あなたの生き方をエホバの目的にかなうものにしなさい
1 (イ)今日,思いと心のどんな態度が人類を苦しめていますか。(ロ)ルツとナオミの直面したどんな挑戦が,熱意と専心の点でわたしたちに教訓を与えるものとなっていますか。
「人みな信仰あるに非ざればなり」とは使徒パウロのことばです。(テサロニケ後 3:2)このようにいえる理由は数々ありますが,中でも著しい理由となっているのは,この20世紀においてきわめて強力になった自己決定の精神です。自己の欲望を充足させようとするこの欲求は,一種の宗教となり,創造者に対する愛は片隅に押しのけられ,創造者の目的に対する無関心さのため人びとの心と思いは完全にそこなわれています。したがって,エホバへの奉仕の挑戦を無私の念をもって受け入れ,自分の生き方をエホバの目的にかなうものにした人たちを見るのはエホバにとってどんなにか気持ちのよいことでしょう。また,わたしたちにとってそれらの人はなんとすぐれた模範でしょう。そうした顕著な模範の一つは,自分の民とモアブにあるわが家をあとにして,義理の母であるやもめナオミに同伴してベツレヘムに赴いた昔のルツのそれです。自分もやもめであったルツは,モアブで夫を見つけて,住み慣れた環境の中に落ち着き,家族をもうけたいと思えば,おそらくそうすることもできたでしょう。しかし,ナオミに対する愛,またエホバの崇拝に対する愛に動かされたルツは,すべてを捨ててナオミとともにイスラエルに赴いたのです。イスラエルの慣れない境遇の中でルツの無私の愛は十分に試みられましたが,自分の生き方をエホバの目的にかなうものにしたいとの誠実な願いにささえられたルツは,一瞬のためらいもなくこの挑戦を受け入れました。ルツとナオミにもたらされた結果は,その過程で次々に生じたできごととともに,熱意と専心の点でわたしたちを奮い立たせずにはおかない教訓となっています。
2,3 ナオミがルツを伴って故国に戻ったことは現代において何を意味していますか。
2 時は大麦の収穫のころですから,過ぎ越しの祝いののちで,冬の雨も終わった春です。ベツレヘム・ユダでは今は収穫するものがあります。10年もの長い飢きんも去り,その地は再びパンのある所となりました。その間,ナオミはモアブで暮らし,その地で夫エリメレクとふたりの息子を失いました。その息子のひとりはマロンで,ルツの夫でした。今やナオミはルツとともに神の恵みを得て,再びわが家にいます。ふたりはナオミの故国に集められ,ナオミの相続地に戻ったのです。(ルツ 1:22)このことは現代において何を意味していますか。現代の歴史に見られる対型においては,このことは選ばれた者たちすべて,つまりイエスの油そそがれた弟子たちの残れる者がみ使いたちによって再び集められることについて述べたイエスのことばに注意を向させます。再び集められるのはいつですか。大いなるバビロン(偽りの宗教の世界帝国)が,対型的な大いなるクロスの前に倒れた後です。したがってそれは,事物の体制の終わりに関するイエスの預言の成就する時です。―マタイ 24:29-31。
3 イザヤ書 12章1,2節は,残れる者を大いなるバビロンから導き出して集めるその時の喜びについて次のように述べています。「その日なんぢ言ん エホバよ我なんぢに感謝すべし汝さきに我をいかり給ひしかどその怒はやみて我をなぐさめたまへり 視よ神はわが救なり われ依頼ておそるるところなし主エホバはわが力わが歌なり エホバは亦わが救となりたまへり」。ナオミ級の残れる者は1919年に神の恵みにあずかる立場に回復され,自分たちに対する神の目的にしたがって神の奉仕を行なうべく再興されて以来,このことばを繰り返し語ってきました。
収穫にさいして示された熱意は実を結ぶ
4 ルツはイスラエルにおけるどんな備えにしたがってナオミの生計を助けようとしますか。ルツの愛の労働はどのように報われますか。
