第一 15:44)しかし,天に行かない残りの人類は,キリストが戻られる時キリストを見るでしょうか。
人間として戻れない理由
3 どんな聖書的証拠から,人間が再びキリストを見ることはないということが分かりますか。
3 その同じ夜,イエスは使徒たちに向かってさらに,「あとしばらくすれば,世はもはやわたしを見ないでしょう」と言われました。(ヨハネ 14:19)この「世」とは人類のことです。ですから,イエスはここではっきりと,イエスの昇天後,地上の人々はイエスを再び見ることはないと言っておられるのです。使徒パウロは次のように書きました。「たとえ,キリストを肉によって知ってきたとしても,今はもう決してそのような知り方はしません」― コリント第二 5:16。
4 キリストが目に見えない強力な霊者として戻られることは,何から分かりますか。
4 ところが,キリストは殺された時と同じ人間の体で戻って来られ,地上に生きている者はそのキリストを見る,と信じている人が少なくありません。しかし聖書によると,キリストはすべてのみ使いと共に栄光のうちに戻られ,「自分の栄光の座に座ります」。(マタイ 25:31)もしイエスが来られて,人間として地上の王座に座られるとすれば,イエスの地位はみ使いたちよりも低いことになります。しかしイエスは,神のその霊の子たちの中でも最も強力で,最も栄光ある方として来られるので,み使いたちが見えないのと同じように,人の目には見えません。―フィリピ 2:8-11。
5 キリストはなぜ人間の体で戻って来ることができないのですか。
5 しかし一方,今から1,900年余り前には,イエスはご自身を低くして人間となることが必要でした。完全な人間としてのご自身の命を,わたしたちのために贖いとしてささげる必要があったからです。イエスはそのことを,「わたしが与えるパンとは,世の命のためのわたしの肉なのです」と説明されたことがあります。(ヨハネ 6:51)ですから,イエスはご自身の肉の体を人類のための犠牲として渡されたのです。その犠牲はどれほどの期間効力を有することになっていたでしょうか。使徒パウロはこう答えています。「わたしたちは,イエス・キリストの体がただ一度かぎりささげられたことによって,神聖なものとされているのです」。(ヘブライ 10:10)キリストは,世の命のためにご自身の肉の体を渡したのですから,それを再び得てもう一度人間になることはできません。このような根本的理由があるので,イエスが,一度かぎり犠牲にされた人間の体で戻られることはあり得ないのです。
肉の体は天に取られない
6 キリストは肉の体のまま天に行ったと信じている人が多いのはなぜですか。
6 ところが,キリストは肉の体のまま天に行かれたと信じている人が少なくありません。そのように信じている人々は,キリストが死人の中からよみがえらされた時,彼の肉の体はもはや墓の中になかったという事実を指摘します。(マルコ 16:5-7)それにイエスは死後,ご自分が生きていることを弟子たちに示すために肉の体で彼らに現われました。ある時など,ご自分が本当に復活したことを使徒のトマスが信じるように,トマスにご自分のわき腹の穴に手を入れさせることさえされました。(ヨハネ 20:24-27)こうしたことは,キリストが殺された時と同じ体でよみがえらされた証拠ではありませんか。
7 キリストが霊者として天に行かれたことを何が証明していますか。
7 そうではありません。聖書は,「キリストでさえ罪に関して一度かぎり死なれました。……彼は肉において死に渡され,霊において生かされたのです」と極めてはっきり述べています。(ペテロ第一 3:18)血肉の体を持つ人間は天で生きることができません。天の命への復活について聖書は,「物質の体でまかれ,霊的な体でよみがえらされます。……肉と血は神の王国を受け継ぐことができ(ません)」と述べています。(コリント第一 15:44-50)霊的な体を持つ霊者だけが天で生きられるのです。
8 人間としてのキリストの体はどうなりましたか。
8 ではイエスの肉体はいったいどうなったのでしょうか。弟子たちが見た時には墓は空だったではありませんか。そうです,神がイエスの体を取り除かれたからです。神はなぜそうされたのでしょうか。聖書に書かれていたことがそれによって成就したのです。(詩編 16:10。使徒 2:31)ですからエホバは,以前モーセの体を除かれたように,イエスの体を取り除くことをよしとされました。(申命記 34:5,6)それに,イエスの弟子たちはそのころはまだ霊的な事柄を十分に理解していなかったので,もし体が墓の中に残されていたなら,イエスが死人の中からよみがえらされたことを理解できなかったでしょう。
