エホバは強さを増し加えられる
「エホバをまち望むものは新なる力をえん,またわしのごとく翼をはりてのぼらん,走れどもつかれず,歩めどもうまざるべし」― イザヤ 40:31,文語。
1 ここでどんなドラマを取りあげますか。それを正確にしるしているのはどの本ですか。
エホバのことばにしるされた力強いドラマの一つにサムソンに関するものがあります。サムソンの活動的な生涯に起きた数々の壮烈なできごとは,いつの時代でも,老若を問わず多くの人の心をとらえてきました。また,サムソンとデリラの物語は,史上指おりの「恋物語」として,歌や戯曲でくり返し語られています。それは必ずしも正確ではありませんが,史上最強の人サムソンの生涯の物語を,詳細かつもっとも忠実に伝えているのは,聖書の士師記 13章から16章です。その躍動的な記録を読むにつれ,読者の心にはいくつかの疑問が起きるでしょう。サムソンの偉大な力の源は何ですか。今日のわたしたちは彼の生涯の物語から何を学べますか。
2 そのドラマがしるされたのはなぜですか。それはどんな教訓を含んでいますか。
2 古代イスラエル史上のでき事について,ローマ人への手紙 15章4節はこう述べています。「これまでに書かれた事がらは,すべてわたしたちの教のために書かれたのであって,それは聖書の与える忍耐と慰めとによって,望みをいだかせるためである」。そして,望みをいだいてエホバをまつなら,サムソンのごとく,真の力の源がただエホバにあることを悟るでしょう。「[主は]弱った者には力を与え,勢いのない者には強さを増し加えられる」― イザヤ 40:29。
専心の献身
3 サムソンの名の意味はなぜ適切ですか。
3 サムソンの名は一般に「太陽の,太陽のような,太陽の人」などと訳されていますが,「荒廃者」もしくは「破壊者」の意味にとる人もいます。どちらの意味もきわめて適切です。サムソンがイスラエルのさばき人として仕えた20年は,紀元前1117年に始まったサウルの統治の少し前と思われますが,その20年の間サムソンは,イスラエルに対しては「太陽のような」救済者,圧制的なペリシテびとに対してはすさまじい荒廃者として,エホバへの専心の献身を示しました。(士師 13:5; 16:30)彼の仕事は,イスラエルを救うという面では平和な仕事であり,敵に対する神のさばきを執行するという面では戦闘的な仕事でした。
4 イエスが地上で行なわれた宣教に,どんな類似点を見出せますか。
4 この平和と戦闘の二面は,イエス・キリストが地上で行なった献身的な宣教活動にも見られます。柔和な者たちにイエスは言いました。「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」。イエスは実際にこのことをされました。しかし民を宗教的に抑圧するよこしまな者にはこう言われました。「偽善な律法学者,パリサイ人たちよ。あなたがたは,わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが,内側は死人の骨や,あらゆる不潔なものでいっぱいである。このようにあなたがたも,外側は正しく見えるが,内側は偽善と不法とでいっぱいである……へびよ,まむしの子らよ,どうして〔ゲヘナ〕の刑罰をのがれることができようか」― マタイ 11:28; 23:27-33,〔文語〕。
5 イエスは地上にどんな群れを組織されましたか。どんな目的のために?
