エホバが神であることをバビロン的な敵意の中で擁護する
「エホバ サタンに言たまひけるは,なんぢ心をもちひてわが僕ヨブをみしや,彼のごと(き)……人世にあらざるなり」― ヨブ 1:8,文語。
1,2 (イ)今日まで続いてきた論争がありますか。それは何に関することですか。(ロ)この研究ではどんなことの証拠を取り上げますか。なぜ?
アダムの時から今日に至るまで,ずっと続いてきた大きな論争は,天と地の全宇宙で主権を行使すべき神はだれかということです。全能の神エホバがそれであるとするなら,エホバは,エホバの主権を擁護する,信頼できる忠実な証人を地上に選び出すことができますか。また,そうして選ばれる証人は,反対や嘲笑に耐えてエホバの主権を支持できますか。聖書の次のことばを思い出してください。「なんぢらはわが証人なり,われは神なり,これエホバのたまへるなり」― イザヤ 43:12,文語。
2 大洪水のしばらく後,ニムロデの時代に,サタンは古代都市バビロンを中心として背教のとりでを築きました。バビロン的な偽りの宗教思想が発展し,地の四隅に広がったのはここからです。このバビロン思想の発展をよく示すものとして,聖書の中には,紀元前十七,六世紀の人ヨブに関する劇的な記述があります。天界と地上の特別なありさまを描くこの記述は,エホバ神の真の崇拝者に敵対する人々をあげ,その人々の考えがバビロンの偽りの宗教思想に影響されていた証拠を示しています。サタンはこの遠い昔の源から人を惑わす背教の流れを起こし,その結果バビロン的な偽りの宗教の知恵に従う人と,まことの神エホバからくる清い知恵をもつ人との間には,長年にわたって論争がありました。(ヤコブ 3:17)人事を左右する主権者の神が存在するかどうかを問題にしてエホバ神をあざけるためにサタンが用いてきた,これらバビロン的な宗教行為をいくらか見ることにしましょう。
ヨブ記
3 ヨブ記は信頼できるものですか。なぜ?
3 至上の神に関するこの論争を解決する,「われわれの神の報復の日」(イザヤ 61:2)は近づいていますが,現代の聖書の高等批評家はいつもヨブ記の真実性を疑い,その現代における意味やしだいに成就するヨブ記の預言に対して人の心を盲目にしています。彼らは,『ヨブ記の筆者はモーセではない』,また『ヨブは実在の人物ではない』と唱え,また『ヨブ記は紀元前600年から400年の間に作られた美しい詩文であるにすぎない』と論じます。a 高等批評家は遊牧社会に関する豊富な内面の証拠を無視しています。聖書に描かれるようなヨブの富と大規模な遊牧は,紀元前17世紀頃の族長社会のものであり,人々が国家に編入された紀元前5世紀頃のものではありません。ヨブ記の古さ,及びその真実性は十分に確証されています。b 聖書の一部であるヨブ記は,今の終わりの時代に,だれが神であるかという問題に確答を与えるものです。
昔の人ヨブ
4 ヨブとはどんな人ですか。アブラハムとどんな関係にありましたか。アブラハムと同じようにどんな態度を取りましたか。
4 さて,ヨブ記の内容を調べ,エホバの擁護者としてのヨブの生涯のできごとの中に,だれが真の神であるかの問題がいかに明示されているかを学びましょう。7人のむすこと3人の娘に恵まれたヨブは富裕な人であり,アブラハムのおいウヅの子孫として,アブラハムに約束された土地の東に住んでいました。(創世 22:20,21。ヨブ 1:1)アブラハムと同じくエホバ神の崇拝者であったヨブが傑出した人物となったのは,遠縁にあたるモーセが,紀元前16世紀に,エジプトに捕われていたイスラエル人に対するエホバの預言者とされた時より少し前です。エホバがご自分の証人であるヨブを「東の人々のうちで最も大いなる者」と呼び,当時の人の中で『ヨブのような者は世にない』と言われたのはこのためです。(ヨブ 1:3; 2:3)ヨブの時代よりずっと前,ヨブの遠縁のアブラハムは,宗教的にバビロン化したカルデアのウルをあとにしています。(創世 11:28,31)こうしてアブラハムは,自分の生まれた町ウルに浸透した異教の偶像崇拝や,バビロンに由来する背教的な宗教儀式から離れました。(創世 15:7)事実,後世において,カルデア人とバビロニア人とは同じ意味をもつことばになりました。