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覚えていますかものみの塔 1973 | 12月1日
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このことは,その「大患難」を生き残った人びとが人間としての完全な状態に達した,イエスの千年統治の終わりに生じる。イエスの犠牲の血によって彼らを清めるイエスの祭司としての奉仕がもはや必要でないという意味において,イエスは彼らに対して死ぬ。―503ページ。
● エホバの証人はなぜ,たばこを常用している人にバプテスマを施さないでしょうか。
たばこはからだを汚し,健康に有害である; それゆえ,たばこの使用は命の与え主,エホバ神に対する不敬の念を表わす。またそれは,『肉と霊のあらゆる汚れから自分を清めよ』という,クリスチャンに対する聖書の戒めに反する。さらに,たばこには惑溺性の麻薬,ニコチンが含まれている。ゆえにたばこは,「麻薬の使用」を意味するギリシャ語ファーマキアの語源を供するものになったのと同様の,惑溺性のある麻薬の部類に入る。自分自身がそのような麻薬を使用しているか,あるいはそうした習慣にふけるように他の人びとに勧めているかどうかにかかわりなく,「麻薬使用者たち」は神の是認を得ないことを聖書は明確に示している。(ガラテヤ 5:20。黙示 9:21。コリント後 7:1)―531,532ページ。
● わたしたちはどのようにして,『エホバの日の臨在をしっかりと思いに留める』ことができますか。―ペテロ後 3:12,新。
エホバの裁きの日がごく間近に迫まっているかのように日々生活することによってそうすることができる。その日を遠い将来のこととみなし利己的な事がらを追求する時間は十分あるから,それをしてから回心してエホバの怒りの日の滅びを免れるようにする時間はあると考えるようなことはしない。―554ページ。
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読者からの質問ものみの塔 1973 | 12月1日
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読者からの質問
● ユダが,聖書に述べられているように,自分で遊女と考えた女と性関係をもったことは,悪いことではなかったのですか。―アメリカの一読者より
現実には,ユダは遊女と関係を持ったのではなく,期せずして自分のむすこシラの代わりに逆縁結婚をし,正当な子孫をもうけたのです。その背景を考えてみましょう。
2番目のむすこオナンが神の裁きを受けて死んだあと,ユダは嫁のタマルを,3番目のむすこシラが彼女と結婚できるほど成長するまでと言って,その父の家にもどしました。しかし,シラが成人したあともユダはシラをタマルと結婚させませんでした。そこでユダが妻を亡くしたとき,タマルは遊女にふん装して,ユダが通る道にすわっていました。それをユダは自分の嫁と気づかず,遊女と考えて,彼女と関係を持ちました。―創世 38:11-18。
タマルは3番目のむすこシラと逆縁結婚をすることになっていたので,ユダはタマルが妊娠していることを知ったとき,売春のかどで彼女に死を言い渡しました。しかし,ユダ自身が知らずに彼女を妊娠させたことがわかったとき,ユダは言いました。『彼は我よりも正し [なぜですか] われ彼をわが子シラにあたえざりしによりてなり』。ユダはその時結婚していませんでした。彼はやもめでした。ですから自分の妻に対し罪を犯してはいませんでした。そしてユダが独身の遊女と感ちがいをした,ふん装していたタマルは,結婚の神聖なきずなのもとにはありませんでした。遊女と考えていた女を見いだせなかったとき,ユダは,そのような遊女がそのあたりにいることが知られていないのに,神殿売娼婦と関係を持ったなどと言えば恥をかくかもしれない,ということに気づきました。―創世 38:20-26。
タマルについていえば,彼女が行なったことは姦淫ではありませんでした。彼女のふた子のむすこは,恥ずべき罪の子,姦淫の子,とは考えられてはいませんでした。というのは,ベツレヘムのボアズが逆縁結婚をしてモアブの女ルツをめとった時,ベツレヘムの長老たちはボアズにこう言ったからです。『ねがわくはエホバがこの若き婦よりして汝にたまわんところの子によりて汝の家かのタマルがユダに生みたるペレズの家のごとくなるにいたれ』。(ルツ 4:11,12)ですからペレズはイエス・キリストの品位ある先祖に連らなっています。(マタイ 1:1-3。ルカ 3:23-33)ペレズの母親タマルは,性的欲望のために若い男性を求めたのではなかった点で,ルツと同じでした。―ルツ 3:10。
ユダの場合は,遊女と関係していると考えていました。この点,彼の行ないは正しくありませんでした。というのは,人間に対する神の最初の目的は,人間がその妻と性関係を持つことであって,遊女で地を汚すことではなかったからです。それでもユダは,神の特定の律法の命ずるところに違反したという意味においては,罪を犯しませんでした。なぜなら,モーセの律法はずっと後になって与えられたものだったからです。―創世 2:24。レビ記 19章29節と比較してください。
ユダとタマルに関する話は,聖書の内容をおもしろくするために載せられているのではありません。約束のキリストすなわちメシヤであるイエスに至るまでの人間の家系が,どのようにして保たれたかを示す歴史的叙述の重要な部分なのです。
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