終わりの時にあって結婚を慎重に考える
「結婚して童貞をあきらめる者の行いはよいが,結婚せずに童貞を守る者の行いは更によい」― コリント前 7:38 新世。
1 アダムにとって妻の選択はなぜ問題になりませんでしたか。
はじめの人アダムにとって妻の選択は少しも問題になりませんでした。アダムにかなう妻が造られたからです。人は多くの動物に名前をつけていましたが,自分に「ふさわしい助け手が見つか」りませんでした。聖書の記述は次の通りです。「そこで〔エホバ〕神は人を深く眠らせ,眠った時に,そのあばら骨の一つを取って,その所を肉でふさがれた。〔エホバ〕神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り,人のところへ連れてこられた」。この時のアダムの喜びを想像してごらんなさい。アダムはこのように言いました。「これこそ,ついにわたしの骨の骨,わたしの肉の肉。男から取ったものだから,これを女と名づけよう」。人が妻を離れなかったのも不思議はありません。罪を犯す以前に,この女はアダムを補う完全なものとなりました。―創世 2:18-25。
2 結婚を考えるクリスチャンにエホバがなにを求められるかを聖書から示しなさい。
2 今日,不完全な人間同志の中にあって,結婚の相手をどのように選ぶかがクリスチャンの問題になることがあります。この問題に関して,エホバに献身した賢明なしもべは,献身したクリスチャンが信者と結婚することを勧めた霊感による使徒パウロの言葉に従い,「主にある者」を選びます。(コリント前 7:39)これは結婚を望むクリスチャンに対するエホバのみ旨です。パウロの時代より何世紀も昔,カナンの地にはいって異教徒に接しようとしていた神の民イスラエルに対して,エホバは厳格な警告を与えられました。「彼らと婚姻をしてはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない」。つづいて神が明確に語られたように,このいましめに従わないなら,恐ろしい結果を自ら刈り取ることになったでしょう。「それは彼らがあなたのむすこを惑わしてわたしに従わせず,ほかの神々に仕えさせ」。このような結婚をするむすこや娘はうまくゆかず,それを取りきめる親たちはエホバの怒りを招くことになったでしょう。エホバは言われました,「〔エホバ〕はあなたがたにむかって怒りを発し,すみやかにあなたがたを滅ぼされる」。―申命 7:3,4,〔文語〕。
3 クリスチャンの親は族長時代のどんな例を心にとめるべきですか。
3 これよりも前,族長の時代に,ひとりで異教徒と婚姻を結ぶむすこは,エホバに献身した親にとって悩みの種となりました。エサウはヘテ人の女ユデテとバスマテとをめとりましたが,「彼女たちはイサクとリベカにとって心の痛み」となりました。ある時リベカは嘆いて言いました。「わたしはヘテびとの娘どものことで,生きているのがいやになりました。もしヤコブがこの地の,あの娘どものようなヘテびとの娘を妻にめとるなら,わたしは生きていて,何になりましょう」。(創世 26:34,35; 27:46)幸にヤコブは敬けんな二親を悩ませ,エホバの不興を買うような結婚をしませんでした。これよりも前,アブラハムがイサクの妻を選ばせた時にも,異教徒の女が選ばれることはありませんでした。(創世記 24章)今日のクリスチャンの親としてむすこや娘の結婚を取りきめることがあるなら,いくつかの悪い手本にならってはなりません。イスラエルに対する警告と族長時代の立派な模範を心にとめなさい。
4 エズラの時代のユダヤ人はエホバに対してどんな罪を犯しましたか。