(エゼキエル 23:15)若い時代のアブラハムは宗教的な面だけでなく,考えや精神の面でもバビロンの影響を受けることを拒みました。バビロンの罪およびそれに伴う災いを避けるため,アブラハムは,まことの神エホバの指示の下に,バビロンの勢力圏を離れ,約束の地カナンに移住しましたが,これは賢明なことでした。(黙示 18:4)ヨブもまたバビロン的な宗教の栄える東方の地に住んでいましたが,遠縁にあたるアブラハムと同じように,宗教の面でバビロンの影響を受けることを避けました。忠実なヨブはまことの神エホバが主権者の神であるとの信仰を決して捨てませんでした。
サタンの試みは許される
5 「サタン」という語が人格的な存在を表わしていることを示しなさい。だれを表わしていますか。
5 ヨブ記の巻頭に目を移せば,そこには,荘重な天の法廷の開かれる場面が描かれています。まことの神エホバの前に天使たちが集められます。「サタン」と呼ばれる者もそこに現われて,だれが至高の神であるかの論争が劇的なかたちで提出されます。ヨブ記 1章6節およびそれ以後のところで,エホバに対する大敵対者また反抗者であり,人間の最大の敵である者が人格的な存在として扱われ,しかも称号で呼ばれていることは注目に価します。ヘブル語の動詞「サーターン」は「反抗する」という意味であり,これが最初に出ているのは民数記 22章22節および32節のモーセの記録です。c しかし,ヨブ記 1章6節のヘブル語原文は名詞「サタン」に定冠詞「ハ」を付け,「ハ・サーターン」の形を用いています。これは英語の「ザサタン」にあたります。d それで定冠詞は人格的な存在としてサタンに特殊性を与えています。ゆえにサタンが抽象的な悪,反抗,反対などをさすという多くの人の主張は否定されます。こうして聖書はサタンが人格的な存在であることを明確にしています。そして,「サタン」という語はこの者に適当な名前の一つです。―ゼカリヤ 3:1,2もごらんください。
6 エホバは神としてどんな力をお持ちですか。そのことはどう示されていますか。
6 ご自分の大切なしもべを試みられるエホバは,御使いや人間の心を見ることができます。「〔エホバ〕であるわたしは心を操り……おのおのに,その道にしたがい,その行いの実によって報いをするためである」。(エレミヤ 17:10,〔新世訳〕)「エホバは人の心をはかりたまふ」。(箴言 21:2,文語)神のこの力を考えるとき,エホバがサタンの心の奥を読まれたことも不思議ではありません。「〔エホバ〕はサタンに言われた,『あなたはわたしのしもべヨブのように〔1〕全く,かつ〔2〕正しく,〔3〕神を恐れ,〔4〕悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか』」。(ヨブ 1:6,〔新世訳〕)ここにはエホバがヨブの心を正確に読み取られたことも示されています。なぜなら,エホバがヨブに見出された右の四つの良い点は,いずれも清く,汚れない心の倉から出る実だからです。善人は良い心の倉から良い物を取り出し,悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを,口が語るものである」― ルカ 6:45。
7 (イ)サタンはヨブについてどんな偽りの非難をしていますか。(ロ)この間接的な証拠は何を示していますか。
7 天におけるこの序幕の場面はさらに続きます。つぎにサタンはヨブを非難します。ヨブがエホバを崇拝するのは,それによって得る利己的な益つまり富のためであり,神に対する誠実な心や愛のためではないというのです。「サタンは〔エホバ〕に答えて言った,『ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく,まがきを設けられたのではありませんか。e あなたは彼の勤労を祝福されたので,その家畜は地にふえたのです。しかし今あなたの手を伸べて,彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって,あなたをのろうでしょう』。〔エホバ〕はサタンに言われた,『見よ,彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない』。サタンは〔エホバ〕の前から出て行った」― ヨブ 1:9-12,〔新世訳〕。
