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夢を人生の導きにすべきですか目ざめよ! 1975 | 5月8日
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いる間に抑圧した欲求,とくに性的な欲求に関連した夢をみます。フロイトによれば,精神分析者の仕事は夢の中で実際に見た事柄をくわしく探り,その隠された意味を明らかにすることです。これは,前日の出来事から生じて抑圧された欲求および患者の幼少年時代に培われた願望と関連があると,フロイトは考えました。
フロイトと全く考えを異にする人々もいます。著名な評論家ジョイス・ブラザーズ博士は次のように書いています。「夢に関するフロイトの見解は示唆に富んだものではあっても,十分な説明にはなっていない。夢をみるのは人間のおとなだけではないからである。犬,猫,牛や馬も夢をみる。新生児は睡眠時間の半分を夢をみてすごす」。確かに,これらの夢のすべてが抑圧された欲求をみたすためのものであるとは言えません。
夢の意味を説明しようとする他の理論が,過去二十年間に数多く出されています。それらに関してカルビン・ホールはこう書いています。「推測にすぎないものが多いのに比べ,理論と言えるものはなお非常に少ないので,これらの推論の妥当性について確かな結論を下すことは困難である」。あなたはこのようなあて推量を人生の導きにしたいと思われますか。
危険な魅力
しかし本人にとっては「超自然の」源から出たと確かに思われる夢をみた人々の報告も数多くあります。ある作家はこう述べています。「私はふつうの方法では知ることのできない事実を夢の中で知らされます。それは時として私を不快な気分にさせます」。そのあとでこの作家はいくつかの夢を例にあげています。それらの夢の中で彼女は,将来起きる事柄を詳細に見ました。
このような経験から,夢を神のお告げかもしれないと考え,自分の生活に重要な将来の出来事のかぎを持つものとして,夢に魅力を感ずるようになった人が大ぜいいます。神が夢という手段によって人々に重要な知らせ,長い預言さえも与えた例が何回となくあることに彼らは注目します。―創世 20:3。ダニエル 2:3,28; 7:1。マタイ 1:20; 2:12,13,19,22。
しかし次の点に注目するのは大切なことです。すなわち,西暦一世紀の終わりまでに聖書の正典が完成するとともに,人類を導く神の霊感の記録は文字で書き著わされた,完成された形で得られるようになったということです。それ以後は夢また他の奇跡的な方法によって神が人類に何かを知らせる必要はありませんでした。超自然の「預言」をも含む「霊の賜物」に関して,聖書はそれが永久につづくものではなく,「廃される」ものであったことを述べています。―コリント第一 12:1; 13:8-10。
これに照らしてみるとき,今日,夢に魅せられることには危険のともなう場合があります。聖書のゼカリヤ書 10章2節において,ある夢は『うらない』と結びついています。『うらない師はその見る所 真実ならずして虚偽の夢を語る』。うらないは,魔術的な力を借りて,とくに将来の出来事に関する秘密の知識を得ることとかかわりがあります。
『いつわりの夢』に導く行ないが,神に是認されるでしょうか。聖書の申命記 18章10-12節には次のことが述べられています。
『汝らのうち……うらないする者 邪法を行なう者 まじないする者 魔術を使う者…… くちよせする者 かんなぎのわざをなす者……あるべからず すべてこれらの事をなす者はエホバこれを憎みたまう』。
神のことばはここで(夢の中などでしるしを求めることも含む)うらないを心霊術と結びつけています。そして心霊術は邪悪な霊の勢力の影響とかかわりがあります。(エフェソス 6:12)時として悪霊は将来を正確に予測する夢を見させるかもしれません。そのようなわけで,たとえ『そのしるし または奇蹟これが言うごとくなるとも』,偽りの崇拝をすすめる『夢みる者』を避けるように,神はご自分の民に警告しました。―申命 13:1-3。使徒 16:16と比べてください。
夢にまさるもの
うらないによるのではなく,神の任命された「預言者」イエス・キリストをとおして,生活上の重要な導きや将来の事柄に関する知識を求めるようにと,聖書は強くすすめています。(申命 18:15-19。ヨハネ 6:14)そうするには,神のことばを注意深く研究することが必要です。テモテ第二 3章16,17節には次のようなことばがあります。「聖書全体は神の霊感を受けたものであり,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力をそなえ,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」。
人間の行為の「完全な」導きである聖書は,夢にまさるものです。聖書の場合は,意味があいまいであったり,不確かであったりすることはありません。聖書には,結婚,家庭生活およびそれ以外の人間関係についての助言,加えて賢明な決定を下すための基礎となる健全な原則がのせられています。
自分自身の人格につき洞察を得ることについてはどうですか。たとえどんなに熟練した分析者の手をわずらわしたとしても,夢の解釈によってそのような洞察を得ることはだれにもできません。聖書のサムエル前書 16章7節にはこうしるされています。「人は外の貌を見エホバは心をみるなり」。自分の人格を正確に分析することをほんとうに望む人は,神に求めなければなりません。どのようにしてですか。
聖書のヘブライ書 4章12節にはこうしるされています。「神のことばは生きていて,力を及ぼし,どんなもろ刃の剣より鋭く,魂と霊,また関節とその骨髄を分けるまでに刺し通し,心の考えと意向とを見分けることができるのです」。この聖句の要点はなんですか。霊感による神のことばを熱心に研究することは,自分を吟味するのに役だち,生きた被造物(魂)としての,うわべだけの自分と,心や態度(霊)から見た,ほんとうの自分とを見わけるのに役だつということです。
また,将来について,聖書から確かな事柄を知ることができます。何百という聖書預言の成就は,今では記録にのっている事実です。聖書の示すところによれば,この世代のうちに全能の神は地から悪を一掃して新しい秩序をもたらします。そのとき,苦しみ,圧制,病気と死は過去のものとなるでしょう。(ダニエル 2:44。ペテロ第二 3:13。啓示 21:1-5)あなたはその輝かしい時代に地上に住みたいと思われますか。
そうであれば,「精力的に努力」しなければなりません。(ルカ 13:24)それには,霊感による神のことばを注意深く研究すること,神のことばに堅い信仰を持つこと,聖書の原則を生活に適用することが必要です。―ヤコブ 1:22。
しかし夢に熱中するのは,この事をするうえに妨げとなり得ます。それは神によって備えられた導きの真の源をおいて他のものに導きを求めることであり,心霊術の有害な影響にまき込まれる結果にさえなるかもしれません。現在において意義のある生活,そして将来において永遠の祝福にあなたを導くことができるのは神だけです。そして,神はご自分の霊感によることばをとおしてそうされるのです。―ヨハネ 17:3。
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読書の神話目ざめよ! 1975 | 5月8日
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読書の神話
● 「ものを読む際には,くちびるを動かしてはいけない」とよく言われるが,それには確かな根拠があるのであろうか。「国際言語学ジャーナル」誌のある報告によれば,そうではない。研究者たちの実験の示すところによると,くちびるや舌や声帯を動かすことは,読書の下手な人だけでなく,気を散らすような状況の下では読書の上手な人にとっても読解力を補う一助となる。―聖書のヨシュア記 1章8節および使徒たちの活動 8章30節と比較せよ。
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