天の祭司職 ― 命を求める人々のための神の備え
「(律法は何をも全うせざりしなり)さらにすぐれたる希望を置かれたり,この希望によりて我らは神に近づくなり」― ヘブル 7:19,文語。
1 イスラエルがエホバの祭司の「聖なる国民」になりそこなったため,どんな疑問が生じましたか。
イスラエル国民は,自分たちの神エホバの御声に従わず,その契約を守ることを怠りました。そして,神の御子なるメシヤを拒絶した時,彼らの不信仰に対する神の大いな忍耐は限界に達し,イスラエル国民は神の祭司の国としては捨てられました。では,そのために,全人類は命の源であられる創造者との連絡を断たれ,恐るべき暗黒の淵にまたもや投げ込まれましたか。忠実を保ち,永遠に続く祭司職が人間にとって緊急に必要なことは,神を恐れる人々に今や全く明らかになりました! その祭司職により,神と従順な人間との連絡が可能となるだけでなく,完全なアダムがかつて享受した,一点の曇りもない幸福な交わりのうちに神に近づくという希望もついには実現するのです。しかし,いったいどのようにして実現されるのでしょうか。それには,罪のもたらした無力な状態から人間を引き上げる何らかの備えが必要です。しかし純粋に人間的な見地からすれば,その見込みは,ごくかすかなものでした。
2 神は人間のその必要にこたえる備えを設けられましたが,どうしてそれがわかりますか。
2 幸いにも,エホバはそのような備えを設けられただけでなく,その備えに関する強力な保証を,文字になったみことばの中に与えられました。神の恵みと命に近づくこの方法は,イスラエルのアロンの祭司職の働きによって完全かつ正確に描かれました。それで使徒パウロはこう書いたのです。「彼ら(アロンの祭司)の事ふるは,天にある物の型と影となり」― ヘブル 8:5,文語。
3 模型的な事柄の詳細な意義について,まず最初に何を理解すべきですか。
3 エホバが惜しみなく設けられたこの備えのすばらしい特色のすべてをより良く理解するには,まず最初にそれが目に見えない霊的また天的な事柄であることを理解しなければなりません。しかし何世紀にもわたって,神を認めない人々は,他からの助けなしに独自の企てと努力で真実の平和と成功をもたらせるとの臆説を主張してきました。そして,イスラエルに対する神の律法に示されている次の原則を完全に無視しました。「人はパンのみにて生くる者にあらず 人はエホバの口より出る言によりて生くる者なり」。(申命 8:3,文語)ゆえに,命を得たいと願う人は,エホバのことばに耳を傾け,それを理解し,自分の生活にあてはめねばなりません。それは,文字にしるされた神のみことばから得られます。それで,他の方法では決して知ることのできない霊的な深い真理をわたしたちに教えるため,エホバが具体的な事物をいかに見事な仕方で用いてこられたかを,全き敬虔の思いをこめて考慮しましょう。
大祭司
4 大祭司,犠牲の動物の血,および幕屋が示す実体とは何ですか。
4 使徒パウロは,象徴的な影が示した実体のいくつかを明らかにして,霊感の下に次のように書きました。「されどキリストは来らんとする善き事の大祭司としてきたり,手にて造らぬこの世に属せぬさらに大なる全き幕屋を経て,山羊とこうしとの血を用ひず,己が血をもてただひとたび至聖所に入りて,永遠の贖罪を終へたまへり。キリストは真のものにかたどれる,手にて造りたる聖所に入らず,真の天に入りて今よりわれらのために神の前にあらはれ給ふ」。ゆえにキリストは天の祭司職のかしらとして示されており,キリストがご自分の完全な犠牲の価値を携えて,天で神の御前にあらわれたことは,イスラエルの大祭司が傷のない動物の血を持って,模型的な幕屋の至聖所にはいったことによって予表されていました。この点が明らかにされたので,幾多の象徴的な影の真の意味を理解する道が開かれました。―ヘブル 9:11,12,24,文語。
5 キリストの祭司職がアロンのそれよりすぐれていることを使徒パウロはどのように説明していますか。