5 主イエス・キリストは御国について証言する強力なわざを始められました。彼が地上のクリスチャン会衆を「忠実な思慮深いどれい」として組織されたのはこの目的のためです。これは献身し,油を注がれた証人から成っており,今日に至るまで,主人の任命の下に「家の者(に)……時に応じて〔霊の〕食物を」与える者として奉仕しています。(マタイ 24:45,〔新世訳〕)昔のサムソンは,献身した真のクリスチャンから成るこの「どれい」の組織,特にそのうち現代の残れる者をよく表わしています。どのようにですか。
6,7 (イ)エホバはサムソンの母親にどんな指示を与えましたか。それは何を意味していましたか。(ロ)エホバは真のクリスチャンに同じように何を求められますか。真のクリスチャンはどんな条件下に成長してきましたか。
6 神の配慮による妊娠に先だち,エホバはサムソンの母親に,生まれ出る子を,誕生の日から「死ぬ日まで」,神にささげられたナジルびととするように指示されました。(士師 13:2-7)これはつまりサムソンが断ち物をし,髪の毛を長くするという意味であり,また死体に触れて身を汚してはならないという意味でした。(民数 6:1-21)同様に,長年うまずめであったエホバの「女」つまり天にあるエホバの宇宙組織が,ようやく生み出した霊的な子である「どれい」級も,専心の献身をしなければなりませんでした。
7 主人であるイエス・キリストは,「事物の制度の終結」の時,この献身した「どれい」に「自分の全財産」つまり地上における「御国の事柄」すべてを管理させると言われました。(マタイ 24:47,新世訳)同時にイエスはサタンのまく「毒麦」つまり背教したクリスチャンの偽りの組織についても述べ,それが麦のような真のクリスチャンをふさごうとするであろうと言われました。キリスト教国のカトリックおよびプロテスタント宗教制度は,聖書のキリストの教えの代わりに古代バビロン,ギリシャ,ローマなどの異教哲学を採用しており,その発展の中にまさにそのような成長を見ることができます。この制度は,神の民の領土を侵していたサムソン時代のペリシテびとのごとく,神の清い崇拝の領域を侵してきました。―マタイ 13:24-30。
8 エホバの霊がサムソンと共にあったことは何を表わしていますか。
8 しかし,「忠実な思慮深いどれい」級の「麦」のようなクリスチャンも,何世紀にもわたって成長していました。これらの者は『エホバの恵み』を受けた幼い日のサムソンに似ていました。そしてサムソンが成人したとき,『エホバの霊は初めて彼を感動させ』ました。(士師 13:24,25)現代においても同じです。エホバは「麦」のクリスチャンを主人キリスト・イエスの下に再び集め,「終りの時」に地上で神のみこころを行なう「忠実な思慮深いどれい」として組織するわざを始められました。聖書の基本的真理に対する忠実さを試みたのち,エホバはこれらクリスチャンにご自分の霊を注ぎ,彼らを感動して証言のわざをさせました。そのわざの中には,よこしまなペリシテびとのごとき偽りのクリスチャン組織に対する,サムソン的な霊の戦いが含まれていました。
9 どんな時が近づいていましたか。「サムソン」級の前途に何がありましたか。
9 「人の子」イエス・キリストが不法な者をことごとく御国からとり集めて滅ぼし,義人たちが「彼らの父の御国で,太陽のように輝きわたる」ときが近づいていました。(マタイ 13:36-43)これに備えるため,「サムソン」級には行なうべき仕事がありました。
「ペリシテびとを攻めようと」
10 (イ)サムソンがテムナの女に関心をもったのはなぜですか。(ロ)このことにはどんな現代的成就がありますか。
10 サムソンの最初の手柄は,「ペリシテびとの娘で,テムナに住むひとりの女」に関したものでした。サムソンが彼女を妻に求めたとき,ふた親はまっこうから反対しました。神ののろいを受け,滅びの宣告下にあるカナン人の女をめとろうとは何ということですか! しかしサムソンが真に望んでいたのは結婚ではありません。むしろ,『このことはエホバから出た』のであり「サムソンはペリシテびとを攻めようと,おりをうかがっていた」のです。(士師 14:1-4。申命 7:3,4)「麦」のクリスチャンが,1879年から1919年まで,そこに捕われている誠実な人を見出して救うため,キリスト教国の異教的な教会制度と自由に交わったのは『エホバから』出ていたと思われます。これは,エホバのみ名を立証する機会を求めて,エリヤが当時のバアル崇拝者の所に行ったのと似ていました。(列王上 18:17-40)1894年「ものみの塔」140-141ページはこのような活動を唱道しました。そしてふた親が最後にサムソンと共にテムナに下って行ったように,エホバとみ使いは現代の「忠実な思慮深いどれい」のこのような証言活動を支持したように思われます。
11 「若いしし」は何を表わしていますか。どのように?
