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人間の小さいことを教える教訓ものみの塔 1962 | 6月1日
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のである。従って今度は沈むかわりに,それより暖かい水の層の上に停滞してしまう。最後に水が氷になると,更に軽くなって水の表面に浮かび,蓋のような役目をする。
「水温が下がるときの,比重のこの不思議な変化が起こらないとすれば,表面の水は氷点に冷えるまで沈む一方となり,湖や海の底に氷ができてしまう。そして氷は毎年,厚くなって遂には全部の水が氷になってしまうであろう。夏になっても表面の層がとけるだけで,世界の気候を温和にする潮流の移動がなくなる。熱帯は耐え難いほどに暑くなり,『温帯』は一年中,極寒の地となってしまうに違いない」―「水の世界」(英文),148,149頁。
エホバは氷を作り,「水は固まって石のようにな」るようにされました。しかし海洋や湖の水が全部氷になって,地球に悪い結果を及ぼすことはありません。氷,霜,雨と露は創造主の御手のわざです。雨と露はすべての植物を活気づけ,生命を与えます。霜は地中の水分を拡大し,土壌を砕いて地味を豊かにします。
エホバの壮大な言葉によってヨブに向けられた多くの質問の中から,そのわずかを考慮しましたが,それは神の偉大さにくらべて人間が如何に小さいかを教える,すばらしい教訓です。エホバの言葉は人間の本当の大きさを思い知らせます。それは山の陰にあるもぐらづかの大きさにもたとえられます。「見よ,神は大いなる者にいまして,われわれは彼を知らない」。―ヨブ 36:26,新口。
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報われた忍耐ものみの塔 1962 | 6月1日
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報われた忍耐
私は,グアテマラのケザルテナンゴ・コアテペケにある会衆の,特別開拓者として奉仕しています。近くのフロレス・コスタ・クカという村を初めて伝道した時のこと,私はちょうど郵便局から出てきた青年に,聖書の話をして文書を配布しようとしました。その青年は急いでいるようでした。馬に乗りながら彼は,宗教に関係した本だったら,興味がないからいらないと言いました。それでも,私が非常にわずかの寄付で本をすすめたのを確かに不思議に思ったようでした。
2週間たって私はまたその小さな村に行きましたが,その時町から1マイルばかり離れた畑で働いていた彼を見つけました。私たちは,彼の家のポーチにあがって話をしました。彼は礼儀正しくて親切でしたが,訪問の目的を達成できそうには思えませんでした。ふたりの話が合ったのは,私がつぎにこの村に来る時にまた寄るということだけでした。
その日から私は,彼を定期的に訪問しました。その人がセメントを塗ったり,道を作ったりして働いている仕事場で勉強したことも一度ならずありました。二つの大きな石をいす代わりに使い,木陰にすわりました。私が勉強を1時間以上しなかったことが,彼にはありがたかったようです。どのくらい時間を使うかということを彼はいつも知っていました。私たちの定期的な研究はこうして2年間つづきました。
私にとって一番苦労だったのは,彼の甚しい無関心でした。火の燃える地獄や三位一体の神があろうがあるまいが,彼には全く興味がないようでした。そうしたある日,ある新教の団体が,彼を特別集会に招待して,ものみの塔協会とその活動を非難した文書を贈りました。彼は即座に反応を示しました。質問がたくさん出てきました! 彼は細部にわたって調べはじめました。「真理」を知りたいと思ったのです!
彼は,勉強しただけでなく,自分が学んだことを他の人々にも語りました。何ヵ月かたって,巡回の僕が訪問している間に,私の友だちはエホバ神への献身を表わして洗礼を受けました。そして,真理について詳しく,忍耐強く家族の者に説明しました。が,両親は,彼がほんとうの聖書を勉強していたことなど信じようとしませんでした。彼は早速ナカール-コルンガ(カトリック)訳を家に持ち帰って,家族を納得させました。
約1週間ばかりたって,いろいろなことが起こりはじめました。彼の家族は,突然,聖人の木像や絵を捨ててしまいました。熱心なカトリック教徒であった彼の助手さえ聖書の勉強を始めました。
信仰をもった私の新しい兄弟は,他の人々とも研究を始めました。現在では,彼の家が会衆の奉仕中心地になって,5人の兄弟が出席しています。そのうち3人は休暇開拓者です。私と勉強した人は,小児まひにかかって足がびっこですが,それでもその3人のうちにはいっています。
ついこの間この兄弟は,私にこう言いました,「エホバの過分のご親切により,またエホバの僕が忍耐強かったおかげで,いま私は,エホバがすべてのものの上に存在されるということだけでなく,なぜ私がここにおり,生きているか,エホバが私に何を要求しておられるかを理解することができました。私は信仰をもっています。そのうえ,信仰をもっている理由を説明することができます。私は『真理』を知っています」。
たしかにエホバは,私たちが愛をもって奉仕する時に,私たちの忍耐を祝福して下さいます。
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