4 むすこや娘の結婚をこれから取りきめようとしておられる方がありますか。あるいはエホバ神に献身したしもべであり,また成人であって,結婚を志しておられるかたがありますか。いずれの場合でも,国民が非行に走った時忠実な人エズラが語った熱心な言葉をあなたの耳にひびかせて下さい。ユダヤ人はバビロンの捕囚から解放されていました。彼らは聖書を持ち,昔の忠信な人々の手本を知っていました。しかし彼らはこれを顧みず,エホバの前に大きな罪を犯していました。どんな罪でしたか。エホバに対する申し開きの言葉の中でエズラが明らかにしています。「われわれの悪い行いにより,大いなるとがによって,これらすべてのことが,すでにわれわれに臨みましたが,われわれの神なるあなたは,われわれの不義よりも軽い罰をくだして,このように残りの者を与えてくださったのを見ながら,われわれは再びあなたの命令を破って,これらの憎むべきわざを行う民と縁を結んでよいでしょうか。あなたはわれわれを怒って,ついに滅ぼし尽し,残る者も,のがれる者もないようにされるのではないでしょうか。ああ,イスラエルの神〔エホバ〕よ,あなたは正しくいらせられます。われわれはのがれて残ること今日のとおりです。われわれは,とがをもってあなたの前にあります。それゆえだれもあなたの前に立つことはできません」。(エズラ 9:13-15)エズラの時代に,神に対する大きな罪を認めたユダヤ人は,異邦の妻を捨てました。これ以前に彼らは異教のカナン人と婚姻を結んでエホバに罪を犯していたことを忘れてはなりません。結婚に関する神の定めをなみすることの危険を軽く見てはなりません。
5 マラキ書 2章10-12節によると,ユダヤ人はどのようにエホバを汚していましたか。クリスチャンはどのように結論すべきですか。
5 エホバ神に献身したクリスチャンは聖書を尊重し,その正しい原則に従って生活しようとしているに違いありません。それでは預言者マラキの言葉を心にとめて下さい。「われわれの父は皆一つではないか。われわれを造った神は一つではないか。なにゆえ,われわれは先祖たちの契約を破って,おのおのその兄弟に偽りを行なうのか,ユダは偽りを行ない,イスラエルおよびエルサレムの中には憎むべき事が行なわれた。すなわちユダは〔エホバ〕が愛しておられる聖所を汚して,他の神に仕える女をめとった。どうか,〔エホバ〕がこうした事を行なう人をば,証言する者も,答弁する者も,また万軍の〔エホバ〕にささげ物をする者をも,ヤコブの幕屋から断たれるように」。(マラキ 2:10-12)「他の神に仕える女をめとった」ユダヤ人は決してエホバを喜ばせませんでした。これによって彼らはエホバを汚していました。これよりも先,ソロモンは異邦の女を数多くめとりました。ソロモンが罪を犯したのはその女たちのためでした。ネヘミヤの時代に異教徒の女をめとったユダヤ人に対して,ネヘミヤはソロモンを悪例としてあげました。(ネヘミヤ 13:25-27)それゆえ今日のクリスチャンは,不信者との結婚が全能の神に決して喜ばれないことを理解しています。
6 ご自身のしもべの結婚に関してエホバの変らぬ原則はなんですか。
6 時の経過によって,結婚に関するエホバの定めが変わったわけではありません。使徒パウロはコリント人に宛てて書きました,「不信者と,つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか」。(コリント後 6:14,15)変わることのない神エホバに従いなさい。結婚に関してエホバのみ旨に逆らい,不信者とつり合わないくびきを共にして,霊の思いと命そのものとを危険にしてはなりません。―マラキ 3:6。
7 (イ)ものみの塔協会やクリスチャン会衆は献身したクリスチャンと不信者との結婚を支持していますか。(ロ)個々の結婚式に御国会館を使うかどうかはだれが決めるべきですか。
7 ついでながら,献身したクリスチャンと不信者との結婚式がエホバの証人の御国会館で行なわれることがあっても,前述の事から理解される通り,ものみの塔協会やクリスチャン会衆がその種の結婚を弁護していると見るのは誤まりです。当然の事ながら,個々の結婚式に会衆の御国会館を使うかどうかの決定は会衆の委員にゆだねられています。
つり合わないくびきを避ける
8 クリスチャンは不信者と感情的な関係になることを避けるため,学校での活動にどのように注意しますか。職場ではどうですか。
8 クリスチャンとして「主にある者」とのみ結婚すべきことは容易に理解するでしょう。しかし学校の活動,世俗の職場などは,献身した独身のクリスチャンが不信者の異性と接する機会になるでしょう。こうした点をどう考慮すべきですか。学校に行くことは必要ですが,クリスチャンの学生にとって学校の課外活動に参加することは必ずしも必要でありません。学校で行なわれるダンスパーティーその他の行事にいつも参加するなら,クリスチャンが不信者と必要以上に接することになるでしょう。同様に,人は世俗的な人々と同じ職場で働かねばならないかも知れません。しかしこれは円熟したクリスチャンが職場のパーティーに加わり,不信者と感情を共にし,不道徳な行為に走る危険をさえおかさねばならないという意味ではありません。こうした事柄を避けるため交際に気をつけねばなりません。しっかりと心を固めなさい。正しい事をしようとのあなたの決意をエホバが必ずささえられるでしょう。―コリント前 15:33。
9 つり合わない結婚のくびきを避けるため,なにが必要ですか。
9 エホバへの熱心な祈りも欠かしてはなりません。不信者との交際や,求愛を避けることは容易でないかも知れません。しかしエホバが私たちを助けられます。使徒ペテロは書きました,「あなたがたは,神の力強い御手の下に,自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから,自分の思いわずらいを,いっさい神にゆだねるがよい」。(ペテロ前 5:6,7)詩篇記者はすゝめました,「あなたの荷を〔エホバ〕にゆだねよ。主はあなたをさゝえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない」。(詩 55:22,〔文語〕)さらに次の言葉もあります,「日々にわれらの荷を負われる〔エホバ〕はほむべきかな。神はわれらの救である」。(詩 68:19,〔新世〕)苦境にあっても祈りのうちにエホバに固く従うなら,つり合わない結婚のくびきを避けることができるでしょう。
10 つり合わないくびきを避けるため,祈りの他になにをすべきですか。それにはどんな結果がありますか。
10 祈りに加えて自制心を働かせなさい。自制はクリスチャンが祈り求めるべき御霊の実の一つです。自分をエホバの御霊の働きにゆだねるなら,自制心をつちかうことができます。すでに不信者に熱中している方があるかも知れません。しかし,その人との交際を絶つことは可能です。そのためには自分の計画や活動に変更を加えることが必要でしょう。これは賢明な進路です。こうしてつり合わないくびきを避け,エホバの是認を守れるのです。また現代社会の道徳のききんについても考えねばなりません。たやすくないとは言え,あなたの賢明な行動が道徳上の清さを守る結果になる場合もあるのです!(箴言 5:3-14)それでは,神の助けを得つつ時を待ちなさい! 神に献身した人との結婚が可能となるまで待ちなさい。そうです,エホバを愛する人と結婚できるようになるまで待ちなさい。その時,悲しみもなく,霊的な面でもむずかしさのない結婚があなたを幸福にするでしょう。
11 聖書の勉強にある程度の関心を示している人の場合でも,どんな賢明な道を取るべきですか。
11 しかし聖書の研究に多少の関心を示している人の場合はどうですか。この場合でも,結婚を急ぐことは賢明でありません。ここでもあせらずに待ちなさい! 止まりなさい,見なさい,聞きなさい! 止まって,結婚の重大さを考えなさい。熱中して曇りのかかった目によらず,客観的に人を見なさい。その話すところを聞きなさい。その人は本当に正義と謙遜を求めていますか。(ゼパニヤ 2:2,3)彼は,あるいは彼女はエホバを賛美する言葉を心から語っていますか。その者はエホバに献身し,水の浸礼でそれを表わしていますか。クリスチャンとしての円熟に向かって進歩のしるしが見えますか。彼は専心的にエホバに仕えていますか。宣教に参加し,クリスチャンの結婚をするための聖書的な資格をそなえていますか。時がこれらを明らかにするでしょう。新たに関心をいだいた人について知るには時間がかかります。その者が献身し,浸礼を受け,神に対する献身の誓いを忠実に果たそうとし,かつ霊的な資格をそなえたのちに結婚の相手として考え始めても少しも遅くありません。
いつ結婚するか
12 (イ)女子として,結婚を望むならなにをすべきですか。(ロ)結婚する男子にはなにが求められますか。
12 ところであなたはどんな立場にありますか。結婚のそなえをしていますか。もし結婚を望むなら,自分自身の結婚の資格をまず考えねばなりません。婦人として,自分の価値を高める決意をしていなさい。昔の王レムエルは賢い婦人を評価してこう言いました。「だれか賢い妻を見つけることができるか,彼女は宝石よりもすぐれて尊い」。(箴言 31:10)それによって婦人は真に価値あるもの,その愛する夫がいつくしむものとなるでしょう。霊の思いを深めるクリスチャン婦人はこうなるのです。それでは男子についてはどうですか。男子は円熟しており,思いやり深く,自分と同じように自分の妻を愛することができなければなりません。(エペソ 5:33)男子に課せられる責任は多くあります。しかし,クリスチャンとしての円熟さと霊の思いとがあるならば,愛する人にどんなによく見えるか考えてごらんなさい。ソロモンの雅歌に出てくる美しいシュラミの娘を思い出されますか。彼女にとって,恋人の羊飼には男子の良さのすべてがありました。彼女は言いました,「わが愛する者の若人たちの中にあるのは,林の木の中にりんごの木があるようです」。(雅歌 2:3)クリスチャンの男子として,このように見られる資質をそなえていますか。
13 (イ)イサクとリベカの例から何を学べますか。(ロ)結婚をのばす場合になにをすべきですか。
13 しかし人はいつごろ結婚のための資格を持つようになりますか。これは人によって異なりますが,成年に達してからであることは確かです。聖書時代には早婚の例もいくつかありますが,多くは成人してから結婚しました。イサクの例を考えてごらんなさい。イサクは円熟したひととなりを得てからリベカを妻に迎えました。イサクはリベカを愛しました。聖書はそのことをしるしています。(創世 24:62-67)イサクはリベカだけ愛したのではありません。今日の若者の中にはしばらく異性に熱中し,やがて心を変える者があります。性の魅力と愛情とを混同してはなりません。若年であるなら,クリスチャン奉仕者としての歩みがしっかり固まるまで,どうして結婚をのばさないのですか。自分に自信を持ち,自分の心をさらに分析できるまで待ちなさい。イサクが結婚したのは40歳の時でした。(創世 25:20)妻となった時のリベカが少女でなかった事も忘れないで下さい。彼女は,子供でなく,「若い女」また「処女」と呼ばれています。(創世 24:16,新世)結婚をしばらくのばしても,失うことにはなりません。むしろ益になるのです。当座の間は感情の面でも,霊の面でも円熟を目ざして努力すべきです。
14 (イ)早い結婚はなぜ望ましくないのですか。(ロ)若い独身者にはどんな機会がありますか。
14 若いクリスチャンたち,今は「あなたの造り主を覚え」るべき時です。(伝道 12:1)それゆえ,今日の若者全般を見習う必要はありません。彼らは世間的な事柄に心を奪われ,形の良い自動車や収入の良い仕事だけを求めているのです。彼らは早くから「デイト」し,まだ若いうちに結婚します。まだ少年に過ぎない者がそなえもないのに重荷を背負おうとしているのです。年若い少女でありながら母親となる者もあります。結婚の責任から解放された若い時代の自由をあるいは独身者の生活を真に味わわない者が多くいます。若者がまじめな心の大人となるためには実際に数年もかかります。今,若い人には,すでに結婚している人々を見守る機会があります。こうして貴重な教育を無料で受けられるのです。それによって大人の生活にどんな重荷があり,それをどのようにになったらよいかをある程度知るでしょう。若い時代は,御国の事柄を追い求め,それを最大事として生活を豊かにし,将来にそなえて良い基礎を築くべき期間です。(マタイ 6:33)若い時代と成年時代の初めには,重荷がすくなく,妨げるもののすくない独身生活を楽しむことができるのです。これは橋渡しの期間です。無理せずに渡ることが必要です。少しずつ渡りなさい。あなたの生活は次第に幸福になり,次第に充実し,次第に報いあるものとなるでしょう。
独身者に広がる奉仕の機会
15 独身のクリスチャンには神に仕える機会が大きいことを説明しなさい。
