真の崇拝の神を喜ぶ
「エホバをおのが神とする国はさいはひなり エホバ嗣業にせんとて撰びたまへるその民はさいはひなり われらはきよき名によりたのめり 欺てぞわれらの心はエホバにありてよろこばん」― 詩 33:12,21,文語。
1 今日の世界情勢は2700年前とどのように似ていますか。
2700年ほど歴史をさかのぼってみましょう。3000年に近い昔のことが,20世紀の我々にどう関係するのだろうといぶかる人がいるかもしれません。しかし大いに関係があるのです。恐るべき可能性をはらむ今日の緊迫した世界情勢は,昔のアッシリア帝国がその最盛期に他の国々をおびやかしていた時の情勢と著しく似ています。ナショナリズムの熱気は沸騰点にまで高まりました。この核時代において,急進的,独裁主義的な諸勢力は,国家主義的な不統一に世界を陥れています。それで高慢なアッシリア人の時代におけると同じく,国家主義の挑戦に首尾よく立ち向かって生き残るのはだれかという同じ問いが出されます。
2,3 (イ)ヒゼキヤの治世はどんな面で特筆すべきものでしたか。(ロ)ヒゼキヤの編さんした詩篇はだれまた何を崇めていますか。それにはどんな預言的な意義がありますか。
2 アッシリア帝国が勢力の絶頂に達したのは紀元前8世紀のことです。またヒゼキヤが彼以前のダビデやソロモンと同じくエルサレムの王としてエホバの位に座したのは745年で,やはりこの時代のことです。「ヒゼキヤはその父ダビデの凡てなしたる如くエホバの目に善と視たまふ事をなせり」。(列王下 18:3。歴代上 29:23。歴代下 29:2,文語)彼はエホバの真の崇拝を心から支持しました。また宮での崇拝に用いるため,ダビデの作ったものをも含む詩篇の多くを編集しています。先に引用した詩篇 33篇は,アッシリヤ人に対するエホバの勝利をたたえるものと思われる他の詩篇とともにヒゼキヤの作ったものかもしれません。
3 これらの詩篇は偉大な救い主エホバをほめ,また最高に歌いあげています。また救いの道,つきることのない幸福への道として真の崇拝を高めています。永遠の王エホバにたぐう者はなく,その真の崇拝の都ほど祝福されたものはありません。「エホバは大なり われらの神の都そのきよき山のうへにて甚くほめたたえられたまふべし シオンの山はきたの端たかくしてうるはしく喜悦を地にあまねくあたふ ここは大なる王のみやこなり そのもろもろの殿のうちに神はおのれをたかき櫓としてあらはしたまへり」。ヒゼキヤの時代,愛された神の国民に施されたエホバの奇跡的な救いは,今日の真の崇拝者が国家主義的な圧制者の手から救われ,エホバの御名がほめられることを預言的に示すものです。―詩 48:1-5,10。
国家主義の脅威
4,5 (イ)ヒゼキヤの時代に諸国家はどんな脅威にさらされていましたか。(ロ)侵略的なアッシリアに相当するどんなものが,今日,存在していますか。
4 聖書にしるされた歴史の中で2番目の世界強国であるアッシリアは残酷であり,侵略的でした。エホバの預言者ナホムはその都ニネベをさして「血を流す町」と言い,またアッシリアを遊女にたとえ,「その魔力をもって諸族を売り渡した」と述べています。(3:1,4)ヒゼキヤの時代には,南のエジプトとエチオピアの王テルハカが,優勢なアッシリアにとって唯一の脅威にとなっていました。アッシリアとエジプトの間にはシリア,イスラエル(サマリヤ),フィリスティア,モアブ,アンモンその他の国々が位置していましたが,彼らの異教の神々の加護をもってしてもアッシリアに対抗する力はありませんでした。おそかれ早かれそれらは,専制的なアッシリアの支配者のひとりによって冷たい戦争の結果,属国となるか,熱い戦争によって侵略されるかして,その国民はアッシリアの領土内にある他の土地に移されました。