サタンの手のもとに
8 (イ)聖書の中で腕および手ということばにどんな比ゆ的な意味があるかを説明しなさい。(ロ)サタンにどんなことが許されましたか。
8 聖書の中では人間の手や腕が比ゆとして用いられることが少なくありません。腕は力を起こし,発揮し,集める能力を表わします。たとえば,人間の腕にはボールなどの物体を投げる強い力を起こす能力があります。しかし,手は用いられた力を表わします。手は腕の起こす力を一定の点に働かせます。ボールを投げる時,腕の生み出す力によって,カーブ,直球,ドロップのいずれを投げるかは手が決定します。力を起こすものという意味でエホバの腕という表現を使っているのはイザヤ書 51章9-11節です。他方,ペテロの第一の手紙 5章6節はエホバの手ということばを,用いられた力による物事の配列という意味に用いています。さてヨブについて言えば,サタンはエホバが迫害というかたちでヨブにご自分の力の手を当てなおすことを求めています。エホバはしばらくの間だけご自分の手をヨブからはずし,ヨブがサタンの反抗的な手のもとにはいって災いを受けることに同意されます。
9 (イ)サタンは自分の手をどのようにあてはじめましたか。(ロ)バビロンとの関係を物語るどんな証拠がありますか。
9 第2場面は地上の光景です。見えない領域で活動するサタンが大きな災いをヨブの身にもたらします。今サタンの手が働き始めました。しばらくの間,サタンはバビロン的な訓練を受けた地上の手先を用いて敵対行為をすすめます。まず,ヨブの資産がサタンの手先の攻撃を受けはじめます。シバ人の盗賊がヨブの牛の群れを奪いました。ついでながらシバ人は太陽,月,星などの天体を拝む人々であり,そうした背教の習慣をバビロニア人から学びました。f (イザヤ 47:1,13)ヨブ自身はそうした日や月の崇拝にはっきり反対しています。(ヨブ 31:26,27)ヨブの富はその後も奪われてゆきます。上空から来た火のためにヨブの羊の大群が殺されました。(エペソ 2:2)ついで3組のカルデヤ人が襲ってきてらくだの大群を奪い去り,ヨブは資産のすべてをなくします。エホバの真の証人であるヨブを攻撃するために,サタンがカルデヤ人をも手先としていることに注意してください。カルデヤ人はバビロンの宗教の支配を受ける国民です。賊が「三」組になって来たことはバビロン的な宗教家がエホバに強く反抗していることのしるしです。3は強調の数字です。―ヨブ 1:13-17。
10,11 (イ)その後のサタンからの攻撃にヨブはどう応じていますか。(ロ)迫害の源はなんですか。それが許されるのはなぜですか。
10 これだけでは足りないかのごとく,敵意に満ちるサタンの手はさらに伸びます。ヨブの10人の子供はサタンの腕が起こした大風によって殺され,力を用いるサタンの手によって命を奪われたにちがいありません。(ヘブル 2:14)強い打撃ではありませんか。(ヨブ 1:18-20)ヨブはこうしたわざわいがなぜ自分の身に及ぶのかを理解していませんでしたが,エホバが神であるとの信仰を忠実に守りました。極度の苦境に置かれたにもかかわらず,ヨブはこう言いました。「エホバ 与へ エホバ取り給ふなり エホバの御名はほむべきかな」― ヨブ 1:21,22,文語。
11 エホバの忠実な証人の身に及ぶ迫害や苦難はエホバのみ手から直接に来るのではありません。前述のことはこれを明確に証明しています。忠実な証人に及ぶ迫害や苦難はいつでも,エホバに許されたサタンの手,およびそれに組する反抗者から来るのです。その中には悪霊および宗教的にバビロン化された人間たちがいます。宝石は試みに会ってはじめて真価をあらわします。忠実なエホバの証人の試みられた心も同じです。(ヤコブ 1:2,3)エホバは証人の心を強めるための激励と霊の食物をどのように与えるべきかをご存じです。またエホバは人の心を鍛練して,ヨブが耐えたようなサタンからの超自然の圧迫に耐える力を得させる方法をもご存じです。―コリント第一 10:13。
エホバの至上権に忠実
12 さらにどんな災いがヨブに臨みますか。なぜ?