5 キリスト・イエスはレビ族の祭司職を受け継いだのではありません。イエスは出生上,その部族に属してさえおらず,ユダ族のひとりのおとめから生まれました。イエスに与えられたのは,人間を神にいっそう近づかせ得る,はるかに有効な祭司職です。では,それはどれほどすぐれていますか。使徒パウロの答えに耳を傾けてください。「この希望はわれらの霊魂の錨のごとく安全にして動かず,かつ幔の内に入る。イエスわれらのためにさきがけし,永遠にメルキゼデクの位にひとしき大祭司となりて,そのところに入り給へり」。「父なく,母なく,系図なく,齢のはじめなく,いのちの終なく,神の子のごとくにして限りなく祭司たり」。「このゆえに彼は己に頼りて神にきたる者のためにとりなしをなさんとて常に生くれば,これを全く救ふことを得給ふなり」。「今いふところの要点はかくのごとき大祭司のわれらにあることなり。彼は天にて稜威の御座の右に坐し,聖所および真の幕屋につかへたまふ。この幕屋は人の設くるものにあらず,〔エホバ〕の設けたまふところなり」― ヘブル 6:19,20; 7:3,25; 8:1,2,〔新世訳〕,文語。
6 キリスト・イエスに与えられたこの新しい祭司職は,どれほど有効ですか。
6 わたしたちは,これらの聖句から,イエスにはその職務の後継者がいなかったことを心にとめるべきでしょう。神がイエスに与えようとしていられたのは,全く新しい祭司職だったのです。それは,以前の祭司および祭司職のきわめて重要な働きをことごとく引き継いで,永遠に存続し得るものであり,また,罪深い人間を清い正義の創造者からへだてる一見克服不能な障害にも立ち向かい得る祭司職です。また,モーセの指図の下に建てられた幕屋は,悔い改めた人間が神との一致を回復し,平和と命を得られるよう,エホバご自身が設けられる目に見えない天的な取り決めである「真の幕屋」の影にすぎないことも学べます。
一団の従属の祭司
7 わたしたちはなぜ,キリストが一団の祭司を持たれるものと期待できますか。使徒パウロはこのことの正しさを示していますか。
7 大祭司と言えば,わたしたちは,一団の祭司のかしらとしての大祭司を考えます。それでアロンは,一団の祭司およびレビの部族からの助け手のかしらでした。またエホバが,レビの全部族の男子のことを,過ぎ越しの夜に死を免れたイスラエルの全家族のうい子に代わる,ご自身の特別な所有物と唱えられたことも思い出されるでしょう。それらの男子は,模型的な幕屋でのすべての奉仕の世話を行なうために他の部族から分けられました。それで,大いなるアロン,キリスト・イエスは,人々の中から選ばれた一団の従属の祭司で,人々を神に近づかせ,また人々の崇拝を神に受け入れていたゞくよう取り計らうわざのためにイエスの下で奉仕する祭司たちとの聖なる兄弟関係を持たれるものと,期待できるのです。このような期待と一致して使徒パウロはこう書きました。「さればともに天の召を蒙れる聖なる兄弟よ,我らが言ひあらはす信仰の使徒たり大祭司たるイエスを思い見よ」。「神は我らを救ひ聖なる召をもて召し給へり。これわれらの行為によるにあらず,神の御旨にて……恩恵によるなり」― ヘブル 3:1。テモテ後 1:9,文語。
8 幕屋が何を表わしているかをどのように理解できますか。
8 「真の幕屋」が,天にある目に見えない何ものかを表わしていることは,イスラエルの人々が,モーセの集会の幕屋の中庭の入口から見たのが聖所の外で行なわれていた事柄だけだったという事実に示されています。人々は幕屋の内部のものを何一つ見ることができず,それらのものは,民が宿営を設けたときでも,あるいは移動中でも,常に人目からかくされていました。それからまた,後代に至ってソロモンがさらに堅牢な資材で,しかし大体同じ造りで建立した宮と荒野における幕屋とを結びつけて考えると,初めて,崇拝のためのこれらの模型的な場所の意義全体を把握できます。「活ける石」から成る宮が造られはじめたのは西暦33年五旬節の時でしたが,イエス・キリストはそれ以前に,この「真の幕屋」にはいられました。