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書き込みのいきさつ ― ヨハネ第一 5:7,8ものみの塔 1964 | 7月15日
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それゆえ,1848年にJ・スコット・ポーター教授の述べた言葉は文字どうり実現しました。同教授はヨハネ第一書 5章7,8節に関する自分の見解をまとめたのち,「一般配布用の聖書を出版する人々が,広く知られた書き込みの言葉を聖書の一部としたことを恥とするような時がまもなく来るだろう」と書きました。9 近年,コデックス・シナイティカスなどの古写本が発見されて,問題の一節を霊感による神の言葉の一部とすべきでないことをいよいよ明らかにしました。
この記事の要約として,世に知られた原典批評学者F・H・A・スクリブナーの言葉をここに引用しましょう。「長年の論議を呼んだ問題の語句に対する我々の確信を表明するのになんのためらいも必要ない。これは聖ヨハネによって書かれたものではない。はじめ第8節の正統的で敬虔な解釈として欄外にあったものが,ラテン語原本の本文に書き移された。ラテン語原本から後期のギリシャ語写本2,3に移り,次いで印刷されたギリシャ語原本にもはいった。しかしそこは,本来その語句がはいるべきところではない」。10
こうして,「ヨハネの一節」の由来をふり返り,私たちが今日手にする聖書の正確さをあかす豊富な証拠を検討するなら,神の言葉に対する私たちの信仰がおのずと高まるのを覚えます。
参考文献
1 B・F・ウエストコット著「ヨハネの書簡」(The Epistles of John)第4版,1902年,202頁。
2 「N・ラルドネルの作品」(The Works of N. Lardner)3巻,68頁。
3 Corpus Scriptorum Ecclesiasticorum Latinorum,18巻,1889年,G・シェープス著,6頁。
4 O・T・ドビン著「ザ・コデックス・モンティフォーティアナス」,校合,1854年,9頁。
5 T・エムリン著「ヨハネ第一書 5章7節の正当性に関する十分な調査」(A Full Inquiry into the Original Authority of the Text,1 John 5:7)第2版,1717年,72頁。
6 「希英新約聖書」(The New Testament in Greek and English)1729年,第2巻,934頁。
7 E・ギボン著「ローマ帝国衰亡史」(The Decline and Fall of the Roman Empire)37章,チャンドス版,第2巻,526頁。
8 「ウエストミンスター訳聖書」(The Westminster Version of the Sacred Scriptures)第4巻,146頁。
9 J・スコット・ポーター著「原典批評の原則」(Principles of Textual Criticism)1848年,510頁。
10 F・H・A・スクリプナー著「新約聖書原典批評入門」(A Plain Introduction to the Criticism of the New Testament)第4版,1894年,第2巻,407頁。
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読者よりの質問ものみの塔 1964 | 7月15日
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読者よりの質問
● 反逆したのちのアダムは,どんな方法で,神が「見よ,人はわれわれのひとりのようになり,善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ,命の木からも取って食べ,永久に生きるかも知れない」(創世 3:22)と言われたことを知りましたか。―アメリカの一読者より
この聖句は,エホバ神が,アダムに聞こえぬよう,この言葉を自分ご自身に語ったとは述べていません。むしろ,アダムがこれを聞き,なぜ喜びの楽園から放逐されるのかを知るよう,声を出して言われたものと思われます。この言葉を告げたエホバ神は,アダムもその妻エバもそれまで知らなかった事柄を語って,アダムの心を驚かせました。すなわち,園の中央に「命の木」があり,特権を得てその木の実を食べる者は,楽園における永遠の命にふさわしい者に成るということでした。
これに先行する記述の中に,アダムかエバのいずれかが,エデンの園の中央にある「命の木」について知っていたことを示すものはありません。エバは,ヘビと話した時,園にある木について語りましたが,自分と夫に禁じられていた「善悪を知る木」をのぞいては,他のすべてを同等に扱い,『園の中央の命の木』についてはなにも言いませんでした。この木のことは創世記 2章9節に出ています。
神は,この木の実を食べることをすみやかに妨げるため,二人を園から放逐されました。「エホバ神彼をエデンの園よりいだしその取て造られたるところの土を耕さしめたまへりかく神その人をおひいだし」。(創世 3:23,24,文語)神は,二人をおい出されるにあたり,言葉をもってなんらかの事を語り,それによって「出よ」との命令を与えられたに違いありません。それゆえ,アダムが「命の木」について学び,「人はわれわれのひとりのようになり,善悪を知るものとなった」という神の言葉を知ったのは,アダム自身が直接にその神の言葉を耳で聞いたことによるのであり,エホバ自身が心の中で言われた事が,あとから霊感によってアダムに啓示されたのではないと考えられます。こうしてアダムは,自分の記した第2の文書の中で,「園の中央にある命の木」について説明することができました。
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