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世界展望目ざめよ! 1980 | 2月8日
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大都市
◆ 最近,英文毎日に,「今や2,704万2,000人を抱える大東京圏」という見出しの記事が載った。東京都,埼玉県,千葉県,神奈川県を含む首都圏は面積1万3,403平方㌔で,米国のコネティカット州をわずかに上回る広さである。日本の国土の4%そこそこのこの地域に全人口のほぼ25%に相当する数の人々が住んでいることになる。
告訴された血液銀行
◆ 米国のオクラホマ州最高裁判所は8対1の多数で,お金で買った血を輸血されて肝炎にかかった婦人に,血液銀行を告訴する権利があることを認めた。この婦人は,肝炎の危険は長年にわたって医学関係者や血液銀行業界で認められてきたと主張し,裁判所はこの訴えに同意した。
危険な減量法
◆ 徹底的な減量法の一つに,食物を吸収する小腸の大部分を手術で切除する方法がある。しかしこの方法は重大な余病を併発する場合がある。イングランドとウェールズの科学者から成るチームの研究によって,比較的年若い患者がこの短絡的な方法で減量を行なうと,骨の疾患である一種のくる病にかかる恐れが非常に高まることが明らかになった。減量の手術を受けた21人の患者のうち,10人にその兆候が見られた。
死をきたすアルコールの乱用
◆ 15歳から24歳までのアメリカ人の死因の中で,一位を占めているのはアルコールの乱用である。統計の示すところによると,この年齢層では自動車事故で死ぬ人の60%までが,アルコールの乱用に原因がある。溺死者の69%,殺人事件の被害者の86%もその主因として,やはりアルコールの乱用が挙げられている。
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聖書理解の助け ― 全能の神,および祭壇(その一)目ざめよ! 1980 | 2月8日
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聖書理解の助け ― 全能の神,および祭壇(その一)
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
全能の神。「全能」という語は,ヘブライ語「シャッダイ」,およびギリシャ語「パントクラトール」の訳です。これらの語はいずれも,強さ,もしくは力という概念を表わしているようです。
ヘブライ語聖書の中での全能性
ヘブライ語原本の中では,「シャッダイ」が「エール」(神)と結び付けられている例が七回あり,「全能の神」という称号をなしています。(創世 17:1; 28:3; 35:11; 43:14; 48:3; 出エジプト 6:3; エゼキエル 10:5,新)ほかの41か所でこの語は単独で用いられており,「全能者」もしくは『全能の者』と訳されています。「アドーナーイ」(主),「エローヒーム」(神)などと同じく,「シャッダイ」も卓越の複数としての複数形です。―創世 49:25; 民数 24:4; 詩 68:14,新。
語根の意味
「シャッダイ」という語の厳密な由来については多くの議論がなされています。七十人訳の翻訳者たちはこの語を訳すのに幾つかのギリシャ語を用いましたが,ヨブ記の中では「シャッダイ」に「パントクラトール」(すべてに強力)を当てて16回使用しています。幾つかの箇所では,「十分な」または「適した」という意味のギリシャ語(ヒカノス)を使用しました。(ルツ 1:20,21。ヨブ 21:15; 31:2; 40:2)後代の幾つかのギリシャ語訳はこの解釈に倣い,「シャッダイ」を「[力の]十分な(適任の)者」と訳しています。
現代のある注釈者たちの見方は,「エルサレム聖書」として知られるカトリック訳の創世記 17章1節の注解(脚注b)の中に次のとおり示されています。「『全能の神』という一般の訳は不正確である。『山岳の神』というのがこの語の意味であろう」。しかし,このような極端な見方は,「シャッダイ」に,アッカド語「シャドウ」(山岳)との関連を想定したからにすぎません。「アンガーの聖書辞典」(p.1000)はこう注解しています。「しかし,この見方は受け入れ難い。『シャッダイ』は,アラビア語におけると同じく,『強い,強力である』という意味の語根『シャーダド』の派生と見るのが至当である」。―ベンジャミン・デイビッドソン編「ヘブライ語,カルデア語分析辞典」,p.702参照。
