ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 許し
    聖書に対する洞察,第2巻
    • から離れる決意を抱かなければなりません。(詩 32:5; 51:4; ヨハ一 1:8,9; コリ二 7:8-11)おかした悪行を正したり,もたらした損害を償ったりするために自分のできることを行なわなければなりません。(マタ 5:23,24)それから神に祈り,キリストの贖いの犠牲に基づいて許しを求めなければなりません。―エフェ 1:7。「悔い改め」を参照。

      さらに,個人的な過失に関して他の人を許すことは,その回数に関係なくクリスチャンに課されている要求です。(ルカ 17:3,4; エフェ 4:32; コロ 3:13)神の許しは他の人を許そうとしない人には差し伸べられません。(マタ 6:14,15)しかし,たとえ重大な悪行の結果として「邪悪な人」がクリスチャン会衆から追放されることになったとしても,当人が真に悔い改めていることを示すなら,やがて許しが与えられるかもしれません。その時,会衆の成員は皆,その人に対する愛を確証することができます。(コリ一 5:13; コリ二 2:6-11)しかしクリスチャンは,悪意に満ちた故意の罪を習わしにしていながら悔い改めない人を許すよう求められてはいません。そのような人は神の敵になります。―ヘブ 10:26-31; 詩 139:21,22。

      他の人のため,また会衆全体のためにさえ,神の許しを祈り求めるのはふさわしいことです。モーセはイスラエル国民に関してそのようにし,国民全体としての罪を告白して許しを求めました。エホバはそれを快く聞き届けてくださいました。(民 14:19,20)また,ソロモンも神殿の奉献式の際,エホバの民が罪をおかしても後にその誤った道から立ち返るなら,エホバが彼らを許してくださるようにと祈りました。(王一 8:30,33-40,46-52)エズラも民を代表し,帰還したユダヤ人の罪を公に告白しました。エズラが心をこめて祈り,訓戒を与えた結果,民はエホバの許しを受けるための措置を講じました。(エズ 9:13–10:4,10-19,44)ヤコブは霊的に病んでいる人に対し,会衆の年長者たちを呼んで自分のために祈ってもらうことを勧めました。「その人が罪を犯したのであれば,それは許されるでしょう」。(ヤコ 5:14-16)しかし,「死を来たすような罪」,聖霊に対する罪,故意に習わしにする罪があり,そのための許しはありません。クリスチャンはそのような罪をおかす人たちのために祈るべきではありません。―ヨハ一 5:16; マタ 12:31; ヘブ 10:26,27。「罪」; 「霊」を参照。

  • 赦す,容赦
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 赦す,容赦

      (ゆるす,ようしゃ)(Pardon)

      「赦す」と訳されることのあるナーサーというヘブライ語は,聖書の中では「乗せる」,「上げる」,「引き上げる」(創 45:19; 出 6:8; 王二 2:16),「取る」(創 27:3)「取り上げる」(民 16:15)という意味でも用いられています。しかし,この語の基本的な意味は,「負う,運ぶ,担ぐ」です。(創 47:30; 王一 2:26; エゼ 44:12,13)この点は,ナーサーを「赦す」と訳すのがふさわしい箇所にも暗示されています。聖書はアザゼルのためのやぎが罪を運び去ることについて述べています。また,メシアが人々のとがを負うことも予告されていました。(レビ 16:8,10,22; イザ 53:12)メシアが他の人々のとがを担う,または負うことによって,彼らのための赦しは可能になっています。―「アザゼル」を参照。

      ナーサーという語が神や人間によって差し伸べられる赦し,容赦,または許しを指すのに対し(創 18:24,26; 50:17),サーラハは専ら神の許しに関して用いられています。罪をおかした人は神のこの行為により,許しを求める自分の誠実な祈りの答えとして,あるいは他の人による執り成しの祈りの答えとして再び神の恵みを得ます。―民 14:19,20; 王一 8:30。

      ナーサーというヘブライ語に赦しまたは許しという意味がある場合,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳はアフィエーミという語を時折用いています。アフィエーミには基本的には「放免する」という意味があります。この語には「許す」また「赦す」という意味もあります。使徒パウロはローマ 4章7節で,エホバが「反抗」をお赦しになると述べている詩編 32編1節を引用し(31:1,七十訳),ギリシャ語セプトゥアギンタ訳がヘブライ語ナーサーの訳語として用いているのと同じようにアフィエーミの変化形を用いています。この語はクリスチャン・ギリシャ語聖書の他の箇所にも出ており,負債や負い目の取り消しを含む,神と人間による罪の許しを指して用いられています。―マタ 6:12,14,15; 18:32,35。

      エホバは許しを求める人をお赦しになる神として際立っておられます。しかし,ご自分やご自分の義の道に対して故意に反対する人への処罰を差し控えることはされません。―出 34:6,7。「許し」を参照。

  • 代(よ)
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 代

      (よ)(Generation)

      「世代,代,代」を参照。

  • 世,世界
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 世,世界

      (よ,せかい)(World)

      クリスチャン・ギリシャ語聖書にギリシャ語のコスモスという語が出て来る場合,ペテロ第一 3章3節以外の箇所ではすべて,上記の語がその訳語として用いられています。ペテロ第一 3章3節では「飾り」と訳されています。「世」は,(1)道徳的な状態や生き方の別なく全体としての人類,(2)人がその中に生まれ,その中で生きる,人間から成る環境の枠組み(この意味では「事物

日本語出版物(1953-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2026 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする