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伝道をつづけるのはなぜですかものみの塔 1965 | 12月15日
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を滅ぼすこと,諸国民の時の終わりとイエスの再臨が1914年に始まったことについて戸別に伝道する人々のことを自動的に思い浮かべるでしょう。結婚や離婚,家庭生活,仕事などにかんして聖書の道徳の標準を固く守る人々,全世界でクリスチャンの愛を働かす人々,清く汚れのない崇拝を維持することに努め,自由や命をさえ危険にさらしても自分の信条を捨てない人々,血の使用について神の戒めを固く守る人々を彼らは思い浮かべるでしょう。これは次のことを証明します。つまり,エホバの証人の行いと伝道により,人々は神のみこころを知る責任が生まれるということです。それはノアの場合と同じです。ノアの敬虔な態度と信仰の行い,および伝道は,「世の罪を定め」ました。―ヘブル 11:7,文語。
しかし今日の人々は,政治,商業,その他ありとあらゆることにかんする宣伝を絶えず聞かされているので,彼らの前にエホバの御名を常に示さないならば,政界,スポーツ界,芸能界の有名人の名のために,エホバの御名は人々から忘れられてしまいます。もし伝道をやめるなら,政治上のむなしい雑論から,陳腐なドラマ,歯みがきのコマーシャルに至るまで,あとからあとから押し寄せる宣伝の波に洗われる人々は,すぐに神の御国の音信を忘れてしまいます。ですから私たちは伝道をつづけましょう。予期しない時に扉をたたく音を聞けば,人々は,エホバの証人だな,と思うでしょう。そしてたとえ嘲笑するだけにとどまっても,エホバという名を心に思い浮かべるなら,エホバの目的と,きたるべきさばきをも同時に思い出すでしょう。
伝道活動を継続することは,救いのためのエホバのあわれみあるご配慮の一部です。信じない人も,さし迫った神のさばきの執行について知らされねばなりません。その伝道を行なうのはエホバの証人の特権です。それゆえにエホバの証人は,エホバご自身が,ハルマゲドンにおいてこの仕事に終止符を打たれるまで,伝道をつづけねばなりません。「主よ,いつまでですか」。イザヤ書 6章11,12節にはこう書かれています。「町々は荒れすたれ,住む者もなく,家には人かげもなく,国は全く荒れ地……となる時まで」。
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読者からの質問ものみの塔 1965 | 12月15日
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読者からの質問
● サムエル前書 18章10節に「神より出たる悪鬼サウルにのぞみてサウル家のなかにて預言したり」とあるのはどんな意味ですか。
サムエル前書 16章14節は「エホバの霊サウルをはなれエホバより来る悪鬼これを悩せり」と述べています。この場合には,心と生活がエホバの聖霊で満たされていなければ悪霊がはいりやすいというマタイ伝 12章43節から45節でイエスが示された原則があてはまります。
エホバがサウルを悩ますため,実際に悪霊を送ったというのではありません。不忠実な王から神の聖霊がとり除かれたため,空白状態となったサウルの心はすぐに悪い霊,あるいは悪い心の性質で満たされたのです。エホバが聖霊を除いて,悪い心を持つことを可能にされたので,エホバが悪霊の源とされているのです。
この悪霊がどのようにサウルを預言者らしく振舞わせたかはくわしく記録されていません。しかしある翻訳は,「預言者の熱狂状態になり」(ア訳)と訳しています。他の訳は「預言者のようにふるまった」,あるいは単に「たわごとを言った」としています。この事についてソンシノ訳は「彼がたわごとを言ったとは,文字通り『預言者のようにふるまった』ことであって,預言者の群れのこうこつ的熱狂と関連のある身体の興奮を表わしたのである」と述べています。この場合には音楽がかなでられており,音楽がかなでられる際にある預言者は預言しましたが,この特別な場合その熱狂は悪い方向に導かれていたようです。もしサウルがエホバからの霊の影響を受けていたら,それが悪い方向に導かれる事はなかったはずです。(列王下 3:14,15。サムエル前 10:5-13)
続いて次のように述べている記録からも,私たちはこのように理解できます。「サウル家のなかにて預言したりしかばダビデもとのごとく手をもって琴をひけり時にサウルの手に投槍ありければサウル我ダビデを壁に刺とほさんといひて」。たしかにそのような行動は心が非常に乱れていたことを表わしています。―サムエル前 18:10,11。
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