4 さて,模型的な劇の中では大麦の収穫が進んでいました。ルツは義理の母といっしょに生活していましたが,義母に負担をかけたくはありませんでした。ナオミの生計を助けたいと願っていたのです。それでナオミの同意を得たルツは,収穫にかんするイスラエルの律法を活用しました。(レビ 19:9,10)こうしるされています。「[ルツは]往き遂に至りて刈者の後にしたがひ田にて穂を拾ふ 彼[つまりルツ]意はずもエリメレクの族なるボアズの田の中にいたれり」。(ルツ 2:1-3)ボアズはエホバの真の崇拝者で,エホバの律法を尊ぶ人でした。(ルツ 2:4-7)ルツの身元を知ったボアズは,大麦の収穫とその後5月のペンテコステの祝いまで続く小麦の収穫が終わるまでずっと自分の畑でルツが働けるように取り計らいます。そうしてボアズはルツにこう語ります。「汝が夫の死たるより已来 姑に尽したる事汝がその父母および生れたる国を離れて見ず識ずの民に来りし事皆われに聞えたり ねがはくはエホバ汝の行為に報いたまへ ねがはくはイスラエルの神エホバ即ち汝がその翼の下に身を寄んとて来れる者 汝に十分の報施をたまはんことを」。(ルツ 2:8-13)このように取り計らってルツに恵みを示したボアズは,彼女の義理の母である年老いたナオミにも益が及ぶことを念頭に置いていました。
5,6 ルツがナオミに加わって収穫の活動に携わったことは何を表わしていますか。
5 このことを成就する現代の劇的なできごとは,イエスが言われた次のことと一致します。「畑は世界なり……収穫は〔事物の体制の終局〕なり,刈る者は御使たちなり」。(マタイ 13:38,39〔新〕)キリストの花嫁の成員数は1919年までにはまだ満たされてはいませんでした。もっと多くの人が集められなければなりませんでした。そして,ルツがナオミに加わって,彼女とともに収穫の活動に勤勉に,死に至るまでも忠節に携わったのと全く同様,残れる者級に新たに加えられる人たちは1919年以降現われはじめました。ルツはこの付け加えられた人たちの級を表わしていました。
6 その年つまり1919年の9月6日,土曜日午後,アメリカ,オハイオ州シーダーポイントの大会にさいしてエリー湖畔で集団バプテスマが行なわれ,200人余の人びとがバプテスマを受けました。それらの人びとはキリストの花嫁の年経た最初のナオミ級の残れる者に加えられたのです。その集団バプテスマを見守った人たちの中には,同年3月25日,火曜日,アトランタ連邦刑務所から釈放された,ものみの塔協会の役員もいました。彼らは今や新たに自由の身になったことを喜ぶとともに,エホバ神の神権政府の王国の関心事のためになおも働いていました。その3年後の1922年,オハイオ州シーダーポイントで再び別の大会が開かれました。同年9月9日,土曜日,361名がバプテスマを受けました。時を経るにつれ,ルツ級は引き続き加えられました。今や現代のルツ級はモアブの女ルツのように,神のなさる地上における収穫,つまり預言的な劇が表わすように大麦の収穫と小麦の収穫の両方の終わりまでナオミ級とともに熱心に働くことを決意しました。そして,ルツはボアズからすぐれた女であると言われましたが,残れる者に新たに加えられたこれらの人びとについても同じことがいえます。それらの人はエホバ神に専心献身した対型的なすぐれた女であることが示されました。
ルツの専心を試みるものとなったナオミの希望
7 (イ)ナオミはどのようにしてのみエリメレクの名において相続地を守り,また約束のシロに至る王統を継続させるのに貢献できますか。(ロ)これはルツにとってどのように挑戦となりますか。
7 さて,ルツの勤勉な働きとボアズの寛大な取り計らいの結果,ナオミとルツは食物に恵まれます。とはいえ,ナオミはやはり出産年齢をとうに過ぎた年老いたやもめであり,なくなった夫エリメレクのものである相続地を持っています。ルツが代理者つまり代わりの者として行動するのでなければ,今やナオミはどうすることもできません。ナオミは窮境を切り抜ける道を見いだします。つまりその所有地を売ることにします。それは特にこの売買において取り扱わなければならないルツの益を考えてのことです。それにナオミとその義理の娘ルツはやもめの身では,ユダの支族の王統を継続させて約束のシロをもたらすことに貢献できるわけがありません。ナオミはどうしても子どもを持たなければなりません。養子を,つまりユダの支族に属する子どもをルツによって持たなければなりません。なぜなら,その相続地はユダの支族から他に移せないからです。ゆえにルツはユダの支族の男子と結婚して,相続地をその支族のものとして守らなければなりません。それにはまず,ルツは自分のためのそうした生き方を受け入れて,年配のボアズ以外の若者を求める気持ちがあればそれをすべて捨てなければなりません。彼女はこうした提案にはたしてどう応じますか。