使徒パウロはこの点を次のように指摘しました。「されば汝等はもはや,旅人また寄寓人にあらず,聖徒と同じ国人また神の家族なり。汝らは使徒と預言者との基の上に建てられたる者にして,キリスト・イエスみずからその隅の首石たり。おのおのの建造物,かれにありて建て合せられ,いやましに聖なる宮,〔エホバ〕のうちに成るなり。汝等もキリストにありてともに建てられ,御霊によりて神の御住となるなり」。「聖なる宮……成るなり」という表現は,この天的な聖所が突然にでき上がるのではなく,完成までに相当の時間がかかることを示しています。―エペソ 2:19-22,〔新世訳〕,文語。
9 至聖所に関するどんな事実は,きわめて適切な事柄と言えますか
9 パウロはこれらのことばを1世紀のクリスチャン,つまり神の国の宣明者である仲間の人々にあてゝ書きました。それで,人類の中から特別に召され,選ばれた人々が,霊,すなわち天の被造物となり,キリストの下に聖なる祭司職を構成するとの期待を自覚させられることが明らかに理解できます。また,「活ける石」で成るこの宮に神がお住みになることも心にとめてください。(ペテロ前 2:4,5,文語)しかし,無生の資材で造られた昔の宮の場合,荒野における幕屋の至聖所は,神の臨在される天の住まいを予表しました。と言うのは,契約の箱がそこに収められていたからです。契約の箱には,贖罪所と見られる金のふたがのせられており,その上に置かれた二つのケルビムが翼を広げて贖罪所をおおっていました。そしてエホバはみずからモーセにこう言明されました。「そこにて我なんぢに会ひ 贖罪所の上より律法の櫃の上なるふたつのケルビムの間よりして我イスラエルの子孫のためにわが汝に命ぜんとするもろもろの事を汝に語らん」。それで,大いなる大祭司とその祭司職に就く者は,あらゆる力,権威,教えの源なるエホバの御声を聞き,すべての従順な者にそれを伝えるでしょう。―出エジプト 25:22,文語。
10 至聖所の前にある幕は何を表わしますか。このことは,幕屋の奥の部屋の意味に関して得た理解の正しさをどのように確証していますか。
10 では次に,幕屋の前方の部屋に注目しましょう。この部分は,幕屋にかけられた内張りの幕全体と同様に,ケルビムの刺しゅうの施された亜麻布の美しい幕で至聖所からへだてられています。そして,この象徴的な幕の意味が霊感の下に明らかにされることによって,幕屋の前方の部屋の意義を理解する手がかりが与えられています。使徒パウロはこう述べました。「されば兄弟よ,我らはイエスの血により,その肉体たる幔を経て我らに開き給へる新しき活ける路よりはゞからずして至聖所[天そのもの]に入ることを得(ベし)」。(ヘブル 10:19,20,文語)その幕はイエスの肉体を表わしたのですから,彼が完全な犠牲として進んで死なれたことにより,強力な霊の被造物としてよみがえらされて,御父の栄光の御前に再びあらわれる道が開かれることになりました。そして同じ使徒はこゝで,地上における各自の歩みを忠実のうちに死によって終え,自分たちの大祭司のように「霊にて生かされ」る他の人々が,イエスの肉のからだの犠牲とその血を通して,ついにはイエスに従って天にはいることを明確に示しています。―ペテロ前 3:18,文語。
天の場所で
11 幕屋の前方の部屋は何を表わしますか。どうして,そのように理解できますか。
11 幕屋の前方の部屋は,神の崇拝者でも祭司ではない人々に見られぬようにおおわれているものの,天における神の臨在そのものを表わしていない以上,最初にイエス,その後イエスの従属の祭司が,肉のからだで存在していた時に,占めていた特異な立場を表わす影であったと結論せざるを得ません。従属の祭司たちは,キリストの贖いの犠牲の価値の益にあずかってエホバに献身し,一方,エホバは天への召しをもって彼らを招かれたのです。以来,その天への召しは彼らの思いと生活の中で最も大切な位置を占めています。そして,肉のからだで地上にとどまっている時でさえ,栄光を受けられた大祭司の下でなされる奉仕に参加できるよう,エホバはご自身の聖霊によって彼らを新たに生み出し,ご自分の霊的な子となし,祭司の働きを行なう使命を彼らにゆだねられます。