11 そののちどんな事がありましたか。「〔サムソン〕がテムナのぶどう畑に着くと,一頭の若いししがほえたけって彼に向かってきた」。(士師 14:5)聖書の中で,ししは正義と勇気を表わすのに使われています。(エゼキエル 1:10。黙示 4:6,7; 5:5)ここの「若いしし」はプロテスタント教会を表わしていると思われます。プロテスタント教会は,キリスト教の名の下になされたカトリック教会の悪習のあるものに対する大胆な抗議をきっかけとして始まりました。たとえば,西暦1517年,ルターがウイッテンベルグ教会のとびらにくぎ付けした95ヵ条があります。「ブリタニカ百科辞典」a はこれを,「その時代最悪の教会の悪弊……であった免罪符の販売に対する九十五の強烈な打撃」と評しています。しかしプロテスタント教会は教義面で家を清めることができず,カトリック教会が背教のキリスト教に取り入れたバビロン的な偽りの教えの多くに従い続けました。そして「ペリシテびと」の土地の奥深く,自分の好むぶどう畑に身をひそませていました。
12,13 現代において,サムソンがししと力を競ったことに相当するのは何ですか。例をあげなさい。
12 1879年の「ものみの塔」発刊当初から,聖霊に感動された「忠実な思慮深いどれい」は,聖書の真理を守るという点できわめて率直でした。プロテスタント牧師はこれを嫌悪し,偽りの教義の「隠れ場」からおどり出て,エホバの証人に対してほえたけり,証人の聖書文書を焼くことさえ主張しました。しかしこのプロテスタントの「しし」は戦いに勝ちましたか。「時に〔エホバ〕の霊が激しく〔サムソン〕に臨んだので,彼はあたかも子やぎを裂くようにそのししを裂いたが,手にはなんの武器も持っていなかった」。(士師 14:6,〔文語〕)第一次大戦前,プロテスタント教会に対するエホバの「どれい」の勝利はまさに決定的でした。それは神の霊によりました。
13 このことの顕著な例として,1903年,当時のものみの塔協会会長C・T・ラッセルとピッツバーグの牧師E・L・イートン博士との間でなされた,一連の論戦をあげることができます。その結果,多くの者がイートン博士の会衆を去ってエホバの証人となっただけでなく,少なからぬ数の牧師が基本的な問題に対する「ものみの塔」の正しさを認めました。最後の討論で,ラッセル兄弟が「永却の苦しみ」の非聖書性を明らかにしたとき,これら牧師の一人は彼に言いました。「あなたが地獄にホースを向け,火を消してくださったのはたいへんうれしいです」。
14 サムソンはどのように自分を力づけましたか。このことは今日どう成就していますか。
14 神の真理と正義のための霊的な戦いは,現代のサムソン級にとって終始大きな喜びとなってきました。神のみ心を行なうことは彼らの食物であり,特に敵に対するエホバのみ名の立証にあずかることは大きな喜びです。(ヨハネ 4:34)サムソンは帰り道にししの穴のところを通りましたが,「道を転じて,かのししのしかばねを見ると,ししのからだに,はちの群れと,蜜があった。彼はそれをかきあつめ,手にとって歩きながら食べた」。(士師 14:8,9)神権的な戦いのためにエホバに用いられ,プロテスタントの「しし」を神の真理のことばで暴露し,殺したことを思い起こすとき,サムソン級は今日に至るまで甘い食べ物を見つけたような喜びを覚えます。―エペソ 6:17。詩 77:11,12。
15,16 (イ)サムソンのなぞにちなんでどんなことが起きましたか。(ロ)これは何を予表していましたか。