8 ナオミは自分たちの問題のこうした解決策を実行に移すべく,どのようにルツに提案しますか。ルツはどのように答え応じますか。
8 ナオミはルツに向かってごく率直な挑戦のことばを述べます。「女子よ 我汝の安身所を求めて汝を幸ならしむべきにあらずや夫汝が偕にありし婢等を有る彼ボアズは我等の知己なるにあらずや視よ彼は今夜禾場にて大麦を簸る 然ば汝の身を洗て膏をぬり衣服をまとひて禾場に下り汝をその人にしらせずしてその食飲を終るを待て 而て彼が臥す所を見とめおき入てその脚をまくりて其処に臥せよ彼なんぢの為べきことを汝につげん」。ルツはどのように答え応じましたか。「ルツ姑にいひけるは汝が我に言ところは我皆なすべしと すなはち禾場に下り凡てその姑の命ぜしごとくなせり」― ルツ 3:1-6。
9 こうした措置を講ずる点でナオミはどのようにパウロに似ていますか。
9 ナオミは使徒パウロに似ています。パウロは教会つまり会衆と自分との関係についてこう述べます。「われ汝らを潔き処女として一人の夫なるキリストに献げんとて,之に許嫁したればなり」。(コリント後 11:2)同様にナオミはルツが然るべき人と結婚できるよう手はずを整えます。そこでルツは畑に出て行き,ボアズの足もとに横たわります。真夜中になってボアズが起き上がると,ルツは,なくなったエリメレクにすえを興すため自分を妻としてめとっていただきたいと申し出ます。―ルツ 3:7-9。
もう一人の「ゴーエール」が間にはいる
10 これはどうしてナオミとルツの側の不倫な行動ではありませんでしたか。ボアズはルツの逆縁結婚の申し込みをどうみなしましたか。
10 これはナオミとルツの側の不倫な行動ではありません。それは単に,買い戻す者つまりゴーエールの立場にある人の節操に対する信頼を表明する行為でした。ボアズがルツの動機を誤解しなかったこと,つまりルツの逆縁結婚の申し込みをみだらな交渉の申し出と誤って解したのでないことは彼の返答からもわかります。「ボアズいひけるは女子よねがはくはエホバの恩典なんぢにいたれ汝の後の誠実は前のよりも勝る其は汝貧きと富とを論ず少き人に従ふことをせざればなり されば女子よ懼るなかれ汝が言ふところの事は皆われ汝のためになすべし其はわが邑の人皆なんぢの賢き女なるをしればなり 我はまことに〔買い戻す者〕なりと雖も我よりも近き〔買い戻す者〕あり 今夜は此に住宿れ朝におよびて彼もし汝〔を買い戻す〕ならば善し彼に〔買い戻すことをさせ〕よ然ど彼もし汝〔を戻すこと〕を好まずばエホバは活く我汝〔を買い買い戻さ〕ん」― ルツ 3:10-13〔新〕。
11 (イ)ボアズはルツの申し出を直ちに受け入れて,ルツに対して買い戻す者として行動しようとはしませんでした。なぜですか。(ロ)このことは対型においてどのようにあてはまりますか。
11 ボアズは節操を守る人で,大いなる自制心の持ち主ですから,自分よりももっとナオミに近い親族関係にある男の人がいることをルツに思い起こさせます。ボアズ自身はナオミのおいに当たりますが,そのより近い親族に当たる人はナオミの義理の兄弟です。彼こそ買い戻す者つまりゴーエールとしてナオミの相続地を買い取る機会を最初に持つべき人です。そうだからといって,多年家族の責任を持たずに独身で過ごしてきた年配のボアズが,たとえ父親となって家族をかかえることになるにせよ,自分の務めを果たすのを快しとしないという意味ではありません。ボアズは,自分が属しているユダの支族の約束のシロをもたらすに至る王統に貢献することをいといません。このことは対型において天的なゴーエールつまり買い戻す者もしくは買い請ける者としての主イエス・キリストにもあてはまります。しかしまず最初にイエス・キリストは,「某」と呼ばれたナオミの義理の兄弟で表わされる者がだれであれ,その者の前にナオミ級とルツ級があらわにされるままにします。これは今日の残れる者のナオミとルツの区分に属する人びとに試練をもたらします。だれが勝ちを得ますか。だれが敗れますか。記録が答えてくれます。