12 エホバに対するヨブの献身と奉仕は物質的な利得を目ざすものであるというサタンの主張はくつがえされました。第3場は再び天にもどります。ここでサタンは新たな非難を始めます。「サタンは〔エホバ〕に答えて言った,『皮には皮をもってします。人は自分の命のために,その持っているすべての物をも与えます。g しかしいま,あなたの手を伸べて,彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって,あなたをのろうでしょう』。〔エホバ〕はサタンに言われた,『見よ,彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ』」。(ヨブ 2:4-6,〔新世訳〕)再び自分の手を当てること,つまり自分の力を用いることを許されたサタンは,今度,ヨブを身体的に苦しめる手段をとります。「サタンは〔エホバ〕の前から出て行って,ヨブを撃ち,その足の裏から頭の頂まで,いやな腫物をもって彼を悩ました。ヨブは陶器の破片を取り,それで自分の身をかき,灰の中にすわった」。(ヨブ 2:7,8,〔新世訳〕)こうして第4場が始まります。これは地上におけるヨブの長い苦しみの場面であり,サタンはエホバの崇拝者であるヨブを極限まで試みることによって,エホバの至上権に対する自分の挑戦を正当化しようとします。
13 ヨブの苦しみを見てヨブの妻はどうなりましたか。説明しなさい。
13 試練の場面はまだ続きます。今日のわたしたちはいわば霊的なテレビジョン装置を持ち,完成された霊感の記録であるヨブ記の中にヨブの苦しみの意味を『心の目』で見ることができますが,ヨブとヨブの妻にはこれがありませんでした。(エペソ 1:18)自分の苦難について理解できないことが多くあったにもかかわらず,ヨブは信仰を堅く保ち,どこまでもエホバの至上権を忠実に擁護しました。もう一つ打撃が加えられました。最も身近で,最も愛する自分の妻の信仰が弱くなったのです。妻はヨブに言います。「『あなたはなおも堅く保って,自分を全うするのですか。神をのろって死になさい』。h しかしヨブは彼女に言った,『あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸を受けるのだから,災をも,うけるべきではないか』。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった」― ヨブ 2:9,10。
バビロン化した3人の友
14 (イ)ヨブを試みるため,サタンは次にだれを使いますか。(ロ)ヨブの3人の友だちにはどんなバビロン的な背景がうかがえますか。
14 紀元前17世紀までに,パレスチナ内外の諸民族はいずれもバビロンの宗教思想の影響を受けていました。ヨブの見せかけの友人たちもバビロン的な考え方にそまっていたことが明らかにうかがわれます。そうした偽りの友人たちはヨブを苦しめるためのサタンの手だてとしてすぐに利用されます。ヨブを悩ませてさらにその心を苦しめるため,サタンはバビロン化したこれら3人の手先を巧みにあやつり,哲学的な知恵によってヨブを精神的に疲れさせ,エホバに対する忠節を破らせようとしました。このような偽りの慰め手が3人いたことは,サタンがこのこうかつな策略に総力を上げていたことのしるしです。最初の偽り者はテマンびとエリパズです。テマンびとであるということは,この者が背信の孫エサウによるアブラハムの子孫であることを示しています。(創世 36:2,10,11)テマンびとはアブラハムのまことの宗教を守らなかったために,その背教的な知恵で知られるようになりました。(エレミヤ 49:7)第2の偽りの友はシュヒびとビルダデです。