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読者よりの質問ものみの塔 1957 | 12月15日
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読者よりの質問
★ 欽定訳聖書によると,黙示録 13章1節は次のようにいつています,『我また海の砂の上に立ち,一つの獣の海より上るを見たり。』しかし新世訳では,ヨハネが海辺に立つているように,示されていません。即ち,『それから,それは海の砂の上に立つた。そして私は海から一匹の獣が上つてくるのを見た。』と書かれていますが,なぜですか。―アメリカの一読者より。
新世界訳は黙示録 13章1節を,『それから,それは海の砂の上に立つた』と翻訳しています。その理由は,この翻訳の序文にも述べられている通り,新世界訳が,原語のギリシャ語聖書の中でも最上のものである,ウエストコット・アンド・ホートを基礎にして訳されているからです。ウエストコット・アンド・ホートは,『それ』又は『彼』を,使徒ヨハネに適用すよるりも,むしろ黙示録 12章に述べられている,天からおとされた龍に言及しています。一番古いギリシヤ語の写本も,そして,それよりまだ古い,世暦3世紀のP-47番ギリシヤ語パピラスも同じく『それ』或いは『彼』と述べています。現代になつてなされた他の翻訳も,海の砂の上に立つていると示されているものは,ヨハネでなくて,龍,であることに気づいています。改定標準訳(英文)は『それから,彼は海の砂の上に立つた』と述べています。そしてこの表現を12章17節の終にもつて来ました。カトリックのコンフラタニティーと,ノックスのカトリック訳は,この表現を,12章の18節におきました。前者の方は,『それから,彼は海の砂の上に立つた』とし,後者の方は『それから,彼は海辺に立つて待つた』と述べています。
★ 『新しい天と新しい地』のおわりにある,歴史的重要な年代表には,アブラハムがキリスト前2018年に誕生したと示して,創世記 11章26節が引用してあります,『テラ七十歳に及びてアブラム(アブラハム),ナホルおよびハランを生めり。』しかしこれは,アブラハムが生れた時,テラが70歳であつたと示すのではないでしようか。そして,テラは,キリスト前2078年に70歳でしたから,アブラハム誕生の年と違うのではないでしようか。―アメリカの一読者より。
アブラハムがまだウルの地に住んでいた時,ヱホバは彼に,神の示す地方に行くように命令されました。アブラハムは,父のテラと一諸に指名された地,即ちカナンにむかつて出発しました。ハランに着いてから,そこでしばらく天幕生活をしましたが,テラは年205歳でハランで死にました。聖書の記録によると,アブラハムはこの時75歳でした。(創世 11:32; 12:4)これは,アブラハムが生れた時,テラが,70歳であつたというよりも,彼が130歳であつたことを意味しています。テラが70歳で父親になつたのも事実ですし,アブラハムの名前が3人の息子たちの中で最初にあげられているのも事実です。しかし,これによつて必らずしも,アブラハムが3人の中で最初に生れた者であると証明することはできません。もしそうだとすれば,彼の父テラが205歳で死んだ時,アブラハムは75歳であつた,と述べている聖書の記録はあやまりであることになります。他の人々でも,その卓越性と信仰の故に,たとえ長子でなくても,子孫の系図の中で最初に記されました。アブラハムの息子たちの記録では,長子のイシマエルより,イサクの方が先に示されています,『アブラハムの子等はイサクおよびイシマエル』。(歴代上 1:28)又ノアの息子たちの中では,セムが系図の最初に記されていますが,証拠の示すところによると,ノアの長子はヤペテでした。それで,子孫の系図は,必ずしも年齢順に記録されていません。他の聖句にも示されている如く,テラの息子たちの場合も年齢順ではありません。
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共産主義者は証者をシベリヤに送るものみの塔 1957 | 12月15日
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共産主義者は証者をシベリヤに送る
1957年3月5日付ニュヨーク・タイムスは次のようなロンドン発のニュース電報を載せました。『キシネフからのラジオ放送が明らかにしたところによれば,モルダビヤンソ連社会主義共和国において,ヱホバの証者の派の者7人が「米国内の組織のためにスパイ活動をした」嫌疑で裁判に附された。キシネフはモルダビヤン共和国の首府で,ソ連邦の南西部に位置している。報道によれば,7人の被告のうち二人は婦人である。』この記事の下にタイムスはこう論評していました,『ニューヨーク・ブルックリンのヱホバの証者の国際本部の役員は,その派の者7人の逮捕については何の知らせも受け取つていないと語つた。また,この派はソ連邦の全体にわたり地下で運営して居り,7000人の証者がすでにシベリヤに送られたとも語つた。』
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