5 さて現代に目を移してごらんなさい。侵略的なアッシリアに相当するものがありますか。確かにあります。独裁的な国家主義は,代々の「北の王」とくにドイツのカイザル,ナチスのヒトラー,現在の共産主義の独裁者によって同様に表明されてきました。a そのうえ国家主義は毒のあるつる植物のようにアメリカ大陸,アフリカの新興国,アジア全体にはびこっています。追放流民の問題がこれほど世界的な問題になったことはかつてありません。侵略的で不合理な国家主義は感情的な情熱をかきたてます。その結果,地上の33億の人々はその生まれた国に従って互いに分けられています。人々は国家に隷属させられています。
6 ある権威者によれば,国家主義は何の障壁となっていますか。
6 世界情勢を研究する人々は,国家主義の台頭がもたらす危険に目ざめています。英国の歴史家トインビーは,1965年1月1日付読売新聞に寄稿した特別記事の中でそのことを論じています。「国家主義は原子力時代の人類の生存をおびやかす」と題した5段抜きのその記事は,一部次のように述べていました。
「今日,人類の90パーセントの宗教の90パーセントは国家主義であると言っても過言ではあるまい。国家主義は現代の3大イデオロギーのうち,最も有力なものである。共産主義者も資本主義者も,まず何よりも国家主義者である点では一致している……国家主義への熱烈な献身は今日,共産主義者と資本主義者のみならず,欧米の人であると否とを問わず,開発途上にある国の人にも文明の高度に発達した国の人にも,仏教徒,神道信者,ヒンズー教徒,回教徒,クリスチャン,ユダヤ人,ゾロアスター教徒の別なく,すべての人の間に見られる。我々を分裂させる一つのイデオロギーに献身しているという点で我々が一致しているのは皮肉なことである。皮肉であるのに加えてこれは危険なことだ原子力時代における人類の生存の希望は,世界の人々がどうにかして一つの家族のように結ばれることに依存しているからである。我々はこの方向に進むべく努力しているが,生き残るために達しなければならないこの目標を目ざす我我の前途には,国家主義という障壁が横たわっている」。
人類はどのようにしてこの障壁を乗り越えられますか。
7,8 (イ)国家主義を始め,またおもにそれを促進しているのは何者ですか。(ロ)彼の前途には何が待ち受けていますか。なぜですか。
7 まず国家主義を始めた者,その主唱者の正体を見破ることが大切です。アッシリアにおいて国家主義を促進したのはセナケリブ王でした。その名には「シン(月の神)はその兄弟たちを増し加えた」という意味があります。彼はサタン悪魔を表わす者です。サタン悪魔は,エホバ神への反逆に他の天使たちをひき入れ,みずから「悪霊のかしらベルゼブル」となりました。(マタイ 12:24)これらの悪霊は対立する人類の諸国家の上に君臨するべくサタンによってたてられており,その中に「ペルシャの国の君」や「ギリシャの君」がいました。(ダニエル 10:13,20)地上の相争う諸国家の上に悪霊が君臨することを,サタンは誇っています。「わが諸侯はみな王にあらずや」。(イザヤ 10:8,文語)確かに「全世界は悪しき者の配下にある」のです。―ヨハネ第一 5:19。
8 セナケリブはみずからの年代記の中で「わが主権の畏怖すべき威光」を誇っています。高慢な彼の上に下されたエホバのさばきは正しいものです。「〔エホバ〕がシオンの山とエルサレムとになそうとすることを,ことごとくなし遂げられた時,主はアッスリヤ王の無礼な言葉と,その高ぶりとを罰せられる」。(イザヤ 10:12,〔新世訳〕)この預言が最終的に成就するとき,サタンは滅ぼされ,サタンが世界中にあおりたてている国家主義の精神もサタンもろとも無に帰するでしょう。しかしそのことはどのように起きますか。
世の宗教は防壁?