この者もアブラハムの2番目の妻ケトラが生んだ6番目のむすこシュワの血をひく者であり,アブラハムの子孫です。(創世 25:2)ビルダデもアブラハムのまことの宗教からの背教者でした。ビルダデという名は「争いの子」もしくは「ベルが愛した」という意味です。後者であるとするなら,この者はバビロン的な環境が強い中で育てられたに違いありません。ベルはバビロニア人の主神マルズクの称号であるからです。(エレミヤ 50:2)i 人を悩ませるこの3人の『慰め手』の最後の者はナアマびとゾパルです。その会語にうかがえるとおり,この者もアブラハムのまことの宗教からの背教者です。「七十人訳」はこの者を「ミナエびとの王ソパル」と呼んでいます。ミナエびとはアラビア人の一種族であり,アラビア人は一般にアブラハムの子孫とされています。
15 7日間の沈黙は何を示すと考えられますか。なぜ?
15 ヨブのもとに着いた3人の「友」は,自分たちの『慰めの計画』を始め,ヨブの前にすわって7日7夜を過ごしました。この間3人はひと言も語りませんでした。(ヨブ 2:13)ヤコブを葬ったアブラハムの子孫たちが大いに嘆きながら7日の間喪に服したことは事実ですが(創世 50:10),イスラエル人に7日の間沈黙する風習があったという形跡はありません。それゆえ,7日間の沈黙はあらわれた状態に関する暗示を,サタンと悪霊の見えない力に求めたバビロンの習慣に習ったものと思われます。j 既に7日の終わりまでに,これら3人はエホバ神の至上権に対するヨブの態度を弱めるサタンの企てに組する者であることを自ら明らかにしました。
至上権に関連した称号
16 ヘブル語の神という語の使い方を説明しなさい。(イ)異教徒について。(ロ)エホバの真の崇拝者について。
16 ヨブの3人の偽りの慰め手は,まことの宗教のシボレテつまり清い知恵でヨブを慰めるかわりに,背教のセボレテつまりバビロン的な知恵を語っていました。この点をさらに調べましょう。(士師 12:6)言いかえれば,彼らのバビロン的な知恵は魅惑的に聞こえ,神の知恵によく似ていましたが,それに純粋なひびきは全くありませんでした。神の至上権ということが基本的な問題になっていましたから,3人はいずれも一神論者つまり唯一神の信者を自任しています。正道からそれたこれら3人のアブラハムの子孫は,先祖アブラハムやヨブと同じように,「全能者」(シャダイ)および「神」(単数形のエールまたはエローア,および卓越の複数形としてエローヒーム)という語を使っています。(創世 17:1。ヨブ 4:17; 6:4; 8:3; 11:7)しかし,ここにその真実さをためすものがあります。偶像崇拝の始まったエノスの日以来,人々は自分たちの偶像を神(エールまたはエローヒーム)と呼ぶようになりました。「パレスチナのタルガム」は創世記 4章26節についてこう注解しています。「人々が誤った道に進んだのはこの時代であり,人々は自らを偶像とし,偶像を主のことばの名で呼ぶようになった」。k ノアの大洪水の後には,バビロン化した異教徒が自分たちの背教の神を,神という語の卓越の複数形を使ってエローヒームと呼び,同じことをしています。(神ダゴンについてこの点を調べるために士師 16:23,24をごらんください。また神ケモシと神ミルコムについて列王上 11:33を,神バアル・ゼブブについて列王下 1:2,3,16をごらんください)偶像崇拝が行なわれるようになってから後のエノクの時代について記録するノアの歴史の中で,真の崇拝者が「エイル」または「エローヒーム」の前に定冠詞「ハ」を置いていることが多いのに注目してください。これは同じようにエールもしくはエローヒームと呼ばれた偽りの神々と「唯一まことの神」エホバとを明確に区別するためでした。偽りの神々が「ハ・エール」もしくは「ハ・エローヒーム」と呼ばれることはありませんでした。l ―創世 5:22。列王下 1:6,9。
