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多くの人がもはや僧職を望まないのはなぜか目ざめよ! 1972 | 2月22日
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伝達するものであることを提唱したのである。この見解は最初,カトリック教徒の間に驚がくと怒りを引き起こし,教会当局からは消極的な反応をさえ招いたが,ついには教会に認められ,教会の公式の見解となった」。
カトリック教会が,みずから聖書に反するものとして公に認める事柄を教え,今や,聖書は誤りに満ちているという考えをさえ受け入れる点で行なってきたことからすれば,カトリック教会が危機に見舞われているのは驚くべきことでしょうか。もしカトリック教会が聖書の教えに従い,すべての面で聖書の規準に一貫してつき従っていたなら,こんなことにはならなかったのではないでしょうか。もし教会がそうしていたのであれば,司祭に対する強制的な童貞制など問題にさえならなかったでしょう。なぜなら,聖書はそのような考えを支持してはいないからです。
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『祝福された武器』目ざめよ! 1972 | 2月22日
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『祝福された武器』
● ワールド・ブック百科事典,第1巻682ページによれば,中世の時代には,人が騎士の誓いを立てる場合,その前に当人のよろいや武器は司祭によって『祝福された』。「なんぢの剣をもとに収めよ,すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり」といわれたイエスとはなんと異なっていたのであろう。―マタイ 26:52。
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赤ちゃんが死ぬのはなぜか目ざめよ! 1972 | 2月22日
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「あなたのみことばは真理です」
赤ちゃんが死ぬのはなぜか
子どもの死は,それが何歳の子どもであっても親にとっては悲痛な打撃です。生まれてまもない子どもの生命が突如終わりを告げるとき,幾か月もの妊娠,出産の苦しみ,生後何日か何週間か何か月かの間その子につくした優しい世話はすべてがむなしく,徒労に終わったかのように感じられます。ですから,子どもを失った親が,「どうしてこんなことが起きるのだろう」と嘆くのも当然です。
子どもを失った親は多くの場合,赤ちゃんが年長の人たちと同様の原因でつまり病気や事故,もしかすると先天性の欠陥,あるいは貧困の場合の栄養不良などで死ぬことがあると説明されても納得できません。赤ちゃんには少しも罪がないように思えるため,神がなんらかの方法で赤ちゃんにそうした死因を免れさせてやるべきではなかろうかと考える親は大ぜいいます。こうしたむずかしい問題に聖書はなんと答えていますか。
神のみことばは死の根元的な理由を指摘してこう述べます。「一人の人[アダム]によりて罪は世に入り,また罪によりて死は世に入り,凡ての人,罪を犯しし故に死は凡ての人に及べり」。(ロマ 5:12)それにしても生まれたばかりの赤ちゃんや乳幼児が,死をもたらすそうした罪を宿しているのでしょうか。聖書によれば,宿しているのです。どうしてですか。受け継いでいるのです。霊感を受けた詩篇作者が言い表わしたとおりです。「視よわれ邪曲のなかにうまれ 罪にありてわが母われをはらみたりき」。(詩 51:5)このことが問題をどのように解くかを考えてみましょう。
創世記の歴史上の記述は,最初の人間アダムが神の律法にあえてそむいたことを示しています。人類の最初の親がその創造者との良い関係を切り断たれた結果,罪・心配・不安・恥辱などの意識がもたらされました。(創世 3:1-13)それは必然的に最初の人間の体組織に有害な影響を及ぼしました。人体は悪行に対するなんらかの「生来の耐容性」をもつものとして作られてはいなかったからです。周知のとおり,有害な感情は人体の化学作用に悪影響を及ぼします。最初の男女についても同じことで,生殖に関係のあるふたり
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