9 ある人々は国家主義の問題に対する解決策をどこに求めますか。そのことからどんな疑問が起こりますか
9 世の宗教は増大する国家主義の勢力をくいとめることができないのですか。宗教それもあらゆる宗教の復興が保護にならないのですか。現在のような危機の時代には,自分の選ぶ教会に行くことを始めたり,先祖伝来の宗教に帰る人が出ます。そして宗教の世界帝国がどうにかして統一を保ち,人類の生存をおびやかす危険なものをくいとめるのを期待しています。しかしそれは可能ですか。国家主義も一つの宗教ではありませんか。
10-12 (イ)どんな昔の例が今日,警告となるはずですか。(ロ)イスラエルはどんなわなに陥りましたか。どんな結果を招きましたか。
10 昔のアッシリア人に敵対した宗教的な国々の滅びは,昔からある多くの宗教に今日頼ることの誤りを警告しています。イスラエルの10部族の国は一つの例です。この国民は聖書の神エホバを知っていました。そして偶像崇拝に陥ってのちも,エホバからつかわされた預言者に聞くことができ,その点でエホバの恵みをなお受けました。しかし彼らは反逆的で,ひとりよがりであり,エホバの崇拝よりも「象牙の家」とぜいたくを好みました。(アモス 3:15; 6:1-6)背教した彼が採用したのは,融合の宗教でした。それはエホバを求めるふりをした彼らの王たちが始めた冒瀆的な小牛崇拝に,周囲の国民の堕落した宗教を加えたものです。その結果は聖書の次のことばに示されています。
11 「彼らはその神〔エホバ〕のすべての戒めを捨て,自分のために二つの子牛の像を鋳て造り,またアシラ像を造り,天の万象を拝み,かつバアルに仕え,またそのむすこ,娘を火に焼いてささげ物とし,占いおよびまじないをし,〔エホバ〕の目の前に悪をおこなうことに身をゆだねて,主を怒らせた。それゆえ,〔エホバ〕は大いにイスラエルを怒り,彼らをみ前から除かれたので,ユダの部族のほか残った者はなかった」― 列王下 17:16-18,〔文語〕。
12 イスラエルの選んだ宗教は彼らの救いにはなりませんでした。しかしユダとその宗教についてはどうですか。
13 アハズはどのように滅びをもてあそびましたか。
13 アッシリアがイスラエルの10部族の国を滅ぼしている間にも,ヒゼキヤの父アハズを王とするユダは滅びをもてあそんでいました。どうしてですか。この危機の時にもアハズは,預言者イザヤをとおして告げられたエホバのことばに無関心を表明しました。(7:10-12)この世的な外交手段に転じたアハズはアッシリアと妥協し,なお悪いことに忌むべき不道徳な宗教のならわしをユダにひろめました。それで「エホバにむかひて大に罪を犯した」のです。―歴代下 28:19,文語。
14,15 (イ)のちの時代の背教に関して,どんな警告が与えられましたか。(ロ)アハズの行ないに相当するどんな事柄が,カトリックの歴史に見られますか。
14 この背教に相当することが,のちの時代にも起きていますか。確かに起きています。クリスチャン・ギリシャ語聖書には,西暦56年ごろ,揺籃期の純粋なクリスチャン会衆の監督たちに使徒パウロの与えた警告がしるされています。それは「狂暴なおおかみ」が彼らの中にはいり込み,「曲ったことを言って,弟子たちを自分の方に,ひっぱり込もうとする」と述べています。(使行 20:29,30)警告どおりこの背教は,キリスト教の指導者を自任する人々が正しい教えと崇拝から離れはじめた次の世紀に起こり,西暦325年,コンスタンチヌスがカトリック教をローマ帝国の国教とするとともに異教の三位一体を「キリスト教の中心的な教義」b として採用するに及んで決定的なものとなりました。アハズが,真の崇拝の中心であるエルサレムの宮におかれたエホバの祭壇を,偶像崇拝の異教の祭壇に変えたことによく似ているではありませんか。―列王下 16:10-18。