17,18 (イ)アブラハムとヨブ,(ロ)3人の友は神に相当することばおよびエホバの名をそれぞれどのように使いましたか。このことは神の至上権の論争にどのように作用しますか。
17 アブラハムはエノクの時代に始まるこの習慣に従い,他と区別する,微妙な「ハ・エローヒーム」という語形でエホバ神を呼んでいます。(たとえば創世 17:18; 20:6,17; 22:9)「新世訳」は識別力のある聖書研究者のために,ヘブル語原本にある「ハ・エール」および「ハ・エローヒーム」という表現のすべてを「〔まことの〕神」と訳出して,原文の意味を伝えています。ヨブは話をする時アブラハムの習慣にならい,時おり「ハ・エール」および「ハ・エローヒーム」の語形を使ってエホバ神を異教の神々と区別し,その至上権を擁護しています。(ヨブ 2:10; 13:8; 21:14; 31:28参照)しかし,ビルダデとゾパルはバビロンの宗教家の習慣に従い,普通の形である「エール」もしくは「エローヒーム」を使って神を表わしています。正統派を自任するエリパズでさえ(ヨブ 15:10),「ハ・エール」,「まことの神」という形はヨブ記 22章17節に1回しか使っておらず,しかもそこではエホバを真の神とする人々に対する多少の侮蔑をこめて語っているのです。―ヨブ 22:15。
18 3人の偽りの慰め手は神の固有の名を隠すバビロンの習慣にも従い,多くの話をしながら,神の名「エホバ」を一度も使っていません。他方,ヨブは「エホバ」の名を5回使っています。(ヨブ 1:21; 12:9; 28:28)彼らの先祖アブラハムの記述創世記 12章から24章の中に,「エホバ」の名は全部で70回ほど出ています。また,敬けんな気持ちからエホバを「聖なる者」と呼んでいるのもヨブひとりです。―ヨブ 6:10。
心霊的な経験
19 エリパズの心霊的な経験は何を示していますか。
19 もう一つバビロンの宗教との関係を裏づけるものは,霊者つまり悪霊との交渉です。その種の霊者すなわち悪霊は,アブラハムにみことばを伝えた忠実な天使のように肉体となって現われることはできません。(創世 18:1-8)そのため,悪霊は占い,託宣などの間接的な手段に頼らねばなりませんでした。「自然占い,もしくは霊感占いにおいて,媒介者はある霊ないしは神の直接の支配下に置かれ,その力によって将来を見,それを託宣として語ると唱えられている……実際の証拠からもうかがえることであるが,古代バビロニア人およびエジプト人は一般に,託宣およびあらゆる前兆を神々からのものとし,神々の心を表現するものとみなした」。a エリパズが最初の話の中で,バビロンの心霊的な経験をあげて自分の論議を展開していることに注意してください。(ヨブ 4:15-17)アブラハムやヨブがこの種の悪霊的な経験によって,自分を直接に導くエホバが真の神であることを否定したことはありません。
人間は死ぬべきもの ― その望みは復活
20 人間についてヨブが正確な知識をもっていたことを示しなさい。ヨブは将来に対する希望をどのように言い表わしていますか。
20 ヨブは相手に対する反論の中で「死ぬべき人間」(ヘブル語,エノシュ)という表現を何度も使っています。ヨブは人間が生きた魂であることを理解していたのです。彼は,人間に不滅の霊魂があるとするバビロンの考えを退けました。ヨブは人間が死ぬべきものであり,死とともに完全に死滅するものであることを知っていました。(ヨブ 7:1,17; 9:2; 10:4,5; 13:9; 14:1,2; 28:13,新世訳)ヨブは死と同時に人の息が絶えることをも示しています。(ヨブ 10:18; 14:10; 27:5; 29:18)ヨブはこの基本的な点において正しい見解をもっていたために,復活すなわち人間として再び地上に生きるという希望をもつことができました。(ヨブ 14:13,14)3人の偽りの友人が復活について沈黙していることも注目に価します。