15 この『甘さ』こそペリシテびとと行なったサムソンの最初の力くらべのきっかけになりました。サムソンはそれについてなぞをかけました。「食らう者から食い物が出,強い者から甘い物が出た」。指定された時までになぞを解けなかったペリシテびとは,不正にもサムソンのいいなずけをだまして答えを聞きました。それで彼らは正しく答えました。「蜜より甘いものに何があろう。ししより強いものに何があろう。」。サムソンはこのなぞによる負債をペリシテびとに相応のしかたで払いました。つまり彼はほかのペリシテびと30人を殺し,その着物を「かのなぞを解いた人々」に与えました。―士師 14:10-20。
16 1879年から1919年までの間,キリスト教国の宗教家は,小さな群れにすぎない献身したエホバの証人の力のひけつをさとれませんでした。彼らは神の「どれい」が知る,みむねを行なうことの『甘さ』を理解できず,また神の霊がいかに人の強さを増し加えるかを知りませんでした。偽りの宗教家を暴露し,霊的な意味で殺すわざは続けられました。そして,サムソン級にしつように反対した牧師は,いわば「ペリシテびと」の上着を1枚余分に着ることになりました。それは彼らが偽りの宗教に染まりきっていることのしるしです。「サムソン」の義憤は「激しく」燃え,それが頂点に達したのは1917年,論証的な本「完成された奥義」の発行です。
17 その後のサムソンの偉業は何を表わしますか。
17 サムソンのその後の偉業についてはどうですか。彼の超人的な離れわざ,つまり300匹のジャカルを捕え,尾と尾の間にたいまつをつけて放したことがあります。これによってサムソンはペリシテびとの刈り入れ前の穀草と刈って束ねた穀草,およびぶどう畑とオリーブの林を焼きました。同じように,第一次大戦前のエホバの「どれい」の活動は,キリスト教国の「霊的な」食物と称されるものを大いに焼きました。それは幾百万部の火のようなパンフレット,小冊子,本などによって無価値なことが示され,「火をつけ」られて中味を焼かれました。ききん,つまり「エホバのことばをきくことのききん」がキリスト教国を襲いました。(アモス 8:11,文語)エホバに強くされたサムソン級は偽りの宗教家を「さんざんに撃って」暴露し,「大ぜい殺し」ました。これは霊的な戦いにおいて攻勢の時期でした。―士師 15:1-8。
18,19 (イ)サムソンがエタムの岩の裂け目に身をよせたこと,(ロ)あご骨でペリシテびとを殺したこと,(ハ)エンハッコレで休んだことは何を予表していますか。
18 敵の圧迫を受けたサムソンはエタムの岩の裂け目に身をよせました。同じように,今日のサムソン級は『救いの岩』なるエホバにのがれ場と慰めを見出しています。(詩 89:26; 144:1,2)おくびょうなユダヤ人つまり仲間のイスラエル人はエタムのサムソンを捕え,敵に引き渡そうとしました。しかし彼らがサムソンを縛ったと思ったとき,「〔エホバ〕の霊が激しく彼に臨み」ました。サムソンは綱をばらばらに切り,「ろばの新しいあご骨一つ」を取って,一千人のペリシテびとを打ち殺しました。エホバの奇跡により,そのもろいあご骨はペリシテびとのかたい頭がい一千を砕くわざに耐えました。現代においても,エホバは柔和な態度であごを使う証人たちを強くされ,偽りの宗教家を率直にとがめ,他の柔和な人々を慰める彼らの仕事を助けられました。―イザヤ 61:1,2; 50:4。
19 かわきを覚えたサムソンは今エホバを呼びました。神は奇跡的に水をわき出させました。それでその場所は「エンハッコレ(呼はれるものゝ泉)」と呼ばれ,「今日までレヒに」あります。同じように,今日エホバは「ものみの塔」および他の聖書研究手引き,また会衆の集会を通じて,絶えることのない豊かな備えをしておられます。それは「自分の霊的な必要を意識する」エホバの証人を絶えず鼓舞して,神権的な戦いを続けさせるためです。わたしたちはこの備えをいつも十分に飲むべきです。―士師 15:9-19。マタイ 5:3,6。イザヤ 41:17,18。
ガザからヘブロンまで
20 サムソンはガザでどんな離れわざをしましたか。だれの力によって?
