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神の目的とエホバの証者(その8)ものみの塔 1960 | 12月15日
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と私は知つていたので,彼の成功を祈り,彼の新聞,「シオンのデイスター」(いまでは長年のあいだ印刷が中断されている)の見本1枚を約1万人の我々の読者に紹介した。……しかし,1年足らずのうちにそれは厚かましくも不誠実の道に走つた。i
それから,1890年代の初期に,反逆の種子はさらに制度内に播かれました。ある顕著な奉仕者たちは,パストー・ラッセルに反対して,協会を自分たちの思いのままに運営しようと欲しました。1893年,イリノイ州シカゴの大会の後,これらの陰謀家たちは,ラッセルの人気を終らせ,協会の会長を辞任させるためのキメ手とも言うべき悪事をたくらみました。この問題はパストー・ラッセルをひどくなやませ,悲しませました。しかし,すべての事実が明るみに出されたとき,ラッセルの正しいことは証明されラッセルに反対の陰謀を企てたものは間もない中に全く影をひそめ,奉仕のわざは彼らなしでつづけられて行きました。j
さて,今度は別のことが生じました。ラッセル夫人は,長年のあいだ協会の理事でもあり,役員でもありました。また協会の秘書会計士の仕事もしていました。彼女はまた「ものみの塔」誌の共同編集者で「ものみの塔」に定期的に寄稿していました。ちよつと前にお話した問題が生じたとき,ラッセル夫人はたくさんの会衆を訪問して,自分の夫のために論じました。彼女は,教育を受けた聡明な婦人であつたため,人々は彼女を快く受けいれたのです。しかし,その結果として,彼女は強い立場を求め,「ものみの塔」誌内に出版すべきものの決定権を得ようとしました。このような野心は,持つてはならないもの,悪いものです。ちようどモーセの妹ミリアムの場合と良く似ています。ミリアムは,イスラエルの指導者である自分の兄に反抗して,自分を顕著な者にしようとつとめました。k 「ものみの塔」誌に述べられている聖書的な見解と一致しない限り,ラッセル夫人の記事は出版されないことになりました。彼女がこのことを認識したとき,たいへんな動揺を感じ,その不満な気持はだんだん高まつて,遂に協会と彼女の夫との関係をたち切る段階にまで達しました。このため,ラッセルは彼女のために別の家をつくり,彼女を経済的に支えることが必要になりました。
それから幾年か後の1906年,正当な裁判の手続きの後に,彼女の別居は合法のものと宣言され,彼女はラッセルに数千ドルの裁定額を要求しました。この裁判中に語られた特定な言葉の故に,パストー・ラッセルの敵対者たちは,ラッセルが不道徳な者であり,宗教界において持つているその地位につく資格はないと示すことに努力を払つてきました。しかし,そのような非難は偽りである,と裁判所の記録は明白に示しています。裁判所の記録は,この点について次のように報告しました。
ラッセル夫人は,彼女の夫が不道徳の行いに有罪であると信じなかつた。そのように信じたことは一度もなかつた。そのことは,彼女の弁護士が(第10頁で),ラッセル夫人に次の質問をしている法廷の記録からも示される,「あなたの夫は姦淫の罪を持つていないということですね」。答「そうです」。l
ロイス: それはパストー・ラッセルにとつてずいぶんつらいことだつたでしようね。
マリア: そうでした。この結果が自分自身にとつてどういう意味を持つものか,また彼の敵が新聞でどのようにこのことを利用するか,ラッセルは良く認識していました。しかし,彼はもし自分が神のしもべであるなら,聖書中に述べられている神の原則または政策を決して捨てない,という立場を彼は取りました。それで,彼はその環境下で為し得るただ一つのことをしたのです。
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読者よりの質問ものみの塔 1960 | 12月15日
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読者よりの質問
●サムエル前書 31章4節とサムエル後書 1章10節は矛盾しているように見えますが,それはどのように調和しますか。―フランスの一読者より。
サムエル前書 31章4節(新口)は次のようです,「そこでサウルはその武器を執る者に言つた,『つるぎを抜き,それをもつてわたしを刺せ。さもないと,これらの無割礼の者どもがきて,わたしを刺し,わたしをなぶり殺しにするであろう』。しかしその武器を執る者は,ひじように恐れて,それに応じなかつたので,サウルは,つるぎを執つて,その上に伏した」。サムエル後書 1章10節(新口)には,ダビデに告げているアマレク人の言葉が記されています。彼はサウルの要求に応じて,彼を殺したと言いました,「そこで,わたしはそのそばにいつて彼を殺しました。彼がすでに倒れて,生きることのできないのを知つたからです」。
すこし考えるなら,事態ははつきりしてくるでしよう。一つは霊感された記録です。おそらく預言者ナタンとガドの記したもので,サウロ王の死を告げています。彼らは事実としてそれを報じています。他の一つは,異教の人,アマレク人の名も知られていない若者の言った言葉です。その言葉は神の記録と矛盾しています。霊感をうけた筆記者たちの記録を疑うことができますか。もちろん,疑う理由はひとつもありません。異教の若者の言葉を疑うことができますか。できます。なぜなら,この若者は,その生存中ダビデの生命を取ろうとした者を殺したと見せかけてダビデの歓心を買おうとしていた,と結論するのは理に合うからです。彼の言葉は,したがつて意識的な嘘です。ところが,その言葉はダビデの歓心を買うどころか,かえつてダビデを怒らせてしまいました。ダビデは,エホバの油注いだ者を殺したというこの若者を殺すように命じたのです。
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