バビロン的な考えかた
21 ヨブに対する3人の偽りの友の敵意について説明しなさい。
21 宗教的に相異のある3人の「友」は,栄えるのはただ賢人だけであり,罪人は災いにあうというバビロンの物質主義的な考えを述べます。(ヨブ 4:7,8)彼らは,エホバは『ご自分のしもべを頼みとしない』と唱えますが,これは偽りです。(ヨブ 4:18)また彼らは先代からの言い伝えを尊重する正統派的な主張をします。(ヨブ 8:8,9)彼らは宗教を単純なものにとどめ,神のことをあまり深くきわめないようにと唱えます。(ヨブ 11:7)ヨブ(エホバの証人のひとり)が昔の聖人より知っているかのような言いかたをするとも非難します。(ヨブ 15:9,10)真の神に対するヨブの不動の忠実さについて,ヨブの「友」たちは自分が汚れたものにみなされるとして憤ります。(ヨブ 18:3)彼らはこう言います。『ヨブよ,おまえは神の前で正しい立場を保とうとして,宗教のことをまじめに考えすぎている』。(ヨブ 22:2-4)外に現われたことから言うなら,ヨブは「悪人」であり,そのゆえに神からのさばきを受けているに違いない。(ヨブ 22:5-10)最後に,これらバビロン化した賢者たちは,自らを「死ぬべき人」(ヨブ 7:1,17,新世訳)と呼ぶヨブが神の前で,清く,正しい立場を得ることはできないと,無骨に決めつけます。―ヨブ 25:4。
ヨブは内省する
22 ヨブはどうして自分自身に目を向けるようになりましたか。ヨブはどんなことを言いましたか。
22 この不敬けんな3人組は,こうした物質主義的な論議を長々と三巡させ,ヨブをして自己弁護に追いやり,至上権の問題を扱われるまことの神の正しさを賞揚するかわりに,自分のたましいの正しさを主張させます。ヨブの心の内面で次のような問答をくり返し,ヨブは自分の心を調べます。「人を監視される者よ,わたしが罪を犯したとて,あなたに何をなしえようか。なにゆえ,わたしをあなたの的とし,わたしをあなたの重荷とされるのか」。(ヨブ 7:20)「わたしは知る,わたしをあがなう者は生きておられる」(ヨブ 19:25)「ああ,わたしに聞いてくれる者があればよいのだが,わたしのかきはんがここにある。どうか,全能者がわたしに答えられるように」。(ヨブ 31:35)こうして,地上の手先をとおして働く,許されたサタンの手のもとに置かれたこの長い果たし合いによって,ヨブはその心の奥底を試みられました。しかしヨブの心はどこまでも真実であり,汚れなく,神を信頼して望みに満ちていました。
エリフの評価
23 (イ)長い宗教的な議論をエリフはどう評価しましたか。(ロ)エホバはどのように介入されましたか。ヨブはどんな態度をとりましたか。
23 最後に,中立の傍観者としてその場にいたエリフがことばを出し,議論を終えた両者の知恵の真偽を正しく評価します。「ヨブが神よりも自分の正しいことを主張するので,彼はヨブに向かって怒りを起こした。またヨブの三人の友が〔神〕を罪ありとしながら,答える言葉がなかったので,エリフは彼らにむかっても怒りを起した」。(ヨブ 32:2,3,〔新世訳〕)それゆえ,神の至上権の論争に関して,3人の偽りの慰め手は全く敗北しました。またヨブはまことの神への誠実な態度を保ちながらも,自分の正しさを主張しすぎて脱線しました。この後,このドラマの終わりとして,神がつむじ風の中からヨブに語られ,まことの神の壮大な知恵を示されます。ここでエホバは,創造の驚異と,死ぬべき人間の知恵をはるかに越える,すばらしい自然とについて語り,ご自分が至上の神権者であることを立証されました。(ヨブ 38-41章)こうして雨のような天の知恵をあびた,ヨブの清い心はすぐそれに応じます。「わたしは知ります,あなたはすべての事をなすことができ,またいかなるおぼしめしでも,あなたにできないことはないことを。それでわたしはみずから恨み,ちり灰の中で悔います」― ヨブ 42:2,6。
