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アンデスの哀調をおびた音楽目ざめよ! 1971 | 12月8日
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のことである。この音階は,上に完全5度が四つあるヘ音,すなわちハ音,ト音,ニ音,イ音(ヘの上の第5音がハ,ハの上の第5音がトといったぐあい)のような主音またはアクセントのない音を基礎にした音階である。そしてこの五つの音は,上行長音階のヘトイハニを形成するよう再配列されている。エクアドルの民俗音楽では,短調5音音階が,この場合はニヘトイハであるが,物悲しく単調な質の音楽に寄与するところが大きい。
環境という要素
エクアドルのインディオとその文化の起源がどうであったにしても,彼らがアンデスの谷間に住みついたとき,彼らの音楽は,その新しい故郷のムードを反映するようになったにちがいない。雪をいただいた火山の畏怖の念を起こさせる美しさ,希薄な空気,冷い風,なかでも山の孤独 ― こうした環境的要素すべてが,彼らの個性とその音楽に跡を残したようである。
山岳地方の大衆音楽と,エクアドルの他の主要な地理的地域である熱帯の海岸地方のそれとの明白なちがいは,この考えを支持するようである。一般に,快活で独立心の強い海岸地方の人々は断然,生き生きした,リズムに富む音楽を好み,無口な山岳地方のいなか者がこよなく愛する悲しいメロデーを敬遠する。海岸地方の大衆音楽が多く長調であるのに対し,山岳地方のインディオが,その音楽的表現の90%以上に,もの悲しい短音階法を用いている事実にも意義がある。
インディオが,過去数世紀間圧迫に苦しんできたことから,その音楽のもの悲しさは,彼らの運命の悲哀を反映していると結論する人もいる。しかしこう言う人もいる。その哀調は,社会的苦痛を表現するための意識的努力というよりもむしろ,環境的要素や,楽器がかぎられていること,音楽の構造などに大きく原因していると。
たしかにインディオ自身は,自分の音楽が特別に悲しいものとは思っていない。それが自分に合っているし,長いあいだそのように奏されてきたので,自分も同じようにかなでるだけのことである。
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すばらしい作りをもつ肺目ざめよ! 1971 | 12月8日
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すばらしい作りをもつ肺
◆ 著名な音楽家で詩人でもある,イスラエルのダビデ王は,かつてエホバに向かって次のように歌った。「われなんぢに感謝すわれは畏るべく奇しくつくられたり」。(詩 139:14)生理学教授ワレス・O・フェンは,人間の肺の驚異を論じ,ダビデ王のこのことばの真実性を実証してこう述べた。「呼吸器の仕組みは人体に見られる数々の驚異の一つである。血液と空気との間で酸素と炭酸ガスを放散するために,肺は少なくともテニス・コートの半分の広さの場を提供する。酸素と炭酸ガスの交換が行なわれる肺の皮膜はきわめて精巧で薄く,[人間の]設計したいかなる人工肺といえども能率の点ではたちうちできない。肺の中の空気を入れ換えるのに要する努力は微々たるもので,肺の活動を維持するのに要するエネルギーは……1日につき角砂糖2個か,それに相当するもので供給できる。
「呼吸の仕組みは驚くほど適応性に富むものであるから,考え深い人であればだれでも,呼吸作用すべてを遂行させてきたそうした種々の過程を見て,畏怖の念に打たれ『われわれはなんと精巧に,なんとおそろしく,かつ不思議に作られているのであろうか』と考えずにはおれない十分の理由がある」。
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