聖書本文の中で,「シャーダド」は普通,破壊や略奪に伴う暴力的な力に関して用いられています。(詩 17:9; 箴 11:3と比較)イザヤ書 13章6節(新)はこう述べています。「うめき泣け。エホバの日は近いからである。それは全能者[シャッダイ]による略奪[ショード]としてやって来る」。聖書中でのこの語根の用例では暴力的行為という概念が基本的ですが,ある権威者たちは,この語の元の意味もしくは本義は「強い」ないしは「強力に行動する」であるとしています。「ユダヤ百科事典」(1909年版,9巻p.162)はこう述べています。「しかし,考え得ることとして,『圧倒する』もしくは『上まわる強さ』というのがその原義であろう。この意味合いが神の[称号の]中にも保たれていると思われる」。
神の目的に関連して示される,何者も抗しえぬ力
エホバはイサクの誕生についてアブラハムに約束した際この称号(エール・シャッダイ)を用いました。それは,それを実現させる神の力についてアブラハムの側に強い信仰の求められる約束でした。以後,その称号はアブラハム契約の相続人となったイサクやヤコブにちなんで用いられました。―創世 17:1; 28:3; 35:11; 48:3。
これに一致して,エホバは後にモーセに対してこう言われました。「わたしはアブラハム,イサク,ヤコブに対して全能の神[エール・シャッダイ]として現われたが,わたしの名エホバに関しては自分を彼らに知らせなかった」。(出エジプト 6:3,新)これは,これらの族長たちがエホバの名を知らなかったという意味ではないはずです。彼らも,それ以前の人々もしばしばその名を唱えているからです。(創世 4:1,26; 14:22; 27:27; 28:16)事実,族長たちの生涯を扱う創世記の中に「全能」という語はわずかに六回しか出て来ないのに比べ,神の名エホバは元々のヘブライ語聖書原本に171回も出て来ます。ヤコブの子らから出た子孫の名の中には,ヤリエル,ヤジエルなど,エホバの名を一部含んでいるものさえあります。(創世 46:14,24)しかし,これらの族長たちは,自分の経験から,「全能者」の称号を取る神の権利と資格を認識するようになってはいましたが,その固有の名エホバの持つすべての意味と含みを認識する機会はまだ得ていませんでした。この点に関し,ダグラスの「新聖書辞典」(p.479)は,「エール・シャッダイ」が名ではないことを指摘した後にこう注解しています。「族長たちに対する以前の啓示は遠い将来の約束にかかわるものであった。それは,彼つまりヤハウェがそれらの約束を果たす十分な能力のある(シャッダイ)神(エール)であることを族長たちが確信することを条件として求めた。燃える茂みでの啓示はさらに深くかつ親密であり,神の力,および終始身近に共におられるとの感覚が,よく知られたヤハウェの名のうちに包み込まれるようになった」。
全能性とは,目的として定められた事柄を果たし,成し遂げ,そのために反対や障害を克服する強さや力を包含しており,エホバの全能性は,ご自身の目的を遂行する,何者も抗し得ぬ力として表明されます。「全能者」という神の称号に伴って激しい行動の暗示される場合もあります。『全能者が王たちを広く散らす』と述べる詩篇 68篇14節(新)は一例であり,またヨエル書 1章15節(新)は,「エホバの日」に「全能者[シャッダイ]による略奪[ショード]」が来るとしています。先に引用したイザヤ書 13章6節もその例です。同時にその称号は,祝福を与える神の能力について得心させ(創世 49:25),より頼む人々に対する安全の保証ともなります。「至高者のもとなる秘められた所に住まう者,その者は全能者の影に宿り場を得る」― 詩 91:1,新。