20 あるときサムソンはペリシテびとの町ガザに行き,一遊女の家に泊まりました。これは不道徳なことが目的でしたか。そうではありません。ここでも彼は「ペリシテびとを攻めようと,おりをうかがっていた」のです。ペリシテびとは彼を取り囲み,町の門に待ち伏せしました。ガザは城壁の強大なことで知られ,アレキサンダー大王など後世の征服者に対する挑戦となっています。その門柱はいかにも重々しかったことでしょう。しかし奇跡中の奇跡が起きたのです! サムソンは「夜中に起きて,町の門のとびらと二つの門柱に手をかけて,貫の木もろともに引き抜き,肩に載せて,ヘブロンの向かいにある山の頂に運んで行」きました。(士師 16:1-3)これは敵の領地からエホバ賛美の地ユダの山の頂きまで,優に60キロを越える道のりです。サムソンを強くしてこのような途方もない離れわざをさせたのはエホバの力にほかなりません!
21 牧師は神の「どれい」をどのようにわなにかけようとしましたか。彼らは何を考慮に入れていませんでしたか。
21 ペリシテびとの誇りをうち砕いたこの打撃には現代の相似例があります。「忠実な思慮深いどれい」の公式な雑誌「シオンのものみの塔」b は,1879年の創刊当初から,1914年が「異邦人の時」の終わりであり,キリストによる神の国が建てられる年であると,絶えず宣明していました。(ルカ 21:24,欽定訳)ペリシテびとのような宗教家は言いました。『1914年まで待ち伏せよう。そしてこれら「聖書研究生」の予言があたらなかったとき,彼らを捕えよう!』。しかし彼らは,ご自分のことばの中にずっと昔から記録された預言を必ず果たす,エホバの決意を考慮に入れていませんでした。―イザヤ 46:9-11。
22 1914年に何が起きましたか。ニューヨークの一新聞はこれについて何と論評しましたか。
22 まさに予告通りの1914年秋,キリストの治める『われらの神の国』は天で支配を始めました。そのことの目に見える証拠として,「諸国民は怒り狂」って第一次世界大戦を始め,「事物の制度の終結」をしるしつづける他の患難が人類を苦しめ始めました。(黙示 11:18)それは献身したエホバの「どれい」がエホバの霊に動かされて警告したとおりでした。ニューヨークの有力な新聞「ザ・ワールド」は1914年8月30日付の紙上でこのことを特筆し,一部次のように述べました。
欧州で始まった恐るべき戦争は異常な予言の成就である。過去四半世紀の間,「万国聖書研究生」[エホバの証人]は,伝道者また印刷物を通じて……聖書に預言された怒りの日は1914年に明けるであろうと,世界に宣明してきた。「1914年に注意せよ!」とは,旅行する幾百人の福音伝道者の合ことばであった。彼らはこの奇妙な教義を広めつつ,「神の国は近づいた」と国中にふれまわった……そして1914年に到来したのは戦争である。それはすべての者が恐れ,だれもまじめには予期しなかった戦争である。
23 サムソン級の正しさはどのように立証されましたか。結果としてエホバはどのように賛美されましたか。
23 エホバにより強くされた「忠実な思慮深いどれい」は,こうして敵の待ち伏せした門を門柱もろともに抜き取り,エホバ賛美の地の高い所にまで運びました。エホバの預言のことばに従ったサムソン級はその正しさを立証されました。そして,キリストによる神の国が確かに1914年に建てられ,今存在することの証拠がいよいよ明らかになるにつれ,エホバはますます賛美されています!―黙示 12:10,12。
サムソンとデリラ
24 サムソンの長い髪の毛は何のしるしでしたか。
24 サムソンはナジルびとだったことを忘れないでください。彼が神によって強くされたのは,エホバに対する不動の献身のためでした。彼の長い髪の毛はその象徴です。彼の強さは切らない髪の毛が表わしたものにありました。同じように,今日のエホバの「どれい」の強さはエホバに対するゆるがぬ献身にあります。「男に長い髪があれば彼の恥になり」とあるように,サムソン級は世の侮べつに耐え,恐れずにまた妥協することなく神への忠実を守らねばなりません。―コリント第一 11:14。