15 アハズが宮を改造し,バアル崇拝を国中にひろめたのと同じやり方で,背教のおおかみはクリスチャン会衆の機構を腐敗することにとりかかりました。彼らはみずからを僧職者階級に仕たてあげ,偽りの崇拝において平信徒の上に君臨しました。カトリックの一枢機卿が認めているように,「カトリックの教会は悪霊崇拝の道具や付属物を持ち込み」,「それらは教会に採用されることによって清められた」と主張しています。c 時たつうちに背教のキリスト教は,ギリシャのプラトンの哲学を採用して人間には不滅の魂があると教え,「火の地獄」や「煉獄」の教えをそれに加えました。d 死後の責め苦という教えに満足しなかったものとみえて,13世紀のカトリックの異端審問所は“異端者”を現世で苦しめました。カトリックの十字軍はほかにも無実の人の生命を戦争の祭壇にささげました。
16 新教は何をすることに失敗しましたか。
16 16世紀の宗教改革によって新教が生まれましたが,初めカトリックの腐敗に挑戦した新教も「悪霊崇拝の付属物」を捨て去ることには失敗しました。それは時を経ずしてキリスト教国の戦争と政治に関係しはじめました。新教の分裂した諸宗派は,現在の世界の問題に対して解決策を持っていません。
17 (イ)アハズの死は何を予表していましたか。(ロ)その時キリスト教国はどんな選択をしましたか。それはどんな結果になりましたか。なぜですか。
17 紀元前745年にアハズ王が死んだことは,一時期の終わりを画しました。同様に西暦1914年は,「諸国民の定められた時」すなわち国家主義とその神々が意のままに世界を支配することを許されていた期間の終わりを画した年です。第一次世界大戦の勃発とともにこの時代の「産みの苦しみ」が始まりました。(ルカ 21:24。マタイ 24:8)戦時の熱狂的な空気の中でキリスト教国の諸宗派はクリスチャンの一致を捨てて国家主義に走り,それは牧師の声援の下にカトック信徒同志,新教徒同志が殺し合う結果になりました。背教の“キリスト教”諸宗派は死んだアハズ王と同様,霊的には死んでいることを表わしました。彼らがクリスチャンであることを示すものは何もありません。それは国をアッシリアに滅ぼされてアッシリア帝国内の他の土地に移されたイスラエル人が,神の民としての存在を失ったのと同様です。それはなぜでしたか。「是は彼等その神エホバの言に遵はず……聴ことも行ふこともせざるによりてなり」― 列王下 18:12,文語。ダニエル 11:29。
真の崇拝を促進
18,19 (イ)エホバの真の崇拝の擁護者はだれですか。(ロ)この者とその働きは,ヒゼキヤによってどのように予表されていましたか。
18 しかしエホバの真の崇拝を擁護する者がいます。この者はいざという時にその面目を発揮します。彼は真のキリスト教の設立者であり,エホバから油そそがれた王キリスト・イエスです。詩篇には,キリストについて次の預言的なことばがしるされています。「あなたは義を愛し,悪を憎む。このゆえに神,あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまさって,あなたに注がれた」― 詩 45:7。
19 アハズの子で善王となったヒゼキヤはエホバがダビデと結ばれた御国契約におけるイエスの「ともがら」のひとりでした。その名は「エホバは力づけ給えり」という意味です。ヒゼキヤは,ユダの王としての地位を確立する前からアハズの共同統治者として一時のあいだ治めたようです。そして疑いなくその時から真の崇拝のために力を発揮しはじめました。今日においてもキリストは,御国を受けるに先だち,地上の誠実なクリスチャンの間で準備のわざを始められました。キリスト教の教義である贖いその他の聖書の真理を擁護して「ものみの塔」誌が1879年に創刊されたのは,そのことと関連があります。
20 (イ)1914年およびそれ以後,エホバはキリストに対してどんな預言を成就されましたか。(ロ)「選民」はどのように救われますか。
20 ついで画期的な年である1914年にエホバは,天において支配する王の位にキリストを即けて,次の預言を成就させました。「エホバはなんぢのちからの杖をシオンよりつきいださしめたまはん汝はもろもろの仇のなかに王となるべし」。(詩 110:2,文語)直ちに神の擁護者は大敵サタンを天から地の近くに追い落としました。それは今日わたしたちの周囲に見られるように「地(に)わざわい」となっています。(黙示 12:7-9,12)しかし神は敵に対する艱難を短くし,選民が救われるようにされました。(マタイ 24:21,22)彼らは,エホバの霊的な宮における真の崇拝に集められて救われたのです。ユダにおけるヒゼキヤの果敢な行動は,今日キリストが地上のエホバの“賛美者”の間に真の崇拝を復興されたことを予表しています。それを調べる人はスリルを感ずることでしょう。
