聖書理解の助け ― 聖書(その一)
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
聖書(その一)。その古さや,全発行部数,それが翻訳された言語の数,文学的傑作としてのその並はずれた偉大さのゆえに,また,それが全人類にとって圧倒的重要性を有しているゆえに,あらゆる時代を通じて最大の書物として認められている聖典,霊感を受けたエホバの言葉。それは他のどんな書物にも依存してはいないので,他の何物をもまねたり,模倣したりしてはいません。それはそれ自体の真価によって持ちこたえてきたので,その無比の著者に誉れを帰しています。聖書はまた,多数の敵から憎まれながらも,他のどんな書物が直面したものよりも激烈な論争に耐えて来たという点でも著しい書物です。
名称
「バイブル」(聖書)という英語の言葉は,ビブリアというギリシャ語に由来するラテン語から来たものです。そして,このギリシャ語は,古代の紙の材料として使われた植物,パピルスのしんの部分を表わす言葉です。パピルス紙の製造で有名なフェニキアの都市ゲバルは,ギリシャ人の間では「ビブロス」と呼ばれました。やがて,ビブリアという言葉は様々の文書,巻き物,書物,そしてついには聖書を構成している多数の小さな書物を集めたものを表わすようになりました。ヒエロニムスはこの集大成したものをビブリオセカ・ディビーナ,つまり神の図書と呼びました。
イエスやキリスト教の教典の筆者たちは,この聖なる文書を集めたものを指して「聖書」とか「聖なる書」と言いました。(マタイ 21:42。マルコ 14:49。ルカ 24:32。ヨハネ 5:39。使徒 18:24。ローマ 1:2; 15:4。テモテ第二 3:15,16)これは意志の伝達を図られる神の書き記された表現,つまり神の言葉です。このことは「エホバの口から出るもの」(申命 8:3,新),「エホバの言われたこと」(ヨシュア 24:27,新),「エホバの戒め」(エズラ 7:11,新),「エホバの律法」「エホバの諭し」「エホバの命令」(詩 19:7,8,新),「エホバの言葉」(イザヤ 38:4,新),「エホバのことば」(マタイ 4:4。テサロニケ第一 4:15)などの句の中で認められています。この集められた文書は再三,「神の神聖な宣言」とも言われています。―ローマ 3:2。使徒 7:38。ヘブライ 5:12。ペテロ第一 4:11。
区分
聖書の正典は,創世記から啓示の書までの六十六冊の書でできています。これら特定の書が選ばれ,他の多くの書が退けられたことは,聖なる著者がそれらの文書に霊感を与えただけでなく,それらが聖なる目録の中に収集・保存されるのを注意深く見守って来られたことの証拠です。その六十六冊の書のうち,聖書の内容の四分の三を成している三十九冊の書はヘブライ語聖書として知られています。その幾つかの小部分がアラム語で書かれたほかは,すべて初めにヘブライ語で書かれたからです。(エズラ 4:8-6:18; 7:12-26。エレミヤ 10:11。ダニエル 2:4後半-7:28)ユダヤ人はこれらの書の幾つかを一緒にしたので,合計二十二冊もしくは二十四冊の書しかありませんでした。それでも,それらの書には同じ資料が含まれていました。また,経典を『モーセの律法,預言者,詩篇』のように細分するのがユダヤ人の習慣だったようです。(ルカ 24:44)聖書の終わりの四分の一の部分はクリスチャン・ギリシャ語聖書として知られていますが,このように呼ばれているのは,この部分を構成している二十七冊の書がギリシャ語で書かれているからです。これらの書が記され,聖書正典のうちに収集・配列されたこともまた,エホバが初めから終わりまで監督しておられたことを立証しています。
聖書の文を章節に細分すること(欽定訳には1,189章3万1,173節ある)は,最初の筆者によって行なわれた訳ではありませんが,何世紀も後に付け加えられた大変有益な区分法でした。マソラ学者がヘブライ語聖書を節に分け,それから西暦十三世紀になって章の区分が施されました。最後に,1555年,ローベル・エチエンヌ編のラテン語ウルガタ訳が現今の章節の区分のある最初の全訳聖書として発行されました。
