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神に信頼すべきなのはなぜですかものみの塔 1973 | 5月1日
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19,20 アホラとアホリバはどのようにして職業的売春婦のようにふるまいましたか。
19 また,アホラとアホリバが職業的淫婦として行動するさまを描写したことばは,キリスト教世界にもよく当てはまります。そのことばは次のとおりです。
20 『彼[女]らは使いをやりて遠くより人を招きて至らしむ その人々のために汝身を洗い目を描き飾りを着け華やかなる床に座し台盤をその前に備えその上にわが香とわが油を置けり かくて群衆のさわぎそのうちに静まりしがその多くの人々の上にまた荒野より〔大酒飲み〕を招き寄せたり彼らは[彼女らの]手に腕輪をはめ首にうるわしき冠をいたゞけり』― エゼキエル 23:40-42〔新〕。
21 キリスト教世界はどのようにして職業的淫婦のようにふるまってきましたか。
21 職業的淫婦のようにキリスト教世界は自らを,この世にとって,事実,『荒野からの大酒飲み』のような非常に卑しい者たちにとってさえできるだけ魅惑的な者にしようと努めてきました。キリスト教世界の諸宗派は,宗教をそうした世俗的な人間にとって容易なものにしてきました。そのような人びとは,キリスト教世界の教会員でありながら,同時に,偶像崇拝に陥って血まみれになった利己的なこの世のものとして引き続きとどまっておれるのです。彼らは,自分たちに官能的な喜びをもたらす宗教的愛顧に対して,それが何であれ,その代償としてキリスト教世界をほめたたえます。彼らはあたかも,血で赤く染まったキリスト教世界の両手を美しくするためにその手首に腕輪をはめさせ,同世界の諸宗派の首に冠をいただかせ,僧職者を自分たちのかしらとしていただくのです。
22 キリスト教世界の滅びをもたらす器となるのはだれ,もしくは何ですか。
22 キリスト教世界の記録は古代のアホラとアホリバのそれに似ている以上,同世界は災厄を免れることはできません。アホラとアホリバが彼女たちの以前の恋人らによって滅ぼされたのと全く同様,キリスト教世界もその以前の恋人たちの手によって滅びをこうむります。エホバ神はそうさせるでしょう。偽りの宗教の世界帝国である『大いなるバビロン』を売春婦として描いている聖書巻末の書はそのことを確証しています。(黙示 17:3-6)政治上の以前の恋人たちが『大いなるバビロン』に対して何を行なうかに関して,黙示録 17章16節はこう述べています。『(十の角と獣とは),かの淫婦を憎み,これをして荒れすさばしめ,裸ならしめ,かつその肉を食い,火をもて[彼女]を焼きつくさん』。
23 『大いなるバビロン』とともに災厄をこうむらないようにするには,どんな行動を取らなければなりませんか。
23 もし,『大いなるバビロン』とともに苦しみを受けるのを免れたいなら,エホバ神に信頼し,一意専心エホバ神に仕えてください。そうするには,『大いなるバビロン』の主要部分を成すキリスト教世界のどれかの宗教団体のうちにとどまっているわけにはゆきません。神のみことばはこう命じています。『わが民よ,[彼女]の罪にあずからず,[彼女]の苦しみをともに受けざらんため,そのうちを出でよ』。(黙示 18:4)そして,キリスト教世界から離れたなら,ほんとうに神に信頼しつつ神に対する忠実を保っている人たちと交わってください。
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「神の勝利」国際大会ものみの塔 1973 | 5月1日
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「神の勝利」国際大会
「神の勝利」― これはエホバの証人の1973年の国際大会の主題です。「大かん難」がさし迫ったこの時代のことを考えると,「神の勝利」という主題には,確かに人を奮起させるものがあります。この大会はきわだった霊的な宴になることと期待されています。あなたは出席されますか。
神の勝利とそれがあなたにもたらす祝福に関心を持っておられるなら,この大会のプログラムのすべてに出席するよう今計画を立てることをお勧めします。そのためには,きっと,近いうちに休暇の予定を立てなければならないでしょう。
ほとんどの場合,この大会は5日間開かれます。どの大会でもプログラムはすべて,毎日午前10時に始まり,3時間続いた後,午後1時から2時間の休けいが設けられます。その間に喫茶や簡易食堂での昼食を楽しめます。一日の最後の催しは毎日午後3時に始まり,午後5時30分まで続きます。予想外の事情が生じない限り,まず例外なく夜の催しはありません。
ですから,大会の出席者は早く宿舎に帰って夜は十分休息を取り,翌朝の催しに備えることができます。大都市,それも特に夜出歩くのが賢明でない地域での夜間の通行を心配する必要はありません。晩には,大会で見聞きした顕著な事柄を思い返したり,宿舎で他の人たちと親しく交わったりする時間があるでしょう。大会期間中,大会の開かれる都市では野外奉仕のための特別の集まりは設けられませんが,出席者の多くは夕方の時間を利用して,一般の人々を大会に招待するビラを配布したいと思われるでしょう。また,朝,大会会場へ向かう道すがら招待ビラを配りたいと思う方もいらっしゃることでしょう。日本における「神の勝利」国際大会は1973年7月25-29日の5日間にわたって開かれます。