彼らに与えれる聖霊は,天の生命が報いとして備えられていることの事前のしるしの役をします。使徒ペテロはそのことを次のように言い表わしています。「讃むべきかな,我らの主イエス・キリストの父なる神,その大なるあはれみにしたがひ,イエス・キリストの死人のうちよりよみがへり給へることにより,我らを新に生れしめて生ける望をいだかせ,汝らのために天にたくはへある朽ちず,汚れず,しぼまざる嗣業を継がしめ給へり。汝らは終のときにあらはれんとて備りたる救を得んために,信仰によりて神の力に護らるるなり」― ペテロ前 1:3-5,文語。
12 キリストの下にある祭司職の成員と,エホバの他の崇拝者とは何によって区別されますか。実際にはどんな点で違っていますか。
12 このことばの中で,「新に生れしめて生ける望をいだかせ」とありますが,天で「神とキリストとの祭司」となる召しを受けた,限られた数の人々と,清められた地上に生きる希望を持つ,神の他の崇拝者から成る大いなる群衆との違いは,この点にあるのです。後者の希望は,「御意の天のごとく,地にも行はれんことを」との祈りが成就するとき実現されます。(マタイ 6:10,文語)これらキリストの従属の祭司は,肉のからだで奉仕する間,地的な希望を持つ神のしもべたちの大いなる群衆と,その姿や行動において少しも異なっていません。それにもかゝわらず,エホバの見地からすれば,彼らは神の特別の保護を受ける立場にすでにあり,かつ,他のだれも十分に理解し得ぬ,もしくは,あずかり得ない,神とキリストとの霊的な関係を悟っているのです。そして,神の御名と御目的の活発な宣明者としての,地上における奉仕を忠実に果たしてはじめて,天でキリストとともになれることを知っています。次のことばは彼らに対する貴重な約束です。「なんぢ死に至るまで忠実なれ,さらば我なんぢに生命のかんむりを与へん」― 黙示 2:10; 20:6,文語。
13 天的な祭司職への召しを受け,なお肉のからだでとゞまっている人々のことを他の聖句はなんと述べていますか。
13 次に掲げる聖句も,これら仲間の祭司たちがなお肉のからだでとどまっている時の立場を説明しています。「聖徒となるべき召を蒙り,キリスト・イエスにありて潔められたる汝らに」。「讃むべきかな,我らの主イエス・キリストの父なる神,かれはキリストによりて霊のもろもろの祝福をもて天のところにて我らを祝し」。「されど神はあはれみに富み給ふがゆえに我らを愛する大なる愛をもて,咎によりて死にたる我等をすらキリスト・イエスによりてキリストとともに活かし(汝らの救はれしは恩恵によれり)ともによみがへらせ,ともに天のところに坐せしめ給へり」。天的な相続に対する確固とした希望と,神およびキリストとのこの密接な関係に伴う深い責任感のゆえに,彼らはあたかも,自分たちのために定められている天の場所にあらかじめ座しているようなものです。模型的な幕屋の前方の部屋にはいり,そこで奉仕する特権を得た人々を取り囲む,縫い取られたケルビムは,このことをなんと適切に予表したのでしょう!―コリント前 1:2。エペソ 1:3; 2:4-6,文語。
祭司としての奉仕
14 (イ)イスラエル人が幕屋の調度を見られなかったという事実は何を意味しますか。(ロ)燭台は何を表わしますか。
14 これらの人がなお地上にあって忙しく行なっている天的な祭司職の奉仕は,模型的な幕屋の前方の部屋にある調度によって理解できるでしょう。それらの調度はすべて,幕屋の中庭の入口に立つイスラエル人には見えませんから,霊的に理解すべき事柄を意味しているに違いありません。そのことに関しては,天的な祭司職の成員のみが十分の認識を持ち得るのです。火をともした七つの枝のある金の燭台は,彼らが霊的な立場にあってなお地上で奉仕する間に,神のみことばと霊を通して与えられる霊的な光を表わしています。