ヨブ記の中に「シャッダイ」の語は31回表われ,そこに提示されるドラマの登場人物すべてがこの語を使用しています。処罰を加え,苦悩を臨ませるエホバの力について述べられており(ヨブ 6:4; 27:13-23),「全能者がどうなるというので我々は彼に仕えねばならないのか。彼に接したからといって我々に何の益があろう」と唱えて自分の力により頼む者は,「全能者の激怒」をやがて飲むことになります。(21:15,16,20,新)したがって,全能者に対し,わたしたちは畏敬を,いえ,畏怖をさえ抱いて当然です。たとえその偉力の表明がすぐに見られないとしても(24:1-3,24。出エジプト 9:14-16; 伝道 8:11-13と比較),その意志を無視し,その律法を犯して処罰を免れることはできないからです。(6:14; 23:15,16; 31:1-3)とはいえ,エホバの力,その偉力は常に義と公正に厳密に即して行使され,無制御に,気まぐれに,またでたらめで無責任な仕方で行使されることはありません。(ヨブ 34:10,12; 35:13; 37:23,24)したがって,人間が神と言い争い,神のとがめだてをすべき理由はどこにもありません。(40:2-5)義を実践している人は確信を抱いて全能者に近づくことができ,全能者との個人的な関係を楽しむことができます。(13:3; 29:4,5; 31:35-37)全能の神は創造者であり,命と知恵の源です。―32:8; 33:4。
イザヤ書 9章6節のメシアに関する預言の中では,「大能の神」という称号が,約束された平和の君について用いられています。しかし,この表現は,ヘブライ語「エール・ギッボール」の訳であって,前述の聖句にある「エール・シャッダイ」の訳ではありません。
対応するギリシャ語
クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で「パントクラトール」という語は十回出ており,そのうち九回までは啓示の書の中にあります。全能の者,すべてを支配する者,すべての力を有する者というのが,この語の基本的な意味です。クリスチャン聖書の中にこの語が使用されていることは,ヘブライ語「シャッダイ」が「全能者」を意味するという理解に支持を与えています。ヘブライ語聖書の中で「パントクラトール」に対応し得る言葉はこれ以外にないからです。
コリント第二 6章18節でパウロはヘブライ語聖書から引用し,偽りの崇拝を避け,命も力もない偶像の使用を退け,こうして「全能者[パントクラトール]」の子供となるようクリスチャンに促しています。使徒パウロの引用の仕方から見て,この称号がエホバ神をさしていることは明らかです。
同様に,啓示の書全体を通して,「パントクラトール」の称号は,創造者でありとこしえの王であるエホバに用いられています。「神の奴隷モーセの歌と子羊[イエス・キリスト]の歌」はその一例であり,その歌は,ただエホバ神のみがあらゆる国民の崇拝と畏敬に値する方であると歓呼しています。(啓示 15:3。啓示 21:22と比較)この称号がエホバ神をさすことは,ハレルヤ(「ヤハを賛美せよ」)という表現を使用している啓示 19章6節の中で明らかです。また,「かつておられ,今おられ,これから来られるかた」(啓示 1:8; 4:8)という表現も,明らかにとこしえの神をさしており(詩 90:2),「かつて」古代に全能者であられただけでなく,今もそうであり,「これから」その全き能力の表明をもって来られる方に当てはまっています。ここでもまた激しい行動が示唆されています。それは,全能者が『その偉大な力を執って』王として支配を開始した後,「全能者なる神の大いなる日の戦争」の際,逆らい立つ諸国民に対してご自分の憤りを表明される時です。(啓示 11:17,18; 16:14)「神のことば」と呼ばれるみ子キリスト・イエスは,神の任命を受けた王として,それら諸国民に,この「全能者なる神の憤り」を表明します。(啓示 19:13-16)しかし,神の司法上の決定のそのような力ある表明も,全能者の真実と義の規準に全く即して行なわれます。―啓示 16:5-7。
祭壇(その一)。[ヘブライ,ギリシャ両語共に,「犠牲の場所」]基本的には,真の神あるいは神とされる他の者への崇拝に使用され,その上で犠牲を捧げたり香をたいたりするために高く築かれた場所もしくは構造物。祭壇について最初に述べられているのは洪水後に関する記述で,『ノアはエホバへの祭壇を築いて』そこに焼燔の捧げ物をささげたと記されています。(創世 8:20,新)洪水以前の捧げ物についてはカインとアベルの例しか述べられていません。これら二人が祭壇を使用したことは十分に考えられますが,実際にそうしたとは明示されていません。―創世 4:3,4。
アブラハムは祭壇をシケムに(創世 12:7),ベテルとアイの中間地に(12:8; 13:3),ヘブロンに(13:18),そしてモリア山に築きました。モリア山上の祭壇では,神によりイサクの代わり
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