聖書の六十六冊の書はすべて一緒になって,完全な統一体である単一の著作を形造っています。章節の区別は聖書研究を助けるための単なる便宜上の手段にすぎず,統一体としての一致の価値を落とさせる意図があって施されたのではありません。聖書を,今日まで伝わっている写本の主要な言語にしたがって区分することについても同じことが言えます。ですから,わたしたちにはヘブライ語聖書と,聖書のヘブライ語の部分がギリシャ語に訳されたセプトゥアギンタ訳と区別するために「クリスチャン」という言葉を加えたギリシャ語聖書とがあるのです。
原著者
ここに掲げられている一覧表を見ると,約40人の人間の書記官もしくは書記がただひとりの著者に用いられて,霊感を受けたエホバの言葉を書き記しました。「聖書全体は神の霊感を受けたもので」,これには「聖書の残りの部分」と共にクリスチャン・ギリシャ語聖書中の文書も含まれています。(テモテ第二 3:16。ペテロ第二 3:15,16)この「神の霊感を受けた」という表現は,「神が吹き込んだ」という意味のギリシャ語の句セオプニューストスを訳したものです。忠実な人々に『吹き込む』ことによって,神はご自分の霊つまり活動力をそれらの人に働かせ,エホバが記録させたいと考える事を記させるよう活発に導かれました。というのは,「預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったものだからです」とある通りです。―ペテロ第二 1:21。ヨハネ 20:21,22。
神のこの見えない聖霊は,神の象徴的な「指」です。ですから,モーセが超自然的な偉業を行なうのを見た人々は,「これは神の指です!」と叫んだのです。(出エジプト 8:18,19,新。マタイ 12:22,28; ルカ 11:20のイエスの言葉と比べなさい。)同様に神の力を表わすものとして,「神の指」は,石板に十戒を刻んで,聖書の著述を始めました。(出エジプト 31:18; 申命 9:10,新)したがって,一部の人々は学問的訓練の点で,「無学な普通の」人であっても(使徒 4:13),また職業は羊飼い,農夫,天幕作り,漁師,収税人,医師,祭司,預言者あるいは王であっても,それにはかかわりなく,エホバにとって人間を書記として用いるのは簡単な事だったでしょう。エホバの活動力は考えを筆者の頭に入れさせ,ある場合には神の考えを筆者自身の言葉で表現させるままにし,こうして,著作全体に筆者の人格や個性を表われさせましたが,それでも同時に,全体を通して主題や目的の点でのすばらしい一致を保たせました。このようにしてでき上がった聖書は,エホバの思いや意志を反映させるので,豊かな内容や規模において単なる人間の著作をしのぐものとなりました。全能の神は,その書き記された真理の言葉が言語の点でも容易に理解され,また実際,どんな言葉にでも容易に翻訳されるものであるように取り計らわれました。
完成までに聖書ほど長い期間を要した書物はほかにありません。西暦前1513年に,モーセは聖書の著述を始めました。ネヘミヤとマラキがそれぞれの書を書き終えた,西暦前443年の後のある時期までに,他の聖なる文書は,霊感を受けた経典に加えられました。それから,使徒マタイがその歴史的記述を書き著わすまで,聖書の著述はほとんど五百年間中断されました。それから,およそ六十年後,最後の使徒ヨハネは,その福音書と三通の手紙を執筆して聖書正典を完成しました。ですから,聖書を生み出すのに,全部で1,610年を要しました。共同の筆者はすべてヘブライ人でしたから,「神の神聖な宣言を託された」民の人たちでした。―ローマ 3:2。
聖書はユダヤ人とクリスチャンの著述の無関係な取り合わせや,その雑多な断片を収集したものではありません。むしろ,それは様々な部分が大いに統一され,相互に関連づけられた,系統立った書物で,実際,これは創造者なる著者その方の整然とした規律正しさを反映しています。神はイスラエルと交渉を持ち,総合的な律法の法典はもとより,宿営のささいな事柄に至るまでの物事 ― 後には,ダビデの王国と,一世紀のクリスチャンの間の会衆の取り決めにも反映した物事 ― を律する規定をお与えになりましたが,それは聖書のこの系統立った面を反映し,大いに示すものとなっています。
[30,31ページの図表]
完成された年代順に配列された聖書の各書の一覧表
(聖書中の各書が記された順序や,各々の書が他の書との関係で占めている位置は大体のところで,一部の年代[や書き記された場所]ははっきりしていません。記号の前は「それより前」,後は「それより後」の意味です。)
ヘブライ語聖書(西暦前)
完成された 扱われている