こうして啓発されたのですから,彼らの使命は,キリストを通して神から与えられた解明の光を高く掲げ,公に広めて,世の光となることです。それらの油皿には油がそゝがれたように,キリストの下にある祭司職はエホバの聖霊による啓発を受けます。その祭司たちは,今,象徴的な燭台によって啓発されているゆえに,神の御心と御目的に関する,命を与える知識を,他の人々に分け与える資格があるのです。(詩 119 : 105)油にかんする意義をこのように理解するのは正しいことです。それは,大いなる大祭司キリスト・イエスが,「神が聖霊と能力とをそゝぎ給ひし…イエス」と述べた使徒ペテロのことばどおり,油ではなく神の聖霊によって油そそがれた事実により,確証されています。―使行 10:38,文語。
15,16 机にのせられている供えのパンは何を示しますか。
15 次に目につくのは供えのパンをのせる机です。その上には,輪の形にこしらえた12個のパンが六つずつふた重ねに置かれ,おのおのひと重ねの上に乳香がおかれました。これらのパンは,外部の者には見えませんでしたが,アロンの下にある聖なる祭司職の人々を養う糧になったゆえ,霊的な祭司職の成員がとり入れねばならない神のみことば,神の御口から出るすべてのことばを表わしています。(申命 8:3。マタイ 4:4。エレミヤ 15:16)また,ある時,イエスとその弟子たちがかわした次のような会話も思い出されます。「イエス言ひたまふ『我には汝らの知らぬ我が食物あり』弟子たちたがひにいふ『たれか食する物を持ちきたりしか』イエス言ひ給ふ『われを遣し給へる者の御意を行ひ,その御業をなし遂ぐるは,これわが食物なり』」。(ヨハネ 4:32-34,文語)当時,聖霊がそれら弟子たちにそゝがれていなかったため,弟子たちはその意味を理解できませんでした。後日,霊により油そゝがれた,キリストの祭司職の成員は,神の霊的な子として自分たちの命をさゝえる力が,神のみことばをとり入れ,また自分たちに対するエホバの御心を献身的に遂行することから得られるという事実を認識したのです。
16 今日このパンに関連して思い起こされるのは,エホバがご自身の聖なる祭司職を維持するために惜しみなく設けていられる他の取り決めのことです。霊的な真理が本誌を通して絶えず供給されているのはその一つです。今日,豊かに与えられるものすべてを心ゆくまで楽しむ,キリストの従属の祭司は,その与え主なる神に対して多大の負い目のあることを,絶えず思い起こさせられています。(テモテ第一 6:17)ゆえに彼らは,真理と正義を愛する他の大勢の人々を益するため,感謝の念をいだいて「真の幕屋」の奉仕に忙しく働いています。―テモテ第二 4:2。
17 金の香壇は何を意味しますか。
17 至聖所を仕切って外部から見えないようにした幕のすぐ前には,香壇が置かれました。これは据え付けられた壇です。大祭司が贖罪の日に携えた,持ち運びのできる金の香炉もありました。大祭司は,誤って死ぬことがないようにするため,年一度の贖罪の日には,特別の犠牲の血を携え,意を決して至聖所へはいる前に,香とともに炭火を携えてゆき,至聖所を香で満たしました。(ヘブル 9:1-7)このことと一致して,最後には犠牲の死を遂げそして復活を見るに至ったイエスの3年半にわたる宣教は,火のような迫害のさなかにあって忠実を保たれた完璧さと,力と導きを求めて柔順にさゝげられた祈りで特色づけられました。(ヘブル 5:7)昔のイスラエルの従属の祭司は聖所の香壇に香を供えることができました。(ルカ 1:8-10)同様に,イエス・キリストの従属の祭司の場合,忠実を保ち,また天廷に近づくのに必要な聖霊を得たいと願うその祭司職の全成員は,絶えず祈りをさゝげねばなりません。「この香は聖徒のいのりなり」とありますから,香が金の香壇に供えられることは,キリストの下にあるこの一団の祭司が地上で,ともに祈りをさゝげ,忠実を保てるように設けられたエホバの備えを意味すると言えるでしょう。―黙示 5:8,文語。テサロニケ第一 5:17。
他の実体