12 ルツとナオミはボアズの取った態度にどのように応じますか。
12 ルツは朝日が町にさしはじめる前に義理の母のもとに行きます。ボアズから約束のしるしとしてもらった6升の大麦を自分の外とうに包んでかかえているルツは喜びにあふれています。年老いたナオミはルツに「女子よ如何ありしや」とことばをかけます。ナオミのこのことばの意味を汲み取ったルツは,自分はまだボアズの妻ではないと言いながらも,起きたこと,またボアズが語ったことをみな述べます。ついでナオミは言います。「女子よ坐して待ち事の如何になりゆくかを見よ 彼人今日その事を為終ずば安んぜざるべければなり」。ルツは将来に対する明るい希望をいだいて待ち設けます。ナオミは一生の願いの成就を望んで待ちます。―ルツ 3:14-18。
挑戦に面する買い戻す者
13 問題に結着をつけるためボアズはどのように行動しましたか。
13 さて,この重大な日に,最高潮をなすできごとが急速に展開されはじめます。「爰にボアズ門の所にのぼり往て其処に坐しけるに前にボアズの言たる〔買い戻す者〕過りければ之に言ふ 某よ来りて此に坐せよと即ち来りて坐す……時に彼その〔買い戻す者〕にいひけるはモアブの地より還りしナオミ我等の兄弟エリメレクの地を売る 我汝につげしらせて此に坐する人々の前わが民の〔年長者たち〕の前にて之を買へと言んと想へり 汝もし之を〔買い戻さ〕んとおもはば〔買い戻す〕べし然どもし之を〔買い戻さ〕ずば吾に告てしらしめよ汝の外に〔買い戻す〕者なければなり我はなんぢの次なりと 彼我これを〔買い戻さ〕んとい(へり)」― ルツ 4:1-4〔新〕。
14 「某」と呼ばれた人は,買い戻す者になってもらいたいとの挑戦にどう応じましたか。
14 そうです,「某」と呼ばれている人は問題の地所を喜んで買おうとします。そうすればベツレヘムにおける自分の所有地はふえるのです。しかもこの老婦人ナオミはといえば,彼女は生殖力を失っている以上,彼女から子どもが生まれて,地所がその子に受け継がれるおそれはありません。ゆえに彼はすでに持っているものに加えて,ナオミの地所全部を自分のものにすることができるのです。「ボアズいふ汝ナオミの手よりその地を買ふ日には死る者の妻なりしモアブの女ルツをも買て死る者の名をその産業に存すべきなり」。さあ,これは別問題です。それは責任が重すぎます。問題をむずかしくするおそれがあります。この予想外の挑戦に面したその買い戻す者はボアズに返答します。「我はみづから〔買い戻す〕あたはず恐くはわが産業を壊はん汝みづから我にかはりて〔買い戻せ〕我〔買い戻す〕ことあたはざればなり」。そこで彼はサンダルを脱ぎ,合意のしるしとしてそれをボアズに手渡します。―ルツ 4:5-8〔新〕。
15 ボアズはどんな道を取りましたか。
15 「某」と呼ばれた人は挑戦に応じませんでした。しかしボアズは応じました。ボアズはその取り決めを受け入れます。しかも喜んでそうします。そして,その近い親族と人びとすべてにこう言います。「汝等今日見証をなす我エリメレクの凡の所有およびキリオンとマロンの凡の所有をナオミの手より買たり,我またマロンの妻なりしモアブの女ルツを買て妻となし彼死る者の名をその産業に存すべし是かの死る者の名をその兄弟の中とその処の門に絶ざらしめんためなり,汝等今日証をなす」。こうしてボアズは兄弟に対する責任にかんするエホバの目的を成し遂げますが,一方,「某」と呼ばれた人は門の所にいた人びとすべての目の前で恥辱をこうむります。―ルツ 4:9-12。
16 「某」と呼ばれた人は現代におけるだれを代表しますか。