9 どうしてトマスは,復活させられたキリストの物質的な形を取った体の傷跡に手を入れることができたのですか。
9 しかし,トマスはイエスのわき腹の穴に手を入れることができたのですから,イエスが,杭にくぎ付けされた体と同じ体で死人の中からよみがえらされたことは,そのことから分かるのではありませんか。いいえ,そうではありません。イエスは,過去においてみ使いたちがしたように,物質的な形を取って,つまり肉の体を備えた姿で現われたにすぎないからです。その人物がだれなのかトマスが得心のいくように,イエスは傷の穴のある体をお用いになったのです。イエスは,アブラハムがもてなしたことのあるみ使いがしたように,飲んだり食べたりすることのできる本当の人間に見えた,あるいは思えたのです。―創世記 18:8。ヘブライ 13:2。
10 イエスが様々の異なる肉の体を着けられたことは何から分かりますか。
10 イエスは,トマスに対しては殺された時の体と同じような体で姿を現わされましたが,ご自分の追随者たちに現われた時には様々の異なる体を着けておられました。ですからマリア・マグダレネは,はじめイエスを園丁と考えました。また,弟子たちも最初はイエスであることが分からなかったことがありました。それらの場合に,イエスであることを知る助けになったのはイエスの外見ではなく,それと分かる言葉や行動でした。―ヨハネ 20:14-16; 21:6,7。ルカ 24:30,31。
11,12 (イ)キリストはどんな様で地を去られましたか。(ロ)それでわたしたちはキリストがどんな様で戻られることを予期すべきですか。
11 復活してから40日間,イエスは肉の体で弟子たちに何度か姿を現わされました。(使徒 1:3)それから天に昇って行かれました。しかし,『そこにいた二人のみ使いが使徒たちに,キリストは「こうして,空に入って行くのをあなた方が見たのと同じ様で来られるでしょう」と言ったではないか』と言う人もあるかもしれません。(使徒 1:11)み使いたちは確かにそう言いました。しかし,同じ体で,と言ったのではなく,「同じ様で」と言ったことに注意してください。イエスが昇って行かれた様とはどんなものだったでしょうか。それは,大勢の人々に見られることもなく静かなものでした。そのことを知っていたのはイエスの使徒たちだけで,世は知らなかったのです。
12 イエスが使徒たちを残して天に向かわれた様を聖書がどのように描写しているか,考えてみてください。「彼らが見守る中で,イエスは挙げられ,雲に取り上げられて彼らから見えなくなった」。(使徒 1:9)ですから,イエスが空に入りはじめた時,雲がイエスを使徒たちの実際の視界から隠してしまいました。それで,去って行かれたイエスは彼らには見えない存在となりました。彼らはイエスを見ることができなかったのです。イエスはその時霊的な体で天に昇られたのです。(ペテロ第一 3:18)したがって,戻って来られる時にも霊的な体で戻られ,目には見えません。
すべての目はどのように見るか
13 キリストが雲と共に来る時,『すべての目が見る』という言葉をわたしたちはどのように理解すべきですか。
13 では,啓示 1章7節の言葉をどう理解すべきでしょうか。使徒ヨハネはこう書いています。「見よ,彼は雲と共に来る。そして,すべての目は彼を見るであろう。彼を刺し通した者たちも見る。また,地のすべての部族は彼のゆえに悲嘆して身を打ちたたくであろう」。この場合聖書は,肉眼で見ることではなく,識別する,もしくは知覚するという意味で,見る,と言っているのです。例えば,ある事柄の意味をは握した時,あるいは理解した時に,英語の場合,“I see it(字義的には「わたしはそれを見る」)”と言うでしょう。事実,聖書は『あなたの理解の目』のことを言っています。(エフェソス 1:18,ジェームズ王欽定訳)ですから,『すべての目が彼を見る』という表現は,その時すべての人がキリストの臨在を理解する,もしくは認めるという意味です。
14 (イ)「彼を刺し通した者」とはだれのことですか。(ロ)すべての人がついにキリストの臨在を認める時,なぜ大きな悲嘆があるのですか。
14 イエスを実際に「刺し通した」者たちはもう地上に生きてはいません。それで「刺し通した」者たちは,1世紀のそのような人々の行為に倣って,キリストの現代の追随者たちに害を加える人々を表わしています。(マタイ 25:40,45)そういう邪悪な人々をキリストが処刑なさる時がやがて来ます。このことについて彼らは前もって警告されています。この処刑が行なわれる時,彼らは起きつつある事柄を「見る」,すなわち認めるのです。それで彼らの悲嘆は非常に大きなものとなるでしょう!