18 銅の祭壇は幕屋の外におかれたことから,その意義についてどんなことが考えられますか。それは何を意味するものと理解できますか。
18 中庭の入口の内側には,銅の祭壇が置かれました。これは,入口に立つ人々に見えましたから,何かきわめて具体的なことを意味していると考えられます。また,その上に供えられた犠牲と密接に関係しているに違いありません。1900年前,イエスはこの地上でご自身を犠牲として喜んでさゝげられ,人々はそれを見ました。そしてイエスは,その犠性の死という基礎にたってご自分のまわりに信者を集められ,一つの組織を構成しはじめられ,また彼らを用いて聖なる祭司職を形成させることになったのです。良いわざと「讃美の供物」という霊的な犠牲は,この祭司職の中で,またそれを通してささげられます。(ペテロ第一 2:5 。ヘブル 13:15,16,文語)昔のアロンの祭司たちは,キリストがみずからをさゝげられたこの象徴的な祭壇と何のかゝわりも持っていませんでした。―ヘブル 13:10-13。
19 使徒パウロは,中庭の銅の水盤についてなんと説明していますか。
19 幕屋の前に置かれた大きな銅の水盤で,また外部の人々の見得るところで祭司のからだを洗うことは,天的な祭司職を清めるための備えを示しています。そして,その結果は,同様に地上の人々の目に見えるのです。パウロはその過程を次のように述べています。「キリスト(が)[ご自分の従属の祭司たちの]〔会衆〕を愛し……己を捨て給ひしは,水の洗をもて言によりて〔会衆〕を潔め,これを聖なる者として,汚点なくしわなく,すべてかくのごとき類なく,潔ききずなき尊き〔会衆〕を,おのれの前に建てんためなり」。この漸進的な清めが行なわれる結果は,地上におけるそれらの人々の生活と諸活動にあらわに認められるようにならねばなりません。―エペソ 5:25-27,文語。
20 幕屋の中庭の意味を説明しなさい。
20 その模型的な中庭そのものは,人間の完全な状態を表わしています。ですから,イエスは,きずのない罪祭の雄牛のように,完全な状態にあるご自分を,「罪のための一つの永遠のいけにえ」として神にささげられました。(ヘブル 10:12)しかしキリストの下にある天的な祭司職を表わす,レビの全部族が,その聖なる囲いの中で奉仕した以上,どうしてそう言えるのかと質問する人がいるかもしれません。その答えは,天的な祭司職に召された人々に対する神のご処置について述べたパウロのことばから得られるでしょう。「汝等…主イエス・キリストの名により,我らの神の御霊によって,己を洗ひ,かつ潔められ,かつ義とせらるることを得たり」。(コリント前 6:11,文語)霊的な従属の祭司の一団は,こうしてキリスト・イエスの血により,アダムに由来する罪を清められ,あたかも完全な人間のごとくに義とされて,霊的子となる希望を自覚させられ,また,完全なものと見なされているその生命を,彼らの大祭司の手本にならって,忠実な奉仕に用い尽くすよう要求されています。
21 天的な祭司職の成員の残れる者が存在することは,今日のわたしたちにとってなぜ大きな励みとなりますか。
21 地上における歩みをまだ終えずに残っている,その聖なる祭司職の最後の少数の成員が,今もなおわたしたちの中にいることを知るのは,なんと大きな喜びでしょう! 彼らがわたしたちの中にいることだけで,わたしたちは堅く結び合わされ,今や地上に到来した苦難の時代に敢然と立ち向かえるのです。イスラエルは模型的な祭司職の奉仕で清められた結果,神の導きと恵みを得ました。同様に,神は今日この地上に住む不完全な被造物と交渉を持たれ,また,あらゆる国民,部族,民族,国語の中から来る,悔い改めた大勢の人々がついには命の源に近づけるよう,ご自身の祭司職によって取り計らわれることをわたしたちは確信できるのです。
[558ページの図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
幕屋の平面図
至聖所
箱
幕
聖所
香壇
机
燭台
とばり
中庭
水盤
燔祭の祭壇
入口
東
南
西
北