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科学: 平衡の取れた見方目ざめよ! 1983 | 2月8日
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IB(故意の偏り)の例に少なくとも一つは出くわしたことがあると語りました。この故意の偏りというのはわい曲と言うよりは丁寧な言い方ではありますが,意味は同じことです。
1976年に故意の偏りの一例が生じました。ドイツの諸新聞は当時発掘されたある化石を「一大発見」として称賛しました。それは頭足綱の失われた鎖の輪であると考えられ,それゆえ進化論を証明するものとされました。1979年に「故意の偏り」が暴露され,その化石は偽物であることが明らかになりました。「だが,古生物学[化石の研究]の歴史を振り返ってみると,それはわい曲された化石で彩られている」と一新聞記者は嘆いています。
ですから,科学が人類に大きな貢献をしてきたことを過小評価すべきではありませんが,科学に限界があることをも忘れてはなりません。この点は,科学を別の偉大な情報源である聖書と比較するとき,特に重要です。
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科学と聖書目ざめよ! 1983 | 2月8日
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科学と聖書
現代の科学によって,聖書を信じるのは不可能なことになるでしょうか。そのように考える人もいるようですが,聖書はもともと科学の教科書ではないことを覚えておかなければなりません。それは,科学的な手法によって明らかにされるのとは異なった種類の真理を明らかにしています。しかし,聖書は時として地質学や考古学その他の科学と関連のある事柄を述べています。そのような場合,それは科学者たちの述べる事柄と調和しているでしょうか。二つの例だけを考えてみましょう。
聖書の詩編には次のように書かれています。「神は地の基をその定まった場所に置かれました……あなたは水の深みを衣のようにしてそれを覆われました。水は実に山々の上に立っていました。……山々は隆起し,谷あいの平原は沈下しはじめました」。(詩編 104:5-8)山々は本当に「隆起」するのでしょうか。また,山々は水中に没することがあるのでしょうか。「分かりやすい科学の本」は次のように述べています。「[非常に古い]時代から現在に至るまで,山々が形成され破壊されてゆくやむことのない過程が続いてきた。……山々は,消えてしまった海の底から形成されただけでなく,形成されてからずっと後に水中に没し,それから再び持ち上げられたこともしばしばあった」。
聖書の冒頭の節には,「初めに神は天と地を創造された」と書かれています。(創世記 1:1)科学者たちはかつて,そもそも初めがあったのか,あるいは物質は常に存在してきたのかについて激しく
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