21 ヒゼキヤが宮のとびらをすみやかに開いて修理したことは,何を予表していましたか。
21 ヒゼキヤは心にかけていたことをその治世の初めにさっそく行ないました。すなわち「エホバの室の戸を開きかつ之を修繕」うことをしたのです。(歴代下 29:3)真の崇拝を復興しなければなりません。同じくサタンと悪霊を天から放逐するとともに,エホバは王なる御子とともにマラキの預言を成就することにとりかかられました。「あなたがたが求める所の主[エホバ]は,たちまちその宮に来る。見よ,あなたがたの喜ぶ契約の使者[キリスト]が来ると,万軍の〔エホバ〕が言われる……彼は銀をふきわけて清める者のように座して,レビの子孫を清め彼らは義をもって,ささげ物を〔エホバ〕にささげる。その時ユダとエルサレムとのささげ物は,昔の日のように,また先の年のように〔エホバ〕に喜ばれる」。(マラキ 3:1-4,〔文語〕)クリスチャンと名のる人々を清めることは,第一次大戦がまだたけなわの1918年,突然に始まりました。そしてキリスト教国の堕落した崇拝から離れた人々は恵みを受け,義をもってエホバに仕えることになりました。
22 1919年以降,「汚れ」はどのように暴露されましたか。
22 これは背教のキリスト教国が「諸国民の時」のあいだ,またその後に作りあげた汚れた記録をおおいかくす時ではありません。王キリストは昔のヒゼキヤの命令をくり返します。「聖所から汚れを除き去りなさい」。(歴代下 29:5)戦争と大量殺りくを促したキリスト教国がエホバにさばかれ,捨てられたことを暴露しなければなりません。1919年,エホバの証人であるクリスチャンがバビロン的な束縛から解放されたことは,キリスト教国の宗教が悪霊の宗教の世界帝国もろともその時に倒れたことを示しています。今や「驚きと物笑い」の種として,それは神の正義のさばきの執行を待つばかりです。―歴代下 29:8。
23 ヒゼキヤより偉大な者は,真のクリスチャンのため,「エホバとの契約」をどのように結びましたか。
23 今日の忠実な霊的レビ人すなわち真のクリスチャンの油そそがれた残れる者の状態は,全く異なっています。ヒゼキヤよりも偉大なキリスト・イエスは,「イスラエルの神エホバとの契約」を彼らのために結ばれました。またとがを許すことを定めた「新しい契約」を彼らに対して更新し,真の崇拝を行なうように彼らを力づけました。(ルカ 22:20。エレミヤ 31:31-34)彼らは,ヒゼキヤがレビ人の祭司たちに燃えたたせたと同じ精神と決意に満たされています。「我子等よ今は怠る勿れ エホバらを択びて己の前に立て事へしめ己に事ふる者となしたまひたればなり」― 歴代下 29:10,11,文語。
24 残れる者の前にどんな戸が開かれましたか。
24 エルサレムの宮の扉が開かれ,修理されたのと同じように,いまやキリストは,油そそがれた残れる者に対し,奉仕の機会を開かれました。それは「だれも閉じることのできない門」です。(黙示 3:8)特に1919年と1922年のアメリカ,オハイオ州シーダーポイントにおけるクリスチャンの大会によって力づけられた彼らは,「王と御国を宣べ伝えよ,宣べ伝えよ,宣べ伝えよ」との呼びかけに力強く応じました。
25 エホバの実体的な家はどのように清められ,その器はととのえられましたか。