25,26 (イ)デリラとはだれですか。彼女はだれを予表しましたか。(ロ)この級の者はサムソンにどんな影響を与えようとしましたか。結果はどうなりましたか。
25 「この後,サムソンはソレクの谷にいるデリラという女を愛した」。(士師 16:4)デリラとはどんな女でしたか。彼女の名には「ぐずぐずした」という意味があり,彼女はイスラエル人であったと思われます。エホバの証人の現代史上にも霊によって生まれた級の中にデリラのような者が登場します。それらの者は1914年,直ちに天の御国に召されなかったことを怒り,熱意を失いました。1917年から1918年にかけて,彼らはものみの塔協会を自分の管理下において,現代のペリシテびととの妥協を図ろうとしました。彼らは献身したサムソン級に対して真実の愛をいだいていませんでしたが,サムソン級は『あかりが消えかかっていた』これらの仲間に純粋な愛をもちました。(マタイ 25:8)サムソン級は彼らを立ちかえらせようとしましたが,デリラ級はその機会を利用し,キリスト教国の宗教家に引き渡すため,サムソン級を妥協の綱で何度も縛ろうとしました。
26 これらかつての愛人は献身した「サムソン」が偽りの宗教に対する戦闘の手をゆるめることを望みました。今やキリスト教国の宗教家は戦線の両側で第一次世界大戦を熱烈に支持していましたが,デリラ級は神を恐れる「聖書研究生」が大戦の愛国的な雰囲気に乗ることを望んだのです。しかし「サムソン」は「デリラ」の手くだに容易なことでは屈しませんでした。1917年4月15日号「ものみの塔」ははっきり述べました。「クリスチャンに中間的な立場はありません。一つの道つまり参戦拒否の道を取ることによってのみ……主に対する忠誠を守れます」。
27 サムソン級の忠実さはどのように危険になりましたか。彼らはついにどんなわなに落ちましたか。
27 神の「どれい」がこれら「愛人」の反逆者を親切に扱おうとしたことは,サムソンが,献身のしるしとしてあれほど大切であった自分の髪の毛を機の縦糸と一緒に織ることをデリラに許したことと比較できるでしょう。忠実さが危険になりました! そしてサムソンが二心のデリラのひざの上で寝たように,ぐずぐずした背教者に対するサムソン級の懐柔的な態度はついに自らを弱め,妥協を始める結果になりました。献身した証人が1918年にそのようなわなに落ち込んだことは,同年6月1日号「ものみの塔」の一記事によく見られます。その記事は合衆国大統領の宣言した「祈りと願いの日」である1918年5月30日を支持したものであり,こう述べていました。「戦争の結果として約束された栄光……および世界が一般民に安全な所となることについて,神に感謝し,また神をたたえよう」。
28,29 (イ)「どれい」が妥協した結果は何ですか。(ロ)今どんなことが疑問になりますか。
28 世との妥協はエホバの霊を失う結果になりました。サムソン級の髪の毛は象徴的な意味で切り取られ,彼らの「力は去って」ゆきました。ペリシテびとたる宗教家は神の「どれい」を捕えることに成功し,神のみ心を見きわめる「どれい」の両眼をえぐり,ペリシテびとの領地にある「獄屋の中で,(彼に)うすをひ」かせました。しばらくの間,神の国に対する「どれい」の大胆な証言は行なわれなくなりました。宗教的な圧迫によって投獄さえもたらされました。ものみの塔の2代目の会長と他の7人の責任ある兄弟は,偽りの告訴によって最高80年の投獄刑を宣告されたのです。敵はニューヨーク市ブルックリンの協会本部を閉鎖させました。しかし,「サムソン」投獄のこうした暗黒時代にも,「ものみの塔」はペンシルバニア州ピッツバーグから引き続き発行され,かすかであっても,希望と慰めの光を放っていました。―士師 16:5-21。
29 エホバはご自分の「どれい」をこの捕われの状態で見捨てられるのですか。サムソン級はこの苦境の理由に目ざめますか。エホバは神権的な活動のためにご自分のしもべを再び強くされますか。次の記事はその点を扱います。
[脚注]
a 第17巻「ルター」の項
b 今の「ものみの塔」