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覚えていますかものみの塔 1974 | 8月15日
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そうした提案を自分の動機や問題の扱い方に対する批判として取らずに,むしろ自分も助言から益を得られることを認めて,その提案にしかるべき考慮を払う。―296ページ。
● 神のしもべたちは,「大患難」のさなかに神の保護をどの程度まで期待できますか。
神のしもべたちは,イエス・キリストと配下の天使の軍勢が邪悪な者たちに対して行動を起こす時,自分たちのだれ一人として誤って滅ぼし去られることはないと確信できる。象徴的な「ゴグ」であるサタン悪魔の攻撃の結果,神のしもべの中には死ぬ人がいるかもしれないが,一つの級としては彼らは救出される。(エゼキエル 38:2)「大患難」によって引き起こされる周囲の状況から来る圧迫のためにある人は死ぬかもしれないが,エホバが,身体上の弱さを持っている人たちをどの程度まで強め,そのたてとなってくださるかを見守るべきである。「大群衆」が生き残ることを確信できる。―363,364ページ。
● どういう意味で,使徒たちは「劇場の見せ物」でしたか。―コリント第一 4:9。
辱しめを受け迫害されることにより,使徒たちは,あたかもローマの劇場で一般の観衆の前にさらされているかのようであった。―436ページ。
「それゆえわたしたちは,自分が聞いたことに普通以上の注意を払い,決して流されないようにすることが必要です。み使いたちを通して語られたことばがゆるがぬものとなり,違犯と不従順のすべてが公正にかなう応報を受けたのであれば,わたしたちの主を通して語りはじめられ,彼のことばを聞いた人びとによってわたしたちのために真実さを立証されたという点で,これほど偉大な救いをおろそかにした場合,わたしたちはどうして逃れられるでしょうか」― ヘブライ 2:1-3。
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読者からの質問ものみの塔 1974 | 8月15日
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読者からの質問
● クリスチャンの婦人が,イアリングを付けるために耳たぶに穴をあけるのはふさわしいことですか。―カナダ,ブリティッシュコロンビア州の一読者より。
聖書は,この質問に対して肯定あるいは否定の答えを明確に与えるだけの資料を備えていません。こうした目的のために耳たぶに穴をあけるかどうかは,実際個人が決定する事がらです。
レビ記 19:28には,死んだ魂のために自分の肉体を傷つけることを禁じる原則が示されています。そうした慣行が,偽りの宗教を信じている人々の間に当時見られました。この禁令が,他の理由で不必要に体に傷をつけることにも適用されると感じる人もいるでしょう。
また,神が初めに人体の造りを定められた時,ご自分の業をごらんになって『非常に良い』とみなされた点を考慮に入れる人もいるかもしれません。そうした人は,自分の体をそこなったり,著しく傷つけたりすることを望まないでしょう。―創世 1:27,31,新。
一方,聖書は(鼻輪とともに)イアリングのことについて述べており,それが耳に穴をあけて付けられたのかどうかを知るすべは今日ありません。―創世 24:22,47。出エジプト 32:2; 35:22。エゼキエル 16:12。
また,律法契約が,奴隷として働くことが求められている一定期間の務めを終え,しかもそれまでの良い主人のもとに奴隷としてとどまりたいと望んでいるヘブライ人の奴隷の耳に穴をあけるように定めていた点にも気づかれることでしょう。(出エジプト 21:2-6)主人は,そのしるしとして奴隷の一方の耳たぶにきりで穴をあけることになっていました。もちろんこれは,イアリングのために耳に穴をあける場合のように単なる装飾を目的としたものではありませんでしたが,それでもその人の肉体に与える影響は同じでした。
これらの種々の要素を総合して考えると,明らかに画一的な答えを出すことはできません。この問題に関しては,個々のクリスチャン婦人が自分の良心を働かせるべきです。前述の原則を適用して,ある人は耳に穴をあけたくないと思うかもしれませんし,他の人は良心的にそうできると感じるかもしれません。既婚の婦人が耳に穴をあけたいと思っている場合には,まず最初にしかるべき頭である夫に相談すべきです。同様に未成年者は,問題を親と話し合い,家族に関するエホバの取り決めに一致して,親の決定に従うでしょう。―コロサイ 3:18,20。エフェソス 5:22–6:4。
クリスチャンであるわたしたちは,他の人の感情も考慮に入れるべきです。わたしたちはここで,装身具で身を飾ることは,「慎みと健全な思い」と「良い業」で身を飾ることほど重要でないという使徒の助言を思い起こしたいものです。―ペテロ第一 3:3。テモテ第一 2:9,10。
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