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ニネベの図書館ものみの塔 1972 | 8月15日
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この「洪水前の時代の」碑文というのは,かなり大きな局地的洪水以前に書かれたものかもしれず,あるいは地球をおおった大洪水前のできごとを伝えるとされていた説話であったかもしれません。アッシリア人が正真正銘の大洪水の記録を持っていた証拠はありません。アシュールバニパルの図書館で実際に発見された,洪水にかんする唯一の記録は,バビロニア人の洪水の記録です。そのバビロニア人の記録と,聖書巻頭の創世記の記録との間にはいくつかの類似点があります。生き残るために船をつくったこと,人間と動物が保護されたことなどがそれです。しかしバビロニア人の記録は神話的,多神教的要素で満ちています。たとえば,大洪水が神々におよぼした影響については,神々は大洪水に恐れをなし,後じさりをして,アヌの天に昇ってしまった。神々は外の壁に身を押しつけてうずくまる犬のように臆病になった。…神々はみな卑しめられ,すわって泣いたと述べています。
バビロニア人の記録と聖書の記録の類似点について,メリル・F・アンガー教授は次のように述べています。
「最も広く受け入れられている解釈は,ヘブル人がバビロニア人の記録を借用したということである。保守的な研究者にはこれは信じられないことである。バビロニアの伝説の非常な粗雑さに照らして見たときの一神教的説明のひときわすぐれた高潔さは,この見解をありそうもないものにするばかりか,事実上不可能なものにする。この説は証明できないものであるからなおのことそう言える。…ヘブル人の記録もバビロニア人の記録も共通の事実,つまり実際に起こったできごとにその起源を有すると説明できるだろう。…この大事件の記憶はいつまでも伝説の中に残された。バビロニア人は完全に改変され曲げられた形のものを受け継いだ。創世記は実際に起こったとおりのことを描写している」アンガーの聖書辞典,373ページ。
神々が恐れをなしたことにかんする面も,事実をわい曲していると言えます。創世記の記録が示すところによると,神の子たちである天使のある者たちは,彼らにかんする神の意志に反して,大洪水前に地上に来,夫として女たちと同棲し始めました。この結合から生まれた子孫は「ネピリム」または「フェラー」として知られています。(創世 6:1-13)神に不従順になった天使たちは大洪水のために仕方なく地を去りましたが,彼らの力の強い子孫「ネピリム」は地上に残され,大洪水で死にました。したがって,バビロニア人の洪水の記録は,大洪水が不従順な天使とその子孫におよぼした影響を暗に示すものかもしれません。
アシュールバニパルと他の人々は,ニネベの図書館を楽しみましたが,アッシリア学の学者を除けば,今日の人々にとってその資料の大部分は,たいして興味も価値もないものです。しかし,わずか66冊の書でなるもう一つの古代の図書はこの20世紀においてすら人々を動かし,その生活を改善させるものとなっています。それらの書を収集したものが聖書です。この本は深い関心を払うのに十分値します。なるほど,石碑や粘土版,角柱,円筒などに刻まれた記録は,現存する最古の聖書写本(破損しやすい材料に書かれている)よりずっと古いかもしれません。しかし生きた音信を提供するのは聖書だけです。
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創造それとも偶然?ものみの塔 1972 | 8月15日
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創造それとも偶然?
◆ 鳥のあかんぼうには,ふ化器ともいうべき卵の殻を破って出てこれるように,くちばしの先端に特別の小さな卵殻でできた歯が備わっている。意図された目的を遂げると,この歯は数日後に取れる。進化論者は,このふ化したひなの調法な歯は偶然に備わったと主張する。しかし思慮深い人にとって,盲目の偶然がこのような特別な歯の必要を察知し,その独特の形や造りを整へ,やがて本来の目的が遂げられるとすぐに問題の歯をすてるように取り計らうことができる,などと言うことは信じ難いことである。
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