キリストは地に戻られるか
15 「戻る」という語はしばしばどのように用いられていますか。
15 戻って来るということは必ずしも実際の場所に来ることを意味しません。例えば,病人のことをよく“健康な体に戻った”と言います。また,以前支配者だった人は,“権力の座に戻る”と言われることがあります。同じような仕方で,神はアブラハムに言われました。「来年この時期に,わたしはあなたのところに帰る。そして,サラに男の子ができるであろう」。(創世記 18:14; 21:1)エホバが戻られるということは,文字通りに戻ることではなく,ご自分が約束しておられたことを行なうためサラにご自身の注意を向けるということでした。
16 (イ)キリストはどんな仕方で地に戻られますか。(ロ)キリストはいつ戻られましたか。その時何が実現しましたか。
16 同様に,キリストが戻られるということも,実際にこの地に戻って来られるという意味ではありません。むしろこの地に対する王国の権を執り,地に注意を向けるという意味です。それをするのに,天の王座を離れて実際に地に下る必要はありません。前の章で学んだように,聖書に基づく証拠から,キリストが戻って支配を始める神の定めの時は,西暦1914年であったことが分かります。「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した!」という叫びが天で聞かれたのはその時でした。―啓示 12:10。
17 キリストは,見えない様で戻られるので,戻られたことがわたしたちにも分かるように,何をお与えになりましたか。
17 キリストが戻って来られても目に見えないのであれば,本当に戻っておられることを確認する方法がありますか。はい,あります。キリストご自身,目に見える「しるし」をお与えになりました。それによって,キリストが目に見えない様で臨在しておられることや,世の終わりの近いことが分かるのです。ではその「しるし」について調べてみましょう。
[142ページの図版]
キリストはご自身の体を犠牲として渡されました。ですから,それを取り戻して再び人間になることはできませんでした
[144,145ページの図版]
イエスの復活後,なぜマリア・マグダレネは,イエスを園丁と間違えたのですか
イエスがトマスに手を入れてみるようにと言われたのは,どのような肉の体でしたか
[147ページの図版]
キリストは,地を去られたときと同じ様で戻られることになっていました。イエスはどんな様で地を去られましたか
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『世の終わり』は近い!あなたは地上の楽園で永遠に生きられます
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18章
『世の終わり』は近い!