16 それにしても,「某」と呼ばれた人は現代におけるだれを代表していますか。また,この挑戦はおよそ30世紀後の今日のわたしたちにどのように影響しますか。「某」と呼ばれた人は一時ボアズの前に立ちはだかりましたから,彼は,ナオミ級およびルツ級の人たちが霊的に婚約している花婿イエス・キリストの前に,この地上で立ちはだかっている人びとの級を代表しているといえます。ナオミの義理の兄弟で,エリメレクに代わってすえを興そうと思えばそうすることもできたこの「某」と呼ばれた人は,自分の義務を怠る単なる見せかけのキリスト,偽りの預言者を表わしています。主イエス・キリストはそのような者についてご自分の追随者にこう警告なさいました。「[終わりの時に]偽キリスト・偽預言者おこりて大なる徴と不思議とを現はし,為し得べくば選民をも惑はさんと為るなり」。その選民とはすなわちナオミ級とルツ級の人びとです。(マタイ 24:24)今日この偽キリスト級についても同じことがいえます。そうです,彼らは会衆つまり主イエス・キリストと婚約した残れる者を捕え,その賛助と支持を取りつけたいと望んではいますが,ナオミ級とルツ級を王国の関心事の点で実を結ばせようとする責任は欲しません。それは骨の折れすぎる仕事なのです。それは自分たちの利己的な関心事を妨げすぎるのです。彼らは神の王国に関心を持たず,むしろ国際連盟,そして今では現在の国際連合を好んでいます。シロつまり王イエス・キリストの王統に結ばれたいとは考えません。こうした思考態度と行動があてはまるのはほかならぬキリスト教世界の僧職者だけです。彼らはエホバの奉仕の挑戦を受け入れず,自分たちの生き方をエホバの目的にかなうものにしませんでした。イエスは,それらの者からのがれるよう,わたしたちに警告されました。―テモテ後 3:5。黙示 18:4。
エホバの道を受け入れる人は祝福される
17 ボアズとルツは自分たちに対する挑戦を受け入れて,どのように祝福されますか。ナオミの関心事はどのように何とからみ合っていますか。
17 一方,ボアズは約束どおりルツを逆縁の妻としてめとります。(ルツ 4:13-15)ふたりは結婚しましたが,王あるいはシロを生み出したわけではありません。イスラエルの王朝はまだ始まってはいなかったからです。しかし,ユダの11代目の子孫で,エホバから永遠の王国のための契約を結ばれたダビデ王の祖父になった人をまさしく生み出しました。(マタイ 1:3-6。サムエル後 7:12,13)そしてその人の家系はやがてダビデ王の永遠の相続者,主イエス・キリストに達するのです。(ルカ 3:23-31; 20:41-44)ルツの関心事とナオミのそれとはことごとくからみ合っています。ルツは母親ですが,ナオミはルツの赤子を養子に迎え,あたかもその子が自分の死んだ夫エリメレクの息子で,エリメレクの相続物を受け継ぐ者でもあるかのように,うばとしてその子の世話をします。したがって隣人たちはこう言います。「ナオミに男子うまれたりと其名をオベデ[「しもべ」あるいは「仕える者」の意]と称り」。(ルツ 4:16,17)こうしてボアズとルツはエホバの目的にかんする関心事を心にとめて,自分たちに対する挑戦を受け入れ,エホバの目的を成し遂げることに無私の態度をもって一身をささげます。そしてエホバはふたりを祝福され,約束のシロをもたらす王統にまさしく属すべき人を生み出させます。そのシロの「笏はユダからそれず,命令者の杖もその足の間からそれず……彼に諸民族の従順が帰属する」のです。―創世 49:10,新。
18 今日の残れる者のナオミとルツで表わされる二つの階層の間にはどんな関係が見られますか。それによって何が生み出されていますか。