25 しかしこれら真の神の賛美者は,異教の教えとならわしを全く捨て去らねばなりません。1919年以後しばらくの間,宗教的な衣服,エジプトのピラミッドを「石に書かれた聖書」と見ること,クリスマスのような異教の祝日を守ること,十字架のような異教の象徴を使うことその他,宗教的に汚れた事柄が行なわれていました。このようなものは除かれねばなりません,エホバの崇拝にふさわしい「器」を用いることが必要です。神のみこころが次第に啓示されるにつれて,油そそがれた残れる者は宮の崇拝を清め,その結果,ヒゼキヤに報告した祭司やレビ人と同じく自分たちの王に報告できました。「我らエホバの室をことごとく潔めまた燔祭の壇とその一切の器具……とを潔めたり またアハズ王がその治世に罪を犯して棄たりし一切の器皿をも整えてこれを潔めエホバの壇の前にこれを据置り」。(歴代下 29:18,19,文語)1世紀にイエスによって確立された真の崇拝の道が,真のクリスチャンの間で復興されました。
26 ヒゼキヤが朝早く起きてつかさたちを崇拝のために集めたことは,何を予表していますか。
26 「是においてヒゼキヤ王つとに起いで邑の牧伯等をあつめてエホバの家にのぼり往き……」。(歴代下 29:20,文語)ひな型によって示されたとおり,第一次世界大戦後まもなく王イエス・キリストは,エホバの王なる家に属する者すなわち地を治める御国の千年統治の時,キリストとともに王また祭司となる人々のうち,地上に残る者を集められました。(黙示 20:6)ついで祭司たちはすべての者のために犠牲をささげはじめました。「これは王がイスラエル全国のために播祭および罪祭をささげることを命じたためである」。(歴代下 29:24)その成就において霊的ユダヤ人14万4000人の残れる者全部がエホバの御名を負う真実の民として生み出され,清められねばなりません。これは次の詩篇の成就でもあります。「いけにえをもってわたしと契約を結んだわが聖徒をわたしのもとに集めよ」。(詩 50:5)イエスの完全な犠牲に基づくエホバの新しい契約の定めにしたがって集められた人々は,ヒゼキヤの時代におけると同じくこぞって「喜んでさんび」しました。―歴代下 29:30。
27,28 (イ)集めることはどのように完成されましたか。神の民はいま何を喜ぶことができますか。(ロ)しかしどんな質問になお答えなければなりませんか。
27 この集めるわざは1919年あるいは1922年に至っても完了しませんでした。エホバの賛美の犠牲をささげるわざを効果的に遂行するには,もっと大ぜいの働き人が必要でした。それで歴代志下 29章34節は著しい成就をみました。「祭司が少なかったので,その兄弟であるレビびとがこれを助けて,そのわざをなし終え,その間に他の祭司たちは身を清めた。これはレビびとが祭司たちよりも,身を清めることに,きちょうめんであったからである」。ひな型が示しているとおり,キリストの追随者の油そそがれた残れる者のうち,まだ集められていなかった人々は特に1931年-1935年までに集められました。その多くはエホバの要求される事柄と奉仕に対し,前に集められていた人々よりも熱心でした。
28 当時「にわかに」起きた真の崇拝の復興に「ヒゼキヤおよびすべての民(が)喜んだ」のと同じく,油そそがれた残れる者はキリストの下にあってエホバがその民のために同様に「備えをされた」ことを喜びました。(歴代下 29:36)しかしこのことは現代における国家主義の脅威に対処するうえにどう役だっていますか。その点を以下にとりあげます。
[脚注]
a 「御心が地になるように」220-320頁。
b カトリック百科事典「祝福された三位一体」の項。
c ニューマン枢機卿著「キリスト教教義の発展に関する論文」(1878年)の第8章。
d 正しい教えと崇拝の腐敗に関して,モシェイムの「教会史」は次のように述べています。「当時はクリスチャンが,魂,英雄,悪霊,寺院その他に関して先祖の持っていた考えを踏襲することに対し,またそれを自分たちの信仰の中に移入することに対してだれも異議を唱えなかった。また昔からの異教の慣例も,いくらかの変革を施して清める以外には,それを打ちこわそうと言い出す者はだれもなかった。したがってクリスチャンの宗教と崇拝が腐敗したのは自然の勢いであった。さらに付言すれば,死後において魂がある種の火によって清められるという教え ― 後日,僧職者に莫大な富をもたらしたこの教えは,この時代に発展し,大きな影響を与えるようになった」。
[362ページの図版]
真の崇拝の主要な敵となった国家主義者セナケリブ
[365ページの図版]
「汚れを除き去りなさい」