1 キリストの地上の追随者たちは,キリストが天で支配を始められたことをどのようにして知りますか。
イエス・キリストが,サタンとその使いたちを天から追い出して王国支配を開始された時,それはサタンとその邪悪な体制の終わりが近付いたことを意味しました。(啓示 12:7-12)しかし,地上にいたキリストの追随者たちは,目に見えない天でこの事件が生じたことを,どのようにして知ったのでしょうか。キリストが王国の権を執って,目に見えない様で臨在しておられること,また『世の終わり』の近いことが,どうして分かったのでしょうか。それは,イエスの言われた『兆』が成就しているかどうかを調べたからです。
2 キリストの弟子たちはキリストにどんな質問をしましたか。
2 イエスが死なれる少し前のこと,オリーブ山の上に座っておられたイエスのところに,使徒たちのうち4人が来て,『兆』を教えてくださいと頼みました。多くの人々に読まれてきた文語聖書では,彼らの質問は次のようになっています。『われらに告げ給え,これらの事は何時あるか,又なんじの来り給うと世の終わりとには,何の兆あるか』。(マタイ 24:3)しかし,『なんじの来り給う』とか『世の終わり』といった表現には実際にどんな意味があるのでしょうか。
3 (イ)『なんじの来り給う』と「世の終わり」という表現には実際にどんな意味がありますか。(ロ)では,キリストの弟子たちが尋ねた質問は,どのように正しく翻訳されていますか。
3 ここで『来り給う』と訳されているギリシャ語はパルーシアで,「臨在」という意味です。ですからこれは,『兆』が見えるなら,キリストが目には見えなくても臨在しておられ,王国の権を執ってすでに来ておられることが分かるという意味です。『世の終わり』という表現も非常に紛らわしい表現です。それは地球の終わりではなく,サタンの事物の体制の終わりという意味です。(コリント第二 4:4)ですから,使徒たちの質問を正確に言うと,「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」となります。―マタイ 24:3,新世界訳。
4 (イ)イエスが言われた「しるし」を成すものは何ですか。(ロ)「しるし」は指紋とどのように比較できますか。
4 イエスは「しるし」として出来事を一つだけ挙げられたのではなく,多くの出来事や状況についても語られたのです。マタイのほかの聖書筆者たちも,「終わりの日」をしるし付けるさらにほかの出来事について述べています。それらの事柄はすべて,聖書筆者たちが「終わりの日」と呼んだ期間中に起こることが予告されていました。(テモテ第二 3:1-5。ペテロ第二 3:3,4)それらの出来事は,人の指紋をつくり上げているそれぞれの線に例えることができるでしょう。指紋は他のだれのものとも違う,その人特有のものです。「終わりの日」には,その日独特のしるし,すなわち出来事のパターンがあります。それらは,他のどの期間のものとも違う明確な“指紋”をつくります。
5,6 以下のページで「終わりの日」の11の証拠を調べる時,「事物の体制の終結」に関してどんなことが分かりますか。
5 キリストが1914年に戻って来られ,敵のただ中で支配を開始されたことを示す聖書的証拠については,この本の16章で考えました。それで次に,キリストの臨在の「しるし」の様々な特色と,サタンの邪悪な事物の体制が「終わりの日」にあることを示すさらに多くの証拠とを,注意深く調べてみることにしましょう。以下4ページにわたり,予告されていたそれらの事柄を調べる際に,それらが1914年以来どのように成就してきたかに注目してください。
『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がる』― マタイ 24:7。
「しるし」のこの部分は1914年以来成就してきていて,あなたも確かに見てこられました。第一次世界大戦はこの年に始まりました。それは史上例のない恐ろしい戦争で,まさに全面戦争でした。第一次世界大戦は,1914年までの2,400年間に行なわれた大きな戦争を全部一緒にしたよりも,ずっと大規模なものでした。にもかかわらず,その戦争が終わってからわずか21年後には,第二次世界大戦が始まりました。しかも第二次世界大戦は第一次世界大戦より4倍も破壊的なものでした。
恐ろしい戦争は継続的に行なわれました。第二次世界大戦が1945年に終わってからも,地球上のあちこちで行なわれた150余りの戦争で2,500万人以上が殺されています。どの日にも,平均12の戦争が地球のどこかで行なわれていたことになります。しかも,世界戦争が再び起こる恐れは常にあるのです。アメリカだけでも,地球上の男女子供を12回みな殺しにできるだけの核兵器を保有しています!
