-
偉大な陶器師は人間の器を形づくるものみの塔 1965 | 9月1日
-
-
わが民の居るゴゼンの地を区別おきて……これ地の中にありて我のエホバなることを汝が知んためなり,我わが民と汝の民の間に区別をたてん明日この徴あるべし」「エホバかく為たまひたれば」― 出エジプト 8:22-24,文語。
32 かたくなで邪悪な者は悪行が身に招いた事柄を経験しても,それから益を得るかわりにどうなりますか。
32 この区別は宇宙主権の論争をいっそう明白にパロに悟らせるのが目的です。パロは最初の三つの災いから教訓を学びませんでした。かたくなで邪悪な者は,悪行が,自分の身に招いた事柄を経験しても何も学ばず,益を得ません。むしろますます悪をすることに心を傾けます。パロの場合にもそれは真実です。この預言的なドラマにおいて,昔の災いに今日相当するものがあることを知りました。そこで私たちは残りの七つの災い,とくに十番目の災いの意義を知ることに大きな期待と関心を抱いています。初子の死は何を表わしていましたか。これらの事柄については,本誌の次号をごらん下さい。
-
-
バビロン的宗教から離れるものみの塔 1965 | 9月1日
-
-
バビロン的宗教から離れる
アメリカ,ニュージャージー州のあるエホバの証人は神のことばにかなりの関心を示した一家族を訪問した経験を次のように語りました。「この家族は世界の状態に失望し,もっとよい事を求めていましたが,教会の社交的な活動のため家庭聖書研究を始める事は難かしい状態でした。私は自分の妻が相手の奥さんと研究を始め,それから主人に参加してもらうようにしてはどうかと思いました。2回目の研究の時には主人も出席し,毎週の研究が始まっていました。家族はとてもよく進歩し,神のことば聖書から本当に真理を学んでいると間もなく悟るようになりました。
「私たちが住んでいるところはニューヨーク市の近くであるため,とても励ましを与える特別な所をおとずれる事ができます。ブルックリンにあるものみの塔協会の本部を訪問する機会に恵まれているのです。そこでこの家族に御国活動の光景を実際に目で見てもらう頃合であると感じたので,一緒に訪問する約束をしました。私たちは協会の本部を何回も訪問しましたが,もう一度行って見たいといつも思っていました。今度はいろいろ見た物に驚いた様子のこの家族を見て,いつもよりもっと大きな喜びを経験しました。エホバの証人から教えられた真理に対する関心はさらに加わり,この訪問のよい結果がすぐに表われました。その後,巡回大会,記念式,特別講演が続きましたが,そのころにはこの家族は御国会館の集会に定期的に出席していました。
「しかしその家族は黙示録 18章4節に従って,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンからきっぱりと離れたいと望みました。そこでメソジスト教会へ辞表を提出しましたが,手紙を出すだけで満足しなかったその家族は,牧師に面接して手渡したいと望みました。そこである夜話し合うために牧師を自宅へ招きました。家族はよく準備をし,教会をやめる聖書的な理由をはっきりと心にとめました。
「メソジストの牧師と話し合った結果,バビロン的宗教から離れたいという希望がいっそう強められました。牧師は弁明する事ができないのです。教会が社交的な組織になっている点を話した時,牧師はそれに同意し,牧師にその責任がある事を認めました。牧師はその家族が聖書を研究している事をよい事だと思い,メソジストとエホバの証人の間には多くの共通点があると感じていたのです。ところがそうではない事を家族は牧師にはっきりと話し,エホバの証人や聖書は教えていないのに教会が教えているバビロン的な教理の釈明を求めました。聖書の真実性を以前疑っていた教会員の主人は,今は神のことばに信仰を持っている事また聖書には矛盾がない事を牧師に話しました。すると牧師は『ところが聖書には矛盾があるんですよ』と答えました。このように牧師は聖書の真実性に不信の態度を表わしたので,教会から離れる事が正しいと家族はいっそう確信を強めました。大いなるバビロンの下で長年その人々の牧師であったにもかかわらず,その晩自分の信仰と聖書の真理を弁明できなかったことが大きく作用してその家族を正しい道に歩ませる結果になったのを牧師は恐らく悟らなかった事でしょう。牧師は自分の教会から二人の有力な信者が失われたことを悲しみつつ,その夜家族に別れを告げました。バビロン的宗教から解放されたその夫妻は,最近の巡回大会でエホバ神への献身の象徴として浸礼を受けました」。
-