15 独身のクリスチャンは神に奉仕する機会に恵まれています。たとえば,既婚者であればものみの塔協会のベテル・ホームで奉仕できないことがありますが,独身者であればその機会に恵まれることがあるでしょう。しかし,独身に伴う特権という観点からのみ問題を見るべきではありません。独身であれば身の苦難を招かずにすみます。使徒パウロは書きました。「童貞の人が結婚しても,その人は罪を犯したのではない。しかし結婚する者はその身に苦しみを受けるであろう」。(コリント前 7:28,新世)例をあげて説明しましょう。家族のだれかが病気をするなら,既婚者の気づかいと責任と出費とは大きくなります。独身であれば,配偶者や子供に関してその種のわずらいがありません。
16 (イ)コリント前書 7章32-35節のパウロの言葉に従って,独身のクリスチャンと結婚したクリスチャンの立場を比べなさい。(ロ)エホバに献身したクリスチャンが結婚をのばすなら,今どんな恵みを受けますか。
16 それゆえ,適切にもパウロはこう述べました。「わたしはあなたがたが,思い煩わないようにしていてほしい。未婚の男子は主のことに心をくばって,どうかして主を喜ばせようとするが,結婚している男子はこの世のことに心をくばって,どうかして妻を喜ばせようとして,その心が分かれるのである。未婚の婦人とおとめとは,主のことに心をくばって,身も魂もきよくなろうとするが,結婚した婦人はこの世のことに心をくばって,どうかして夫を喜ばせようとする。わたしがこう言うのは,あなたがたの利益になると思うからであって,あなたがたを束縛するためではない。そうではなく,正しい生活を送って,余念なく主に奉仕させたいからである」。(コリント前 7:32-35)それゆえ,エホバに献身した若い独身の男子また女子として,結婚をのばすことができますか。そうするなら,この終わりの時代にあって結婚に伴うわずらいから解放された生活を楽しむことができます。そして,気をそらされることなくエホバに仕え,妨げられることなく自由に行動できます。これは宣教の面で恵まれた機会となります。その機会を活用しなさい!
17 パウロがコリント前書 7章36節で述べた事の中に非常に若い人が含まれていたと言えますか。なぜ?
17 しかしパウロは言葉を続けて述べました。「しかし人が自分の童貞に対して正しく振舞っていないと思い,若い盛りも過ぎ,またそれが当然の成りゆきならば,望む通りにするがよい。それは罪を犯すことではない。二人は結婚するがよい」。(コリント前 7:36,新世)たんなる若者が,また若い成人でさえ,「若い盛りも過ぎ」たと言えないことは明らかです。それゆえ,若いクリスチャンは,性急に事を進めて早い結婚をするより,使徒パウロの次の言葉の意味を考えるほうが賢明です。「未婚者たちとやもめたちとに言うが,わたしのように,ひとりでおれば,それがいちばんよい」。(コリント前 7:8)使徒は必要な場合として結婚を考慮していますが,非常に若い人々を考えに入れていないことは明らかです。―コリント前 7:9。
18 独身はどんな人々のものですか。どんな理由である人はそれを選びますか。
18 しかし,独身は一切を犠牲にして守るべきものではありません。独身のクリスチャンはエホバの栄光のために清潔で,正しく,道徳的な生活をしなければなりません。(コリント前 10:31)独身は「心に思い定め,必要を感」じない人,「自分の意志を制することができて童貞を守ることを心に決めた」人のものです。(コリント前 7:37)これは異性に全く関心がない人という意味ではありません。そうではなく,この人は必要を感じず,自制心のゆえに自分の思いを制御することができるのです。この人は「童貞を守ることを心に決め」ています。その人は,当座は独身でいようと決意しています。えん人となっている人もあります。それは身体的に手を加えられたためではなく,「天国のために自ら」なったのです。(マタイ 19:12)そうした人々は,恐らくは若い時代は独身生活を選びます。それは,当座は,気をそらされるものを減らして御国の事を追い求めるためです。
19 独身の賜物をどのようにつちかうことができますか。他の人々はどのようにそれを助けますか。