18 さて,わたしたちの時代の今日,ついに霊的な残れる者のナオミ級とルツ級はキリスト,つまりヤコブの預言のシロの花嫁になる用意が整っています。しかし彼らはボアズとルツの場合同様,神のメシヤの王国の油そそがれた王を生み出すわけではありません。とはいえ,神に仕える一つの級を確かに生み出しています。ベツレヘムでルツに生まれた男の子の名が,「仕える者」あるいは「しもべ」という意味のオベデと呼ばれたのと全く同様に,現代のルツとナオミ級は,マタイ伝 24章のイエスの預言の中で「忠実で思慮深い奴隷」として描かれている一つの級を生み出す,もしくは構成しています。同時に,今日の霊的な残れる者のナオミとルツで表わされる二つの階層は,年長のやもめナオミにとって『七人の子よりも善もの』であったルツのナオミに対する破れることのない愛にも似た熱烈な愛で結ばれています。死以外にはこの両者を引き離しうるものは何もありません。
熱意と専心を表わすべき時
19 ナオミとルツは,この体制の終わりに臨んでいる人たちにとって無私の愛のどんな模範となっていますか。
19 劇的で人を感動させる聖書のルツ記には熱意と専心の点で何とすぐれた教訓を見いだせるのでしょう。それに,現代のルツとナオミ級は,この邪悪な事物の体制の終わりの時のいま生きている人たちにとって何とすぐれた模範でしょう。今は,自己決定を指針として,利己的な関心事や営みのために自分の思いどおりの生き方を選ぶべき時ではありません。また,今や最高潮に達しようとしている,この事物の体制にかんする神の目的に無関心でいるべき時でもありません。確かにナオミは自分がシロの家系に用いられるかどうかはわからないと感じていましたが,それでもそうした事態が生じうるようにするため喜んで全生涯をささげました。それにルツは若い女でしたから,もし望むならば金持ちでも,あるいはもし愛していたのであれば貧しい人であれ,どんな若者とでも結婚できたのに,そうしないで,ただわが子をナオミの息子にさせたいために,年取った男と喜んで結婚しました。しかしふたりがそうしたのは,エホバを愛していたからであり,エホバの目的の成就の一端にあずかりたかったからでした。何という無私の愛の模範でしょう。しかも,ナオミもルツも当時の仲間の隣人の間ではごく“普通の”人とみなされていたと考えられるのです。
20 パウロはどんな警告を与えましたか。今日わたしたちはどうすれば,エホバからの報いの祝福にあずかれますか。
20 今日,わたしたちは「終わりの時」つまりこうした預言がみなすばらしい成就を見ている時代に生活しています。パウロはわたしたちに対する次のような警告のことばを書きました。「兄弟よ,われ之を言はん,時は縮れり。されば此よりのち……世を用ふる者は用ひ尽さぬが如くすべし。此の世の状態は過行くべければなり」。(コリント前 7:29-31)もしわたしたちがこの体制の人びとと同様に生活して,単に生計を立てるための営みだけに時間を費やせると考えるなら,わたしたちはやがて突然幻滅を感じさせられるでしょう。なぜなら,パウロが示しているように,この世は急速に消滅しつつあり,まもなくそうした生活は全くできなくなってしまうからです。今日,メシヤの王国の祝福がまもなく全地に行き渡ろうとしている見込みを考えると,生きてなすべきことはあまりにもたくさんありますが,現在のこの邪悪な体制の中で生活する時間はごくわずかしか残されていません。たとえこの体制がわたしたちのために提供するものすべてをわたしたちが捨てるとしても,つまりパウロが述べたように,「世を用ふる者は用ひ尽さぬが如く」するとしても,それとルツの取った歩み,またエホバの目的を成し遂げる点ですでに多年を過ごしてきたルツ級の取った歩みとをはたしてどのように比較できるでしょうか。ところがエホバは,油そそがれた残れる者のナオミとルツで表わされる二つの階層を両方とも王国の実をもって祝福されたのと全く同様に,エホバへの奉仕の挑戦を今全面的に受け入れ,自分の生き方をエホバの目的にかなうものにする人をだれでも祝福なさるのです。いったいこれ以上にすぐれたどんな報いにあずかれるでしょうか。
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ルツは無私の態度をもって赤子をナオミに差し出し,ナオミはその子を養子に迎え,あたかも自分自身の息子のように世話をした。その子はメシヤの先祖のひとりになった