『食糧不足がある』― マタイ 24:7。
第一次世界大戦に次いで史上最悪の飢きんが生じました。北部中国だけでも,毎日1万5,000人が餓死しました。しかし,第二次世界大戦後の食糧不足はそれよりもさらにひどいものでした。当時,世界の4分の1は飢餓にあえいでいました! そして,地球上の多くの人々はそれ以後もずっと,食糧不足に悩まされています。
1967年のニューヨーク・タイムズ紙は,「ある発展途上国では,8.6秒ごとにだれかが,栄養失調による病気で死んでいる」と伝えています。今でも餓死する人は多く,1年に約5,000万人に上ります! 1980年には,地上に住む人々の約4分の1(10億人)が,食べ物を十分に得られないために飢えていました。食糧の豊富な国の中にも,ひどく貧しくて食糧を買えない人が少なくないのです。
『そこからここへと疫病があります』― ルカ 21:11。
第一次世界大戦のすぐあと,スペイン風邪が流行し,人類の歴史の中で生じたどの疫病の場合よりも多くの人がその風邪で死にました。死者は約2,100万人という膨大な数に上りました! それでも疫病や病気は依然として猛威を振るっています。毎年,幾百万もの人が心臓病やガンで死にます。性病が急速に広まっています。そのほか,マラリア,スネールフィーバー,オンコセルカ症などの恐ろしい病気が,特にアジア,アフリカ,中南米の国々で生じています。
「そこからここへと……地震がある」― マタイ 24:7。
1914年から現在までに大きな地震がたびたび起きていますが,その数は,記録に残る歴史の中のどの同じ長さの期間に生じた地震の数をもはるかに上回っています。西暦856年から1914年までの1,000年余りのあいだに起きた大地震はわずか24で,死者の数は197万3,000人でした。しかし,1915年から1978年までの63年間には,43の大地震があり,合計160万ほどの人が死んでいます。
「不法が増す」― マタイ 24:12。
世界の各地で不法や犯罪の増加していることが伝えられています。殺人,強姦,強盗などの暴力犯罪が今や野放しの状態です。アメリカだけでも,重罪が平均毎秒1件生じています。昼間でさえ安心して道を歩けないような所が少なくありません。夜になると人々はドアにしっかりとかぎをかけ,バリケードを築いて家の中に閉じこもり,外に出るのを恐れます。
『人々は恐れから気を失う』― ルカ 21:26。
今日,人々の生活の中で最も深刻な一つの感情は,おそらく恐怖でしょう。最初の原子爆弾が爆発してから少したって,原子科学者のハロルド・C・ユーリーは,「我々は恐れながら食べ,恐れながら眠り,恐れを抱いて生活し,恐れを抱いて死ぬだろう」と言いました。多くの人間にとって,このことは今まさに生じつつあります。そしてそれは,核戦争の脅威が常に存在しているためばかりではありません。人々は犯罪,汚染,病気,インフレその他,自分たちの安全や命そのものを脅かす事柄に対しても恐れを抱いています。
『親に対する不従順』― テモテ第二 3:2。
今日,多くの親は,自分の子供に手を焼いています。若者はあらゆる権威に反抗します。そのためにどの国でもやっかいな青少年犯罪に悩まされています。国によっては重罪の過半数が10歳から17歳の子供たちによって犯されています。殺人,強姦,暴行,強盗,夜盗,自動車どろぼう ― 子供たちはこうした様々なことを行なっています。親に対する不従順がこれほど一般化したことは史上例のないことです。
「金を愛する者」― テモテ第二 3:2。
貪欲な行為は今日どこにでも見られます。金のためならどんなことでもする人が多く,盗みや殺人さえ行ないます。貪欲な人々は,使えばいずれ病気になるか死ぬことが分かっているような物でも,それを製造販売することがよくあります。人々は公然と,あるいはその生き方によって,お金のことを“これがわたしの神なのです”と言っています。
「神を愛するより快楽を愛する者」― テモテ第二 3:4。