19 独身の賜物を持っている人があります。これはつちかうべきものです。これを守るために,堕落した肉の思いに従ってはなりません。結婚は正常な成人すべてが自然に願うものですから,独身の生活は時に寂しく,試練にさえなることもあります。それゆえ,独身者なら,生活の小さなすきをも神のことばとクリスチャン文書の勉強で満たしなさい。肉の思いではなく,霊の事柄と奉仕者としての生涯の仕事に心をとめ,「いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」。(コリント前 15:58)習慣に注意し,平衡の取れた生活を発展させなさい。徳を高める事柄を考え,「身を慎んで,努めて祈りなさい」。(ピリピ 4:8。ペテロ前 4:7)厚くエホバに頼りなさい。(イザヤ 40:28-31。ピリピ 4:13)両親,クリスチャン会衆のしもべたち,また共にエホバを賛美する人々など,他からの助けも得られます。これらの人々は神の国のために独身の生活をしている人すべてを励まそうとしています。もとより,独身でいようと思うなら,他の人々がしている事ばかりを考えてはなりません。自分を捨て,キリストの足跡に固く従わねばなりません。(ヘブル 12:1-3)ついでながら,イエス・キリストは独身のクリスチャン奉仕者としてすぐれた手本を残されました。イエス自身は結婚されませんでした。
20 どんな理由から今日独身を守る人が多くいますか。その人々にはどんな特権がありますか。そうした人々の大多数は決して結婚しないのですか。
20 今はエホバに仕えるのになんと喜ばしい時ではありませんか! 神の国は支配しています! 現存する事物の制度の終わりは私たちの世代のうちに起こります! 「時は縮まっている」。(コリント前 7:29)宣教の畑は広く,収穫の仕事は多大です。(マタイ 9:37,38)今,永遠の福音を伝道するため,「若い男子,若い女子」,そして他の人々によって多くの仕事がなされねばなりません。(詩 148:12,13)このような理由から,今日,幸にも独身を守る人々が多くいます。そのある者は開拓者として,また外国宣教者として全時間宣教奉仕にはいります。さらにある者はベテルホームで奉仕する特権を得ています。いえ,これらの人々は独身の誓いを求められているのではありません。(テモテ前 4:1-3)いつか,これらの人々の大多数も結婚するでしょう。それでは,あなたは何を考えておられますか。独身の若い男子,また若い女子として,あなたも結婚を延ばし,今,伝道の仕事にいっそうあずかることができますか。これは,決して結婚しないという意味ではありません。ただ,年が長ずるまで待つのです。もとより,老若にかかわりなく,独身にとどまれるなら,とどまりなさい。献身したクリスチャン奉仕者で,結婚をのばした人は失ったのではありません。その人々はエホバの賜物を豊かに受けました。この終わりの時にあって,あなたもそうした人の一人となり,天の父の賛美のために奉仕を増し加え,満ち足りた報いを受けられるかも知れません。―マラキ 3:10。テモテ後 3:1-5。
21 結婚するなら,どんな道を取るべきですか。結婚していてもしていなくてもクリスチャンはどんな決意を持つべきですか。
21 エホバが初めの女を造り,男アダムのもとに来させて人間の結婚を創始されてから,すでに多年がたちました。数多くの人々が自分の相手を選び,ある者は良い結果を得,他の者は苦い結果を知りました。あなたが,現代のクリスチャンとして,結婚を意図されるなら,「主にある者」と結婚しなさい。(コリント前 7:39)これは神の是認を得るでしょう。他方,おそらくは年若い男女として,また若い成人として,当座は独身を選ばれますか。あなたの前には多くの時間があり,神に忠実であるなら永遠の前途もあるのです。あなたは結婚にともなう責任を持たずに,設立された神の国の福音を述べ伝える仕事のために,自らをいっそうささげることができるのです。(マタイ 24:14)しかし,あなたの決定がどうあっても,独身であると既婚であるとを問わず,忠実なクリスチャンとして力をつくして神と共に歩みなさい。そして,エホバの恵みを自分のものとしなさい。―イザヤ 30:21。ミカ 6:8。
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子供時代―青年時代―責任を果たせる成人時代