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ニカラグアからの手紙ものみの塔 1973 | 5月1日
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ニカラグアからの手紙
昨年の12月末,大地震のためにマナグア市が大災害をこうむってまもなく,同市にあるものみの塔協会の支部の監督ウィザースプーン兄弟から次のような手紙が寄せられました。「ものみの塔」誌の読者の多くは,マナグア市にいる仲間のクリスチャンの兄弟たちの安否をたいへん気づかっていますから,12月25日付のこの報告に深い関心をお持ちでしょう。なお,この報告は,ものみの塔協会のN・H・ノア会長にあてられたものです。
「けさの電話で,あなたの声をはっきり聞き取ることができました。ノア兄弟,わたしたちに示してくださったあなたの愛と気づかいに感謝します。また,わたしたちは,この危機的な時期にこうした愛のある組織を起こしてくださったことに対してエホバに感謝しています。地震が起きたあと,わたしたちはすみやかに救援を受けました。
「最初の,そして最も激しい震動がマナグア市を襲ったのは,12月23日になって間もない午前零時40分でした。宣教者はみな寝ていました。最初の震動がやんだとき,わたしたちは直ちに外の路上のまん中に出ました。その後短時間に,さらに2回震動に見舞われました。わたしたちの回りの家々はみな倒壊していきましたが,わたしたちはかすり傷一つ受けませんでした。マナグア市は厚いほこりのおおいに包まれてしまいました。そのほこりのおおいが消散し,下弦の月の光が差し込むようになって初めて,近所の様子がぼんやり見えてきました。その時わたしたちは,同様の破壊がマナグア全域に及んでいたことなど知りませんでした。
「近所の人たちはぼう然として口もきけませんでした。が,しばらくして絶叫や泣き叫ぶ声がどっと上がりました。半区画ほど離れたところでは,12人の人がある住宅地区で生き埋めになっていました。道具がないので救出作業は困難でした。回りの地区では,こちらに3人,あちらにひとり,3区画向こうではさらに20人が生き埋めになっているというように,事情はどこでも同じでした。わたしたちは死に取り巻かれていました。下町の地区の上方は赤々と輝いていましたから,地震に続いて火災も起きていることがわかりました。荒廃したマナグア市にはだ寒い夜明けが訪れるにつれ,わたしたちは引き起こされた恐ろしい状態を知るようになりました。
「わたしたちは仲間のクリスチャンの兄弟たちのことを心配していましたが,彼らもわたしたちのことを心配していました。監督を務めていた宣教者たちは兄弟たちの安否を知るために出かけました。わたしは,報告を待ち,何が必要かを考慮するため支部にとどまりました。報告は徐々にしか来なかったので,心配して待つわずかな時が何時間もの長い間に感じられました。しかし,全く信じられないことですが,兄弟たちがなくなったという報告は一つもありませんでした。ただ,兄弟たちの親や親族の中にはなくなった人もいました。また,今週の地域大会でバプテスマを受けることになっていた一婦人が4人の子どもを失いました。
「次々に伝えられてきた兄弟たちの話はだいたい同じでした。家屋が真上でくずれ落ち,どうにかこうにかしてはい出なければならなかった兄弟たちもいました。切り傷や打ち傷を受けた人は少なくありませんでしたが,現在のところ,骨折するほどのひどいけがをした人はひとりも報告されていません。それらの兄弟たちがまっ先に思い浮かべたのはどんなことだったでしょうか。
「まず最初にわたしたちと他の兄弟たちの安否を尋ねてから,彼らは,地域大会が中止されはしまいかと恐れて,この災害のためにきたるべき地域大会はどうなるのだろうかと,たいへん気落ちした様子で聞きました。彼らにとって最大の悲劇は大会を逸することだったのです。自分たちの家や物質的な所有物を失ったことなど意に介してはいませんでした。ノア兄弟,わたしはほんとうに胸がいっぱいになりました。
「地震が起きたその日の夜10時,つまり地震発生後22時間もたたないうちに,ホンジュラスの兄弟たちからの最初の救援物資が到着しました。それは土曜日の夜でした。わたしたち全員はその夜を路上で過ごしました。事実,ニカラグアの市民はすべてがそうしたのです。震動は一晩中続きました。強い震動も弱い震動もありましたが,土曜日朝の最初の震動の強さや長さに及ぶものはありませんでした。わたしたちはたいへん不安な一夜を明かしました。日曜日の午前7時に,シェップ兄弟(支部の監督)がさらに救援物資を持ってコスタリカから到着しました。彼はまた,何が必要かを知りたいと考えていました。それは,すぐに引き返して,さらに救援の取り決めを設けるためでした。わたしたちは主要な必要物の品目を決めたあと,市内を2時間半にわたって視察しました。そして,自分たちの目にしたものに驚きました。なんとマナグア市は崩壊してしまった
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