聖書理解の助け ― こじき,物ごい
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
こじき,物ごい。「こう」とは単に哀願するとか願い求めるという意味ですが,ここでは主として習慣的に公衆の施しを求めるという意味での物ごいについて述べます。
聖書はノアの時代の全地球的洪水の前後に族長制社会の存在したことを示していますが,そのような族長制の下では,人が他から孤立し,ひどく困窮して公衆の慈善に頼らねばならないといったことは大いに防止されていたことでしょう。それは貧民階級の生じにくい環境でした。古い時代から,旅人や見知らぬ人々に対するもてなしは惜しみなく実行されていたようです。そのようなもてなしの態度は聖書の記述の中に表われており,それに反するような例はむしろわずかです。(創世 19:1-3。出エジプト 2:18-20。士師 19:15-21)都市の発達は族長社会の機構を弱め,これが,人のもてなしや慈善に過度につけいる利己的な傾向とも相まって,人々の間に物ごいの習俗を生じさせたのでしょう。
こじきもしくは物もらいはオリエントの諸地方ではかなり古い時代から存在したようです。この点から見てひときわ注目に値するのは,イスラエル国民の成立からバビロンへの流刑に至るその歴史において,何らかのこじきが存在したとか,それが,問題をかもしたというような記述がヘブライ語聖書の中に見あたらないことです。エジプトから出,その地における奴隷状態から脱出する際イスラエル人は「エジプト人に銀の品,金の品,マントを請い求め[ヘブライ語動詞『シャーアル』の一形]……エジプト人からはぎ取った」(出エジプト 12:35,36,新)と記されていますが,これは神の命令および預言に添うことでしたし,長年にわたる奴隷労働とエジプト人の手で加えられた多くの不当な仕打ちに対する当然の補償とみなすことができたのでしょう。(出エジプト 3:21,22。申命 15:12-15参照)それは物ごいの前例とすべきものではありませんでした。
モーセの律法は貧しい人々を保護するための強制的な法規定を含んでいました。それは,遵守されるならば,こじきの出るような原因を全く除き去るものでした。(レビ 19:9,10。申命 15:7-10; 24:19-21)ヘブライ語聖書は,義の道をしっかり守る人々に対する神からの配慮に強い信頼を表明しています。ダビデもその老年にこう述べました。「わたしは……義なる者が全く捨てられるのも,その子孫がパンを捜し求める[『こい求める』,欽定訳。ヘブライ語『バーカシュ』の一形]のも見たことがない」。むしろ,そのような義の人々は自分の寛大な手を広げて他の者を助けようとさえしています。(詩 37:25,26,新。哀歌 1:11; 4:4に記される背教したエルサレムの経験と比べなさい。)一方,箴言(20:4,新)は,怠惰な人が「刈り入れ時に物ごいする」さまを描き,詩篇作者(109:10,新)は邪悪な者に対する処罰について述べ,それは「その子らをさまよい行かせた」ためであるとしています。「彼らは物ごいせざるを得ず,その荒れすさんだ場所から食物を捜し求めなければ」なりません。上記の二つの聖句にある「物ごい」という言葉はヘブライ語「シャーアル」の訳で,この語は,基本的には,単に請うとか願い求めるという意味です。(出エジプト 3:22〔新〕のように)しかし,これらの二つの句の場合,そこで言う請い求める行為は,しきりに,そして恐らくは公衆に対してなされるもので,こじきのような物ごいを指しています。
ユダヤ人が流刑から帰還して(西暦前537年)からイエスが地上に登場するまでの間のことと思えますが,「施し」もしくは慈善的な贈り物の行為そのものが救いのための功となるという考えがユダヤ人の間に広まったようです。そのことは,外典の一つである「集会の書」(3:30)(西暦前二世紀ごろに書かれたものと思われる)に含まれる,「施しは罪を贖う」という文句にも示されています。このような考え方は物ごいを助長したに違いありません。(イエスがマタイ 6章2節で非とした,人前に言い広めてする施しと比べなさい。)
外国勢力による支配はユダヤの民を圧制下に置き,父祖伝来の土地に対する権利や種々の備えに関するモーセの律法の実施に少なからぬ壊乱を来たらせたことでしょう。これもまた,隣人に対する純粋で原則に根ざした愛(マタイ 23:23。ルカ 10:29-31)を十分に教えなかった,真実でない宗教上の哲学などと共に,パレスチナ地方に物ごい人が増えた理由の一つであったと思われます。クリスチャン・ギリシャ語聖書の中にこの地方のこじきに関する記述が多く見られるのはそのためです。
イエスや使徒たちの時代の記述に出てくるこじきの中には,盲目の人,足なえの人,病気の人などが多くいます。眼炎(中東地方で今でも多い目の病気)がそうした人たちの盲目の一因となっていたかもしれません。(マルコ 10:46-49。ルカ 16:20,22; 18:35-43。ヨハネ 9:1-8。使徒 3:2-10)今日の場合と同じように,それら物ごいをする人々は,公道の端や,神殿など人の往来の激しい場所の近くに身を置く例が多かったようです。施しの行為がもてはやされたのに対し,物ごいをする者たちは見下されました。イエスのたとえ話に出てくる家令が,「物ごいをする[『求める』という意味のギリシャ語『アイテオー』の強調形『エパイテオー』から]のは恥ずかしい」と述べるのはそのためです。―ルカ 16:3。
ギリシャ語「プトーコス」は,ラザロをこじきとして述べたイエスの話を記録する際にルカ(16:20,22)が使用した言葉ですが,これはかがんでぺこぺこする人を表わす言葉で,単に貧しいだけでなく,非常に貧しい極貧の人,全くのこじきを指しています。そして,この同じ用語がマタイ 5章3節で用いられ,「自分の霊的な必要を自覚している人[『霊に対するこじきである人』,1950年版〔英文〕脚注]」(「霊において貧しい人」,欽定訳)を表わしていることは注目に値します。この聖句における「プトーコス」の用法について,ビンセントの「新約聖書の用語研究」はこう注釈しています。「……それはこの場所で非常に生彩に富む適切な表現である。全くの霊的な窮乏を表わしており,それを自覚することが神の王国に入る先行要件で,その当人の努力によってはいやすことができず,ただ神の側の憐れみによってそれはいやされる」。
この同じ語がガラテア 4章9節でも使用されており,パウロはそこで,以前に行なっていた「弱くて貧弱な[『プトーカ』; 字義,こじきのような]基礎の事がらに逆戻り」する人々に対する懸念を言い表わしています。そのような事柄は,キリスト・イエスを通して得られる霊的富と比べれば「貧弱」でした。
イエスや使徒たちはこじきの人たちに親切にしましたが,物ごいの行為を励ましたわけではありません。イエスや使徒たちはまた感謝して人のもてなしを受けましたが,自ら物ごいをしたことはありません。ただパンを受けるため自分に従ってきた人々に対してイエスは,『滅びる食物ではなく,永遠の命へとながく続く食物に』関心を持つべきことを諭しました。(ヨハネ 6:26,27)ペテロは神殿のところにいた足なえのこじきに「銀や金はわたしにないが,わたしにあるもの,それをあなたに与え(る)」と言い,自分が持つ霊的な賜物を用いてその人をいやしました。(使徒 3:6)使徒たちはときに空腹を経験し,衣服や家を持たない場合もありましたが,それでも手ずから労苦し,「だれにも費用の面で重荷を負わせないようにと,夜昼働き」ました。(コリント第一 4:11,12。テサロニケ第一 2:9)クリスチャンの間での規準は,「働こうとしない者は食べてはならない」ということでした。―テサロニケ第二 3:10-12。