24,25 (イ)神に関する論争の両側をエホバはどう裁かれましたか。(ロ)ヨブのドラマはどんなかたちで終わりますか。(ハ)どんな疑問が起きますか。その問題はどのように扱われますか,
24 ついでエホバは3人の偽りの友をとがめたエリフを正しいとされます。「わたしの怒りはあなた〔エリパズ〕とあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが,わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである。それで今,あなたがたは雄牛七頭,雄羊七頭を取って,わたしのしもべヨブの所に行き,あなたがたのために燔祭をささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈るであろう。わたしは彼の祈を受けいれるによって,あなたがたの愚かを罰することをしない。あなたがたはわたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである」。(ヨブ 42:7,8)こうして,バビロン化した賢人の背教的な宗教は,二度も『正しくない』と言われたエホバ神ご自身によって暴露されました。彼らが知恵としていたものは愚かな考えであるにすぎませんでした。自ら挑戦したサタンは哀れにもその論争に敗れたのです。3人の「友」たちは身を低くして自らを改め,真の宗教を受け入れてヨブに命ごいの祭司となってもらわねばなりませんでした。ヨブについて言えば,エホバは「ヨブの繁栄をもとにかえし」,初めに失った資産の2倍をヨブに与えました。そして家族について言えば,妻も年が進んでいたにもかかわらず,ヨブは7人のむすこと,3人の美しい娘を持つようになりました。―ヨブ 42:10-15。
25 確かに,エホバはご自分の至上権を擁護する忠実な証人を地上に選び出され,まことの神としての力を立証されました。そしてヨブはその時代の擁護者として正しさを認められる者となりました。このドラマになにか預言的な意味がありますか。それは後の時代の真の知恵を持つ者にとって関心となるところです。次の記事の中ではこの問題に関する肯定的な証拠が提出されています。
[脚注]
a ハーパー聖書辞典337頁。
b 筆者がモーセであること,およびこの本の真実性について,詳しくは1963年に出版された「聖書はすべて神の霊感によるもので有益である」の95,96頁をごらんください。
c サムエル上 29:4,サムエル下 19:22,列王上 11:14,23,25,詩 109:6をもごらんください。
e これらのことのすべては,エホバがご自分の真のしもべを守り,父親のように心を用いられることの間接的な証拠です。
f 「ハーパー聖書辞典」631頁。
g 言いかえれば,ヨブの心の底にはまだ利己心が残っているというのがサタンの主張です。
h 信仰が弱くなっているとは言え,妻はヨブを非難したり,見捨てたりしていません。この点に注意してください。
i 「国際標準聖書辞典」第1巻473頁。
j エミリー・ハムブラー著「ヨブ記」12頁。
k 「奉仕者になる資格」270頁。
l 1961年版「新世界訳聖書」1450-1452頁のアペンディックス付録(参照)。
a 「国際標準聖書百科辞典」第2巻860頁。