書名 筆者 年代 期間 書かれた場所
創世記 モーセ 1513年 1章2節以後:
46026年-1657年 荒野
出エジプト記 モーセ 1512年 1657年-1512年 荒野
レビ記 モーセ 1512年 1か月(1512年) 荒野
ヨブ記 モーセ 1473年頃 140年余 荒野
1657年-1473年
民数紀略 モーセ 1473年 1512年-1473年 荒野と
モアブの
平野
申命記 モーセ 1473年 2か月(1473年) モアブの平野
ヨシュア記 ヨシュア 1450年頃 1473年-1450年頃 カナン
士師記 サムエル 1100年頃 1450年頃- イスラエル
1120年頃
ルツ記 サムエル 1090年頃 裁き人の イスラエル
支配期間の
11年間
サムエル前書 サムエル, 1077年頃 1180年-1077年頃 イスラエル
ガド,ナタン
サムエル後書 ガド,ナタン 1040年頃 1077年-1040年頃 イスラエル
雅歌 ソロモン 1020年頃 エルサレム
伝道之書 ソロモン 前1000年 エルサレム
ヨナ書 ヨナ 844年頃
ヨエル書 ヨエル 820年頃(?) ユダ
アモス書 アモス 803年頃 ユダ
ホセア書 ホセア 後745年 前803年-後745年 サマリア
(地域)
イザヤ書 イザヤ 732年頃 778年頃-732年 エルサレム
ミカ書 ミカ 前716年 777年頃-716年 ユダ
箴言 ソロモン, 716年頃 エルサレム
アグル,
レムエル
(恐らく
ソロモンか
ヒゼキヤと
同一人物)
ゼパニヤ書 ゼパニヤ 前648年 ユダ
ナホム書 ナホム 前632年 ユダ
ハバクク書 ハバクク 628年頃(?) ユダ
エレミヤ哀歌 エレミヤ 607年 エルサレム
付近
オバデヤ書 オバデヤ 607年頃
エゼキエル書 エゼキエル 591年 613年-591年頃 バビロン
列王紀略上下 エレミヤ 580年 1040年頃-580年 ユダと
エジプト
エレミヤ記 エレミヤ 580年 647年-580年 ユダと
エジプト
ダニエル書 ダニエル 536年頃 618年-536年頃 バビロン
ハガイ書 ハガイ 520年 112日(520年) エルサレム
ゼカリヤ書 ゼカリヤ 518年 520年-518年 エルサレム
エステル書 モルデカイ 474年頃 484年頃-474年 シュシャン
歴代志略上下 エズラ 460年頃 歴代上 9章の後, エルサレム
1077年-537年 (?)
エズラ書 エズラ 460年頃 537年-467年頃 エルサレム
詩篇 ダビデ,モーセ, 460年頃
その他
ネヘミヤ記 ネヘミヤ 後443年 456年-後443年 エルサレム
マラキ書 マラキ 後443年 エルサレム
クリスチャン・ギリシャ語聖書(西暦)
完成された 扱われている
書名 筆者 年代 期間 書かれた場所
マタイ マタイ 41年頃 西暦前2年- パレスチナ
西暦33年
テサロニケ第一 パウロ 50年頃 コリント
テサロニケ第二 パウロ 51年頃 コリント
ガラテア パウロ 50年-52年頃 コリントか
シリアの
アンティオキア
コリント第一 パウロ 55年頃 エフェソス
コリント第二 パウロ 55年頃 マケドニア
ローマ パウロ 56年頃 コリント
ルカ ルカ 56年-58年頃 西暦前3年- カエサレア
西暦33年
エフェソス パウロ 60年-61年頃 ローマ
コロサイ パウロ 60年-61年頃 ローマ
フィレモン パウロ 60年-61年頃 ローマ
フィリピ パウロ 60年-61年頃 ローマ
ヘブライ パウロ 61年頃 ローマ
使徒たちの活動 ルカ 61年頃 33年-61年頃 ローマ
ヤコブ ヤコブ 前62年 エルサレム
マルコ マルコ 60年-65年頃 29年-33年 ローマ
テモテ第一 パウロ 61年-64年頃 マケドニア
テトス パウロ 61年-64年頃 マケドニア
(?)
ペテロ第一 ペテロ 62年-64年頃 バビロン
ペテロ第二 ペテロ 64年頃 バビロン
(?)
テモテ第二 パウロ 65年頃 ローマ
ユダ ユダ 65年頃 パレスチナ
(?)
啓示 ヨハネ 96年頃 パトモス
ヨハネ ヨハネ 98年頃 序文の後, エフェソスか
29年-33年 その付近
ヨハネ第一 ヨハネ 98年頃 エフェソスか
その付近
ヨハネ第二 ヨハネ 98年頃 エフェソスか
その付近
ヨハネ第三 ヨハネ 98年頃 エフェソスか
その付近