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神が話すとき耳を傾けますかものみの塔 1962 | 1月15日
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しなければなりません。そういうことが起こり得ることを示す一つの例を聖書は記録しています。アダムの長男カインは,神が弟アベルをめぐまれたのでしっとを感じました。彼の心は不満でくすぶっていたので,心に憎しみが湧き上がってきました。神はカインに平和を語り,彼が行いをあらためて良い事をするように励まされました。「ヱホバカインに言たまひけるは汝何ぞ怒るや何ぞ面をふするや汝もし善を行はば挙ることをえざらんやもし善を行はずば罪門口に伏す彼は汝を慕ひ汝は彼を治めん」。カインが心をかたくなにして神に聞くことをこばんだのは,個人的な感情が原因でした。彼は家族の者にかおが立たなくなりました。そして,それをみなアベルのせいにしたので,行いを改めて弟に見習うように神が言われた時に反抗しました。神が語られた時反抗した結果として,カインは,最初の殺人をするに至り,さすらい人として追放されてしまいました。―創世 4:6,7。
私たちは,カインのように,心をかたくなにして,神が語られる時に耳をそむけるようなことをしたいとは決して思いません。私たちは古代のイスラエルのようになりたくありません。彼らは,「その耳を傾けず己の悪しき心のはかりごととかたくななることにしたがひてあゆみ」ました。ところが,そうなるのはいとも容易なことであり,ほとんど気づかないこともあるのです。あるクリスチャンの兄弟か姉妹が,あなたの感情を害したために,あるいは自分が受けるべきだと思われる特権を受けたりすいせんされたりしたために,その人に対して恨みを抱きますか。そのようなしっと心がもとで,「平和を求めて,これを追え」という神の教えから耳をそむけますか。―エレミヤ 7:24。ペテロ前 3:11,新口。
神の僕のひとりが,神の御言葉を用いて,あなたが正しくない見方をもっていること,あるいはわがままであることを指摘したことがあるかも知れません。あなたはその時,神が僕を通して話されたのに耳を傾けましたか。また,神の御言葉によって矯正されるのをうれしく思いましたか。それともカインのように,憤りをいだいて耳をそむけましたか。神がお話しになる時耳を傾けて聞き,それに従うことは,必ずしもやさしいことではありません。しかし,そうすることはエホバの心をよろこばす賢明な行いであり,神の制度はそれによって平和が保たれます。
ある人々は選り聞きをします。神があることを話される時は聞きますが,他のことを話される時には聞きません。しかし使徒はこう言っています。「聖書は,すべて神の霊感を受けて書かれたのであって…有益である。それによって,神の人が,あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて,完全にととのえられた者になるのである」。この言葉は,創世記から黙示録まで,聖書全体を読むべきことを暗示してはいないでしょうか。まったく神は,記録された御言葉のあらゆる本,章,節の中で話しておられます。私たちは「神のみ旨をあますところなく」聞くことを望むべきです。愛する者から,あるいは恋人から手紙を受け取ったら,それを読む時間をつくって,相手の言っているひとことひとことに深い関心をもって聞き入りはしないでしょうか。神の御言葉を読む習慣をつくって,エホバに対するそのような愛をつちかって下さい。そうすれば,すわって天の父があなたに話しかけられるのを聞く時を心から待ち望むようになるでしょう。―テモテ後 3:16,17。使行 20:27,新口。
神はいま,あらゆる人々で形成されているご自身の民に平和を語っておられます。彼らはそれに答え応じて,剣をすきに打ちかえ,おだやかで平和な性質を身につけました。神が語られる時に耳を傾けて,神の民に仲間入りして下さい。それから,神の命令に従って平和のよきおとづれを他の人々に伝えて下さい。
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伝統にともなう危険ものみの塔 1962 | 1月15日
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伝統にともなう危険
「誤った判断を避けるために,不完全であやふやな,あるいは腐敗した伝統に従うことは,一つの危険と他の危険を交換することにほかならない」。―ダブリンの大司教,リチャード・ホワットリー。
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