今日,ほとんどの人は,神に喜ばれる事柄ではなく,自分の好きなことや家族の喜ぶことをすることしか考えません。多くの人は,神が非としておられる事柄をとりわけ好んで行ないます。淫行,姦淫,酒に酔うこと,麻薬の乱用その他のいわゆる楽しみがそれです。それ自体は健全な楽しみとなるような事柄でも,神について学び神に仕える努力よりもそのほうを第一に考える場合があります。
「敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となる」― テモテ第二 3:5。
世界の指導者たちも,一般の人々も,神を敬っているように見せかけることが珍しくありません。教会の礼拝に出席し,宗教上の色々な目的のために寄付をします。政治に携わる人々は,就任する時に聖書に手を置くでしょう。しかし,多くの場合それは「敬虔な専心という形」にすぎません。聖書が予告していた通り,今日,神に対する真の崇拝を実際に生活の力としている人はほとんどいません。善を行なわせる真の力に促されて行動していないのです。
「地を破滅させている」― 啓示 11:18。
わたしたちが呼吸する空気,飲む水,わたしたちの食糧が生産される土地などは,次第に汚染されています。その状態は極めて深刻で,科学者のバリー・コモナーは,「もし地球の汚染が放置されてこのまま続くなら,この惑星はついには人間の生活に適さない場所になってしまうと思う」と警告しています。
6 以上述べてきた事柄を考えると,キリストが言われた「しるし」や,キリストの弟子たちが予告していた証拠となる事柄が今起きつつあることは明白ではありませんか。証拠となる事柄はこのほかにもたくさんありますが,聖書が「終わりの日」として予告していた時にわたしたちが実際に住んでいることを示すものとしては,先に挙げた証拠で十分です。
7 (イ)キリストの臨在と「終わりの日」に関する聖書の預言は,どんなことによって注目に値するものとなっていますか。(ロ)聖書の予告した事と対照的に,世界の指導者たちは1914年を迎える直前に,どんな予報を行なっていましたか。
7 それでも中には,『戦争とか飢きん,疫病,地震といったものは,歴史を通じて何度も起きたことである。だから,そうしたことがまた起きることを予告するのは別に難しいことではない』という人たちがいるかもしれません。しかし,考えてみてください。聖書は,それらの事柄を予告しただけでなく,それらが世界的な規模で生ずることをも示しています。また,それらの事柄はみな1914年に生きていた人々の世代の上に起こると述べています。しかし,世界の著名な指導者たちは,1914年の直前にどんなことを予告していたでしょうか。世界平和を約束するこれほどうってつけの条件がそろったことはかつてない,と言っていたのです。それにもかかわらず,聖書が予告していた恐ろしい苦難は,時をたがえず,1914年に起こり始めたのです! 事実,世界の指導者たちは,今では,1914年を歴史の転換点と言っています。
8 (イ)イエスはどの世代がこの事物の体制の終わりを見るということを示されましたか。(ロ)それでわたしたちは何を確信することができますか。
8 イエスは,1914年以後の時代を特色付けている多くの事柄に人々の注意を引き,それから,「[この体制の終わりを含む]これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」と言われました。(マタイ 24:34,14)イエスはどの世代のことを言われたのでしょうか。1914年に生きていた人々の世代を指して言われたのです。その世代の人々でまだ生きている人々は,今はかなりの高齢です。しかし,その人々の中には,生きてこの邪悪な体制の終わりを見る人たちがいるでしょう。それでわたしたちは次のことを確信できます。間もなく,すべての悪と悪人が,ハルマゲドンで突如終わりを迎えるということです。
[149ページの図版]
イエスは,ご自分が王国の権を執って目に見えない様で臨在する時,その臨在の証拠となる目に見える事柄を弟子たちに話されました
[154ページの図版]
1914年 ― ハルマゲドン
1914年に住んでいた世代の中には,事物の体制の終わりを見,それに生き残る人々がいます
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